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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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56.道切り(1)

 二月最初の日曜日。

 この日は村を東西南北に分けて各地区ごとに道切りが行われる。


 道切りは村境と呼ばれる場所のそばの道路をはさんで立つ木に綱を張り、そこに藁で作ったエビやタコ、鹿島人形などを吊るすことで村の中に災いが入ってくるのを防ぐものだ。

 綱を張る木にも藁で作った蛇を巻きつけて悪いものに睨みをきかせる。


 参加するのは各地区で当番となったお宅から一名、大体十人ほどが集まって、事前にくじ引きで当たった人のお宅の庭を借りて午前中に作業する。

 屋敷は当番に関係なく参加なので、わたしは中学生になってからお父さんと毎年参加していた。去年からはわたし一人の参加となっている。


 なお、道切りという行事柄わたしだけ巫女装束を着ていた。

 上は正式な黒の羽織ではなく普段使いの羽織に割烹着ではあるものの、屋敷の外でのこの恰好はちょっとだけ恥ずかしい。


 道切りの二匹の蛇は男性陣が作り、綱と吊り下げる器物は女性陣が作ることが多い。

 でもわたしはなぜか蛇作りの輪に加わっていた。

 そして横にはこれまたなぜか泰明さんがいた。

 汚れてもいいようになのか、他の男性陣と同じように濃紺の徳利セーターの上に作業着を着ている。


「あのー泰明さん」

「ん、どうかした?」

「本家の当番は去年でしたよね? だから今回は参加しなくてよかったと思うんですけど」


 本家は去年が当番で、そして前回も泰明さんが参加していた。

 そのときわたしは綱と器物を作る女性陣の輪にいて、なぜか彼も女性陣の輪にいたのだった。


 当時は養父母を亡くして三月みつきも経っていなかったから、みんながしてくれる二人の思い出話を聞きながらずっと泣いていた記憶がある。隣で彼が時々背中をさすってくれたことも覚えている。

 朝から会えるのは嬉しいけど、普段忙しいのだから休めるときは休んだほうがいいのに。


「当番以外が参加しちゃいけないって決まりもないよ。それに僕、今までずっと道切りに参加してこなかったからね。去年は綱吊りのほうを作ったから今回は蛇のほうを作ってみたくて。だからあかり、いろいろ教えてね」


 そう言うとにっこり笑う。

 それならわたしより他の男性のほうが、と思ったところで肩を叩かれた。

 見ればくじを当てた佐々木さんが苦笑している。


「ご指名だからあきらめな。胴体じゃなくて頭を教えてやったらいい」

「いいんですか?」

「先生、しめ縄の作り方はわかるだろ?」

「はい。そちらは何度か作ったことがありますので」

「ということだそうだ」


 蛇は編みあげた頭部としめ縄の胴体をそれぞれ作り、合体させて完成となる。

 大蛇ではないけどちょっと大きめの蛇なので、胴体であるしめ縄は数人がかりで作る力仕事だ。だから集まった男性の中で一番若い泰明さんはしめ縄作りにまわった方がいいように思うのだけど。

 それに頭部は、器用な泰明さんのことだから一緒に作業する人から編み方を聞けばすぐに作れてしまうんじゃないかと思えるけど。


「わかりました。それじゃあ一緒に作りましょうか!」


 せっかく一緒に作業できるのだし、それは胸にしまっておこう。

 役割が決まったところで佐々木さんがざっくりと開始を宣言する。

 庭に敷かれた茣蓙ござにあがると、わたしと泰明さんはしめ縄作りの一団のそばに並んで座り、積まれている藁から適量を手元に置いた。


「それじゃあまず――」

「おい先生」


 ふいにしゃがれた低い声がかかる。

 わたしの近くにいた声の主、今年還暦を迎える林田さんがしめ縄作りを開始しながら不機嫌そうな目でこちらを見ていた。


 林田さんはちょっと苦手だ。

 学校を卒業してからは滅多に会うことがなかったけど、学校の帰り道で何度か行き会ったときには毎回お身内やご近所さんの悪口を延々聞かされてしまった。その口の悪さもあいまって、ずっと聞いていると精神的に疲れてしまう。


