32.姫神様の伴侶
姫様の笑いが落ち着くのを待って、宴は再開された。
年始でいただいた日本酒は姫様によってほぼすべて飲みつくされたあとだったので、出てきたのは別のお酒――泰明さんが持ってきた秘蔵の薩摩焼酎と姫様の隠し玉である洋酒だった。
どちらも度数が非常に高いためか、二人ともそこでようやくゆっくり舐めるような飲み方になる。
わたしはそのままではとても飲めないので少量をたっぷりのお湯で割っていただくことにした。
「はー。こんなに飲んだのは久しぶりだな。いやはや、なんとも愉快な夜よ」
「そうですねぇ。お父さんがいたらここまで飲ませてくれなかったかもですね」
わたしは苦笑しつつ台所の端に目を向ける。
片づけた空の一升瓶は二十本近くもあり、なかなか壮観だ。
姫様がお酒で身体を壊すことはないのでそちらの心配はないのだけど、お父さんだったらきっと贅沢しすぎと言って途中で止めていたことだろう。
「あぁ、ここに泰治がいたらのう。あやつも酒好きだったからさぞ喜んだに違いない。それに、わしがこうして子孫と飲み交わしていると知ったらあやつも歯噛みして羨ましがろうな」
くすくすと笑う姫様の眼は、穏やかで優しかった。
泰治――それは姫様の伴侶にして泰明さんのご先祖様でもあるお方だ。
家を飛び出し諸国漫遊していた泰治様が偶然この地に立ち寄ったおかげで今の里山があり、そして今の姫様がいる。
「泰治様はどのような方でしたか?」
泰明さんが洋酒の入ったぐい呑みを傾けながら尋ねる。
そういえば……わたしは何度も泰治様の話を聞いているけど、泰明さんはそうではなかったかもしれない。
彼女が夫君の話をするのはお酒が深まったときだけ。その折に泰明さんが居合わせていたことって、あんまりなかった気もする。
わたしはひそかにぐっと拳を握った。
姫様が愛してやまない泰治様のことを知る――それはすなわち泰明さんが姫様を攻略する手掛かりになるだろう。
「泰治は、そうさなぁ。見た目はおぬしの親父殿をもう少し細くしてややつり目にした感じかのう。人心掌握や交渉事が得意で、狐の血を引くだけあって小賢しい奴だった」
「なるほど。中身もちょっと似ているかもしれませんね」
面白そうに目を細める泰明さんにわたしもうなずいて同意する。
小賢しいというと語弊があるけど、倉橋様は先代から引き継いだ事業を拡大するだけでなく新たに複数の会社を興していた。
昨今は景気が悪いといわれる中、業績はどれも右肩上がりだそうでその辣腕ぶりがうかがえる。
お父さんは海千山千の猛者とも言っていた。
海に千年山に千年住んだ蛇は龍になるという言葉で、意味としては悪賢いということだけど――蛇とも縁が深い倉橋家の当主様にはある意味ふさわしい言葉かもしれない。
「あの頃のわしは朽ちようとしていた古き山神と融合したばかりの荒魂で、まぁ、ちょいとやんちゃが過ぎてしまってな。本当なら泰治によって封じられるはずだったのだが……あやつにまんまといいように担がれて、今ではこの通りよ。和魂となって里山守護をしておる」
姫様はぐい呑みを手の中でそっと転がした。
「陰陽師のくせに星読みも占術もそうそうせんし、都のいい家柄出身なのにあちこちふらふらした挙句こんな辺境に住みつくし。人だけでなく魔性のものの声にも耳を傾けるし。周りの人間からすればさぞ変人に映ったことだろうな。……だが、争いごとを好まず、誰に対しても柔和で公平で。だから皆から好かれていた。芯のある優しい男であったよ」
泰明さんが姫様を見て軽く首を傾げる。
「そこだけ聞くと拝み屋というより仲裁人や調停員のようですね」
「そうさな。拝み屋として受けた依頼も話し合いでどうにかしてしまうことが多かったな。でもわしにはあれこれ口やかましかったり、時々拳骨も落とされたし。敬意や遠慮というものがなかったのう」
わしだって一応神なのに、と姫様の口がへの字になる。
泰明さんが小さく笑みを浮かべた。
「それだけ姫様のことを気にかけておられたのでしょう」
「むぅ。そう言うと聞こえはいいが、放っておいたらまた面倒を起こすと思われたのだろう。確かに和魂になったとて、中身はだいぶ幼稚であったし情緒不安定だったからな。でもまぁ、いつでも嫌な顔せずわしの話を聞いてくれたし、諸国の珍しい話を聞かせてくれたし。……そうそう、優しく誠実なくせに、照れ隠しなのかわざと軽薄に振る舞うこともあったな。まったく変な奴だったわ」
懐かしそうに語る口ぶりはとても柔らかで、慈愛に満ちていた。
そして少し寂しげにも見えた。
「学問も、遊びも、人とともに生きる術も。本当にたくさんのことを教わったものよ。……あ、それにあっちのこともたくさん教わったのう。調伏はされんかったがすっかり調教されてしまったわ」
急に頬を赤く染めて身体をもじもじさせる姿に、泰明さんの顔がスンッと無表情になった。
調教とは……?
「だがしかし、淫邪はわしの天性よ。最初こそ負けてやったがすぐにわしの創意工夫あふれる超絶技巧でドロッドロの骨抜きにしてやったわ。大の男が閨では子猫のごとくそれはそれは――」
「姫様、そのへんで。あかりも聞いておりますので」
「おっと。ねんねちゃんには刺激が強いか」
姫様がわたしを見てペロリと舌を出す。
うん……よくわからないけど、泰明さんがいる場で聞く話ではない気がする。
「しかしご先祖様も業が深いですね。こんな子どもに手を出すとは」
「カカッ、安心せよ。あやつは幼女趣味ではなかったぞ。泰治の前ではわしも成体に化していたからな。ちなみに成体のわしは、それはそれは絶世の美女であるぞ? 妖艶なる美貌に男であればむしゃぶりつきたくなるような豊かな乳と細い腰で――」
「それで男たちを誑かしては喰い殺していたと」
「そうそう。荒魂のときは本性に引きずられてどうしても血肉が……泰明?」
「すいません、冗談のつもりでした。まさか本当とは」
「………………和魂になってからは喰ってないからな」
二人の間に流れるどこか物騒な空気にわたしはたまらず声を上げた。
「なっなるほどぉ~。姫様の夫君は優しくて聞き上手で面倒見の良い方だったんですね。なんだか泰明さんに似てないですか?」
「え、僕が? そう?」
「それはあかりだから言えることだな。泰明のそれは極々限定的であるからにして、我が君には遠く及ばぬ」
「あぅ……」
二人とも即座に否定するのはやめてほしかった。




