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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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55.遅い青春

 夕食後、食器類を流しに運んで食後のお茶を配り終えると、それを待っていたように姫様がいそいそと立ち上がった。


「あかりぃ~みかんが食べたいのう~」

「はいはい、甘えん坊さんですねぇ」


 茶箪笥の上のみかん籠からひとつを手にやってくると、少女はわたしの膝上にちょこんと座る。

 膝に乗せたままみかんを受け取って皮をむくと、そのひと房を口に運んであげた。


「どうしたんですか姫様……」


 囲炉裏の向こう、青年があ然としたようにつぶやく。

 そうか、泰明さんははじめて見るのかもしれない。

 養父母が亡くなって以来、おこもり明けの姫様はわたしに滅茶苦茶に甘えてくるようになっていた。それこそ厠やお風呂に行くとき以外の三日三晩はこんな感じの状態が続く。


「ずっと離れておったからのう、あかりという栄養が枯渇しておるのだ。なぁ、あかり? あかりもわしがおらんから寂しかったであろ?」

「とっても寂しかったですよ、当たり前じゃないですか」


 そう言って膝上の姫様を後ろからぎゅっと抱きしめれば、わたしの胸元から笑い声が響く。


「んふふふふふ。今夜は一緒に寝ようなぁ、あかり」

「は?」

「はいはい、昔話ですね。今夜はなにを聞かせましょうか」

「え。……え? 一緒に寝るって、本気で?」

「はい。去年からですけど、おこもり明けは数日ほど同じ布団で寝起きさせていただいてます」


 泰明さんが九摩留を見る。

 男は肩をすくめると大きなあくびをした。

 九摩留は最初こそ姫様に突っかかっていたけど、そのたびに殴る蹴るの激しいお仕置きを受けたのでもうあきらめたらしい。


「さ、さすがにそれはどうかな。ちょっとべたべたしすぎじゃない? 姫様ってほら、神様なんだし」

「泰明、これは神勅しんちょくだ。わしが望んだことなのだ。だからいいのだ。あかりだってわしと寝たいものなぁ? ん~?」

「冬場は一緒だと特に気持ちいいですよね。でも姫様、ときどきくすぐってくるから困っちゃいます」


 えい、と姫様のほっぺを人差し指でつつく。

 少女のほっぺは柔らかだけどぷにぷにしていて気持ちがいい。

 罰当たりなことではあるけど、この期間は無礼講なのでずっとぷにぷにさわさわと撫でてはつついてしまう。


「むふふふふふふふ。あかりもすっかり女の身体になってのう。肌はしっとりすべすべで手に吸いつくようだし、肉は弾力があってしなやかで、それにとってもいい匂いがして――」


 ダン!! と突然激しい音がしてびくりと身体がすくむ。

 見れば泰明さんが手にした湯呑を床に叩き置いたようだった。すごい音だったのに九摩留は起きる様子もなく、すよすよと居眠りをしている。


「すみません。帰ります」


 ぼそりと青年がつぶやき、横に置かれた紙袋を持ってゆらりと立ち上がる。


「え、あの……」

「気をつけて帰りや。見送りくらいはあかりを貸してやろうぞ」


 姫様が膝から立ちあがると、瞳だけ動かして彼に続くように促してくる。

 慌てて用意していたマフラーを掴むと、ものすごい速足でもう玄関を出ようとしている青年を追いかけた。




 今夜は厳寒の風が吹いて特に寒く感じる。

 もう一月も終わりだなぁと思っていると、泰明さんが足を止めて振り返った。


「あかり、ストレスって知ってる?」


 急な言葉に目が点になる。


「あの流行語になったやつですか?」

「そうそう。僕ね、ストレスって馬鹿にできないものだと思ってるんだ。それが及ぼすものは結構深刻っていうか」


 そう言うとにっこり笑う。


「姫様もあかりも、いつも一緒にいて安心できる相手がいなかったから、それに環境も普段と違ってたから強いストレスにさらされたんだろうね。だから触れたり抱きあったりしたくなる。癒しを求めて」

