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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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51.文明開化

 一週間の本家滞在中、屋敷ではある計画が進行していた。

 それは待ちに待った電気の開通工事だった。

 工事は本家滞在中につつがなく行われ、わたしと倉橋様、そして業者さんとで最終確認を行いすべて問題ないことを見届けている。


 本家滞在が終了した翌日――つまり加加姫様と九摩留が帰ってくる日の夕暮れ時。

 わたしと倉橋様は縁側でお茶を飲みながら二人の帰りを待っていた。


 倉橋様は、あの話し合いのあともまるで何事もなかったようにニコニコと優しく接してくれている。

 でもわたしはあの時葉月ちゃんを引き合いに出したこと、そして事情を知らなかったとはいえ筋違いに責めてしまったことをお詫びした。

 倉橋様は笑って許してくれたけど、今後はあのようなことは二度とするまいと固く誓う。


「……あ。帰ってきたかもしれません」

「そのようだな」


 途方もなく大きななにかが近づいてくる気配にわたしが立ち上がると、隣の倉橋様も腰を上げる。

 二人で屋敷の裏手に向かうと、ちょうど山の斜面を降りてくる黄褐色の影があった。

 ふいにわたしの頭上の木の枝が大きくしなったかと思うと、巨大なものがドサッと落ちてくる。


 すぐそばに現れた大蛇が鎌首をもたげると、倉橋様が思わずといった様子で何歩か後ろに下がった。

 そういえば姫様は本性……自我を持った当初の姿に戻ると誰でも目にすることができるのだった。

 彼女はすでに肉体を失って長い時が経っているけど、本性に戻ると無意識に実体を構築してしまうらしい。


「あかり! ただいま!」

「おかえりなさい姫様!」


 大蛇姿の姫様は瞬く間に銘仙をまとう少女に転じ、わたしに飛びついてくる。

 ぎゅっと強く抱きあうと懐かしさと安堵感でいっぱいになった。


 ザザザ、と薮の揺れる音に顔を上げれば、ぴょんと跳び出した狐が輪郭をにじませて作務衣姿の男になるところだった。


「戻ったぞーあかりー!」

「うわ、ちょっ……!」

 

