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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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47.当主と世話役

 倉橋様が戻ってきたのは夜の九時を過ぎた頃だった。

 疲れているだろうし明日以降で時間をもらおうとしたところ、急遽九時半から場を設けてもらえることになった。


 約束の時間の五分前、倉橋様の書斎の扉を軽く叩く。

 返事のあとで、わたしは大きく深呼吸した。


「失礼いたします」


 中に入ると奥の執務机で書き物をしていた倉橋様が立ち上がった。

 細身の泰明さんとは対照的で、倉橋様の身体はとてもがっしりしている。片目には黒の眼帯が当てられていてちょっと怖そうに見えてしまうけど、彼を包む空気はとても穏やかで柔らかい。

 それは眉も目じりもぐっと下がって、口元に優しげな笑みが浮かんでいるからだろう。


 院長先生はひょうきん者でみんなから慕われているけど、兄の倉橋様もいつも笑顔で優しく茶目っ気があり、村の人気者だ。


「こんばんは、あかり君」

「こんばんは、倉橋様。お疲れのところお時間を取らせてしまい申し訳ございません」

「いや、まったく構わないよ。さ、座ってくれ」


 そう言って部屋の中央に置かれたソファを示される。

 ソファに挟まれた応接机にはすでにお茶が置いてあった。向かいあって腰を下ろすと、倉橋様が膝の上で手を組む。


「それで、早速で悪いのだがなんの話かな?」

「はい。泰明さんのお見合いについてお話をさせていただきたく参りました」

「泰明の」

「はい。倉橋様にお願いがございます。どうか泰明さんのお見合いを中止にしていただけないでしょうか」


 お腹に力を込めてはっきり言うと、倉橋様はしばし口を閉じた。

 わたしの言葉に表情は変わらない。穏やかな笑みを浮かべたままでいる。


「そのわけは?」

「泰明さんには想い人がいらっしゃいます。どうか彼の望む方との婚姻を認めていただきたく……いえ、その前にお見合いを中止していただきたいのです」

「ほう。なぜ君がそんな話をするのだろうか。君は確かに倉橋の人間で、あの屋敷の人間でもあるが、私の家族ではない」


 彼の口元からすっと笑みが消えた。

 眉間に深い皺が刻まれ、眼帯をしていない片目も鋭くなる。

 それだけで部屋の温度が一気に下がったような気がした。


「我が家の事情に少々深入りしすぎではないかね?」


 肉食獣の唸りにも似た低い声に、血の気が引く。

 倉橋様がここまで露骨に不機嫌さを出すことは滅多にない。それだけ今回の件は重要なのだろう。


 でもここで簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

 かすかに震える手を強く握りなおし、自分に喝を入れる。


「おっしゃる通り、わたしは部外者です。大変差し出がましいことを申して謝罪いたします。ですが……彼はわたしにとって大事な方です。わたしに世話役を譲ってくださった恩人でもあります」


 倉橋様の目を見つめて、どうかこの気持ちが届きますようにと祈りながら言葉を重ねる。


「このお見合いで、この婚姻で。わたしの恩人が幸福になるのでしたら喜び祝福いたしましょう。ですが、彼自身がこの縁談を望んでいない以上、わたしはそれを支持します」

「恩人……大事な方、か」


 倉橋様はあごを撫でながらつぶやく。

 わたしは一度息を吸ってからできるだけ背筋を伸ばした。


「恐れながら申し上げます。彼に二十年以上も想いを寄せる最愛の方がいる以上、望まぬ婚姻をすればその心は粉々に打ち砕かれ、以後は生きる屍となりかねません。そもそも親の無理強いによる強制的な婚姻は愛なき夫婦になりやすく、ましてや地位や財産といった政略的な要素を多分に含むものであれば……それはもはや人身売買。まるでいにしえの奴隷のようではないでしょうか」

 

 やや大げさかつ強い批判をしてしまうけど、こちらも生半可な覚悟で話をしに来たわけじゃない。

 倉橋様を怒らせることになっても、頬を何発か打たれるとしても。

 それでもわたしは愚直に思ったことを言うしかなかった。


「どうかお願いします。子の幸せを願うお心がおありなら、本人の自由意志に任せてはいただけないでしょうか」

「ふむ……奴隷ときたか。では君には私や妻も奴隷のように見えるのだろうか。愛なき夫婦に見えるのだろうか。少なくとも私は妻を深く愛しているし、とても幸せだがね」


 どこか面白がるように彼の口が弧を描く。

 倉橋様夫妻も親の取り決めによる政略結婚だと聞いている。怒ってはいないようだけど、面と向かって責められていい気はしていないだろう。


「奥様も大変お幸せのようにお見受けします。ですが、すべての方が倉橋様や奥様のようになれるでしょうか。葉月ちゃ……貴方様のご息女は、幸せな結婚生活を送れたでしょうか?」


