115.誘拐
「よし、目隠しを取れ」
言われるまま目を覆っていた布を外すと、あたりは真っ暗だった。
でもわたしの体内時計はまだ昼過ぎだと訴えている。つまりこの暗さは光をすっかり遮断するような建物にいるということだろう。
ふいにカチッと音がした。瞬間、目の前に生首が浮かび上がる。
「ヒッ」
思わず息を飲むと真横ですごい悲鳴が上がった。
その悲鳴にさらにビクッと肩が跳ねる。
生首がゲッゲッゲッと不気味に笑った。それはよく見ればあの凶悪な人相の大入道――もといヤクザの男だった。
顔の下から懐中電灯で照らしてこちらを怖がらせようとしたらしい。こんな子供だましのイタズラにまんまと引っかかるとは……。
いや、それよりも。
「アキラさん!」
「あ……あかり? あかり!」
うずくまる彼女に抱きつくと相手もこちらを強く抱きしめてくれる。
それだけで恐怖と不安がわずかにやわらぐようだった。
「はぁーおもしれ。んじゃ、てめぇらはここで大人しくしとけよ。逃げようとしたって無駄だからな、変な気起こすんじゃねえぞ」
男はそう言うと懐中電灯を置いて部屋を出ていく。
外から鍵をかけたのか、ガチャッという音が耳についた。
懐中電灯ひとつ灯るだけの暗い部屋にはわたしとアキラさんの二人だけ。恐ろしい状況であることに変わりはないけど、あの男たちと一緒にいなくていいことがせめてもの救いだった。
「な、なんなのよ、これ。ここどこ? 私たちなんでこんなことになってるの?」
「わたしにもさっぱり……。でも場所は海の近くかもしれません」
あの公園から出たあと、わたしとアキラさんは男たちの車に乗せられた。そして乗るなり布を渡されて目隠しするよう指示されたのだった。よって自分たちがどこにいるのかはわからない。
でも移動途中から感じていた磯の匂い、そして今も部屋に響くボ――……という汽笛のような音から海のそばだということは察しがついた。
とにかく状況を確認しようと立ち上がり、懐中電灯で部屋のなかをぐるりと照らす。
ここは食糧庫なのか、狭い部屋のなかには大量の缶詰や瓶詰が収められた棚が並んでいる。床にも酒瓶やらビールケースやらが乱雑に置かれていて、気をつけて動かないとつまずいてしまいそうだった。
床はコンクリートだけど四方を囲む壁は木材で天井はトタンらしい。窓はなく出入口は先ほど男が出ていった一か所のみ。
内鍵は当然のようになくて、つまりわたちたちは完全に閉じ込められたことになる。
耳をすますと遠くのほうで話し声がした。あの公園にいた男たちがそこにいるなら五、六人のはずだけど、ざわざわした声はわずかに反響を伴っているせいでもっと大勢が喋っているようにも聞こえる。
それに男だけかと思いきや女性の怒鳴り声のようなものも混じっている。
残念ながら会話の内容まではわからなかった。
「ねぇ、私たちの他にも捕まってる人がいるの?」
アキラさんも女性の声に気づいたのか、怯えたように身体をいっそう縮こめる。
彼女の隣に腰を下ろすと腕にすがるようにしてぴたりと密着してきた。
「どうもそうみたいですね。ところでアキラさん、あの人たちに見覚えはありませんでした? なにか心当たりは?」
最初のゴロツキ男たちはアキラさんの名前を口にした。顔はわかっていなかったようだけど、なんらかの目的があって探していたのだろう。
期待を込めて返事を待ったものの、彼女はしばらくして首を横に振った。
「あんな人知らない。一度も見たことないわ。心当たりもない……と思う」
「そうですか……」
ゴロツキのあとに来た男たちもわたしたちに用があると言っていたけど、それはどういうことだろう。
わたしもアキラさんと同じであんな人たちは見たこともないし心当たりだってない。
となるとわたしたちの周りにいる誰かと関係があって、その人絡みでなにかに巻き込まれている可能性がある。
「今の状況って誘拐になるのかな……。誘拐といえば身代金、か」
新聞には時々身代金を要求する誘拐事件が載っている。
ふと、倉橋様の顔が思い浮かんだ。倉橋本家はお金持ちだ。だからわたしを誘拐して身代金を取ろうとした、とか?
でもわたしは倉橋様の子どもじゃない。なら誰かと――葉月ちゃんと間違えた?
