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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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107.ご休憩(一)

「じゃ、俺はこれで」

「あ、ありがとうございました!」


 田上アキラさんを呼びに行ってくれた男性にわたしは急いで頭を下げる。

 それからあらためて相手を見つめた。


 猫のようなつり目を彩る緑のアイシャドウ。

 怪訝そうな形の唇に引かれた赤い口紅。

 顎のあたりで切りそろえたおかっぱ髪。

 スカートから伸びる細い足にはかかとの高いパンプス。

 今は相手のほうが背が高いけど、靴を脱いだら同じくらいの身長かもしれない。


 田上アキラさんは、どこからどう見ても女性だった。

 てっきり男性だとばかり思っていたから予想外の事態に頭の中が真っ白になる。


「ねぇ、なにか用? じろじろ見てないでさっさとしてほしいんだけど」


 どこか苛立ったような声にハッとする。


「すみません、突然ごめんなさい。あの、わたしは倉橋あかりと申します」

「倉橋……?」

「はい。緑川麗花さん――あ、あのちょっと!?」


 麗花さんの名前を出した途端、田上さんの唇が歪んだ。

 わたしの脇をすり抜けて傘をさすと、そのままサラリーマンの一団にくっついて雨の道を歩きだしてしまう。


「あの、ちょっと待ってください。麗花さんのことでお話があって来ました。少しだけお時間をいただけませんか?」

「話なんてしない。私はそんな人知りません」

「そんなの嘘ですよね? あのちょっとだけ、ちょっとだけお話を――」

「しないってばもう! しつこいわね!」


 その大きな声に前を歩く人たちが何事かと振り返る。

 田上さんが大きく舌打ちした。大通りから脇道へ入ってしまい、慌ててそのあとを追う。


「ごめんなさい、気分を害されたなら謝ります。でも少しだけ話を聞いてほしいんです。お願いします」

「私、忙しいの。話聞いてる暇ないんで」

「じゃ、じゃあ歩きながら話します! 麗花さんは今も田上さんのことを想っています。なにがあっても田上さんと一緒になりたいって、そう言って泣いてるんです。田上さんだってほんとは同じ気持ちなんですよね?」


 田上さんはこちらをちょっとだけ振り返って、でもすぐに前を向いてしまう。その歩みは思いのほか速い。かかとが高いのにずんずん道を進んでいく。

 わたしもケンケン走りしてなんとか食らいつくものの、その距離は見るからに開いていた。

 強い雨と風に負けないよう大声で話すものの――はたして相手の耳に届いているかどうか。


「田上さんは麗花さんのこと、本当に嫌いなんですか? このまま麗花さんとお別れしていいんですか?」


 田上さんは止まらない。


「麗花さん、田上さんと一緒になれる方法をずっと模索してるって言ってました。わたしも協力するつもりです。あきらめないでみんなで一緒に考えましょうよ、そしたらきっと――ッ!?」


