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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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50.純喫茶レモン

 本家滞在中の慣例その二。

 それは葉月ちゃんのお店でお昼ご飯をいただきながらお喋りをすること。


 わたしの目の前にある扉には閉店と書かれた札が掲げられていたけど、取っ手を引くとわずかに隙間ができた。

 色ガラスのはまった扉を大きく開けると、カラコロンと軽やかなベルの音が店内に響く。


「いらっしゃい、あかりちゃん! 待ってたわよ」

「お邪魔します葉月ちゃん。お休みの日なのにいつもごめんなさい」

「いーのいーの気にしないで。開けてる日だとろくにお喋りできないし。ほら、カウンター座ってよ。今日はなに食べたい?」


 葉月ちゃんに手招きされるまま、わたしはつやつやに磨かれた木のカウンターに向かう。

 カウンターの向こうでグラスを磨く彼女は長い髪をひとつにまとめ、ワイシャツに臙脂えんじ色のネクタイ、紺色のチョッキを身に着けている。

 すごく長身でメリハリのある身体つき、そして中性的な美貌もあいまって男装の麗人という言葉がぴったりだ。


 渡された『ランチのみ』のメニュー表にはマカロニグラタンにオムライス、スパゲッティナポリタンと書かれていた。


「じゃあ、オムライスをお願いします」

「かしこまりました」


 葉月ちゃんは黒のエプロンを身につけるとカウンター奥の調理場へ姿を消した。

 食器の触れあう音や心地よい調理音に胸がわくわくする。いつ来てもここだけ遠い異国みたいだなぁと思いながら、わたしはきょろきょろと店内を見渡した。


 今わたしが座っているカウンターの他には左右の壁際に沿って大きなテーブル席が二つずつ。中央に丸いテーブル席がひとつ。その卓上を鮮やかに彩るのはステンドグラスの美しい光だ。

 天井にはスズランのようなシャンデリアがあり、そのすぐ上で飛行機のプロペラのような板が四枚ゆっくりと旋回している。

 入口の両脇にはジュークボックスという珍しい舶来品と、どの学校にもあるような達磨ストーブが並んでいてちょっと面白かった。


 二階に上がったことはないけど、そちらは葉月ちゃんの住居になっていると聞いている。

 村の飲食店は葉月ちゃんが女主人を務めるこの純喫茶店の他に大衆食堂が一軒あるだけ。大衆食堂もいつも混んでいるけど、おしゃれな店内で珍しい甘味や洋食をいただけるのはここだけとあって数年前の開店当初から女性に絶大な人気を誇っている。

