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13.親と子(2)

 カチコチと置時計の秒針が時を刻む。

 ややして泰幸は口を開いた。


「……ところでさっきから結婚を認めろと言っているが、彼女もお前と結婚したがっているのか?」


 泰明は心の中で舌打ちした。なかなか痛いところを突いてくる。

 そうと気取られないように泰明の目と口がすぅっと弧を描く。


「彼女も僕のことを憎からず思ってくれているようですから。そうなるのは時間の問題かと」

「つまり、今はまだ、結婚したいというわけではないと」

「僕がきちんと告白して結婚を申し込めば、すぐに同意は得られましょう」

「本当に? 絶対にそうなると言えるのか?」


 泰幸は息子の顔を訝しげに見つめる。

 青年はとても自然な笑みを浮かべていた。

 呼吸や動きもそれまでと変わらず、緊張している素振りも見られない。


 嘘をついている場合、大抵の人間は表情や仕草でなんらかの反応を示すものだが、息子にはそれがなにもなかった。

 その自然な様子が逆に怪しかった。

 泰幸はにやりと笑う。


「泰明。とにかくお前は見合いの席には出ろ。でなければ屋敷への援助を取りやめる」


 それまでなにを言われてもすましていた泰明が、ぎょっとしたように目を開く。


「そんな、滅茶苦茶だ」

「お前にだけは言われたくない」


 ようやく一矢報いたことで泰幸の溜飲が少しだけ下がる。

 息子のいいようにやられていたのでは親の面目丸つぶれというものだ。


「見合いの後で断るのはかまわない。ただし穏便にな。せめてもの親孝行で少しはこちらの顔を立ててくれないか。それから先方に恥をかかさないようにしてくれるとありがたい」

「……言っておきますが、僕はあかり以外を娶るつもりはありません。見合いをしたところで断るのは確実ですが、それでもいいのですか?」

「見合いの話まで決まったのだから今更断る方がいろいろ具合が悪い。顔合わせして話をして、やっぱり合いそうにない……という方がお互い恰好がつく」


 急な妥協案に、泰明は頭に疑問符を浮かべながらも頷いた。


「わかりました。出るだけ出ます」

「そうか、それはよかった。あぁそうだ……当初予定していた二月は、やはりまだ寒さの厳しい時期だからな。あまり遅らせるのもなんだがもう少し暖かくなってから、例えば四月ごろに日程を延ばそうと思う。問題ないか?」

「はぁ、それは別にかまいませんが」

「あとは毎日の屋敷通いを――」

「そこは譲りません」

「……まぁいいだろう。加加姫様の手前、そう手出しもできないか」


 泰幸はふう、と息を吐きながらあごを撫でる。

 それを合図のように表情がゆるみ、まとう気配も穏やかなものに変わった。


「今日はこっちに泊まるか?」

「いえ、叔父の家へ戻ります」

「そうか……。たまには帰ってきなさい。母さんが寂しがっているぞ」


 泰明が医院も兼ねた弟の家で寝起きするようになって半年が経つ。

 急患に備えて下っ端の自分がすぐ対応できるように、というのが理由だったが、あれこれ口うるさい父親から離れたいというのが本当の理由だろう。

 泰幸は書斎のドアに向かって歩きながら独り言のように続けた。


「私もあかり君のことは気に入っている。それにこれからの世の中は個人の意志と自由を尊重する時代だ。都会では恋愛結婚もだいぶ増えてきているし、私だって本人の望む結婚をさせてやりたいと思っている」


 ドアノブに手をかけたところで、泰幸は息子の目を見つめて言った。


「お前がいかに本気なのかはわかった。だから、あかり君の穢れが完全に払われていて、そして彼女自身が本当にお前を好いて結婚したいと望むのなら、私は邪魔をしない。お前たちを祝福しよう」


 まっすぐな視線を受けて、泰明も父を見つめ返した。


「ありがとうございます。父さんに、みんなに祝福してもらえるように努力します」


 泰明は部屋を出ていく父の背に向かって深く頭を下げた。




「ただいま戻りました」

「おー、おかえり泰明。遅かったな」

「おかえりなさい泰明さん」


 二階の洋室へ上がる前に階段脇の茶の間に顔を出すと、叔父が炬燵に入りながら湯呑を傾けていた。めくっているのは新しい学術誌だろう。

 その横の叔母は眼鏡をかけて針仕事をしている。


 泰明が間借りしているのは叔父夫妻の息子の部屋だ。

 従兄弟は東京で所帯を持って忙しくしており、年に数回しか帰ってこない。好きに使ってくれていいとのことだったのでありがたく使わせてもらっていた。


 階段を上がって部屋に入り、クローゼットにコートとマフラーをしまう。それから泰明は壁際のベッドに腰掛けると、ゆっくりと倒れこんだ。

 

