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121.幕引き

「お、おやっさんが! じゃなくて社長がご到着です!」

「社長じゃねえ! 俺は所長だ馬鹿野郎!」


 見張り番の声に続いて威勢のいい声が倉庫に響いた。

 その場にいた全員が――泰明以外がハッと息を飲む。


 暗幕の向こうから現れたのは小柄な初老の男だった。姿を認めた瞬間、ヤクザ達全員が姿勢を正し「ごくろうさんです!」と一斉に声を張った。

 その声に鷹揚に手をあげつつ、すぐに泰明のもとへ駆け寄ってくる。


「よう山下ぁ! 元気にしてたか!」

ほん先生、どうもご無沙汰しております。突然お呼びつけして申し訳ございません」


 両手を大きく広げる本を青年もすかさず抱擁する。


「なーに可愛い息子が来いってんならどこへでも行ってやるぜ。しっかし相変わらずベッピンだなぁオイ。童貞は卒業したか? まだなら俺が卒業させてやろうか? なーんて俺だって冗談じゃねってんだ馬鹿野郎! ガハハハハハハ!」


 本は笑いながら離れると青年の尻をバシバシ叩く。

 渡瀬はそれを見てひやひやするが、泰明は困ったように笑っただけだった。これが他の人間だったら即座に腕を折られているだろう。


 あの青年も大人しく懐いてしまうほどの天性の人たらし――それが組織の総元締めである本だった。

 ただし彼自身は極道の親分であることを認めていない。それに蝶野が設立した会社社長という肩書も認めていない。


 小さな診療所の老いぼれ所長。それが本の自称する肩書だ。

 ただし、もぐりの医者ではあるが。


「しゃ……本先生、どうしてここに?」


 蝶野が穏やかに尋ねると、本は彼に向かって手を挙げた。


「おう蝶野、お前も来てたのか。いやなに、さっきこいつから電報が来てよ。ここでパーティーするっていうからちょっくら顔出しに来たんだわ。……だがこいつはどうも違うらしいな」


 本は周囲をぐるりと見渡しニヤリと笑う。


「おうお前ら、そろいもそろって悪だくみか? あんまり母ちゃん泣かせんじゃねえぞ?」


 悪の親玉に言われて部下たちは微妙な笑みを浮かべる。

 彼は自身が西金會の会長であることを認めていないが、それでもすべての活動を把握しており折々で指揮を執っている。やることはしっかりやっているのだ。


 ただし蝶野とは違い、本にはまだ人情がある。

 そこが二人の決定的な違いだった。


「さて山下、俺をここに呼んだわけを聞こうか。パーティーじゃねえならなんだってんだ?」


 青年に向き直ると老人は不敵に笑う。

 泰明もそれを見てにっこりと笑った。


「本先生、急患です」

「急患?」

「ゴムのうの誤飲です」

「ゴム嚢? またよくわかんねぇもん飲みやがったなオイ。気管に詰まったか?」

「いいえ」

「だったらそのうち糞になって出てくるだろ。ほっとけほっとけ。それよりこんなシケたところでたむろしてねえでよ、せっかくだからみんなで飲み行こうぜ。もちろん俺の奢りだぜ!」