 ちなみにお店の名物は店名にもなっているレモンを使ったチーズケーキだ。


「お待たせしました。さぁ召し上がれ」


 待つことほどなくして目の前に美しい形のオムライスと生野菜のサラダ、コンソメスープ、コーヒーが次々と置かれた。


「ありがとうございます。いただきます」


 手をあわせてからスプーンでちょっとだけケチャップをすくい、黄色い楕円形の端に塗り広げる。その部分をすくってこぼさないようにゆっくり口へ運んだ。

 口に入れた瞬間バターの香りがふわっと広がり、ケチャップライスの甘酸っぱさとふわふわ卵の優しい味に思わず笑みがこぼれる。


 ケチャップライスには鶏肉や玉ねぎ、きのこもゴロゴロ入っていてスプーンで発掘するたびに口が幸せになっていく。

 夢中で半分ほど食べコーヒーでちょっと一息つくと、カウンターの向こうから忍び笑いが聞こえた。


「ね、ここ。口の端にケチャップついてるわよ。九摩留坊やみたい」


 葉月ちゃんが自分の唇の横をトントンと指さす。

 慌てて卓上の紙ナプキンで口元を拭き、そういえば聞きたいことがあったのだと思い出した。


「葉月ちゃんは、もしかして九摩留の大人になった姿を見たことがあるんですか?」

「ええ。だってあの子、定期的にここに来てるじゃない。こないだも大人になったんだぜーって顔だけ出しに来たわよ」

「あの子がここに? というか定期的にって……どういうことですか?」

「あれ、知らなかった? たまにここに食べにきて、ご飯分働いてもらってるのよ。てっきり報告してるかと思ってたんだけど……」


 あーこれ言ったらまずいやつ? と葉月ちゃんはひとりごちる。

 わたしは急いで首を横に振った。


「食べにきて働くって、そんなの全然知らなかったです」


 当然報告は受けていないし、情けないことに気づけもしなかった。

 時々仕事を放りだして昼前からいなくなってしまうことがあったけど、まさか葉月ちゃんのお店にいたなんて。お昼だって、いつも川で魚を食べてきたと言っていたのに。

 というか屋敷に人が来るたびに奥に引っ込んでしまう彼がまさかそんな人付き合いをしていようとは。


 というか――ここで無銭飲食していたとは何事か。


 さーっと血の気が引いていく。

 わたしは慌ててスツールから降りて頭を下げた。


「すみません! うちの九摩留がご迷惑をおかけしました! これまでのお代はちゃんとお支払いします。今後はお邪魔しないよう、よく言ってきかせますので――」

「あっはっは! 大丈夫、お代は結構よ。ちゃんと食べた本人に払わせてるところだし、受け取るわけにはいかないわ。それに今は戦力になってるから助かってるところも多いし。ま、最初はなにかと割りまくってくれたけど」


 英国のヴィンテージカップやられたときはさすがに堪えたわーうっかり手が出ちゃったもん、とカラカラ笑う葉月ちゃん。

 連帯責任いや監督不行き届きでわたしのことも罰してほしい。


「すみませんすみませんすみません! 割った食器もすべて弁償します。あああ……もう、本当にごめんなさい……」

「いーのいーの。その辺含めて労働で返してもらってるから。でもそっか、私の方こそ逆にごめんなさい。お屋敷の仕事があったのに足止めさせちゃってたわね」

「いえ、そんな」


 しきりに謝りながら、ふと、九摩留に関して知らないことはないと思っていた自分が急に恥ずかしくなった。

 そしてなぜかちょっと泣きたいような怒りたくなるような、なんとも言えない気持ちが押し寄せてきた。


「ねぇ、あまりくーちゃんを怒らないであげてね。私がうっかり餌付けして勝手に働かせちゃったようなものだから。あとで加加姫様にもきちんと謝りに行くわ」

「そうだ、姫様……。姫様はこのこと知らないわけないですよね? どうしてわたしになにも言ってくれなかったんだろ」


 姫様はこの里山で起きていることのほとんどすべてを把握している。

 屋敷従者の九摩留についてはいわんやだろう。


「そうねぇ。私には理由はわからないけど、とにかくうちは迷惑じゃないし、誰にだって隠しごとのひとつや二つあるものだし。今回は大目に見てあげて?」

「でも……他の人にお世話になっているなら、きちんとご挨拶もしないとですし」

「わかった。それじゃあ今度、くーちゃんと一緒にお菓子選んで持ってきて頂戴。私もそうするから。それでこの話はおしまいにしましょ。さぁ、冷めないうちに食べてたべて」


 葉月ちゃんはにっこり笑うと料理を示す。

 わたしはもう一度頭を下げるとオムライスやサラダを食べ進めた。


「くーちゃんにはね、いつも洗い物とか料理の下ごしらえをお願いしているの。例えばジャガイモの皮をむいたり茹で卵を作って潰したりとかね。最近では簡単な賄い作りもできるようになったし。意外と料理人に向いてるかもしれないわ」

「九摩留が料理人、ですか」


 その発想はなかった。

 これまで台所に立つのは女の人の仕事だと思っていたから、多少のお手伝いはお願いしても料理そのものを任せようと思ったことがなかった。だからその勉強もさせていない。

 葉月ちゃんに料理人向きと言われるほどなら、料理をわたしと九摩留の当番制にすることもできるだろうか。


「くーちゃんも大きくなったし、やる気に目覚めたっぽいし。これからどんどん仕事を任せていいと思うわよ? 遠慮して仕事抱えすぎてつぶれるのが一番だめなんだから。世話役は実際夫婦二人三脚で成り立つものなんだし」

「うーん……遠慮してたわけではないんですけどね。仕事を任せようにも、今まであの子はサボり魔脱走魔でしたから。でもこれからは、姉弟二人三脚でうまくやりたいと思います」


