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123.冒険の終わり

「じゃあな、嬢ちゃんたち」


 わたしたちを駅前で降ろした男は、それだけ言うとふたたび運転席に乗り込んだ。

 助手席のおじいさんもこちらに深々と一礼する。

 そうして自動車が瞬く間に走り去ってしまうと、わたしとアキラさんはあらためて顔を見合わせた。


「結局……なんだったわけ……?」

「人違いって……言ってましたね……」

「なんなのよ、それ……」


 アキラさんは怒る気力もないのか、表情もなく呆然とつぶやく。

 本当に、あまりにも迷惑すぎる話だった。

 人違いで誘拐だなんて冗談でも笑えない。おまけに部屋の外では男女の悲鳴が絶えず聞こえていて、本当に生きた心地がしなかった。絶対に殺されると思った。


 でも、わたしたちは殺されなかった。

 二人とも無事に帰ってこれた。

 荷物もちゃんと返してもらえたし、降ろされた場所はアキラさんの会社の近くにある駅で、ここならお互い家までの道もわかる。


「アキラさん……どうします?」

「どうします……って?」


 自分のぼんやりした声に、アキラさんもぼんやりした声で返す。


「交番、行きます?」

「……だめよ。それでまたなにかあったらどうすんのよ。とりあえず怪我はないし……黙ってたほうがいいと思うけど」

「……それもそうですね」


 確かにあの男は警察が来たら絶対タダじゃすまさないと言っていた。誰にも話すなとも言っていた。

 もし今回の出来事を話して周りの人に迷惑がかかってしまったら。自分ひとりならともかく、そう思うと話さないでいるほうがいい気がしてくる。


 一応、二人とも無事ではあるし、閉じ込められていた場所がどこなのかもわからないし。

 部屋の外のことに関しても、なにが行われていたかまではわからない。説明しようにもすごい悲鳴が聞こえていたとしか言いようがなかった。


「このことは……二人だけの秘密よ」

「はい。二人だけの秘密、ですね」


 こういう場合どうするのが正解かわからないけど、アキラさんの言うように黙っているほうがいいのかもしれない。

 アキラさんとわたしだけの秘密がまた増えてしまった――そう思ったのは相手も同じらしい。

 彼女はこちらをちらっと見てくすっと笑う。

 そのときだった。


「あかり!」


 呼ばれた声にハッとする。

 声のほうを向いて、その顔を見て――胸の奥底でなにかが弾けたようだった。


 背の高いコート姿の青年がこちらに駆け寄ってきて、アキラさんも「あ」と声をあげる。

 泰明さん、と言おうとしたけど、なぜか喉が締めつけられて変な音が口からもれた。


 一歩踏み出そうとすると膝がカクンと折れて――でも転ぶことはなかった。腰を素早く抱き止められて、その腕の力強さに泣きたくなるほどホッとしてしまう。


「大丈夫?」

「ぁ…………ははは」


 すごく心配そうな顔をされて、大丈夫だと言いたいのにどうにも言葉にならない。

 言いようのない安堵が全身に広がって意味もなく笑ってしまう。


 寒くもないのに全身が小刻みに震えていた。それに目の前もしゅわしゅわチカチカする。おまけに肩と背中がじんじんする。

 あぁ……そういえば公園で蹴られたんだ。

 今の今まで痛みがなかったから、すっかりそのことを忘れていた。


「す、すい……あ、は……ちから……入らな……」

「わかった。ちょっとそこの階段に座ろうね」


 なんとか声を絞り出すと、泰明さんはわたしを抱きかかえて駅の階段まで運んでくれた。

 周りの視線が恥ずかしい。アキラさんにも見られている。でももう自力では立っていることさえできなかった。


「ねぇ……大丈夫?」

「だいじょ、ぶ……へへ」


 やっぱりわたしもすごく緊張していたらしい。

 同じく心配そうにしているアキラさんに返しながら、どこか冷静に思う自分がいた。


「あ、そういえば田上さん。さっき緑川と会ったよ」

「…………麗花と?」


 わたしとともに階段に座った泰明さんがアキラさんに声をかける。

 麗花さん。麗花さんがここに来ているのか。


「ここに来るとき田上さんの寮の前を通ったんだけど、そこに」


 泰明さんの言葉が終わらないうちにアキラさんが走りだした。

 それを見て――自分の役目は終わったのだと感じた。


 アキラさんは、きっと麗花さんと会う。相手と向き合って、ちゃんと話をするだろう。

 その結果はどうなるかわからない。

 彼女たちがこれからどうなるのかまでは予想がつかない。 


 でも、なんとなくだけど……きっとあの二人はもう大丈夫。

 そんな気がしていた。


「あかり、ほら、僕に寄りかかって。楽にしていいから。もう大丈夫だからね」


 泰明さんはわたしがもたれやすいように位置を調整して、こちらの肩を抱いて優しくさすってくれる。

