19.鏡開き
一月十一日は鏡開きの日だ。
屋敷では床の間と荒神様にお供えしてある鏡餅を下げて砕き、お汁粉とかき餅を作ることになっている。
いつもならお汁粉はその日の三時のおやつにするのだけど、今日は五時頃から宴会があるのでおやつがお汁粉だとお腹が空かない可能性もある。
なので今回は特別にお汁粉をお昼ご飯のかわりにすることにした。
これも辛党の姫様が散策に出ているからこその荒業といえる。九摩留は甘いお菓子が大好きだから文句も出ないはず。
姫様には宴会で甘味が欲しくなったときに食べてもらおう。
「よし。荒神様の方からいこうかな」
午前中の日課である掃除をすべて終えると、わたしは土間に降りて竈の前に立った。
荒神様の方は竈の上の棚という場所柄、鏡餅を大きく飾ることはできないので半紙の上に手の平ほどの小ぶりの丸餅二つを重ねて橙を載せるだけの簡略的なものになっている。
手を合わせてから半紙ごと鏡餅を取ると、わたしはその足で玄関から身を乗り出した。
九摩留は今、屋敷脇の薪割り場で日課をこなしている。
「九摩留ー! そろそろ鏡開きするからこっちに来てー!」
大きな声を出すと、カァンと高い音を一つ残して静けさが訪れた。身を乗り出しただけでは姿が見えないけど無事声が届いたらしい。
わたしは縁側へまわると前もって広げていた新聞の上に鏡餅を置く。
今度は座敷の床の間だ。
座敷の西壁は半分が押し入れ、もう半分が床の間になっている。
床の間の壁には姫様の書初めが掛け軸代わりに飾ってあり、畳より一段高い板張りの床には姫様の活けた花と、飾りも大きさも立派な鏡餅がお供えしてある。
三方というお供え用の台の上には平べったい大きな丸餅に一回り小さくした丸餅が重なり、その上に帯状の昆布、干柿を連なる様に刺した串、そして橙を載せてある。
丸餅の下は裏白と譲り葉、半紙が四方へ大きくはみ出るように敷かれていた。半紙の下、三方の底部分には白米を敷き詰めている。
お餅は鏡、橙は勾玉、串柿は剣で三種の神器をあらわすといわれることもあるし、お餅は人間の心臓、橙は家族繁栄、串柿は五穀豊穣、昆布はよろこぶ、裏白は清浄な心、譲り葉は家督継承を意味するともいわれる。
他にもお餅を蛇に見立てるところもあるらしい。
お餅の形や飾りは地域によって違うらしく、どの説が本当なのかはわからない。
でも根底にあるのは縁起のいい物をお供えして新年をお祝いしよう、験を担いで幸運を呼び込もうということだと思う。
だからどれも本当だという気がする。
三方ごと床の間から下げて縁側に運ぼうと顔を巡らせると、いつの間にか九摩留がそこにいた。
木槌で肩を叩きながら片膝立てて新聞を眺める姿は妙におじさん臭い。
「こらっ、木槌をそんなふうに使わないの」
軽くたしなめると少年はこちらを見てべっと舌を出す。
小憎たらしい九摩留の額を軽く指で弾くと、彼は楽しそうに笑った。
てっきりぶーぶー言うかと思ったのに……なんだか調子が狂う。
「ねぇ。今日のお昼はお汁粉とお漬物でもいい?」
三方から下に敷いた半紙ごと鏡餅を新聞に載せつつ一応聞いてみる。
九摩留はぱっと笑顔を咲かせた。
「おっ、いいじゃん! 昨日の昼飯よりずっといいじゃん。つーか毎日それでもいいぜ」
「なに言ってるの。毎日お汁粉のお昼なんてしてたらあっという間に太っちゃうし、病気にだってなっちゃうんだから。たまのおやつで我慢してちょうだい」
「なんだよケチー。じゃあさ、オレ、こしあんの汁粉がいい。こしあんにしてくれよ」
「んー。こしあんかぁ」
喋りながらも鏡餅と三方以外は脇に準備した紙袋に入れていく。
