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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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48.夫婦の会話

今回は三人称です!

 あかりが書斎を出ていくと、泰幸はふぅっと息を吐いた。

 そのままソファに身体を預けてぼんやり天井の照明を見つめていたが、ややして執務机に移動する。

 机に置いていた手帳をめくり、最近書いたばかりの住所を指でなでた。


 世の中には意外にも多くの拝み屋がそこかしこにいるというのに、本物のとなると一気に所在が分からなくなる。

 本物は決して表に出てこない。自ら宣伝するどころか世間から積極的に隠れようとする習性があるらしい。


 本来であれば何年もかけてようやく見つかるような本物を泰幸が比較的短期間で見つけることができたのは、ひとえに取っかかりが、探す手がかりがあったからに過ぎない。


 泰幸は引き出しから便せんを取りだすと、万年筆を手にどう書き出したものかと頭を悩ませる。

 その時、扉をノックする音が聞こえた。

 男は小さくため息をつくと便せんや手帳を引き出しにしまい鍵をかけた。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 入ってきたのは妻である和子だった。

 持っている盆には湯呑が一つ載っている。


「お疲れ様です、あなた。少しだけよろしいですか?」

「あぁもちろんだ。さ、掛けなさい」


 和子がソファに座ると、泰幸は彼女の正面ではなくすぐ隣に腰を下ろす。


「お、梅昆布茶」


 渡された湯呑の香りに頬が緩む。見れば赤い粉が湯の表面を漂っている。

 泰幸は破顔した。疲れた時はこれに限る。


「さすが和子。俺のことをよくわかってるなぁ」


 当主とも経営者とも違う、ただの中年男に戻った泰幸はほくほく顔で一口すする。


「梅昆布茶に一味三振り、ちゃんと覚えておりますとも。たまにはご苦労をねぎらいませんとね」


 くすっと笑う和子は年相応の皺を刻んでなお、内から光り輝くような美しさを放っていた。


「和子はいつ見ても綺麗だな」


 彼女は内側も外側もとても美しい。

 そしてそれは加加姫のお墨つきでもあった。

 姫神にいわせれば和子は非常に美しい魂をしているのだそうだ。

 魔性のものが残らず魅了されるほどの、稀有な魂を。


「あら、こんなおばちゃん褒めてもなにも出なくてよ?」

「出なくていいさ。むしろこちらから出したいくらいだ」

「もう十分もらってますから、出さなくていいですからね」


 和子はにっこりと笑みを浮かべる。


「私を健康にしてくださったこと、子どもを授けてくださったことがなによりの贈り物ですもの。他にはなにもいりませんわ」

「そうはいっても、その健康は加加姫様がくれたようなものだしな。俺の気がすまないのだが」


 その魂を欲さんと、魔性のものたちは彼女に手を伸ばす。

 それこそが彼女の不健康の正体――さわりだった。

 その点、この里山においてその手のものは加加姫しかいない。


 かの姫神が村人ひいては夫君を煩わせる魔性のものを片っ端から喰らっていった結果、強力な結界でも張られたかのような恐ろしく清浄な土地に仕上がった、と先代世話役が言っていた。

 動機はともかく、彼女が妻にとってのバイ菌を取り除いてくれたわけだから感謝してもしきれない。


「それじゃあ今度、一緒に釣りをしましょう。たまにはお日様の下でのんびり一緒に過ごしたいわ」

「わかった、なんとか調整してみよう。それまでに新しい釣り竿と動きやすい洋服も仕立てようか。今度――」

「あなた。めっ」


 和子が眉間にしわを寄せて泰幸の額をぺちっと叩く。

 叩かれた男はでれっと笑うと額の華奢な手を取り口づけを落とした。

 そのまま妻を抱き寄せると、彼女は胸に顔をうずめる。


「私は本当に幸せ者ね。あなたと出会えて、一緒になれて。可愛い子どもたちにも恵まれて。こんな日が来るなんて夢にも思わなかったわ」


 和子は泰幸と出会うまで、健康とは程遠い病弱な身体をしていた。それこそ部屋から滅多に出られず、女学校もろくに行けないほどだった。

 父親に無理やり出されたパーティーもとい身請け先の品評会で泰幸と出会えなかったら、きっと自分はとっくの昔に死んでいたことだろう。

 死なないどころか健康になれて、おまけにたくさんの愛に囲まれる日々を送れようとは。


「それは俺もだよ。結婚なんて義務のひとつ、あてがわれた女性と波風立たない生活を送れれば御の字くらいにしか考えていなかった。お互いこんなに愛せる人と一緒になれたなんて、幸運だな」