「見合いねぇ……」


 天井付近の照明をぼんやり見ながら、泰明はどうしたものかと考える。

 父は屋敷の援助を取りやめると脅してきたが、それは不可能な話だ。

 姫神の守護は契約されたものであり当主といえど勝手な真似は許されない。契約不履行となれば必ず報いを受けることになる。


 神は諸刃の剣であり、祀るからには相当の覚悟をしなければならない。

 彼女がいくら親しみを持ってくれていようが己が子孫であろうが――自分を軽んじたと認識すれば容赦なく祟るだろう。

 実際、過去に分家含む数戸が迷信だ非科学的だとのたまい姫神に対して盛大に不敬を働いた結果、悲惨な末路をたどっている。


 できるわけがない。

 できるわけがない――と思うのに。

 あの父親のことだから加加姫さえ出し抜こうとするかもしれないと、そう思ってしまう自分がいた。


「しょうがないな」


 あらためて泰明は腹を決める。

 この縁談は先方の令嬢たっての希望ということだった。こちらから申し出たわけではないなら見合い後でも比較的断りやすいだろう。


「あっちは僕にどうしてほしいのかな」


 見合い相手は大学の同窓で、親しい友人の一人であり恋人期間さえあった仲だ。

 だから彼女がこの縁談を望む理由はおおよそ見当がつく。

 彼女の中でどういう物語を描いているのか、やはり一度その計画を聞いて二人で作戦を立てる必要があるだろう。


(はぁ。さっさと面倒事はすませて早くあかりと暮らしたい……)


 泰明は頭の下で手を組み目を閉じる。

 あかりとの結婚がどんどん伸びていることに焦りばかりが募っていた。


 最初はあかりが十九歳になったら告白して、その一年後、彼女の成人する日にあわせて入籍し、お金が溜まり次第挙式をと考えていた。

 しかしいざその時分になってみれば自分は大学卒業後の地獄の実地修練インターン真っ只中で、そこに医師国家試験の対策に加えて学生でもないのに研究の手伝いやら英語論文の添削やらを大量にねじ込まれ、村に帰って告白どころか下宿先に帰ることもできなかった。なんなら銭湯にもろくに行けなかった。


 インターンが終わって医師免許も無事に取れ、これでやっと村に帰れると思ったら今度は諸事情あって医局に残るはめになった。

 一年間だけという約束だったものの、この期間も村に帰れていない。

 数枚だけあるあかりの写真と術による遠くからの見守りで耐え忍んだものの、年単位で生身の彼女に会えないというのは初めてのことで人生で一番辛い期間だった。


 とにかく諸々が落ち着くまでは我慢と言い聞かせ、村に戻ったらすぐ告白するつもりでいた。

 ところが村に戻る少し前から彼女の養父母が体調を崩し、揃って天に召されたこともあって、今度はあかりが非常に不安定になりとても告白できる状況ではなくなってしまった。


 今までどれだけ我慢を重ねてきたことか。

 でもその甲斐あって彼女から嫉妬されるほど意識してもらえたのは嬉しい誤算だった。


(とりあえず早く見合いを断って告白……あれ?)


 少し前にした父とのやり取りを思い出し、泰明はあっと声を出した。


「やられた」


 見合いの日は延期された。

 つまり告白もまた延期ということになる。


「もー……。なんだってそんなこと………」


 数年かけても見つからなかったあかりの婿候補が、たかだか二、三か月で見つかるとは思えない。なんとも無駄なあがきだ。

 でもこれが単純に自分への嫌がらせだとしたら、悔しいけれど効果的ではあった。

 

「はぁ。もう今すぐ告白しちゃおうかな」


 若干やけっぱちな気持ちになってつぶやくものの、いやそれはダメだと頭を振る。

 見合いの席が決まっているのに告白しようものなら、純情なあかりになんだこいつはと思われかねない。

 印象が悪いどころか軽蔑されるかもしれない。

 つまり――彼女への告白は四月までおあずけということだ。


 泰明が言いようのない虚脱感に苛まれていると、ふいに二階をあがってくる足音が聞こえた。

 ドアをノックする音とほぼ同時に叔父が顔をのぞかせる。


「どうだったかい泰明。兄貴と話はついた……ってお前、その顔どうした!?」


 こちらに来てぎょっと目をむく様子に、泰明は頬の痛みを思い出す。

 先ほどはマフラーで顔半分を隠していたので痣に気づかなかったのだろう。


「いやー、あはは。好き勝手言ったらこうなりました」

「そうか。とりあえず手当してやるから下に来い。話はそのあとだな」


 叔父は苦笑いすると手招きしながらすぐに階段を下りて行く。

 泰明は小さくため息をつくと、のそりとベッドから起き上がった。

また別の話で書きますが、世話役は二十歳になるまで結婚できません。

タイムラグゼロで確実にあかりの二十歳の誕生日に結婚したかった泰明…。


余談ですが、この当時お医者さんになるには大学で6年勉強し、大学卒業後にインターンを1年やって国試の受験資格を得る必要がありました。国試に合格すれば医師免許ゲット。お医者さんです。

つまりインターン中は医師でもないし学生でもない、なんとも宙ぶらりんな存在のわけで。

そしてこのインターン中は 無 賃 金 労 働 だったそうです。

体力ある若者をタダでじゃぶじゃぶ使える!馬車馬のごとく使ってやるぜ!!と病院側が酷使したかはわかりませんが、他にも無資格で医療行為にあたっていいの?責任どうなるの?など問題も多く、昭和40年代に医学生が大規模ボイコットを起こしています。

このボイコットを経てようやく現在のように大学卒業時に国試を受け、医師免許を得てから2年以上臨床研修すること…となったそうです。

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月曜・水曜・金曜に更新します!

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