28.宴(2)
肴を食べて、ゆっくり杯を傾けて。
語られるのは養父母の思い出話や姫様の散策中の出来事、泰明さんのお仕事のこと。
わたしも日常で感じる自然のささやかな変化を話し、その流れで話は九摩留の成長ぶりに及んだ。
「子どもの成長って早いですね。まだまだ可愛いやんちゃ坊主だと思ってたのに、最近は仕事を振らなくても自分からやってくれて。わたしの手伝いまでしてくれて……」
「いやあかりよ、あれは今までやらなすぎただけであって今が正常なのだ。いちいち感激しなくてよい。奴がつけあがる」
「そうだよあかり。それにあんなのちっとも可愛くないから」
「でもぉ、手のかかる子ほど可愛いって言うじゃないですか……ふふふ」
いつの間にかわたしの三杯目の片口が終わってしまった。
三合を超えるとだいぶふわふわした感じがあり、意味もなく笑ってしまう。
お酒のおかげで身体もあったかくなり、着ていた半纏を脱ぐ。見れば他の二人も同じようにしていた。
そろそろお水をいただこうと湯呑を探すも、手にしていたのは新しいお猪口でなぜか姫様のお酌を受けていた。
そういえば木尻に、というかわたしのほぼ横に泰明さんが座っている。
「あかりは九摩留が大人になって、どう?」
「どうって……」
泰明さんがわたしの脇に片手をついて顔を寄せてくる。
わぁ、まつ毛が本当に長い。
それに囲炉裏の炎にあわせて瞳の色が揺らめくように変化して、とても綺麗だ。
ずっと見ていたくなる。
「九摩留が男っぽくなって……どきどきしたりしてない? 変な気持ちになってない?」
「へっ、変な気持ち?」
まずい、声が裏返った。
心臓が急に音を立て始めて変な汗が背中を伝う。
いや昼間のあれは、そういうんじゃない。絶対違う。
きっとなにかの間違いだ。
「や……やだなーもー泰明さんたら。変なこと言わないでくださいよ。あの子が大人になろうがおじいちゃんになろうが、九摩留はずっとわたしの弟です。あれはそういうんじゃないです、ほんと」
「あれはそういうんじゃない、って。どういうこと?」
「あ……」
泰明さんの目が細くなり、声も低くなる。
急に右の手のひらがむずむずして、お猪口を置いてぐっと拳を作った。
「爪が食い込むからやめなさい。さっきもそっちの手、つねってたでしょ」
泰明さんは言うが早いかわたしの右手をさっと取って無理やり開かせてしまう。
そのまま目の前で指と指が絡まっていき、引き寄せられたわたしの手の甲や指先に彼の唇がそっと触れた。
かすかに温かで柔らかい、でも弾力のあるものが触れては離れてを繰り返す。
その光景と感触が現実のものとは思えなくて、わたしはただ呆然とそれを見ていた。
おかしい。
泰明さんは姫様が好きなのに、一体わたしになにをしているんだろう。
「あ……ああああの、あの、あの……ッ!?」
「手になにをされたの? こういうこと?」
「ひぇ、いいえ!」
まさか舐められたなんて口が裂けても言えない。
言えばとんでもないことになる気がした。
「泰明さんッ。あちらに、あちらに姫様がいます」
「うん。知ってるよ」
それがなに? と言いたそうな気だるい目つきに妙な色気じゃなくて迫力があって、わぁ心臓が口から出てきそう。
わたしの酔いは一気に醒めていた。
手のひらが汗ですっかりびちゃびちゃになっているし、気持ち悪いとか思われてそうでつらい。恥ずかしい。
「や、泰明さん、だいぶ酔ってます? お水飲みましょお水」
これはそう、彼は酔っているのだ。じゃなきゃおかしい。
だって泰明さんは姫様が好きなのだから。
わたしに九摩留みたいな目を向けるのはどうしたっておかしい。
「いいからほら、こっちにおいで。かわいそうに……九摩留に嫌なことされたんだね。僕が忘れさせてあげられたらいいんだけど」
柳にも似たたおやかな人だと思っていたのに、姫様のような物凄い力強さで彼の膝上に引きずりあげられてしまう。
「ひぃぃぃ! ひめ、姫様ぁ!」
抱え込まれるような態勢に思わず叫ぶと、やれやれとため息交じりの声が耳に届いた。
「泰明よ、あかりはウブなのだから手加減しておやり。それに約束しただろう」
「本当に嫌がっているならやめてます。でもこれは恥ずかしがっているだけです」
頭上から泰明さんのむすっとした声が降ってくる。
耳元に気配を感じて硬直すると、ほんのり酒精の香る吐息が頬にかかった。
「あかりはずるい。いつもそうやって僕から逃げようとする。それなのに九摩留はいつも一緒で、おまけに今日は特別いい思いをしたみたいだし」
「は……?」
「もういいや。あいつを殺せばすむ話だよね」
「は!?」
とんでもない言葉を聞いた気がした。
バッと身を起こせば青年のにこやかな笑顔が目の前にあった。
聞き間違い? いや違う。
「冗談でもそんなこと言っちゃだめです!」
咄嗟にたしなめるも泰明さんはなにも言わずにわたしの身体をどかし、九摩留の方へ歩いていった。
慌てて彼の腰に抱きついてその場に踏ん張る。
恥ずかしいとかそんなことを考えている余裕はなかった。
泰明さんの目はまったく笑っていない。
さすがに冗談のはず、と思いたいけどどうもそうは見えない。
「あはは。あかりが僕に抱きついてる。やったー」
泰明さんは足を止めてくれたけど、その目は九摩留をじっと見つめている。
目が完全にすわっていた。
「姫様、すみませんがわたしと泰明さんを表に出してください。ちょっと夜風に当たってきます。すぐ戻りますので」
少し酔いが醒めれば気持ちも落ち着くかもしれない。
首だけひねって姫様にお願いすると、彼女は脇息からのそりと起き上がった。
「あかりは神使いが荒いのう。どれどれ」
少女の細腕はわたしと泰明さんの膝上をひとまとめに抱えて難なく持ち上げる。
そのまますたすた歩いて玄関戸をつま先でバーンと開け、飛び石の上にわたしたちを降ろした。
「風邪ひかぬようにな」
姫様はにやりと笑って屋敷に戻り、暗がりにわたしたち二人が残される。
夜も更けはじめた一月の外気は、わたしたちの熱を冷やすのに十分なほど冷たく澄みきっていた。




