33.神楽
「えーと、そうだ、泰治様は踊りもお好きだったんですよね。姫様に歌を教えて、それに合わせてよく踊ってたって」
泰明さんと泰治様を結びつけられるものはないかと、記憶から泰治様情報を引っぱりだす。
彼が踊ってくれたら、なにかこう、姫様の中で繋がるものがあるかもしれない。
「そうそう、普段おっとりしているくせに酒が入るとえらく活発になってな。狐の血が騒ぐのか飛んだり跳ねたりしては好き勝手に踊っておったの。神楽奉納だとか言って……」
姫様はそこでぽんと膝を打った。
「そうだあかり、ひとつ巫女舞をしておくれ」
「わたしが、巫女舞ですか……?」
泰明さんに踊ってもらおうと思っていたのに、こっちに話が来てしまった。
ちなみにわたしは巫女装束を着ているものの、神社に所属する巫女さんではない。
世話役は姫様をごく私的に密接にお世話する存在であって、そのため山の神を祀っている神社の神事に参加することもない。だからお神楽で見るような舞は習ったことがなかった。
わたしの頭の中を読んだように姫様はくすくす笑う。
「あかりよ、神社に属する者だけが巫女というわけではないぞ。今では数を減らしておるが、かつては梓巫女や市子といった口寄せの巫女もたくさんおったのだ。まぁ、あちらは憑依型であるが」
「口寄せ?」
「姫様がうちの父親と話をするとき、あかりが間に入って通訳してくれるでしょ。それのことだよ」
泰明さんが隣で解説してくれて、なるほどと思う。
残念なことだけど、姫様の姿や声がわかる人はとても少ない。
昔は大勢の人が姫様や魔性のものを認識できたらしいけど、今ではわたしや泰明さん、姫様の血を受け継ぐ倉橋家の子どもたち、そして神社の宮司さんくらいとなっている。
だから姫様の言葉を伝えるのは世話役の仕事でもあった。
「彼女らは各地を渡り歩き、または村にとどまり神をはじめとする常世のものと現世に生きるものとの橋渡しをしておった。おぬしは神の言葉を聴き、正しく周りの人間らに伝えることができる者。そして神を慰撫する者。つまり立派な巫女よ」
姫様はぐい呑みに口をつけながら火箸を取り、灰の上に文字を書く。
「世話役とはれっきとした巫覡であるぞ」
「巫覡……」
はじめて見る単語を声に出して読む。
てっきり姫様の趣味で巫女さんの恰好をさせられているだけかと思っていたけど、ちゃんと理由があったとは。
お父さんからはなにも言われていなかったので、それはこの歳になってはじめて知る話だった。
「つまりおぬしがわしを楽しませるため舞い踊れば、それも立派な神楽となる。なに、おぬしの感ずるがまま思うがまま踊ればよい。ここは酒宴なれば、作法も形式も不要である」
……どうしよう。
泰治様は踊るのが好きだったかもしれないけど、わたしは踊りどころか人前に出てなにかするのが小さいころから苦手だった。
そして同級生たちからは運動音痴として知られている。
観客二名とはいえ、大好きな人たちの前でみっともない姿を見せるのはちょっと、いやだいぶ勇気がいるというか。
「ええと、じゃあ、せっかくですから泰明さんもご一緒に――」
「僕は楽器をやろうかな」
泰明さんはそそくさと立ち上がると台所に行ってしまった。
「どうしたあかり。踊ってはくれんのか……?」
姫様が赤い瞳を潤ませながらすり寄ってきて、その悲しげな表情にぐっと詰まる。
「わ、わかりましたっ。お目汚しになると思いますが、精一杯踊らせていただきます」
こうなったら、儘よ!
お湯で薄めた洋酒の残りを一気にあおると、パッと華やかな香りとともに軽い酩酊感が広がる。覚めていた酔いが再び全身を包み、ふわりとした浮遊感が心地よい。
立ち上がって半纏を脱ぐわたしに姫様はにっこり笑むと、桃色の唇を薄く開いて軽やかに歌い出した。
「舞え舞え蝸牛 舞わぬものならば
馬の子や牛の子に 蹴ゑさせてん 踏み破らせてん
真に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」
泰明さんがすぐに手頃な金盥を持ってきてひっくり返し、手のひらで叩いては爪弾きだす。
姫様の歌声にあわせて吊りランプと囲炉裏の炎に白衣の袖を閃かせれば、闇にひらりひらりと白い残像が残った。
ゆったりした旋律なのでわたしもなんとか踊れていたけど――。
「ふふふ。では少し早くしてみようかの」
そう言うと姫様は納戸から三味線を持ってきてジャン、ペペンと音を出しながら調弦しはじめる。
そうして彼女が歌ったのは情歌だった。
「戀という字を分析すれば 愛し愛しと言う心
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
逢うたその日の心になって 逢わぬその日も暮らしたい」
三味線に合わさる恋の都々逸は、すでにかの君と両想いになり夫婦として長年過ごした彼女が今でも恋をし、愛を誓っているということだろうか。
思わず泰明さんを見ると、彼も真っ直ぐわたしを見つめていた。
速くて複雑な旋律と即席の太鼓に鉦、二人の視線がわたしを囃す。
――とりあえず今は余計なことは考えないで踊りに集中しよう。
腕を広げたまま回転したり、音頭を取るように両腕を交互に上げ下げしてみたり、片足で軽く飛び跳ねてみたり。
うっかり不自由な方の片足に体重を乗せしまいガクッと姿勢が崩れ、でもその状態で腕を高く上げてくるくる回り続ければ、ついには尻もちをついて後ろにひっくり返り――そのまま後ろ回りをしてしまった。
きょとんとしていると、二人から笑いと拍手が起こる。
「カカカ! いいぞいいぞ、十分踊れるではないか。次、泰明。なにかやれ!」
「えー……僕ですか? 困ったなぁ……」
「ほらほら交代ですよ、泰明さん!」
泰明さんは困ったと言いつつも空いたお酒の一升瓶を四本、くるくると回転させながらお手玉のように操る大技を見せた。
それはまるで話に聞くサーカスのようで、わたしも姫様もやんやと歓声をあげてしまう。
続いて交代した姫様は台所から持って来た麺棒を剣に見立てて、流れるような口上をあげながら美しい乱舞を披露する。
村には旅芸人一座が年に一度やってきて屋外舞台を組み立てて公演してくれるのだけど、姫様のそれはお芝居の一場面を完全に再現していた。
みんなで歌って踊って休んで飲んで。宴はまだまだ続いていく。
おかげで、ふとした瞬間に思い出しそうになる失恋は、笑った拍子にこぼれる涙で流されていくようだった。
傷心に浸る隙なんてどこにもない。
無理やりにでもこの大騒ぎに駆り出されてしまう。
それが今のわたしのなによりの救いで、慰めにもなっていて。
やがて東の空が明るくなる頃――わたしの気持ちにもひとつの区切りができたようだった。
ちなみに、泰明さんの踊りはかの君のそれとはかけ離れたものだったそうで、わたしの作戦は失敗に終わったのだった。