 慌てて避けようとするも時すでに遅し。

 跳んできた勢いのまま姫様ごと九摩留に抱きつかれ、とても受け止めきれずに思いきり尻もちをついてしまう。

 すかさず姫様が九摩留のお腹をドスドス蹴りあげた。


「狐! お前は離れろあっち行け!」

「いってえな! ババアこそどけよ! 邪魔!」

「九摩留! 口が悪いわよ! あと、ちょっと話があるからあとで――」

「俺の嫁になるって話? よっしゃあ!」

「なんでそうなるのよ! 違うから!」

「あかりはわしの嫁だこの腐れ耳!」

「……えー、おほんごほん」


 ぎゃーぎゃー言いあっていると控え目な咳払いが聞こえた。

 ハッと我に返ると、離れた場所で倉橋様が苦笑していた。


「おや失礼。久しぶりだな泰幸よ」

「なんだ倉橋のおっさんかよ。おっす」

「すみませんお見苦しいところを……」


 ようやく三人立ち上がって並ぶと、倉橋様がちょっと近づいてくる。

 わたしは人身の姫様を視れない彼にもわかるように、少女の立つ場所をさりげなく手で示した。


「お久しぶりです加加姫様。本日は電気開通の立ちあいで参りました」

「おおっ、そうであったな。ついに我が屋敷にも電気が来たかえ。早速よろしく頼む」

「――とおっしゃっています」


 わたしを通して姫様の言葉を伝えると倉橋様が笑顔でうなずく。

 倉橋様を先頭に屋敷に入りみんなで居間に勢ぞろいすると、彼は柱につけられたスイッチを示した。


「すべて確認済ですので、あとはこちらを押すだけで照明をつけていただけます」

「それは重畳ちょうじょう。ではでは、つけてみようかの」


 姫様は両手をさすさすしたあと、白い箱についた黒のスイッチにそろりと触れる。

 パチッという音のあと、天井の梁から吊るされた蛍光灯がパッと白い光を放った。

 暗かった部屋が昼間のように明るくなり、全員の口からわっと歓喜の声が漏れる。


「すげえ! 明るい!」

「うむ、これはいいな。快適だ」

「目がすごく楽ですね。これなら夜の手仕事もしやすくなります」


 それぞれが興奮顔でいつもと違う室内についキョロキョロしてしまう。

 夕暮れ後の屋敷がこんなにも明るくなるのは初めてのことで、あらためて電気は偉大だと痛感した。


 これまで屋敷の照明といえば大型の吊るしランプや囲炉裏の火、卓上の置きランプくらいなわけで。

 その明るさはどれも蛍光灯とは比較にならないほどで、遠くまで照らす力はあまりない。


 光源のすぐそばにいる分にはちょっとした手仕事や読書くらいならできるけど、部屋の端に置かれた茶箪笥や柱時計は輪郭がぼんやりわかるくらいだった。

 人の顔も暗褐色に染まるから昼間とはガラリと印象が変わってくる。


 それが今や部屋の大部分が等しく明るく照らされて、物も顔もはっきりくっきり認識できている。


「ついに電気が通りましたな。おめでとうございます」

「うむ。ありがとうな、泰幸」

「ありがとうございます、倉橋様」


 村の家々から遅れること二十数年。ついにこの屋敷にも電気が来た。

 これまではお父さんがかたくなに文明の利器を拒んでいたけど、一周忌が過ぎてから姫様の「我が屋敷にも文明開花を」の一言であっという間に倉橋様が諸々の手配をしてくださり、屋敷周辺で少しずつ電気を引く準備がされたのだ。

 しかも村では電球が主流のところを、こちらの方が明るいし経済的だからと最新の照明がつけられている。


 蛍光灯は屋敷の主な場所――奥座敷、座敷、居間、お勝手、台所、土間中央に設置され、玄関や納戸、厠やお風呂場といった小さな空間には電球が設置された。

 コンセントも各部屋に設けられて、倉橋様からは卓上用の電気スタンドまでいただいてしまった。

 そしてこの文明開化は電気だけにとどまらなかった。


「よかったのう、あかり。これで台所仕事も楽になるな」

「はい。まさかガスコンロまで来るなんて……」


 竈の横にあった薪置き場には新たに戸棚付きのガス台が設置され、その上には立派な鋳物のガスコンロが二口ふたくち鎮座している。

 二口の一方には円筒形の上置きが載っていて、そこに羽釜を嵌めることで竈のようにお米を炊くこともできる。上置きを外せばフライパンから様々な鍋、ヤカンまで自由に使うことができるのでそれがまたとってもありがたい。


 まさか文化竈を飛び越して土竈から一気にガスコンロになってしまうとは思わなかった。

 文化竈だって焚口に扉がついて火力調整がしやすいし、大量の煙を外に逃がす煙突がついているから、それだけでも土竈よりだいぶ台所仕事が楽になると思う。なにせ屋内での炊事はとっても煙たくて、換気をしていたって目にしみるのだ。