アキラさんの場合はどうだろうか。
「アキラさんのおうちってお金持ちですか?」
「そんなわけないでしょ。うちはフツーの漁師の家、貧乏ってわけじゃないけどお金持ちとは口が裂けても言えない家よ」
「そうですか」
では他に考えられることといったらなんだろう。
「人身売買?」
「じ……人身売買!?」
「あっ嘘です。嘘です嘘です違いますよー」
ガタガタ震えだす彼女の肩を抱いてなだめるも、その考えはどんどん膨らんでいってしまう。
どうやらこの小屋は海のそばにあるらしい。童謡のように波止場から船に乗せられて――外国に売られてしまう、なんてことはないだろうか。
もしそうなら非常にまずい。
「困ったなぁ……」
あの板壁をどうにかして壊せないだろうか。いや、壊そうとすれば音で気づかれるかもしれない。
相手が何人いるのかわからないし、小屋の外の状況もわからないのにそれは無謀だ。
それにわたしは走れないから二人で逃げることは最初からあきらめた方がいい。わたしが足止めをすればアキラさんだけでも逃がせるかもしれない。
となれば武器だ、武器がいる。
「なにかないかな?」
あいにく荷物は取り上げられてしまった。
コートのポケットをさぐると、出てきたのは『喫茶スワン』のマッチにキャラメル三粒、そしてハンカチとなぜか中学校の校章バッチ。
試しにマッチを数本擦ってみるものの、前回の雨で濡れたときに湿気ってしまったのか火は着かなかった。
バッチは針部分が武器として使えそうだ。小さいけどそのぶん手に隠し持っておける。
あぁ、こんなことになるなら針に附子を塗っておけばよかった。いや……附子は毒としての効果は薄いんだった。加工前の附子……鳥兜でないと……。
「あかり……あんたなに考えてるの?」
「え?」
「なんかすごい顔してるけど」
「あぁ、えーといやぁ……あっはっは。キャラメル食べます?」
アキラさんはこちらを気持ち悪そうに見るも素直に手を出した。
誘拐といえば……『我ら少年探偵組!』に出てくる少女探偵のカスミちゃんは何度も誘拐されたことがあった。そんなとき彼女はどうしていたっけ?
「確か……モールス信号で合図!」
「え?」
「アキラさん、この懐中電灯で外に助けを呼べるかもしれません。これなら声を出さなくても救難信号を送れます。えっと、SOSは確か……」
懐中電灯のスイッチを入れたり消したりして、トントントン、ツーツーツー、トントントンを再現してみせる。うん、なんとかいけるかもしれない。
あとは針を使って部屋の壁に穴を開ければ――と思ったところで気がついた。この部屋の壁は屋外に隣接しているのだろうか。
「ねぇ。思ったんだけど……今ってまだ外は明るいんじゃない? 体感的に夕方でもなさそうだし。それで懐中電灯の光なんて見えるかしら」
「あ、そっか」
アキラさんの指摘ももっともだ。
「うーん、そしたら……いざとなったら酒瓶で相手を殴るしかないですかね。あとは瓶を割ってそれで刺すとか」
暴力的なことは考えたくもないけど、このままだと二人とも殺される可能性だってある。
黙って殺されるのはさすがに嫌だ。少しでも一矢報いたい。
そう思っていると、彼女は不可解そうに眉を寄せた。
「ねぇ……さっきからなんでそんなに落ち着いてるの? あかりはこの状況、怖くないの?」
「え。わたし、落ち着いてますか?」
そんなつもりはないのだけど――でも確かにどこか冷静な自分もいた。それに頭の一部が妙に冴えているような感じがする。
怖いことは怖いけど……この異常事態に自分が置いてきぼりになっているような、そんな変な感じがした。
「とにかく、いざとなったらわたしがおとりになります。その隙にアキラさんは逃げてください」
「は……?」
「わたしは足が悪くて走れません。だからアキラさんだけでも脱出して、警察に知らせてください」
どうせ今の命は儲けもの。だからここでわたしが死んでも、悪い人が捕まるならそれでいい。
少しでも生き延びる可能性が高いほうに希望を託す。それは間違ったことじゃないはずだ。
姫様にはお世話ができなくなってしまって申し訳ないけど……九摩留がいるからきっと大丈夫だろう。あの二人を悲しませてしまうのは辛いけど、身体を張って人助けしたのだとわかったら褒めてくれるはず。
泰明さんは……。泰明さんも、わたしがいなくなったら悲しんでくれるだろうか。
ぼんやりそう思っていると、アキラさんが妙に静かなことに気づいた。
「…………ふ」
「ふ?」
「ふざけないでよッ!!」
いきなり耳元で怒鳴られて耳がキーンとなった。
「ぁ、アキラさん?」
彼女は相変わらず震えている。でもそれは今や怒りからくるものだとわかった。
胸倉を掴まれて真正面からキッとにらまれる。
「ふざけたこと言わないで。あんた一人置いていけるわけないでしょ。そんなの絶対……絶対に嫌だからね! 今度そんなこと言ったらひっぱたいてやるから!」
「わ、わかりました。わかりましたから落ち着いてください」
すごい剣幕で怒鳴られて耳の奥がぼわぼわする。
突然アキラさんの顔がくしゃりと歪んだ。その目から涙があふれてくる。
「もういや……。私たちどうなっちゃうの? ねぇ、なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ……」
「アキラさん……」
わっと泣き出した彼女を抱きしめる。
本当に、これからどうなってしまうのだろう。
わたしたちはここから出られるのか。生きてみんなのところに帰れるのだろうか。
泰明さん――と胸の内でつぶやいて、ハッとした。
「そうだ……わたし泰明さんと約束してるんだった!」
まずい、怒られる。いやそうじゃない。そうじゃなくて――。
「大丈夫ですよアキラさん! わたし、泰明さんと五時に駅で待ち合わせしてるんです。わたしがそこに来なかったら泰明さんはきっと探してくれるはずです。それで見つからなければ、もしかしたら警察に捜索願いを出してくれるかもしれません」
「ぇ……ほんと……?」
アキラさんは涙でぐしゃぐしゃの顔をあげる。
そんな彼女を安心させるべく笑いかけた。
「とにかくそこまで持ちこたえましょう。そうすればきっと助けが――」
その時だった。
血も凍るような凄まじい悲鳴が辺りに響き渡った。