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16.煎じ薬と噂話

 今日は朝からお客さんが多い。

 そのどれもがいろんな野菜のおすそわけで、それに伴いこちらもお茶のおすそわけを繰り返していた。


 今も五人目となる客さんから話を聞き、お渡しするお茶の種類を決めたところだった。

 断りを入れてから少しだけ席を外させてもらうと、わたしは居間に置かれている古びた箪笥たんすの前で膝立ちになる。


 箪笥の表面には正方形の小さな抽斗ひきだしがびっしりと並んでいた。そのすべてに薬種が書かれた和紙が貼られている。

 中には乾燥した植物の根や葉、木の皮が入っていて、素材は植物に限らず動物や鉱物のものもあった。


 代々の世話役に引き継がれてきたこの箪笥は、百味ひゃくみ箪笥や薬味やくみ箪笥、もしくはずらりと並んだ丸いかんを目に見立てて百目ひゃくめ箪笥とも呼ばれている。


 配合するものを頭に浮かべながらお目当ての抽斗ひきだしを少しだけ引いて識別していき、今度は抽斗をひとつずつ取り出しては大小さまざまなさじで中身を薬包紙に載せていく。

 どれもあらかじめ刻んだり粉砕したりしてあるのですぐに配合することができる。

 一週間分の包みができると、今度は箪笥脇に置かれた天秤で重さを確認していった。


「……よし」


 重さだけでなく内容物に間違いがないか目でも確認して小さくうなずく。それからほっと息を吐いた。

 匙加減ひとつで毒にも薬にもなるので、配合はとても気を遣う。


 この匙加減という言葉はまさに薬の調合で使う薬匙から来ているそうで、意味としてはその人の手加減をいう。

 他にも「匙を投げる」は努力したけどもうどうしようもないので諦めるという意味だけど、これはお医者様が薬匙を投げだす、つまりこれ以上の治療方法はないと診断して病人を見放すというところから。


