40.食事会
本家滞在初日の夕食時。
慣例として、通された座敷では出張中の倉橋様と長男の泰信さん以外、集まれるみなさんが勢ぞろいしていた。
隠居屋で暮らしている本家のご隠居様にして村長さんである泰穂様と奥様の春江様。
離れの洋館で暮らしている泰信さんの奥様の美鈴さんに息子の泰滋くん、泰兼くん。
本家から離れたところで暮らしている五人姉弟の一番上の長女葉月ちゃん。
同じく別の場所で暮らしている三男の泰近さんと奥様の佐代子さんに双子の娘の知子ちゃん知代ちゃん。
そして四男の泰明さんと倉橋様の奥様である和子様。
二名不在でも縦に二台並べた大きな座卓にこれだけの人数が揃うと壮観だ。
家長の倉橋様に代わり泰近さんが乾杯の音頭、そして奥様経由でお願いしていた無礼講も宣言していただいて食事が始まる。
始まった瞬間から全員がいっせいに喋り出し、広間はにぎやかな喧噪に包まれた。
少しだけ感じていた緊張は次から次へと振られる話題や質問に答えているうちにいつの間にか消えてしまい、おいしいご馳走にお酒も入り、目まぐるしく変化する話や時折起こる大きな笑いが顔の強張りをほぐしてくれるようだった。
亡くなったお父さんに代わり世話役を継いで丸一年が経った。
まだまだ未熟者だし、わたしに対して複雑な思いの人は多いと思う。認めていない人もきっといるはず。それはごくごく当然のことだ。
それなのに面と向かって、あるいは陰でなにか言われたり、無視や付き合いを断たれるといった憂き目には合わずにいる。
きっとそれは、次期世話役となった五つの頃から倉橋家のみなさんがなにかにつけてわたしを付き添わせてくれたり、いつも話しかけてくれたから。
正統な次期世話役だった泰明さんが常に気にかけてくれていたから。
わたしに倉橋本家の後ろ盾があることを暗に知らしめてくれていたのだと、今ならわかる。
どうしてそこまでしてくれるのかわからないけど――本当に優しい人たちなのだ。
「どうしたの?」
隣の席の泰明さんに声をかけられて、ぼんやりしていたことに気がついた。
「いえっ、なんでもないです」
「そう? 大勢と話すことってあまりないし、ちょっと疲れたのかもしれないね」
優しく笑いかけられて、困ったことに頬が熱くなってしまう。
泰明さんはわたしの耳に手を近づけると内緒話をするように声をひそめた。
「この前ね、新しいレコードを買ったんだ。よかったら休みがてら僕の部屋に聴きおいでよ。僕は先に行って準備しておくから、あかりは少ししてから抜け出しておいで」
「え、でも――」
「大丈夫、ちょっとくらい席を外しても平」
き、のあたりでヒュッと風を切る音がした。
口元を隠していた彼の手が翻り、飛んできたなにかを掴む。
「……お祖父様、行儀が悪いですよ。箸は苦無じゃありません」
そう言って彼が振ってみせるのは一本の箸だった。
やや遅れてなにが起きたのかを理解する。それからどっと汗が噴き出した。
ご隠居様ったらなんて危ないことをするのだろう。
というか離れた席なのにあの小声が聞こえたのだとしたらなんと耳の良いことか。
「泰明や、お前は毎晩あかりさんと喋っておろうが。もうちょっとここにいさせなさい」
泰明さんの手を狙ったご隠居様は翁面のようなにこにこ笑顔で少しも悪びれるところがない。腕を伸ばして平然と箸を受け取っている。
「そうだぞ泰明。お前はもう少し余裕を持て。前のほうがまだ落ち着きがあったぞ」
「くーちゃんが屋敷にいるから焦っちゃってるのよね。それにほら、くーちゃん最近大人になっちゃったし」
泰近さんがたしなめると葉月ちゃんが楽しそうに笑う。
あー……と全員が納得したような声をあげた。
くーちゃん、もとい九摩留が大人になったのはすでにみなさんの知るところらしい。
つい数日前のことなのでまだ倉橋様に報告できていなかったのだけど、さすがというかなんというか。