 葉月ちゃんは倉橋様に命じられるまま敵対関係にあった企業との懸け橋になるべくその社長の息子さんと結婚し、その後離婚した。

 ちなみにその企業はもうこの世に存在していない。


「それは……耳の痛い話だ」


 困ったような笑顔に胸がチクリと痛んだ。

 やっぱりこの話は出さないほうがよかったかもしれない。


「このまま泰明さんが結婚し村を離れるとなれば、倉橋医院はどうなるでしょうか。……もちろん倉橋様のことですから、なにかしらの対策を講じられることでしょう。でも泰明さんはこの土地に育ち、ここに暮らす人々をずっと見てきた方です。そんな彼が医院にいてくださるほうが患者さんも気心が知れてよいのではないでしょうか」

「そうだな。今の泰明はご婦人方の人気が凄まじいからなぁ。確かによその病院にくれてやったとなれば私も無事ではすまなそうだ」


 くつくつと笑い声をあげる倉橋様は、いつの間にか威圧的ではなくなっていた。

 なぜかわたしが喋れば喋るほど機嫌がよくなっているように見える。


「泰明さんの想いの強さはわたしもよく存じております。彼の想いが叶えば、それは彼の幸福にとどまらずわたしの主の幸福にも繋がります。どうか、どうか中止をお願いしたく――」

「待て待て待て。主の幸福と言ったか? それはあの加加姫様のことかね?」


 急に話をさえぎると、倉橋様は前のめりになってわたしを見つめてくる。


「はい。そうですが」

「ひとつ確認するが、泰明の想い人は誰かね?」

「それは……倉橋様がよくご存じなのでは?」


 泰明さんは姫様と結婚したいと言って、その結果倉橋様に頬を殴られている。

 なんでわたしにわざわざ確認するのだろう。

 そう思っているのが顔に出たのか、倉橋様は先ほどよりもやけに優しい口調で質問をしてきた。


「念のため、今一度確認しておきたい。もちろんここだけの話だ。誰が、誰を、好きなのかね?」

「……泰明さんは加加姫様をお慕いしております」


 わたしの言葉に倉橋様はぽかんと口を開け、やおら手で口元を隠すとうつむいて肩を震わせた。

 怒りが再燃しているのかもしれない。

 でも大丈夫、わたしも頬を打たれる覚悟はできているのだ。

 痛いのは嫌だけど、これも泰明さんと姫様のためだと思えば怖くない。


「はぁー……。どうやらあれの想いは意中の相手に届いていないらしいな」


 倉橋様はソファに座り直すと、穏やかな笑みを浮かべた。

 鋭い。確かにまだ姫様は泰明さんを意識していない。

 でもそれもこれもお見合いの話があるからだ。お見合いの話が中止になれば泰明さんはもっと積極的に行動できるのに。


「あかり君。君の考えはよくわかった。私としても泰明とその想い人が両想いであるなら考え直すが、そうでないなら見合いを白紙にすることはできない」

「そんな……」


 ここまで言ってもわかってもらえないなんて。

 目の前が暗くなって、自然と視線が下がっていった。


 駄目だった。

 役に立てなかった。

 やっぱりわたしなんかじゃ――。


「ところで君は泰明を大事な方と言ったね。あかり君は、あいつに惚れていると考えていいのかな?」

「はい!?」


 ばっと顔を上げれば、倉橋様はニコニコとどこか楽しそうな様子でこちらを見ていた。


「わたし……は」


 似合わないから。相応しくないから。好きになってもらえないから。

 今までのわたしだったらすぐに「惚れていない」と答えていただろう。

 でも院長先生に言われた「イラつく」の言葉がよぎり、声が詰まる。


「泰明は覚悟ができているそうだ。あかり君はどうだね。泰明に惚れてるのかね?」


 まさか泰明さんのお父さんからこんな質問を受けることになるとは……。

 でも相手は倉橋のご当主で、屋敷の責任者でもある。

 世話役が嘘偽りをすることは絶対に許されない。


「………………っ」


 ぶん、と大きく。

 わたしは縦にうなずいた。


「わかった。では私も覚悟を決めよう」


 倉橋様は口元に笑みをたたえると、片目を優しく和ませた。

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