「匙の先より口の先」も患者さんのご機嫌取りがうまい藪医者を意味するなど、匙という言葉自体にお医者様を意図する場合があるみたいだ。

 だからこの匙を使うとき、わたしはなんとも後ろめたいような背筋が寒くなるような心地がしてしまう。


 紙包みを袋に収めてさっそくうしろの縁側へ持っていく。

 ガラス戸を開け放った縁側ではご婦人が一人、座布団に腰掛けて庭を眺めていた。


「お待たせしました、今回の分です」

「ありがとうあかりちゃん、いつも助かるわぁ」


 トメさんのそばに正座して袋を渡すと、彼女は湯呑みを置いてにっこり笑う。目元には笑いじわがくっきり浮かび、そのあたたかい笑顔にわたしもほっこり癒される。

 うすら寒さを感じていた身体がちょっとだけ温かくなった気がした。


 紙包みの中身は自家製のお茶っ葉――もとい煎じ薬。

 屋敷ではここにやって来る相手または来ることができない家族の身体の悩みや不調を聞き、ときには脈をみたりあちこち触らせてもらって体質に応じたものを渡している。


 その昔、まだ諸々の法律もなかった時代から、世話役は加加姫様のお世話だけでなく魔性のものとかけ合う拝み屋と往診による村人の診療を担っていた。


 拝み屋は陰陽師であった姫様の夫君が、そして診療は姫様の夫君を頼って都からやって来た典薬寮の友人がはじめたのがきっかけだという。

 ただしどちらも農業の傍ら依頼に応じてやっていたため、現在においても世話役は姫様のお世話と農業の手伝いを本業としている。


 拝み屋のほうはお父さん――先代世話役の代で廃業となった。

 診療の方はお金を取らない葉茶屋さんとして――屋敷でしか作れないお茶のおすそわけという名目で煎じ薬のお渡しを続けている。


 そう、これは漢方薬じゃなくてただの民間薬。

 いや……民間薬じゃなくてちょっと珍しいだけのお茶の葉だ。

 だから、なにも、問題はない。

 ないったらない。


 今では村に立派な医院があるし売薬さんだって定期的に来てくれている。

 戦時中は医院の院長先生が徴兵されたことで屋敷の全員が丸薬や湿布、軟膏作りに携わっていたけど、今後はそれもないと思う。

 きっと葉茶屋もわたしの代で廃業になるはず。


「こちらこそいつもありがとうございます。ほんとに立派な大根ですね」


 トメさんの横、縁側に置かれた大量の大根を見て思わず頬がゆるむ。

 大根はどれもハリツヤよく丸々太ってとても美味しそうだ。葉っぱもたっぷり青々と茂って、見ているだけであれを作ろうこれも作ろうとウキウキしてくる。


 倉橋様から毎日様々な食材や日用品が届くけど、それとは別に屋敷を訪れた人たちからも畑で採れた新鮮な野菜などを大量に届けてくれるのだった。

 屋敷の住人はつくづく村の人たちに生かされていると思う。


「お礼を言うのはこっちよぉ。採れすぎなくらい毎日沢山採れるから、みんなに貰ってもらわなきゃかえって困っちゃうのよ。うちも食べる量に限界あるし、なにより毎日大量に食べてると飽きちゃうからさ」