 残念ながら大人たちの間でもちょっといい話を聞かない……というかその逆の話を聞くことが多い人だ。

 正直、近寄りがたい人といえる。


「あんた、次の見合いも断ろうとしてるんだってな」


 ぶっきらぼうなその言葉に、一人を除いて全員が凍りついた。


「ちょ、林田さん、その話は今は……」


 一緒にしめ縄を作る佐々木さんがわたしをちらっと見る。

 すると林田さんはわたしに視線をあわせた。

 それだけで彼から感じる煙草とお酒の匂いが強くなった気がした。


「世話役様。あんたも、先生の見合いに反対してるんだってな」

「……はい」


 控えめに返事をすると露骨に舌打ちされる。

 それだけでひゅっと胃の底が縮むようだった。


「世話役が個人に肩入れするなんて聞いたことがない。テメェの欲に目がくらんだか。これだから女ってのは――」

「林田さん。今は、僕の話でしょう?」


 泰明さんの声はとても柔らかい。なのにその横顔には冷ややかな笑みが浮かぶ。

 今や全員が手を止めて二人を見ていた。


「先生。子どもは親の言うことを聞くもんだ。逆らうもんじゃねえ」

「ご忠告、痛み入ります。でもすみません。こればかりは断固拒否させていただきたく思います」

「先生よ、俺はあんたが憎くて言ってるわけじゃねえ。親父さんだってそうだ。あんたは親父さんの気持ちを考えたことがあるか? ねえだろ? あったらそんなこと言えるわけがねえんだ」


 林田さんはやや濁った目を泰明さんに向けているけど、その目は別の人を見ているようだった。

 彼には二人のお子さんがいる。

 息子さんと娘さんは――それぞれ林田さんに強く反発して、村を出ていったきり帰ってこない。奥さんも娘さんと一緒に出ていってしまったと聞く。


 それからすでに二十年以上が経ち、一緒に暮らしていたご両親も亡くなって、彼は独りで暮らしている。近所に住む妹さん夫婦がときどき様子を見に行っているそうだ。

 泰明さんがふっと表情をやわらげ、穏やかな声を出す。


「林田さんの言葉は親が子を想うゆえのものだと理解しています。それに子には家の繁栄を目指す責務があることも、理解しているつもりです。でも、これだけはどうしても、譲れないんです」

「若造がえらそうに。随分と知ったような口をきく」

「おっしゃる通り、僕は若輩者です。頭の中だけで知ったつもりになっているだけでしょう。林田さんのような苦労を知らず、世間のこともきっとよくわかっていない。だからこそ勝手を言わせていただきますが――」


 穏やかな声色だけはそのままに、切れ長の目が鋭くなる。


「親の命令に唯唯諾諾いいだくだくと従うことが自分のためになるとは思えません。僕は傀儡くぐつではなく人間です。家や共同体の意思に従うことも大事ですが、それ以上に僕は僕自身の意思を尊重し大事にしたいと考えています」

「この野郎……」


 ぎり、と歯ぎしりの音が聞こえた。林田さんの顔が赤黒くなる。

 二人を除いて全員に緊張が走った。


「先生もうやめよう! 林田さんも、な? 大事な道切りの準備なんだ、喧嘩なんてやめようぜ」


 佐々木さんが捻じっていた藁を放りだして両手をばたばたさせる。

 二人の間に壁を作るように身を乗りだすけど、林田さんがその身体を横に押しのけた。


「そもそもあんた、惚れた相手と本当に一緒になれると思ってんのか? 親父さんは向こうの婿も探してるそうじゃねえか。どうせ今ある噂も嘘っぱち、本当は相手にもされてねえんだろ。全部あんたの都合のいい思い込み、それか作り話しってとこだろうが」


 青年は笑みを崩さない。

 それでもはっきりと、その言葉を境に気配が変わった。

 目に見えて立ち昇るような怒りの気配は触れれば切れそうなほど鋭くて、誰もが思わず息を殺す。

 ――林田さんをのぞいて。


「そう言われると困りましたね。なにせ相手は大変奥ゆかしい性格ですから、林田さんがそう思われるのも無理はないです。でも、噂は本当ですよ」

「男は三十、女は二十五にならねえと親の許可なく結婚できねぇはずだ。駆け落ちでもしようってのか、この親不孝者め」

「明治民法ではそうですが、戦後からは未成年でなければ両性の合意のみで結婚できるようになりましたよ」

「今の法律なんか知るか! 俺の時代はそうだったんだ。俺がそうだったんだからお前らだってそうじゃなきゃおかしい!」


 林田さんの言葉に、あちこちでため息をつく人や苦笑いする人の姿が目に入る。

 確かにこれはなかなか……困った意見だ。


「林田さん」


 泰明さんは、そんな林田さんにひどく優しい声を出した。


「あぁ?」

「想い合っていた方がいらっしゃったのですね」

「な…………ッ」

「玉木さんね、旦那さんとはずいぶん前に死別して今は独り身だそうです。どこに住んでいるか……お教えしましょうか?」


 青年の言葉にわたしは心の中で首をかしげた。

 玉木? とさざめくような声がまわりに広がる。玉木なんて姓の人は、この村にはいない。


「お、おまっ、それをどこ、いや、なにを言って――」

「林田さん。親の言いつけに従った結果、今あなたの手にはなにがありますか? 親の言う通りにして必ずしもいいことがあるとは限らないでしょう? もうご自分を自由にしてあげたらどうですか」