 こんなときなのに自分の恰好が気になるわたしはおかしいのだろうか。


 でもきっと髪はボサボサ、お化粧だって汗とほこりで落ちて――というかコートも転んだり足蹴にされたりでだいぶ汚れているはず。もう最悪だ。

 というかまた転んだなんて言ったら、いよいよ雷が落ちそうだ。


「すいません……」

「謝ることなんかなにもないよ。大丈夫、少しゆっくりしようね」


 泰明さんはなにも聞かない。きっとわたしの様子を不審がっているはずなのに。

 でも今はそれがすごくありがたい。

 聞かれたらこれまでの出来事を話してしまいそうだし、あと多分泣いてしまう気がする。

 というかもうすでに鼻の奥がツンとする。なにか気をそらさないと。


「や、泰明さん」

「喋って大丈夫? 無理に喋らなくていいよ」

「だいじょぶです……。泰明さん、今日はどちらに……?」


 見れば彼はとても大きなリュックサックを脇に置いていた。山登り――のわりには恰好がそぐわない。

 泰明さんはどこか気まずそうに遠くへ目をやった。


「……ん。ちょっとね、知り合いと会ってた」

「知り合い……」

「そう、大学時代のね」


 大学時代というと、同級生の人だろうか。

 そういえばどこに行っていたものか、彼からいつもとは違う匂いを感じた。

 いつもだったら薬品と石鹸の香り。

 でも今は、煙草と金物臭さ、薄い潮の香りもする。それにうまく言えないけど……雰囲気だって少し違う。


 ちょっとだけ戸惑って相手の顔をちらっと見ると、深い闇色の瞳とかち合った。

 そこに浮かぶのは不安と心配と慈しみと、それから――。

 急に別の種類の動悸を感じて自分でも顔が赤くなるのがわかった。


「あとちょっとだからね」

「え?」

「ううん、なんでもない」


 そう言うと彼はわたしの手をぎゅっと握りしめた。

 そのまま端正な顔が寄せられて、目と鼻の先でわずかに迷う気配を見せたあと、こつんと額同士をくっつけてきた。


 わぁ、まわりの視線をすごく感じる。特に女性の厳しい視線をものすごく感じる。

 急に剣山に座っているような心地がして思わず身を引いてしまった。

 泰明さんのもの言いたげな視線に慌てて弁解する。


「あ、あのっ。ありがとうございました。もう落ち着いたみたいなので、そろそろ帰りましょうか」


 相手はなにも言わない。でも視線が熱っぽさを増す。

 どことなく浮足立っているかのような、そんな感情の高ぶりがわずかに伝わってくる。

 落ち着くほどにそれがわかって、また落ち着かなくなってくる。


「泰明さん、ほら、もうすっかり大丈夫ですから。村に帰りましょ?」

「……やっぱり少し横になったほうがいいんじゃないかな。ほら、前にあかりが言ってたお宿……そこに行こうか。ちょっと休憩してからのほうが絶対いいよ」

「でも夕食前には戻らないと……。今夜は倉橋様も奥様も一緒に食べる約束ですから、遅れるわけにはいかないですし」


 泰明さんが眉間に深い皺を寄せてものすごく難しい顔をする。

 そうしてしばらくうんうん唸った後で、ほうっと悲しそうに息を吐いた。


「そうだね。大事の前だし、大人しくしないとだね……。うん、村に帰ろう」


 そう言うとわたしの手を取って優しく引っ張り上げてくれた。それからさりげなくコートの汚れを払ってくれる。

 よくよく見るとコートには靴の跡がくっきりとついていた。

 ぎょっとして泰明さんを見ると、彼は苦笑しながら言った。


「理由は聞かないでおくよ。いつかあかりが話したいと思ったとき、そのときに聞かせてね」

「は……はい」


 そんなはずはないのだけど、彼にはいろんなことを見透かされているようで恐ろしい。

 いやでも、うん。泰明さんが知っているわけないのだから堂々としていよう。


「帰ろう、あかり」

「はい」


 村に帰ろう。

 帰って美味しいごはんをみんなで食べて、お風呂をいただいて、ゆっくり眠ろう。

 アキラさんと麗花さんのことは気になるけど、とにかく今日はいろいろありすぎた。今日だけはなにも考えずに寝てしまいたい。


 泰明さんと一緒に帰りの切符を購入すると、わたしは駅の改札を通り抜けた。


いつもお読みいただきありがとうございます。

これにて【麗花編】は一区切りとなります。

これから日常のお話を再開していきますが、加加姫や九摩留はもうちょっとしてからの登場予定です。そうお待たせすることはないと思うのでお楽しみにー。

年中行事の話もまたぼちぼち書いていきますね。


さて、申し訳ありませんが来週の更新はお休みさせていただきます。

次回の更新は8月13日(水)となりますので、ご注意ください。


これからも引き続きよろしくお願いいたします!


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