24.誓約
今回も三人称です。
すっかりしおれてしまった青年に、加加姫はとはいえ、と続けた。
「九摩留が山に帰りたいのなら交代もありだがな。お前はどうしたい? 帰りたいなら、わしはもはや止めはせぬ」
加加姫は狐の上からどくと柏手を打つ。
狐から人間に化した九摩留は眉間にしわを寄せて胡坐を組んだ。
「俺の代わりになるって言うけどよ、テメェは村で朝から晩まで仕事があんだろ? 屋敷のことまで手が回るのかよ。それとも片手間でできるとでも思ってんのか?」
「片手間でできるとは思ってない。でも僕もあかりも姫様を視れるから、従来の世話役夫妻よりずっと融通は利く」
塩を振られた青菜が一瞬でシャキッと蘇る。
九摩留が自ら役を下りるならそれに越したことはないのだ。父もとい当主への良い口実もできる。
心の中で必死だなぁと自嘲しつつ泰明は続けた。
「日常的に男手が必要な仕事もそう多くないし、現に九摩留がこれまで散々仕事をさぼってもそこまで支障はなかったはずだ。屋敷に帰ってから、あるいは休診日に用を済ませば滞りはないよ」
「………………」
男はうーんと唸る。
もともと九摩留は適正があるというだけで加加姫と先代世話役に捕えられた遊びたい盛りの若狐だ。
山の神への奉仕に同意したのは、他の動物達からの熱い羨望と尊敬を一身に受けてつい……というのが大きい。
調伏使役ではないこと、日に三食のうまい飯やあたたかくて柔らかな寝床という条件も悪くないと思えた。
ところがいざ下男という仕事が始まってみれば自由はほぼなく、やりたくもない退屈な作業をさせられる毎日。
おまけに山の神は意地悪で暴力的で、何度脱走しようとしたかわからない。
泰明と交代すれば、そんな窮屈な日々とおさらばできる。
好きに野山を駆け回り、毎日自由気ままに暮らしていける――それはなんとも魅力的な提案だった。
少し前なら喜んで交代しただろう。でも今は?
「んー……やっぱいいや。交代はしない。このまま続ける」
九摩留は顔を上げ青年に目を向けた。
「俺が仕事するとさ、あかりがありがとうって言うんだけど、その時の匂いが好きなんだよなぁ。そんでなにか言われる前に仕事するとすげーびっくりしてて面白いし、たくさん褒めてくれるし。あとは、たまにやるカルタとか双六とかも楽しいし。なによりあかりの作る飯がうまいからな。あれは山にいたんじゃ食えねえもん」
九摩留はニッと笑みを浮かべた。
「最近はこんな暮らしも悪くねえって思ってんだ。だから交代はしない。俺はあかりと暮らす。ていうか嫁にする」
「へぇ、嫁。あぁそう」
泰明の声が数段低くなる。しかし口元には余裕の笑みが浮かんでいた。
「わかるよ九摩留、お前の気持ちは。でもさっきのあかりの様子を見ただろ? 残念ながら彼女が好きなのは僕のようだから、とっととあきらめて他をあたりなさい。僕はお前の新たな恋路を応援しているよ」
ふふん、と大人げなく笑う泰明に男の目が吊り上げる。
「あぁ? 言ってくれるじゃねえかテメェ。あかりがテメェの性格の悪さに気づきゃ、それに俺の魅力に気づきゃあ向こうから嫁にしてくれって頭下げてくるに決まってら」
「お前の魅力? さて、僕にはまったくわからないけど。姫様はわかりますか」
「さてさて。わしにもさっぱりわからんのう」
「がぁぁぁあああ! いろいろあるだろうがよ! よく食べよく寝てよく働くし、いつもにこにこ元気よくて、嫌なことがあっても寝れば忘れるッ」
「うむ。よく働きはしないが、そこだけ聞くと良い子のお手本のようだな」
「おじいもおばあも俺は天真爛漫でかわいいって言ってたし」
「悪ガキともよく言ってたけどね」
「だからそこの腹黒粘着自己中男より俺のほうがずっといい男だ。それに大人になって竿も玉もでっ――」
加加姫の拳が九摩留の顔にめり込んだ。声にならない悲鳴を上げて九摩留が板間を転がっていく。
姫神はふんと鼻を鳴らすと湯呑を取り唇を湿らせた。
「さて。なんにせよ九摩留も大人になってしまったことだしな。ふたりともここで誓約せよ。泰明も九摩留もあかりにおかしなことはせずに、正々堂々己の魅力だけで落とすと誓え」
「おかしなことって、例えばなんだよ」
顔をさすりながら戻ってきた九摩留に加加姫はずいっと顔を近づけた。
「性的悪戯およびあかりが嫌だと思うこと全般。嫌悪感や怯えた様子を見せたらやめること。手籠めにしようものなら殺す」
「えーと……指一本触れてはいけない、ということではないんですよね?」
控えめに挙手した泰明に対して少女は首肯する。
「ああ。多少の触れあいは男女の駆け引きに必要だからな、そこはまぁ節度を持って相手の様子を見ながらだな。わかったかこの破廉恥狐」
「…………わかったよ、ったく」
「僕も異論はありません。わかりました」
「よし。神前での言葉だ。二人とも違えるでないぞ」
「違えるって、なにをですか?」
声をひそめる三人のもとに、あかりが土間側から料理を運んでやって来た。
「よかったらこれ、お先に召し上がっててください。少しお腹が満たされてるほうが飲むには優しいですから」
そう言って板間に置かれた三つの皿にはごぼうのおやつが盛られている。
細く切ったごぼうに小麦粉をまぶしてカラリと揚げたもので、塩を効かせればお茶よりビールによく合った。
「あかりぃ~。もう飲んではだめかのう」
男たちの前とは打って変わって少女があごの下で指を組み甘えた声を出す。
しかしあかりはにっこり笑いつつ首を横に振った。
「あと少しですから、今日はもうちょっとだけ我慢してくださいね」
「姫様、やっぱり僕も手伝ってきます。その方が早く始められるでしょうし」
「あ、抜け駆けすんな! 俺もやるし!」
「じゃあわしも手伝おうかの。みんなでやればよかろう」
「えええ、ちょっとあの」
結局あかりと泰明が料理作り、加加姫が盛り付け、九摩留はかえって邪魔だからと囲炉裏の鍋の監督に落ち着く。
そしてほどなくして、宴が始まった。
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