「大人のくーちゃんてしっかり筋肉ついてて胸板も厚くて、ちょっといかめしい感じだけど色気もあって最高よね。顔も粗削りのギリシャ彫刻みたい。うちの男衆とはタイプが違うから、あかりちゃんも見慣れなくてドキドキしてるんじゃないの? ねぇねぇそこんとこどうなのよぅ」
葉月ちゃんがお酒片手にわたしのそばに座ると肘でつついてくる。
「姉さん、あかりに絡むのはやめてください」
「あら、あんただってこの子がどんな男に興味あるのか知りたいでしょ?」
「彼女が好きなのは僕……のような穏やかで落ち着きのある大人の男ですよ。あんな図体ばかりでかいだけの野蛮でうるさい獣、彼女が好きになるわけないでしょう」
泰明さんに押しのけられた葉月ちゃんはなぜかうんざりしたような目になった。
「穏やかで落ち着きのある大人ぁ? アンタずいぶん図々しいこと言うじゃないの。ねーえ、あかりちゃん。こんなのと一緒になると苦労するわよぉ。私はくーちゃん結構ありだと思うんだけど、どうかしら」
「あらあら葉月さん。あなた、弟の味方をしてあげないの?」
奥様が困ったように笑いながら話に加わる。
「私はいつも分が悪い方の味方をすることにしてるの。みんながあきちゃんの味方しちゃったらくーちゃん可哀想だもの。あっ、別に私があかりちゃんのことイヤだとかそういうわけじゃないからね? そこは勘違いしないでね?」
「は、はぁ」
あきちゃんとは泰明さんのことだ。葉月ちゃんはいつも弟さんたちの「泰」の字を省いて愛称で呼んでいる。
本家の男子には名前の一文字目に泰をつける決まりがあるそうなので、だったら共通部分は省く方が呼びやすくていいだろう、というのが葉月ちゃんの主張だ。
ちなみに彼女自身は誰に対しても名前にちゃんづけで呼ぶよう言っている。なのでわたしも小さいころから葉月ちゃんと呼ばせてもらっていた。
それにしても、葉月ちゃんの口ぶりでは九摩留の成人姿を見たことがあるかのようだった。
人見知りのあの子が人前に出るなんて滅多にないのだけど、どういうことだろう。
「姉さんの言う通りだな。じゃあ俺も九摩留狐に一票入れてやるか」
「やったね! ちーちゃんありがとー」
「わしゃどっちゃでもええが、孫はかわええからのぅ。泰明を応援してやろうな」
「えーお祖父ちゃまぁ」
泰近さんとご隠居様の言葉にみんなも口々に誰それがいいと話しはじめ、盛り上がっていく。
なぜか泰明さんがわたしに興味があるみたいな流れになっていて、なんだか物凄く申し訳ない。
本当は泰明さんは加加姫様が好きなんだけど、でも本人が黙っているのにわたしが訂正するのはいろいろ問題がありそうで、ただ気まずさにうつむくことしかできない。
「ねーねー」
ふと呼びかけられて、顔を上げる。
わたしのかたわらに双子の知子ちゃん知代ちゃんが立っていた。
二人はこくっと首をかしげると無邪気に声をそろえた。
「「あかりちゃんはだれが好きなのー?」」
ぴた、と。それまでの騒々しさが嘘のように静まり返る。
いっせいに大勢の視線にさらされて、喉がひくっと引きつった。
「ひぇ、あ、あの…………」
嘘はつきたくない。でもここで本当のことを言うわけにもいかない。
すっかり固まっていると、運よく柱時計が大きな音で時を告げた。
みんなの意識がわずかに逸れた隙にわたしはバッと立ち上がり襖に向かった。
「御手水に行ってきます!」
「あ、逃げた」
「逃げるなーずるいぞー」
「じゃあ僕捕まえてきますね」
「お前はここにいろ、というかもう帰れ」
「帰れもなにも僕の家はここですけど」
「叔父さんちに戻れ、そしてあの子が滞在中は帰ってくるな」
「あきちゃんはくーちゃんを獣呼ばわりするけど、あきちゃんだって負けてないもんねぇ」
「ひどい、ひどすぎる……」
交わされる会話を背中で聞きながら、わたしはなんとか座敷をあとにした。
2025.10.18
長男の名前を泰信に変更しました!