 本が大声で宣言し、わっと歓声が上がるのを待つ。

 だが誰もがなんともいえない表情のままチラチラとお互いの顔を見合わせていた。


「本先生、そんなに悠長に待ってられません。手術をお願いできますか」


 蝶野が無表情で本の前に出る。老人は口をへの字に曲げた。


「おいおい随分大げさだな。腸閉塞にでもなったらそんときやりゃいいだろう」

「いえ、今すぐにお願いします。死んでも構わない男なので今ここでお願いします」

「……おい。俺は腐っても医者だぞ?」


 本が蝶野をジロリとにらむ。男は肩をすくめた。


「わかりました」


 それだけ言うと件の急患のもとへ引き返す。

 パン! と大きな破裂音が倉庫に響いた。

 突然の発砲に若い衆が固まる。渡瀬と泰明、そして本はそろってため息をついた。


「本先生。死体の解剖をお願いします」


 戻ってきた蝶野は泰明の頭に銃口を向ける。


「山下先生は本先生の手伝いをお願いします」

「おい蝶野。てめぇ誰になにを向けてやがる」


 さすがにそれを見かねて本が低い声を出す。

 彼はかつてこの青年に出会ったとき、その命を救われ人としての尊厳も守られた。それ以来、我が子のように目をかけている。


 それに診療所のアルバイト生として働かせてみたところ、大変優秀な人材であることもわかりますます気に入っていた。

 蝶野のことも大事だが、さすがにこれはいただけない。


「俺は前に言ったよな。こいつに無礼な真似はするんじゃねえと」


 蝶野はしばらく泰明を見つめていた。

 だが分が悪いと悟ったのか、拳銃を下ろした。


『……チョウ、少し落ち着け。お前らしくもねぇ』


 故郷の言葉で語りかけながら蝶野に近づき、本はその肩を優しく叩いた。

 彼は横目でちらりと老人を見たあと床に目を落とす。


洪大夫ホンせんせい……俺とこいつ、どっちが大事ですか?』

『女々しいこと言いやがる。お前のほうがずっと大事に決まってんだろ』


 答えながら、本はようやく気付いた。

 もしかするとこいつはずっと焼きもちを焼いていたのかもしれない。


 本と蝶野の付き合いは長い。

 まだ子どもだった彼を拾い、二人で様々な死線をかいくぐってきた。お互いを親子のように思い一連托生で長年助けあって生きてきたのだ。

 そこへぽっと出の息子を可愛がったとあれば、それは面白くもないだろう。


『いいか、俺があいつと仲良くしてるのは……そりゃあ恩義があるってのもあるが、それ以上にあれは便利な道具だからだ。わかるだろ?』


 青年は有能で、そして非常に利用価値が高かった。

 彼は自分やその周囲に手を出さない礼としてなのか、たまに有益な情報をもたしてくれる。その情報は大金を産んだ。


 こちらの言いなりにはならないが基本的には常識人であり、血の気の多い向こう見ずの構成員に比べればはるかに扱いやすいともいえる。

 持ちつ持たれつの信頼関係は大事にしたい。


『おい、そこのお前ら。死体を車に載せろ。俺の診療所に運ぶんだ。蝶野、お前も一緒に来い』


 本は蝶野の部下に指示を出す。

 それから言葉をもとに戻した。


「綺麗にやってやらねえと仏さんが可哀想だからな。そんじゃ山下、またな!」


 本は泰明に軽く手を挙げて元気よく歩き出す。

 そのあとを追いかける蝶野が途中で足を止めた。


「渡瀬。小屋の女たちを…………いや、いい」


 振り返った老人から鋭い目を向けられて、蝶野は負けを悟った。

 青年はどうやら本に根回ししているらしい。

 きっとどうあってもあの女たちに手出しすることはできないだろう。悔しいが、今日のところは引くしかない。


 本と蝶野、そしてその部下たちがいなくなると渡瀬は大きなため息をついた。

 泰明がすまなそうに頭を下げる。

 

「すみません渡瀬さん。あの情報は渡瀬さんにあげたかったんですけど、取られちゃいましたね」

「……こっそり耳打ちってのは駄目なのかい?」

「誰にでも喋ってしまったら僕の信用も落ちるでしょう? そこは線引きしておかないと。それで……どうします?」

「あん?」

「独立の話。僕はあれを冗談で言ったわけではありません。あなたが本気でやりたいと思うなら、本当に応援しますよ」


 渡瀬は自分に視線が集まるのを感じた。

 若い衆がなにか言うのを固唾を飲んで待っている。期待に満ちた目をぐるりと見まわして男は苦笑した。


「先生。俺たちの世界はな、独立するってのはそう簡単なことじゃねえんだ。社長……いや、この言い方はもうやめだ。あの本さんがいいって言っても蝶野が黙ってねえだろう。あれこれケジメをつけなきゃならねえし、よその組とのしがらみもある。縄張り争いもな。血も流れりゃタマだって落とすこともあるだろう」


 誰もなにも言わない。心なしか落胆する空気が漂った。

 渡瀬はにやりと笑う。


「だからまぁ、準備はきっちりしねえとな。なにせ一世一代の大博打だ」

「あ……兄貴! いや、おやじ!」

「おやっさん!」

「まだ早ぇ! 俺を老けさすんじゃねえよ」


 若い衆が口々におやじ! おやっさん! と叫び渡瀬が怒鳴る。だがその表情はなにか吹っ切れたように明るかった。


 ここにいる若い衆は五人。他に七人いるとはいえ、全員無傷で蝶野のもとを去れても十数名ほどの小さな組となる。

 だが、鶏口牛後。小さくても立派な一本どっことくれば――それだけで胸を張れる。

 どこか清々しい表情をする男を見て泰明は微笑んだ。


「それじゃあこの話はまたあらためて。僕はこの辺で失礼しますね」


 そういうと青年はリュックサックから着物や帽子、白髪のカツラや下駄など様々なものを取り出した。

 妙なものをソファに次々並べていく彼を見て渡瀬は首をかしげる。

 泰明はそれにくすっと笑って答えた。


「囚われのお姫様たちがお待ちです。そろそろ解放してあげましょう」



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