 突風に傘を持っていかれて身体が傾く。

 あ、と思ったときには景色が斜めになって、濡れた地面に倒れていた。

 うっかり手放してしまったコウモリ傘がビュッと吹いた風にあおられて空を飛ぶ。お父さんの形見の一つが田上さんを追い越して、道に何度か跳ねたようだった。


 氷のような冷たい雨が頭に容赦なく降りそそぐ。

 顔も手足もびしょびしょ、服だってどんどん濡れていくのがわかる。


 わたしはここでなにをしているんだろう。

 ぼんやりした頭で、ふいにそう思った。


 田上さんは女性だった。麗花さんだって女性だ。

 女性同士では――なにをどうしたって結婚はできない。

 一緒になることはできない。


 身体から力が抜けていく。

 早く立ち上がって追いかけなきゃいけないのに、手足を動かすのがひどく億劫だ。


「――もう! なにやってんのよ、どんくさいわね!」


 すぐそばで甲高い声が聞こえた。

 のろのろと顔を向ければ、田上さんが目の前で仁王立ちしていた。

 片手に開いた花柄の傘、もう片手には閉じた黒い傘――もしかしたらお父さんのコウモリ傘かもしれない。拾ってくれたのだろうか。


「とりあえず立って。ほら」


 わたしの腕を取って田上さんが引っぱりあげてくれる。

 落ちていた手提げも渡されて、思いがけない優しさに少しだけ面食らう。


「あ、ありが――っくしょ!」


 ぶるっと身体が震えて大きなくしゃみが出る。

 ちょうどわたしの目の前にいた田上さんが露骨に顔をしかめた。


「ご、ごめ――へくしっ、はっくしょい!」


 どうしよう、くしゃみが止まらない。身体の震えも止まらない。

 田上さんはあきれたような表情でわたしを傘に入れると、自分のハンカチでこちらの顔をゴシゴシ拭いてくれた。

 手つきは乱暴だけど心配してくれているのが伝わってきて、なんだかちょっと泣きたくなる。


「ごめんなさい、ハンカチが汚――っくし!」

「……別に、使い古したハンカチだから構わないわ。も――――…………しょうがない、とりあえず行くわよ」

「行くって、ふえっくしゅ! ど、どこへ?」

「銭湯。うちの寮、部外者禁止だから」

「せ、銭湯はダメですっ」


 歩きかけた足を慌てて引っ込める。

 銭湯はダメだ。わたしの背中には焼印がある。

 そんなものを公衆浴場でさらすことはできない。


「大丈夫でぇっきし! 拭いたら大丈夫ですから」

「いやどう見ても大丈夫じゃないでしょ。そんなんで肺炎にでもなられたら私の寝覚めが悪いんだから。ほら、さっさと行くわよ」


 そう言って田上さんが腕を引っぱるけど、わたしはぶるぶる頭を振る。

 水滴が飛び散って田上さんがものすごく嫌そうな顔をした。彼女はこちらの足をちらっと見やり視線を戻す。


「気にしなくていいわよ。どうせその足にでっかい傷があるとか、そういうことでしょ? それならこの辺に住んでる人たちはなんとも思わないから」


 それまでむき出しだった感情が息をひそめるようだった。

 相手の顔から表情がすっとなくなる。


「あんたも知ってるでしょうけどね、この辺はひどい空襲があったの。いろんな人が手足や背中を切ったり焼かれたりしてね。だからみんな大なり小なり傷を持ってんの。銭湯にはそういう人がたくさん来るし、だから別に珍しくも恥ずかしくもないんだから――」