 苦笑しながら姉弟部分を強調すると、葉月ちゃんはにやりと笑った。


「夫にしてあげないの? あの子はあかりちゃんをお嫁にしたいみたいだけど」

「……ちょっと想像するのが難しいですね」

「くーちゃんとあかりちゃん、いい夫婦になると思うんだけどなー。でもま、無理に結婚したっていいことないか。本人の気持ちが伴ってないと虚しいだけよね」


 朗らかに笑う葉月ちゃんは、かつて政略結婚をして離婚を経験している。

 重みのある言葉にどう返そうか迷っていると。


「あ、私に同情しなくてもいいからね? あれは最初から離婚するつもりで結婚したからさ」

「………………え?」


 なにかとんでもないことを聞いた気がして、わたしは葉月ちゃんを見つめた。

 カウンターに頬杖をつく彼女は目を細めて謎めいた笑みを浮かべる。


「これは内緒の話。みんなには言っちゃだめよ?」


 そう言って語られたのは、にわかには信じがたい話だった。


「私ね、ずっと自分のお店を開きたいと思ってたの。自分の王国ってやつね。でもって私はとっても我が強いから、私のすることに一切口も手も出さないで見守ってくれる男だったら結婚してもいいかなーって思ってたんだけど、親が持ってくる縁談にそんな男はいなくってさ。まぁ本家に生まれた以上は私の結婚じゃなくて家の結婚をしなきゃいけないわけだから、自由な人生は諦めるつもりだったんだけどね」


 葉月ちゃんは言葉を切ると半眼にした目をキラリと光らせた。


「でもあるとき閃いたのよ、結婚後に離婚してしまえばあとは自由なんじゃない? って。それからはサクッと離婚できるような相手――つまりお互い利害関係が一致して相互繁栄を目指せるような会社の息子じゃなくて、父さんの会社を侵害妨害してくる悪徳会社の息子をわざと探してもらって――」

「ま、待ってください。その話は倉橋様も関わっているんですか?」

「うん。父さんの邪魔する奴をどうにかしてあげるから自由を頂戴って、取引を持ちかけたの。滅茶苦茶怒られたし理解も共感も得られなかったけど、最終的にはうなずいてくれたわ。幸い探すまでもなくおあつらえ向きの会社も人格破綻のクソ野郎ボンボンもいたから、うまく相手の懐に入って諜報とか工作とか頑張って。あとは皆さんご存じの通りよ」

「あれって倉橋様が葉月ちゃんが離縁されたことに怒って倒産に追いやったのかと思っていました」

「違うよ。外側からじゃどうにもできなかったからこそ内側からドカンといくようにしたんだよ」


 おかげで今とっても自由にさせてもらってるの、と片目をつぶる葉月ちゃん。

 怪談話を聞いたかのようにわたしの背筋に冷たいものが走った。


「あかりちゃんもさ、結婚したいと思ったらすればいいし。したくなきゃしないでいいと思うわよ。周りは面白がって無責任にあれこれ言っちゃうけど、自分はどうしたいのかをしっかり持って行動していれば意外と好い人生になると思うの。あ、でも私みたいに他人の迷惑顧みない行動はおすすめしないかな。あかりちゃんの心がもたないと思うから」

「は、はぁ……」


 曖昧にうなずきつつ、本家の子女であっても我が道を貫いた葉月ちゃんに少しの羨ましさと、そしてほんのちょっとの反発心が湧いてくる。


 ――わたしはなにを羨ましいと思っているんだろう。なにに反発しているんだろう。


 自分でも今の感情がよくわからなくて、口にコンソメスープを含ませてごくりと丸ごと飲み込んだ。

 うすら寒くなった身体に複雑なうまみがじんわりと沁み渡る。


 カップの中のコンソメスープは澄んだ琥珀色をしていてなにも入っていない。

 でも実際には鶏の手羽先や骨、玉ねぎ、にんじん、セロリといった香味野菜、西洋の香草数種に粒胡椒など、たくさんの食材を使って作られている。

 灰汁取りしながら食材を数時間煮込み、漉してからまた新たに鶏肉や野菜香草類を加えてさらに数時間煮込んで作る途方もない料理なのだ。


 九摩留も葉月ちゃんも、わたしには見えないだけでいろいろなものを内に潜ませているらしい。

 わたしはそれをもう二、三口味わって、ほうっと息を吐いた。

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