 でもガスコンロはそのどちらも兼ね備えているし、おまけに薪を使わないから火熾しもたった数秒で終わってしまう。火吹き竹やうちわを使うこともない。

 コンロを使っている間はガスが出続けるから都度薪をくべたり引いたりする必要もない。それに使い終わった後の灰の後始末もいらない。


 おまけにすすが出ないからお釜の底をこそぐ必要もないし流しを磨く手間も省ける。

 ガス爆発を起こす危険はあるものの、倉橋様のお宅でその便利さを知って以来、いつか屋敷にも来たらいいなぁと思っていた。

 まさかこんなにも早く叶うなんて。


「ガスコンロをそんなに気に入ってもらえるとは。うちの女性陣に意見を聞いておいてよかったよ」


 にこにこと笑う倉橋様にわたしは何度もお礼を言い、本家で働く女性のみなさんを心の中で深く拝んだ。

 台所仕事をする人でないとこの苦労はわからないかもしれない。


「本当は井戸も電動ポンプ式にできたらよかったのだがね。どうせなら水回り全般まとめて改善したいから、そちらはまた近いうちにやらせていただくよ。女性陣から熱烈に推された電気洗濯機もそれまでのお楽しみということで、もう少々辛抱してくれ」

「辛抱だなんてそんな。本当にどうもありがとうございます、倉橋様。なんとお礼を言ったらいいか……」


「いやいや、礼にはおよばんさ。本家の役目は加加姫様の暮らしの支援だからね、世話役方のサポートだって当然含まれているのだよ」

「ありがとうな泰幸よ。わしからも礼を言わせておくれ。本当はマキエが元気なときに便利にしてやりたかったのだが、なにせ泰吉がかたくなに近代化を嫌がっての。せめてあかりには便利な生活をさせてやりたかったのだ」


 しみじみとつぶやく姫様をわたしはうしろからぎゅっと抱きしめる。すかさず姫様も回した腕にぎゅっと抱きついてきてくれた。

 九摩留の冷めた視線が痛いけど、一週間離れていたので大目にみてほしい。

 ちなみにマキエはお母さん、泰吉はお父さんのことだ。


「お父さんはどうして近代化を嫌がっていたんでしょうか。やっぱり、姫様にとってなじみ深い昔ながらの生活を守るためでしょうか?」

「ではないのう。あれは口数少ない男で、マキエが大好きなくせに自分から声をかけるのが苦手だったのだ。話すきっかけを作るために、そして頼ってもらうためにあえて不便な暮らしを望んでおったのよ」

「お、お父さん……」


 とっても真面目で頑固、そして寡黙というほどではないけど不要なお喋りはほとんどしなかったお父さん。

 いつもお母さんにあれこれお願いされるたびにちょっとむすっとした顔をしていたので、決して不満は言わないものの内心面倒くさいと思っているんだろうなと勝手に想像していた。