 静かな声に林田さんが押し黙る。

 彼の家の事情は、わたしは詳しくは知らない。

 でももしかすると林田さん自身も親御さんといろいろあったのかもしれない。


「…………うるせえ、黙れ、青二才が! 恋愛なんてのはなぁ! 下等な連中のすることなんだよ!」

「そうですか。山神も下に見られたものです。困りましたねぇ世話役様」

「あ、あの、泰明さん、それはあのー」


 山神という言葉に林田さんの顔色が赤から青になった。

 加加姫様は大恋愛の末の結婚だ。それはこの里山に暮らす誰もが知っている。

 泰明さん――倉橋本家の言葉によって、林田さんの言葉は姫様への不敬に当たると認定された。

 世話役は山の神に仕えるものとして、これを見過ごすことはできない。


 どうしよう。

 わたし個人的にならちょっと聞こえませんでしたですませられるのに、大勢の前で世話役様と言われたら逃げられない。


「ち、ちがう……今のは違――」

「そうですよね! 今のは違いますよね! や、泰明さぁん、驚かさないでくださいよもうっ」


 林田さんに負けず劣らずわたしも汗をたらたら流しながら全力で乗っかる。

 今の林田さんはとても不安定だ。先ほどの言葉は売り言葉に買い言葉、姫様を侮辱する意図はなかったとわかる。


「君は優しいね。あんなこと言われたんだからもっと怒っていいのに」


 なぜか青年はいじけた少年の顔になった。

 それから小さくため息をつく。


「ええ、大丈夫です。わかっていますよ林田さん。でもね」


 泰明さんは薄くて形のいい唇を弧にすると、誰もが見惚れるような美しい笑みを浮かべた。


「男は父親に逆らってこそ一人前、でしょう? 息子さんは立派でしたね」


 息子さん「は」と強調する言い方にわたしは天を仰いだ。

 それは言外にお前は一人前じゃない、と言ったようなものだった。大人げねー……と誰かがつぶやく。

 案の定というか、林田さんは物凄い形相になり、しかしなにも言わずに庭から出ていってしまう。

 後に残ったのはぽかんとする南区の人々だった。


「すみません、ついカッとなってしまって。修行不足ですね」


 あはははは、とあっけらかんと笑う青年に、ようやく全員の金縛りが解ける。


「いやいや、あんたにしちゃじゅうぶん抑えたと思うよ。でも怖かったー」

「先生の前であかりちゃんに文句つけるとか、命知らずというかなんというか。逆にあっぱれだよ」

「怪我人が出なくてほんとによかった。ほんっとひやひやしたわ」

「林田さんもなぁ。口も性格もアレだけど、結構かわいそうっちゃかわいそうなんだよな」


 ざわざわと喧噪が戻り、みんな思い出したように作業を開始する。


「さてと。あかり先生、教えていただけますか?」

「あ、はぁ……」


 普段屋敷で見るような優しい笑顔に戻った泰明さんに先ほどまでの彼が重ならなくて、わたしは少しだけ戸惑った。

 そして林田さんにちょっとだけ同情した。


 親の言いつけ通りにした結果、なにも残らなかったという林田さん。

 もともとの性格や考え方、口の悪さなども関係なくはないのだろうけど……そう思うと、なんだかかやりきれない気持ちになる。


「あかり。言われたことは気にしちゃだめだよ」

「大丈夫です。そういう考えの人もいるってわかってますから」


 わたしが世話役であることに関して批判的な意見――というほどでもないかもしれないけど、そういうのを実際に聞いたのはこれが初めてかもしれない。

 でも確かに、泰明さんのお見合い反対に関して公私混同してしまっている部分があるのだから、林田さんの言うことももっともだ。


 わたしはお父さんのように公平公正な世話役とは言い難い。

 なんだか自分が情けなくて、思わずため息がもれた。


「あかりさえよければあとで林田さんに――」

「や、やめてください! 本当に大丈夫です! ほらほら頭編んじゃいましょう、ここはこうで、これをこう通してですね」


 また不穏な気配をちらつかせる青年に、わたしはぶるぶると首を振って指導を開始する。

 泰明さんはなにか言いたそうにこちらを見ていたけど、やがて手元の藁をするする編みはじめた。


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