「あ、なんとなくわかる気がします」


 姫様をぎゅっとすると、ものすごく安心する。

 ほっとして気持ちがいい。心が温かくなる。

 癒しという言葉はまさにその通りだと思った。


「というわけで、僕にもぎゅっとして」

「というわけで!?」

「なんかもう……疲れちゃった……」


 顔からするりと笑みが消える。

 そこにいたのは疲労感漂う老人のような青年だった。


「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない。だからぎゅっとして」

「今、姫様を呼んで――」

「姫様に心配かけたくない。あかりがぎゅっとして」

「でも」

「早く」

「あの」

「いいから」

「ええっと」

「僕のこと……やっぱり嫌い?」


 消え入りそうな声にハッとする。

 強い風の中で、その言葉はいやにはっきりと聞こえた。

 泰明さんの髪が強い風になぶられて、その目は見えない。


「やっぱりって、なんですか?」

「僕、この前ひどいことしたし。医院で」

「あっ、あれは大丈夫ですよ。診察ですもんね? 全然気にしてませんから」

「気にしてないかぁ……」


 老人から白い灰でできた崩れかけの像に――いや、それは錯覚だけど、とにかく精神状態がボロボロなのは伝わってきた。


「帰るね」


 泰明さんがふらりときびすを返す。

 わたしの足が勝手に動いて、気づいたときにはその後ろ姿にぎゅっと抱きついていた。


 やってしまったという思いと、どうにでもなれという思いが同時に起こり、最後にはまぁいっかという気持ちに落ち着いた。

 黒のコートは冷気でわずかにひんやりして、それでもうずめた顔のあたりから徐々に熱が移っていく。


 ややして身じろぎするような気配がした。

 回した腕をゆるめると、今度は彼がこちらに向き直ってわたしを抱きしめた。

 恥ずかしさと嬉しさで身体が熱くなる。


「一週間……」

「はい」

「会えなくて、やだった」

「わたしもです」


 彼が言っているのは姫様のことだろうけど、今だけはもう、都合よく解釈したい。

 それでいいと心の中のキミちゃんも言っている。多分。


「ねぇ」

「はい」

「九摩留とは……どこ行くの?」


 ぎゅっと、背中に回った腕が締まって身体がいっそう密着する。

 顔が火照るけど、不思議と恐慌状態にはならなかった。

 彼の匂いに胸が苦しくなって、どこまでも甘く切ない。

 温かくて穏やかで、なのに泣きたくなるような感覚が胸を満たす。


「んー……。そうですねぇ」


 そうだ、九摩留とデート……お出かけすることになったんだ。

 お出かけといえば――。


「ちょうど葉月ちゃんにお詫びを持って行く予定だったので、それを買いに行こうと思います」

「姉さんに?」

「はい。葉月ちゃんから、九摩留と一緒にお菓子を選んできてって話をされて。だからちょうどよかったです」


 そうだ、この機会に時間と時刻表の読み方、切符の買い方――というか買い物の仕方、お金の計算も教えてしまおう。

 お姉ちゃんは転んでもただでは起きないのだ。


「あのね」

「はい」

「セーター、ごめんね」

「大丈夫ですよ。何度でも編んだらいいんですから」

「今度一緒に新しいやつ、買いに行こ?」

「えっ、いえ本当に大丈夫ですよ? 気を使わないでください」

「やだ。僕もあかりと出かける」


 ギリギリギリと腕が締まって息が止まりそうになる。


「わ、かり……ぅ、あ」

「あっごめん。苦しかったね」


 少し焦ったような声が落ちてきて拘束がゆるむ。

 泰明さんは身体をわずかに離すと、わたしの肩口に額を載せてきた。

 頬に当たる艶やかな髪が月明かりを弾いてこの上なく綺麗で、触ったらどんな感じがするんだろうと思ってしまう。


「あかり」

「はい」

「あかりの好きな……好き、だった人。ほんとに、今はもう――」


 好きじゃないのか、と。

 言葉にならずとも聞こえた気がした。


「……それなんですが、困ったことに……やっぱり好きなんですよねぇ」


 バッと音がしそうな勢いで泰明さんの顔があがる。


「今なんて?」


 強い風がビュッと吹いて彼の前髪が舞いあがった。

 両の二の腕を痛いくらいに掴まれて、真剣な目がわたしを見すえる。


「もう、どうしましょうねぇ」


 自分でもどうしようもなくて力なく笑う。

 あれから、医院でかけてもらった言葉をずっと考えていた。

 自分のことをもっと深く考えて、いろいろ見つめ直していた――はずが、気がつけば泰明さんのことを考えていた。


 胸の奥が、ずっと熱い。火がともってしまった。

 好きをやめようと言いきかせても、火は消えようとしなかった。

 なんとか小さくできても、熾火のようになったと思っても、今度はキミちゃんの言葉がよみがえってきて。

 その言葉は風のように、熾火を炎に変えてしてしまう。


 最近ではもう自分の手に負えないと思えてきた。

 そこで泰明さんの言っていたことを理解した。

 やめられるものじゃないのだ。自分の意志でどうにかできるものじゃない。


「よかった、そっか……」


 は、と気が抜けたように笑うと、泰明さんはわたしを抱きよせた。


「うん、よかった。あ、はは。そっかそっか」


 よかったと言うけれど、わたしの好きな人が実は自分なのだとわかったら、この人はどんな顔をするだろう。


「早く……春にならないかな」

「……そうですね」


 キミちゃんは彼を振り向かせろと言うけど、それはなかなか難しい。

 この背中の焼印を受け入れるような人はいないだろうし、つまり万が一両想いになったらいつか別れる日が来てしまう。

 別れたら……もう今のような関係に戻ることはできないだろう。

 あるいは、泰明さんは優しいから、焼印のことを知ったらかえって別れを切り出せなくなるかもしれない。


 それに、お父さんが言っていた「お前では泰明を幸せにできない」という言葉だって――そこにはきっと理由があるのだと思う。


 わたしはもう、わたしを嫌いになりたくない。好きな人は好きなままでいたい。

 でもその好きな人の恋を、できるだけ応援したい。

 きっとそれでいいのだろう。

 

 わたしはこの人を振り向かせるようなことはしない。

 振り向かれたら、わたしのなにかのせいで泰明さんは幸せになれなくなる。

 別れとともに縁も切れてしまう。

 そんなのは絶対に嫌だ。耐えられない。


 春になったら。泰明さんの縁談にけりがついたら。彼が姫様と結ばれたら。

 それを考えるとまたぐるぐる悩んでしまいそうで、そこで思考を放棄した。


 もう少し、気楽にいこう。


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