 泰幸がしみじみつぶやくと和子がそっと身体を離す。


「あなた。泰明さんとあかりさんは私たちと同じなの。あの二人はもう出会ってしまったのよ。なのにこれから別の人とくっつけようとするなんて、そんなのあんまりだわ」

「あぁ、わかっているよ。だから俺は、俺にできることをしてみようと思う。あの二人のために」

「……本当?」

「本当だ、約束する。だからこれから俺がなにをしようとも、どうか君だけは俺を信じていてほしい」


 真剣な目に見つめられて、和子は力を込めてうなずいた。


「わかりました。私はあなたを信じるわ」


 泰幸は嬉しそうに笑うと妻の額に口づける。


「ところで、あかり君が泰明を好いてるのは確認できたがね。あの様子でははたしてうまくいくのかどうか……俺はそこまで面倒見れないぞ」


 頭上から困ったような声が降ってきて、和子はふふっと小さく笑った。


「そこは泰明さんの頑張りに任せるとしましょう。私、案外大丈夫だと思っているのよ。それに――」


 一瞬言いよどむそぶりを見せた彼女は、小さい声で先を続けた。


「あかりさんは、母親も恐れるようなあの子を大事にできた子だもの。きっと最後はうまくいくわ」


 膝の上に載った妻の手を、泰幸がぎゅっと強く握る。

 表情を曇らせる和子と目をあわせると、彼は珍しく叱るように声を硬くした。


「過去ではなく今をちゃんと見なさい。君も泰明も、お互いを思いやり大事にできている。過ぎたことに捕らわれてはいけない。君はあいつの立派な母親だ」

「でも私は……母としてあるまじき態度を……」

「和子、君は普通の人間だ。俺や他の子たちは自分にもその血が流れているからこそ、泰明のことを理解できるし受け入れられるんだ。君が驚いたのも無理はない。自分を責めるのはよしなさい」


 身体をこわばらせていた和子は、しばらくしてから小さくうなずく。

 結婚当時、先代世話役を通して加加姫から伝えられたのは、自分たちの子どもが異形の血を濃く受け継ぐかもしれないということだった。


 和子の魂が媒介・増幅の役割をするかもしれないとのことで、最初こそ多少の不安はあったものの、それはすぐに杞憂だと思うようになった。

 生まれた子たちは、確かに言葉やふるまいから多少血が濃いように見受けられることもあったが、いたって普通の子どもたちだったからだ。


 例外は末の子だけだった。


 泰明は生まれた時こそ他の子たちと同じように見えたが、成長するにつれてその異質さが現れた。

 泣かず、笑わず、ぐずることもしない人形のような乳飲み子は、上の子たちから冗談で教えられた文字を――ひらがなとカタカナ、一から百までの数字を覚えてしまい、言葉を発する前に文字で意思疎通を取れるようになっていた。


 簡単な漢字と計算を覚えたのが一歳半。

 自分で国語辞典と漢字字典を使って百科事典を読むようになったのが二歳。

 外国語の専門書ばかりが並ぶ倉橋医院の書庫に入り浸るようになったのが四歳。


 神童といえば聞こえはいいが、一言でいえば異常だった。

 一切の感情を見せずに黙々と本を読み、またある時には瞬きもしないで延々と自然を人間を観察するその姿は幼い容姿とつり合いが取れるはずもない。

 現実離れした美しい見た目も相まって、どこか得体の知れない空気を持つ彼は使用人たちからずっと不気味がられる存在だった。

 ただこのときはまだ、和子にとってはちょっと頭のいいかわいい末っ子でしかなかった。


 事件は彼が五歳のときに起こる。

 ある夜中、敷地内の鶏小屋がやけに騒がしく、猫かイタチでも忍びこんだかと慌てて下男たちが駆けつけた。

 そこで目にした惨状にある者は叫び、ある者は腰を抜かす。


 灯りに照らしだされたのは、赤い衣をまとった泰明だった。

 いや、着ていたのは寝間着の白い浴衣に間違いなかったのだが、その前身ごろが赤く染まっていたのだ。

 赤く染まったのは布だけではない。

 彼の口元も手も赤々と濡れ光っていた。


 むせるような血臭の中、小さな幼児は目に正気の色を宿したまま身体のあちこちに張りついた大量の羽毛を邪魔そうに払い落としていた。

 調べたところ二十羽いたうちの半数近くが幼児の素手で引きちぎられ、あるいは噛まれて殺されていた。

 どれもももに欠損があり、泰明の証言もあって食べることが目的だったと判明する。


 その時不運にも泰幸は出張で不在。

 かわりに使用人たちに呼ばれて駆けつけたのが和子だった。


 その一件があってから和子は泰明に怯えるようになった。

 視界に彼の姿が入ると過呼吸や吐き気に襲われるようになり、寄ってこられると気絶するほどであった。

 このままでは彼女がもたないと判断され、加加姫と先代世話役により泰明が山神の世話役候補であると認定したこともあり、通常であれば七歳まで待たれるところを五歳で屋敷入りすることになったのだった。


 その後も泰明は尋常小学校で度々問題行動を起こしていたが、あるときからそれはなくなり、自分の感情も少しずつ表情と言葉であらわせるようになっていった。

 それはあかりが屋敷に拾われてからのことで、彼女が良い影響を与えたことは明白だった。


 彼女絡みで新たな問題も起こしはしたものの、それでもあかりがいなければ泰明は狂人としてその人生を終えていたかもしれない。

 

「私、早くあの二人に幸せになってほしいの。あなたもそう思ってくださったら、とても嬉しいわ」

「……あぁ。そうだな」


 泰幸は同意しつつも、内心ため息をついた。

 妻は知らない。あかりが背負う穢れとその身に潜む危険性を。


 もしそれを知ったら――それでも彼女は同じことを言えるだろうか。


 男はそっと目を閉じる。

 それでも、あかりは自分たち家族の恩人だ。

 そしてあの愚かな息子に想いを寄せてくれてもいる。


(俺も大概、甘いよなぁ……)


 泰幸は和子を抱きしめつつ、引き出しにしまった便箋の書き出しを頭に浮かべはじめた。

前回の話(47話)を一部加筆修正しております。

調べが足りなかったのと、そもそも自分が勘違いしてたところもあってちょっと書き直し…。


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