 トメさんが庭に目をやり、わたしもその視線を追う。

 植えられた様々な果樹や小さな畑を縫うようにしてキャッキャと声をあげながら走り回っているのは年端もいかない小さな男の子。

 トメさんの一番下の息子さんである智くんだ。


「贅沢な悩みよねぇ。これも加加姫様のおかげだわね」


 智くんの後ろではだいぶ距離をあけて姫様が彼のあとを追いかけていた。

 あれくらい距離があれば怖くはないのだろうけど、たまに姫様が距離を詰めると智くんは顔を強張らせてすごい勢いで逃げていく。


 智くんは倉橋家の分家筋で四歳になる。でもまだ彼女の姿を視れるようだった。

 トメさんもまた倉橋の分家出身なので小さい頃はやはり視えていたのだろう。視えない誰かと遊ぶ我が子を見る目はとても優しい。


 里山の誰からも畏怖される姫様だけど、それでもこうして彼女の子孫たちから愛されているのだとわかる。

 家族や親戚のように気安くはできなくても、心の距離は思っていた以上に近くにあるようで、それが自分のことのように嬉しかった。


「そういえばあかりちゃん! あんた先生の顔の痣見たかい? なんでも親子喧嘩して殴られたっていうじゃないの。その理由がさぁ、今度するお見合いの――」


 トメさんが突然わたしに向き直ったかと思うと唾を飛ばす勢いで喋り出す。

 屋敷のお茶も大根もきっかけにすぎず、きっとこちらが本題なのだろう。これはトメさんに限らず今日来る人みんなに言えることだった。

 彼女はそれから身振り手振りを交えつつひとしきり話し、湯呑に口をつけてふぅと息を吐く。


「まさか先生が宗旨変えするとは思わなかったけど、とにかくあかりちゃんは先生の味方でいてやんなさい」

「ええと、はい」


 なにから宗旨を変えたのかはわからないけど、とりあえず返事をしておく。


「さーて、そろそろおいとましようかね。ともー! 帰るよー!」


 トメさんはよっこらしょとつぶやきながら腰をあげる。

 しかし智くんは戻ってくる気配を見せない。


「やだー! もっと遊びたーい」

「あっそう。じゃあ置いてっちゃうからね。母ちゃんもう行っちゃうからね」

「おや、智は屋敷に残るかえ。じゃあわしの子にしてしまおう。もう家に帰してやらないぞ?」


 姫様が智くんのすぐ後ろに忍び寄りニタリと笑う。

 途端、智くんの顔が今にも泣き出しそうになり、トメさんのもとに駆けてきた。そのまま足元にぎゅっと抱きついて顔をうずめる。

 そんな息子の背中をぽんぽんと叩き、トメさんはこちらに会釈した。


「それじゃあ、あかりちゃん。加加姫様。どうもお邪魔しました」

「いえいえ、またいつでも来てくださいね。お待ちしています」

「姫さまばいばーい」

「ばいばい智。またな」


 わたしも姫様も手を振って二人を見送る。

 彼らの姿が見えなくなると姫様はにやにや笑った。


「で、今度はなんだって?」

「特に新しいものはありませんでしたよ。他の方たちと似た感じです」


 朝からやって来る人たちみんなが話題にするのは泰明さんのことだった。

 今のところみんなの話をまとめるとこうだ。


 泰明さんがお見合いをする相手――それは東京にあるとても大きな病院のご令嬢らしいのだけど、なんと彼の学生時代の元恋人でもあるのだという。

 彼女は一度は別れたものの泰明さんを忘れることができず、向こうから縁談を持ちかけてきたそうだ。


 これまで縁談を断り続けていた泰明さんだけど、彼女なら……と一度はお見合いを承諾したらしい。が、やっぱり白紙にしたいと倉橋様にお願いしたそうだ。

 実は泰明さんにはずっと好きな人がいて、その人と結婚したいと言ったらしい。


 その相手はなんとなんと姫様だという。

 畏れ多くも里山の守護神に、そして己が祖に情愛を抱くとは何事だと憤慨した倉橋様はうっかり息子の顔を殴ってしまった……というのが顔の痣の理由だという。


「いやはや面白い話だのう。思ったより尾ひれはひれはつかんかったが、最後の最後でわし登場とは」


 最初この話を聞いたとき、姫様はお腹を抱えて笑っていた。

 彼女は泰明さんの想い人は自分ではないと言い切っていたけど……でもわたしはそうは思えなかった。


 思い当たる節はいくつもある。


 彼がわたしに世話役を譲られたのはきっと、結ばれることがないと知りながら愛する人のそばにいなければならない苦しさに耐えられなかったから。

 世話役を降りたあとも屋敷を気にかけるのは、今もなお姫様のことを愛しているから。


 なんと切なくて悲しい話なのだろう。

 身分違いの悲恋小説のような展開に胸が苦しくなる。


 ――でも、もしも。

 もしも泰明さんと姫様が両想いになったら? 倉橋様が二人を認めてくださったら?

 もしそうなったら……二人ともこの屋敷で暮らすことになるのでは?


「……………………!」


 その可能性に気づいた途端、足元がふわふわ軽くなってそこら中を走り回りたい衝動に駆られた。

 彼が姫様と結婚すれば、わたしはこの屋敷で二人に仕えることになる。

 それってもしかして、いやもしかしなくても、最高なのでは?


 わたしの好きな人がわたしの好きな人と一緒になるのだから、これ以上喜ばしいことなんてないし……いや多少は、ちょっとは寂しくなるかもしれないけど、つらいとは思わない。

 わたしと九摩留は納屋をちょっと改築してもらってそちらに移れば、夫婦間の邪魔をすることもないはず。


「どうしたあかり。さっきから鼻息が荒いぞ。それににやにやして」

「えっ、そうですか? あ、はは」


 姫様の指摘に、わたしは慌てて両頬をぐにぐに揉みほぐす。

 あぁでも、まだ懸念すべきことがあるんだった。


「ところで泰明さんて、結局お見合いはするんですよね?」

「ああ、親父殿の厳命でな。それは確定のようだ」


 だったらわたしがやるべきは――泰明さんのお見合い反対と二人の応援だ。

 そう、わたしは姫様と泰明さんに幸せになってもらうために彼のお見合いに反対するのであって、そこに個人的な感情はない。

 断じてない。


「ときに姫様は、泰明さんのことをどう思ってるんですか?」

「ん? かわいい子孫のひとりだな。感覚的には孫といったところか」

「孫ですか……」


 これは前途多難だ。泰明さんを恋愛対象にしてもらうにはどうしたらいいんだろう。

 腕を組んであれこれ考えていると、姫様がわたしの顔を正面からのぞき込んできた。


「ふふ。あかりよ、なにかおかしなことを考えているな?」

「い……いえ。そんなことは。あ、ちょっと片づけしてきますね」


 わたしはそそくさと小走りで居間へ向かう。

 姫様は数百年前に伴侶を喪って以降ずっと独り身を貫いている。

 それにお酒が深くなった時は亡き夫君への盛大なのろけ話が始まるので、今でもかの人をずっと深く強く愛しているのだと知っている。

 だからわたしの考えていることがわかったらなにを言われるかわからない。


 知らず知らずのうちに惹かれて恋に落ちるのが理想だけど、それにはなにをどうしたらいいか――。

 配合に使った匙を片付けながら、わたしは無い知恵を絞るのだった。

すみません、2月は週2回更新となります……!

更新日は火曜と木曜を考えていますが、場合によっては事前告知なく変更となるかもしれません。


3月は逆に1話を短めにして平日は毎日更新するかもです。

ちょっと試行錯誤中……。


これからもよろしくお願いいたします!

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