 まさか喜んでいたなんて。

 あのむすっとした顔は照れていたということだろうか。


「なあなあ。これでもうランプのほや掃除と薪割りがなくなるんだよな?」


 一人であちこち部屋を回っては電気をつけたり消したりしていた九摩留がわくわくした顔で聞いてくる。

 姫様がわたしの腕の中でふん、と鼻を鳴らした。


「なにを言う、薪割りはなくなりはしないぞ。まぁ以前ほどは必要としないが、囲炉裏と風呂焚きで使うからな。サボるでないぞ」

「んだよー薪割りはあんのかよ。でもま、そんでもだいぶ暇はできるか。あかりもちったぁ手が空くんだよな? そしたら一緒に遊ぼうぜっ」

「空いた時間は読み書きと算数のお勉強をしましょうね。それから――」

「やだよーだ。勉強なんてするわけねえじゃん」


 すかさずべっと舌を出す九摩留に脱力する。

 うん、彼のお手伝い自体は増えていることだし、たまになら……まぁいっか。

 遊びになるような勉強を考えればいいし。


「九摩留は随分と大きくなったが、まだまだ子どものようだな。少し安心したよ」


 倉橋様が親戚の子どもを見るような目で笑うと、九摩留はむすっと顔をしかめた。


「俺はガキじゃねえっての。そうだおっさん、あんたの息子に言っといてくれよ。あかりは俺のもんだからひとの嫁に色目使うんじゃねえって」

「……ほう?」

「違います倉橋様。彼の言うことを真に受けないでください。この子最近こうやってふざけるのが流行ってるんです」

「カカカ! 九摩留はちぃとも相手にされとらんのう。ま、勉強嫌いのおつむの弱い狐なんぞにあかりが惹かれるわけなかろうて」

「勉強……するし……」


 うぐぐ、と唸り混じりに吐き出された言葉に、腕の中の少女がわたしを見上げてニヤッと笑った。

 さすが姫様。言質は取れた。


「――さて、もう日も暮れましたし。私はそろそろ帰らせていただくとします」


 腕組みしてどこか思案顔していた倉橋様はやおら切り出すと頭を下げた。

 そうだ、お忙しい人なのだからいつまでもここに引き止めていてはいけない。


「本日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。今度はぜひ遊びでいらしてください。姫様も喜ばれます」

「おっさん、早くここをもっと便利にしてくれよな。待ってるぜ」


 生意気を言う九摩留の肩をバシッと叩いて、わたしと九摩留は頭を下げる。


「ありがとう泰幸。そのうちあかりのうまい肴で一献やりながら碁でもしようぞ。おぬしの道に幸多かれ」


 姫様がとびきりの笑顔を浮かべると、なにか感じるものがあったのか、倉橋様も特別優しい笑みを見せた。


「加加姫様、あかり君、それに九摩留。また近いうちにお会いしましょう。それではお元気で」


 倉橋様を玄関までお見送りすると彼は片手を上げて去っていった。

 庭はいつの間にか暗くなっていて、わたしは念のためその場で耳をそばだてる。

 少しして微かにエンジンの音が聞こえて、そこでようやくほっとしながら玄関の戸を閉めた。


 山の麓から屋敷まで続く道は狭いけど、途中までは小型のオート三輪で乗り入れることもできる。倉橋様もオート三輪に乗ってきたと言っていたので、これで無事に帰れるだろう。

 先に中に入っていた二人は囲炉裏を囲んでのんびりと姿勢を崩していた。


「あー腹減ったー。久しぶりにうまい飯が食えるぜ」

「夕飯はなんであろうなぁ。こもってる間中ずっとあかりの飯が恋しくてのう」

「今夜は二人の好きな鶏料理ですよ。倉橋様がお土産にお肉を持ってきてくださったんです。すぐに作り始めますが――その前に、九摩留?」


 わたしは木尻に座る九摩留の肩にぽんと手を載せる。

 料理の前に片づけておきたいことがあったのだ。


「あなた、わたしになにか言ってないことがあるんじゃないのかな?」


 なるべく優しい声で問いかけると、九摩留はきょとん顔で小首をかしげる。


「へ? 別になんもねえけど。なにかってなに?」


 うん、なんとも小憎らしい。

 こちらもできるだけ穏便に行きたいところだけど、笑顔が引きつっているのが自分でもわかる。


「あくまでもしらばっくれる気なの?」

「しらばっくれるったって、だってわかんねぇもん。言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「じゃあ言わせてもらうけどね、あなた葉月ちゃんのお店で何度もご飯食べさせてもらってたんですって? なんでそんな大事なことずっと黙ってたの!」

「え、言わなきゃいけないことだったのか?」


 九摩留はわたしがどうして怒っているのかわからないらしい。

 こちらを物珍しそうに見ている。それがなおさら腹が立つ。


「当たり前でしょ! 葉月ちゃんはあなたに働いてもらうことでよしとしてくれたけど、本当はお店でお金を払わないで食べるなんていけないことなのよ? それに誰かになにかもらったりよくしてもらったら、お母さんやわたしにちゃんと言いなさいって言ってたよね。こっちだってお礼を――ねぇちゃんと聞いてる?」

「あ、わかった!」


 小首をかしげてこちらを見ていた九摩留が急に大きな声を出す。


「さてはあかり、俺が葉月と会ってたから嫉妬してんだな?」


 ばちーんを片目をつぶって頓珍漢なことを言う男に、堪忍袋の緒がぶつりと切れる音がした。


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