これは数日後に行われるどんど焼きで燃やすのだ。
ただし昆布や干し柿などの食べられるものは、燃やさずにそのとき振る舞われる料理に使われる。
荒神様の方も鏡餅以外は紙袋に入れてしまう。
続いて同じく脇に置いていたまな板を正面にすえ、大小四つのお餅を載せた。
どれも前年の暮れからお供えしているので表面に細かいヒビが入りしっかり乾燥している。
さて、こしあんについては残念ながら悩むこともなく答えが出ていた。
「姫様が粒あん派だし、こしあんは作るのにちょっと時間がかかるから……それはまた今度してあげるね」
「ちぇっ、粒あんか。あれって皮が歯にくっついたり挟まったりして邪魔くさいんだよな。……ま、しゃーねえ」
珍しくあっさり引き下がってくれた。
お昼ご飯がお汁粉とあって機嫌がいいのかもしれない。
「それじゃあ鏡開き、お願いします」
「おう!」
九摩留に場所を譲ると、彼は丸餅の一つを手にして木槌で叩いていく。
鏡餅を切ることは忌まれているので、こうして槌や手を使って割り崩していくのだ。
ヒビの見極めがうまいのか、それとも筋力の違いか。彼はいとも簡単そうに割り砕いていく。わたしはわたしで九摩留の割った鏡餅をさらに手で小さく割っていった。
お汁粉用は一口大に、かき餅用はより細かくしていき、あっという間に鏡開きが終了した。
「ありがとう九摩留。一時間後にはできるから、それまで引き続き薪割りよろしくね」
「んー……。なぁ、作るとこ見てていいか?」
「邪魔しないなら別にいいけど、見ても面白くないと思うよ?」
首を傾げながらそう言っても九摩留は穏やかに笑うだけだ。どうやら構わないらしい。
昨日の乾物作りもそうだけど、このところ九摩留がいろんな仕事に興味を持ってくれている。
これも成長の証だろうか。
お姉ちゃんとしてはとても嬉しい。
「じゃあお汁粉を作る前に、かき餅のための準備ね」
あらかじめ用意していた平笊にかき餅に適した大きさのお餅を拾って載せると縁側の端に設置した。
数日から一週間以上、陽の当たる乾燥した場所に置いておくことで水分が一層なくなり堅餅になる。
それを高温の油でカラッと揚げて塩や醤油を振ればとっても美味しいかき餅ができるのだ。
「次はお汁粉作りね。鍋を二つ使って小豆とお餅、それぞれ別に煮ていくわよ」
今度はお汁粉用のお餅を下に敷いていた新聞紙に包んで土間へと運ぶ。
「なぁなぁ。どうせ汁粉に餅入れるんならさ、別々に煮ないで最初から一緒に煮た方が楽じゃねえか?」
「だめだめ。鏡餅は乾いてカチカチだから別でゆっくり煮ていかなきゃ。それにお汁粉と一緒に煮たらお餅のどろどろが混ざって食感も見た目もよくないの。他にもまぁいろいろと……だから一緒に煮るのはできないのよ」
「ふーん、面倒なんだな」
九摩留は頭の後ろで手を組むと率直な感想を言った。
わたしはそれにくすっと笑う。
「ねぇ。面倒だし大変だよね。でも美味しいものを食べるには手間を惜しんじゃいけないの。それに、どうしてそれをするのかがわかってくると結構面白いよ?」
いつもであれば湯沸かし兼暖取りとして二口とも絶えず燃えさかっている竈だけど、今日はどちらも朝食作りのあとから火を落としていた。
片方の口にはたっぷりと水を張った大鍋、もう片方には同じくたっぷり水を張った小豆入りの鍋をかけてある。
わたしは大鍋にお餅を入れると囲炉裏から火を取ってそれぞれの口に着火した。
お餅の方はゆっくりじっくり煮て火を通すため、藁と薪を調整しながら弱火くらいを保たせる。
小豆の方は中火で煮ていき、ぐつぐつしたら竈の薪を減らして弱火を保ちながらしばらく沸騰させたままにする。
