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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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29.指切り

「泰明さん、大丈夫ですか?」


 隣に立つ青年はぱちぱち瞬きすると、大きく深呼吸した。

 吐き出される息は真っ白で、でもそれはすぐにふわりと溶けていく。


「ごめん、ちょっと取り乱した。今日はいろいろあったから……こんなときにお酒が入るとよくないね」


 そう言うと厚手のカーディガンを脱いでわたしの肩にかけてしまう。


「泰明さん、お医者様が風邪を引いたら示しがつかないですよ。落ち着いたなら中に入りましょう」


 カーディガンを取り彼の胸に押しつけると、泰明さんは困ったような笑みを浮かべた。


「じゃあ、僕はもうちょっとだけ外にいるよ。あかりは先に中に入ってて」

「……わかりました」


 わたしは言われるまま屋敷に入り、すぐに自分の綿入れ半纏と居間に置いてある彼のコートを掴んだ。


「姫様、あの」

「よいよい。わしに構わず話しておいで。あれはわしと九摩留のせいでいじけているのだ、少し相手をしておやり」

「はい」


 泰明さん、なにかいじけるようなことがあったのか……。

 三人で話しているときの笑顔にちょっと違和感があったから、少し気にはなっていた。


 思い出されるのはつい先ほどの言動の数々。それがいじけているのと関係があるなら――大人になった九摩留とわたしが一緒にいるのが気に入らないということだろうか。

 でも、どうして?


 勘違いしてはいけないのに。

 自分の都合のいいように解釈したくなるから、こんな自分が嫌になる。


 泰明さんが好きなのは姫様だ。わたしじゃない。

 わたしは彼の好きな人のお世話係で、だから優しくしてもらえる。


 もし……もしも彼がわたしに好意を持ってくれているとしたら、それは長年付き合いがある親戚だから。きっと妹分に対する家族愛のようなものだろう。

 もしかしたら今は兄的な意識が強く出て過保護になっているのかもしれない。

 きっとそうだ。


 一つ一つ噛みしめるように自分に言い聞かせることで、さざ波立っていた心が穏やかになっていく。

 よし、と思えたところで玄関戸を開けると、青年がこちらを見てわずかに小首をかしげた。


「これ、着てください。さすがに寒いですから」


 コートを渡して自分も半纏を着て、腕を袖の中にしまう。

 軒下に広がる星はとても綺麗だった。毎日見ても見飽きることなんてない。


「泰明さんて心配性なんですね」


 横からの視線を努めて気にしないようにして、わたしはずっと夜空を見つめる。


「もしかして、わたしが九摩留に襲われちゃうーとか、たぶらかされちゃうーとか、思ってます?」


 酔いは醒めてしまったけど、酔っているふりをして思い切って恥ずかしくなるようなことを言ってみた。


「もしそう思ってるなら、心配ないですよ。九摩留はわたしの弟です。九摩留がわたしをどう思っていようと、これからもずっと……あの子はわたしの大事な家族の一員です。だからその、そういう、男女のなにかみたいなのは起こりませんから」


 きっぱり宣言すると空気が揺れた。

 隣を見れば、わたしに向き直った泰明さんが怖いくらい真剣な目をしていた。


「本当に? 絶対ないって言いきれる?」

「本当です。絶対です。だってわたしは……」


 泰明さんが好きだから。

 そう言えたらどんなにいいだろう。

 でも今彼に言ったことは、丸ごとわたしに跳ね返ってくる言葉でもあった。


 わたしが九摩留に対して思っていることを、泰明さんはわたしに思っている。

 わたしはきっと彼の妹のような存在で、そして愛する人のお世話役。大事に思ってくれていても、それはわたしが欲しい大事とは違っていて。


 ……でも、それでいい。

 今はまだ彼を好きでいさせてもらっているけど、けじめはちゃんとつけるつもりだ。


「約束、できる?」


 泰明さんがおもむろに小指を伸ばしてくる。

 わたしよりずっと年上の男の人なのに、そのしぐさや表情は迷子になった子どもみたいに不安そうで。少しでも安心できるなら、とわたしは自分の小指を絡ませた。


「ゆーびきーり拳万、噓ついたら針千本のーます、指切った」


 そっと指をほどくと視線が合って、二人でくすっと笑った。


「前から思ってましたけど……針千本飲ませるってすごいですよね」

「確かに。じゃあ針千本はやめとこうか」

「ふふっ、かわりになににしますか?」

「君の手足を切り落とす」

「え」


 一瞬耳を疑った。しかし泰明さんはなんでもないことのように続ける。


「四肢を断ってどこにも行けないようにする。誰の目にも触れないように秘密の部屋に閉じ込めて、大事に大事にお世話して毎日たくさん抱いて可愛がって。僕なしでは生きていけないようにする」

「おおぉ……。そ、それは」


 泰明さんの家族愛はなかなか重いらしい。

 そういえばさっきもわたしを膝に乗せて抱き締めようとしていたし、ぎゅっとするのが好きなのかな。


「そのために医者になったって言ったらどうする?」


 にっこりといつもの爽やかな笑顔を見せて泰明さんはこちらをのぞき込んできた。

 こういうのをブラックジョークというのだろうか。


「それは……意外な志望動機ですね。ときに泰明さん、お酒はどれくらい飲まれました?」

「えーと、八合だったかな」


 よかった。八合も飲んでいるなら酔っての発言だろう。

 ふと、わたしの中にもやっとしたものが生まれた。

 酔っぱらうと誰かれ構わず抱きついたり口づけしたりする人がいると聞くけど、彼もその口なのだろうか。


「泰明さんて女誑しって言われたことないですか?」

「は!?」

「姫様以外にあんなことしたらダメですからね」


 わたしは右手の指先をそっと撫でつつ、じとーっと泰明さんを見た。

 酔った勢いで手を重ねたり指に口で触れたり抱きつこうとしたり……そんなことをされたらわたし含め大勢の女性が勘違いする。

 そしてそこに特別な好意がないとわかれば泣く。

 姫様も泰明さんを想うようになったら、そんな彼の行為に泣くことだろう。


「えっと……なんで姫様が出てくるのかな?」


 泰明さんの顔が若干引きつっている。

 もしかして隠しておきたかったのかな。もう村中の人に知られてしまっているのだけど。


「すみません、変なことを言いました。忘れてください」


 隠す、で思い出したことがあった。

 お酒でも飲まなければとても聞けないこと。

 すごく、物凄く聞きたかったこと。


「ところで泰明さん――学生時代にお付き合いしていた人がいたんですね」


 なんとなくあたたまっていた空気が、その瞬間凍りついた。


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