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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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39.倉橋の本家

 屋敷から歩いて一時間弱ほどのところに倉橋様のお宅はある。


 そのお宅は山を下りて道中早々に生垣が始まり、延々と伸びる生垣沿いをしばらく歩くとようやく門構えが見えてくる。

 お寺の山門にも似た立派な門をくぐれば、学校の運動場のような広場の奥に二階建ての大きな母屋おもやがどんと待ち構えていた。


 大正のはじめにできたという入母屋造りのその家は随所に精緻な飾りのある大きな瓦屋根を戴き、その下の二階部分は壁一面がガラス窓だ。

 途中に屋根を挟んでの一階部分も二つの玄関周辺を除いてこれまた一面のガラス戸が並んでいる。それは南に面した正面だけでなく東から北までコの字状に続いていた。


 屋敷でも一部にガラスが使われているものの、村でここまでふんだんにガラスを使っているお宅は見たことがない。

 建てられて数十年たった今でもその豪華さは健在で、いつ見ても圧倒されてしまう。


 豪華なのは外観だけにとどまらず、畳の部屋だけでも二階を含めて十数部屋。

 そして増築された洋風の応接室と書斎、広すぎるお勝手や土間、お風呂場などがある。


 さらにこれは母屋の話であって、裏手には洋館風の離れや隠居屋といった別の建物が存在した。

 土蔵や納屋、鶏小屋、細工場、車庫も敷地内にあって、それでいてまだ広々とした庭や畑が生垣内にあるのだから恐ろしい。


 大地主様の本家だけあって、ここは敷地の広さも含めてなにもかも規模が違った。

 内装に至っても、もはや言うに及ばずだろう。


 倉橋本家の歴史は古く、もともとはこの里山一帯の名主様だった。

 かつては別の苗字を使っていたけど、加加姫様とその夫君である泰治様の娘さん――朱星あけぼし様をお嫁に迎えたことで泰治様の苗字を使うことにしたのだそうだ。


 なんでも荒魂時代の暴走する姫様をあっという間に鎮め、さらには里山守護にすえてしまった泰治様にすっかり惚れこんでのことだという。

 なお、時を同じくして朱星様の双子のお兄さん――鎮流しずる様のもとには名主様の娘さんが嫁入りしている。


 朱星様は多くの子を授かったけど、静流様が子を授かることはなかった。

 そこで姫様のお世話や泰治様の占術や呪術、それに同じ敷地に暮らしていた泰治様のご友人の医術を引き継ぐものとして、姫様の子孫となった倉橋家から養子を迎えるようになり今の屋敷へと繋がっている。