頃合いを見て木べらで小豆の一粒を取り出した。
「……ん、これくらいでいいかな」
「なにがだ?」
「ほらこれ、小豆の皮がちょっと張ってきたでしょ。これくらい皺が取れてきたら――」
布巾で鍋弦を掴み、流し場に移動する。煮汁を半分ほど捨てて脇の水甕から同じ分の水を足し、しばしかき混ぜてから笊にあげる。
水切りしたら小豆を再び鍋に投入して新しい水をたっぷり張り、もう一度小豆を煮ていく。
「こうやって煮汁を捨てながら三回くらい煮ていけば小豆がすっかり柔らかくなるの。目安は指で潰せるくらいの柔らかさね。そしたら砂糖と塩を入れて、軽く煮たら完成よ。できあがりまで時間はかかるけど待ち時間が多いから、そのあいだは別の仕事をしたり本を読んだりしてもいいわね。ただし火加減には要注意ね」
少年の目がきょとんと瞬いた。
「塩? なんで塩入れんの? 甘くすんなら砂糖だけでよくね?」
「これが不思議なものでね。砂糖だけ入れるより塩もちょっと足した方がぐっと甘くなるのよ。それにこう、ちょっとぼんやりしてた味が締まるっていうか」
「ふーん、面白いのな。なんでなんだ?」
「え?」
今度はわたしも目をぱちぱちさせた。
「なんでそうなんの?」
「さぁ? そういえばスイカも塩を少しかけたほうが甘いし、なんでだろうね」
やり方とその結果は知っているけど、なぜそうなるのかはわからない。
わたしも小さい頃にお母さんに聞いたけど「そういうものだから」と言われて終わった気がする。
二人で小豆の鍋を見つめていても、答えは当然出てこなかった。
「とにかく! お汁粉はいつもこんな感じで作ってるの。お汁粉の小豆は赤いから、それが魔除けにもなるんだって。ちなみに粒あんのお汁粉は田舎汁粉、こしあんのお汁粉は御前汁粉って言うらしいわよ」
仕切り直しで話を変えると、九摩留はにやりと悪そうな笑みを浮かべた。
「ふーん、粒あんは田舎もんか。いいこと聞いた」
わたしは余計なことを言ったかもしれない。
これはあれだ、絶対粒あん派の姫様にもの言うやつだ。
「九摩留? 姫様をからかうんじゃないわよ?」
「ほっぺにちゅーってしてくれたら、いいぜ」
「わたしまでからかうんじゃありません」
九摩留の頬に人差し指をぎゅーっと押し込むと、彼は笑いながら指を避けて――わたしの頬に自分の頬をすり寄せた。
猫の挨拶のようなしぐさに、思わず目をしばたたく。
彼はそのままわたしの横を抜けると玄関で肩越しに振り返った。
「待ってる間、薪割り終わらせてくるわ」
「あ、うん、お願い……」
束の間開いた玄関から凍てつくような冬の空気が流れ込む。
でもそれは土間を包む小豆の甘やかな匂いと熱い蒸気ですぐに溶けていった。
わたしはお餅を煮ている鍋を大きくかき混ぜながら、最近どことなく大人びてきた少年を考えるともなく考えた。
やんちゃで悪戯好き、じっとしていることが苦手で仕事もさぼってはすぐどこかに行ってしまう――行ってしまっていた九摩留。
でもこのところはしっかり仕事をこなしているし、性格も少し落ち着いてきた。
元気であることは変わらないけど多少騒々しさがなくなって、こちらがなにか言ってもムキになったりしないのだ。
その結果、姉弟喧嘩が物凄く減った。
それはとてもいいことだと思えるのに、ちょっとだけ寂しさもあったりして。
「わたしももっと大人にならなきゃなぁ」
つぶやきつつ土間ぞいのお勝手の縁に腰掛けると、ふと先ほど使った木槌に目が止まった。
せっかくだから午後は新しい仕事をお願いしてみようか。
そんなことを思いながら、わたしはそっと目を閉じた。