 倉橋本家はその後村長を務める家柄となり、農業だけでなく新たな産業にも進出して勢力を拡大していた。

 そう考えるとこの母屋の豪華さも実は質素な部類になるのかもしれない。

 とはいえ、近寄るほどに威圧感を覚える本家をぼんやり眺めていたときだった。


「あかり、久しぶり!」

「キミちゃん!」


 いつの間に誰かが気づいて知らせてくれたのか、同級生の友人が普段使いの玄関から姿をのぞかせ手を振っていた。

 その恰好はここの女中さんであることを示す、紺色のワンピースに白いフリルつきの前掛け姿。


 思わず嬉しくなって、足をかばうのももどかしく半ばケンケンしながら駆け出すと、逆に彼女の方が走ってきてしまう。


「ちょっとちょっと、そんなに急がなくていいのよ。――淑女たるものいついかなるときも「走ってはいけませんことよ」」


 中学校で特に女子の立ち振る舞いに厳しかった先生の口真似をして、二人で吹き出す。


「元気だった?」

「うん! キミちゃんも元気にしてた?」


 彼女がさりげなく荷物を持とうとするのを手振りで断りつつ、久しぶりに会えた嬉しさで息継ぎするのももどかしくその場でお喋りに夢中になる。

 通りがかった庭師の福さんに注意されるまでそれは続いた。


「うわっ、いけない。奥様がお待ちしてるんだった。行こうあかり」


 言われるまま彼女のあとについて気後れしながらも来客用の立派な玄関をあがり、まず先に仏間に行ってお線香をあげさせてもらう。

 お仏壇のある一面をのぞき、鴨居の上にはぐるりと遺影が飾られている。

 そこには泰明さんの上から二番目のお兄さん――戦争で亡くなられた泰紀やすのりさんの真新しい写真も加わっていた。


 泰紀さんのことは、当時まだ小さかったこともあってあまり覚えていないけど、朗らかで大きな笑い声は記憶にしっかり残っている。

 太陽のように底抜けに明るい人、だったと思う。

 お仏壇の前で手をあわせて冥福を祈り、それから通された奥の座敷で一人待つこと少々。


「失礼いたします」


 かかった声とともに開いた襖の向こうで、髪を襟足で丸くまとめた和服姿の女性が三つ指をついて頭を下げていた。

 世話役に対する作法とわかっていても、こればかりはどうしても慣れない。


「奥様、どうぞお顔をお上げくださいませ。お久しぶりでございます」


 せめてわたしにできることは、座布団を辞退し彼女よりも深々と――畳に鼻頭がつくほど頭を下げることだけだ。


「あらあら。あかりさんたら、およしになって。さ、その可愛らしいお顔を見せてくださる?」


 おっとりした声に顔をあげれば、奥様は苦笑交じりに微笑んでいた。

 いつ見ても上品で若々しくて、内側から輝くような美しさに惚れぼれしてしまう。


「うふふ。相変わらずこういうのは苦手そうね」


 目線でわたしが上座ではなく下座にいることを言われ、恐縮してしまう。


「申し訳ございません。わたしは世話役を仰せつかっておりますが、皆様にかしこまられるようなものではございませんので」


 倉橋家の血筋でないどころか出自不明。

 そもそもが世話役の屋敷女中となるべく拾われた身の上。


 それにまだまだ男社会の村にあって初の女の世話役ときたら、なにかと快く思わないひとは多いはず。

 だったら異例ついでにわたしが世話役の間は、わたしに対してかしこまったり敬ったりというのはなしでお願いしたい。


「居心地が悪いのはわかるけれど、これもお稽古だと思って我慢してちょうだいな。……でもそうね、それじゃあ今からは遠慮なく家族の一員として接するわね。あかりさんもここを我が家だと思って、ゆっくりくつろいで」

「ありがとうございます奥様。一週間、ご面倒をおかけいたします」


 この一年ほど毎月お世話になっているとはいえ、緊張しているのがバレバレなのだろう。優しい言葉に心がふわりと軽くなる。

 ふいに奥様の目が悪戯っぽく光った。


「あらあら。今のはいただけないわね」

「え?」

「あかりさんは家族の一員ですもの。奥様じゃなくてお母さんと呼んで?」

「そ、それはさすがに……」

「駄目? 私たち二人きりの時だけでもいいから」


 さすがに失礼が過ぎるのではと思うけど、嘆願するようにあごの下で両手を組み潤んだ目で見つめられると、はっきり駄目とも言いがたい。

 奥様がいいなら……二人きりのときなら、まぁいいのか……な?


「わかりました、えっと、お……お母さま」


 言って照れてしまうけど、言い終わった途端の奥様のはしゃぐような笑顔にもっと照れくさくなってしまう。


「はい、よくできました。もう少ししたらお夕飯だから、それまでゆっくりしていてちょうだいね。そうそう、この前読んだ小説が面白かったからぜひ読んでほしいの。あとで届けさせるわね」

「わぁ、ありがとうございます!」


 小説それに雑誌もだけど、それらはわたしにとって最大の娯楽だ。

 普段は忙しくて新聞くらいしか読めないから慢性的に活字に、そして物語に飢えている。


 本家にご厄介になっている間も持ってきた手仕事をするつもりだけど、読書の時間は普段に比べたらずっとある。

 どうしよう、読む前からわくわくが止まらない。


「他にもなにか欲しいものがあれば遠慮しないで言ってちょうだいね。例えばうちの息子でもいいのよ?」

「あっ、大丈夫です。とりあえず今は本だけお借りできればと」


 早く読みたい。たくさん読みたい。

 そんな思いが顔に出ていたのか、もしかしたらわたしの目が血走っていたのか。

 奥様はくすくすとおかしそうに笑って立ち上がった。


「あら残念。あの子ったら本に負けちゃったわ。それじゃあまたあとで、お夕飯のときにね」


 奥様が座敷を出ていくと、すぐに女中頭のタエさんが奥様おすすめだという恋愛小説を数冊持ってきてくれた。

 さっそくわたしは一冊を取り、食事の知らせが来るまで本にかじりついた。


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