「違うんです」


 雨音に紛れそうな声だったのに、田上さんはぴたりと喋るのをやめた。

 こちらの顔をまじまじと見つめて眉をひそめる。


「なによ、まさか背中に弁天様でも背負ってるとか? そんなわけ……」


 田上さんの声が途切れる。

 表情には驚きが現れて、それが消えると警戒と――嫌悪の色が瞳をよぎった。

 これが普通の人の反応。

 わかってはいたけど、胸に刺すような痛みが走る。


「弁天様ではない、っくしゅ! ……ですけどね」


 一応弁明するけど、焼印だって似たようなものだろう。

 普通の人生を歩んでいれば身体に入りようのない代物だ。関わりたくないと思うのは当然の反応といえる。


「あ、ヤクザ者でもないですよ? だからその……」


 安心してください、と言おうとして――やめた。

 わたしは危ない人じゃないけど、自分でも素性がわからない怪しい人だ。それに、田上さんにとってはどっちだろうと関係ないはず。

 それ以上彼女の目を見ていられなくて顔を伏せた。

 泥だらけの靴がぼやけて、明瞭になって。またぼやけてを繰り返す。


 今日はもうダメだ。

 帰ろう。早く村に帰ろう。

 ここは寒い。寒すぎる。濡れたところから凍っていくようだ。


「おじゃましました……」


 無理やり出した声はしゃがれていたけど、なんとかそれだけ言うと田上さんの持つコウモリ傘に手を伸ばす。

 彼女はビクッと身体を跳ねさせ、なぜか背中にそれを隠してしまった。


「わかったわ、銭湯は行かない。でもあんたをそのままにはしとけない。一緒に来なさい」


 ふたたび手が伸びてきて顔を乱暴に拭かれる。

 すがめられたその目に嫌悪感はないようだった。それどころか、どこかいたわるような色さえしている。


 お父さんの傘が開かれる。それを無理やり手に持たされると、田上さんは颯爽と歩きだした。

 頭が働かなくてその場に立ち尽くしていると、振り返ってキッとにらまれてしまう。


「来ないなら話は聞かないわよ! ぐずぐずしないでさっさとする!」

「は……はい!」


 苛烈な声に金縛りが解ける。

 慌てて足を動かすと田上さんはなにか言いたそうな顔をして、でもすぐに前を歩きだした。




 雨水の入った靴をガポガポ鳴らしながら路地裏を何度も曲がり、濡れた身体にいよいよ感覚がなくなってきた頃――田上さんがようやく足を止めた。

 正面には衝立のような短い壁があり、そこに『旅館 心泉』と書かれた小さな看板が掲げられている。奥には二階建ての大きな家屋が高い塀に囲まれて建っていた。


 田上さんはなんの躊躇もなく衝立の壁を回り込んで旅館に入ってしまう。

 とにかくそのあとをついていくと、玄関の奥から和服を着た初老の女性が出てくるところだった。


「いらっしゃ――あらあらまぁまぁアキラさん。お久しぶりですこと。麗……」


 女性はこちらを見て目を丸くする。すぐさま田上さんに目を向けた。

 彼女は小さく肩をすくめる。


「女将さん、タオルを多めに貸してもらえますか? この人ご覧の通りなんで。それから休憩で、一番小さい部屋お願いします」

「いつもの離れじゃなくていいの?」

「はい。それから……置かせてもらっている荷物を全部持ってきてください」

「かしこまりました。あ、そちらのお嬢様はちょっとお待ちになってね」


 女将さんと呼ばれた女性は奥に引き返すとすぐに大きなタオルを持ってきてくれた。


「はいどうぞ、これで髪やお洋服をよくお拭きになってね。靴下も脱いで、足をよく拭いてからスリッパをお履きになって」

「あ、ありがとうございます」


 お礼を言いながらも物珍しさについきょろきょろしてしまう。

 玄関の敷き瓦をあがったところは六畳ほどの空間になっていて、正面には建物の奥へと続く細い廊下、そして上へと続く階段が伸びていた。

 右手には下駄箱と柱時計が、左手にはすりガラスの引き戸がある。火の気はないのに館内は驚くほど暖かかった。


 わたしは小学校も中学校も修学旅行に参加できなかったから、これが初めてのお宿訪問ということになる。

 今後もお宿に来る機会なんてないかもしれないからしっかり目に焼き付けておこう。そう思いつつあらかた水分を拭きとると、田上さんと女将さんのひそひそ話もそこで終わったらしい。

 二人がこちらに向きなおった。


「タオル、汚してしまってすみません。どうもありがとうございました」

「どういたしまして。それではお部屋にご案内いたします」


 すっかり泥がついてしまったタオルを女将さんは嫌な顔ひとつせず受け取ってくれる。

 彼女を先頭に一列になって薄暗い廊下を進んでいくと、道が左右に分かれる手前で立ち止まった。壁に等間隔に並んだ扉の一番端が目的のお部屋らしい。

 扉の上には『さくら』と書かれた木札がついていた。


「女将さん、こっちのお風呂って中から鍵かけられましたよね?」

「えぇもちろん。ちょうど西棟風呂に湯を張ったところですから、今なら一番風呂ですぐにお入りいただけますよ」

「だって。よかったわね」

「えっ、い、いいんですか? 鍵なんかかけちゃって……というかお風呂って」


 その思惑がわかって田上さんをまじまじと見つめる。

 彼女は半眼でフン、と鼻を鳴らした。


「だってあんた、その状態でいたら家に着く頃には熱出てるわよ? 身も心も凍えた時はとにかく熱いお湯に浸かるのが一番なの。反論したらひっぱたくわよ」

「はいっ」


 思わず背筋を伸ばすと横でくすくすと上品な笑い声があがる。


「ご安心くださいお嬢様。ちゃんと他のお客様も入れるように、ここには七つの浴室がございますの。離れには露天風呂もありますのよ」

「お風呂が七つ!?」

「おほほ。当館はそれだけじゃあございませんの。全室冷暖房完備、テレビはまだ一部の部屋にしか置いてませんけど、それも来春には全室にいきわたるでしょう。ゆくゆくはお風呂もトイレも全室完備にするつもりですのよ。これも麗――おほほほほほ、ではどうぞごゆっくり」


 女将さんが袂で口元を隠しながらそそくさと去っていく。


「はぁー……。すごいですね、旅館って」


 内風呂がついてないお宅もまだ多いのに、ここでは一部屋ごとにお風呂とトイレ――厠までつけようとしているとは。

 旅館とはなんて贅沢な場所なんだろう。


「あんたはそこにいて。いま浴衣とか取ってくるから、とにかくお風呂に入っちゃいなさい」

「なにからなにまですみません……」


 言われた通り廊下で田上さんを待つと、彼女はすぐに荷物を持って戻ってきた。

 田上さんに案内されて廊下を左に曲がり奥へ進むと、突きあたりに大きく『ゆ』と書かれた暖簾が現れる。くぐった先には左右に木戸があり、片方は『使用可』もう片方は『使用不可』と書かれた札がついていた。


 田上さんのあとについて『使用可』の戸をくぐると、そこは脱衣所らしく藤の籠が置かれていた。ほとんど目と鼻の先にあるガラス戸の向こうには本家と同じ大きなタイル貼りのお風呂がある。


「じゃ、コートとズボン、あと靴下貸して」

「え!?」

「乾かないと思うけど一応干しておくわ。さっさと脱いで」

「いやあのちょっと待ってください。え、脱ぐって今ここで?」


 田上さんの目の前で? と思っていると大きく舌打ちされた。

 怖い。猫のようなつり目がより一層つり上がっている。

 それ以上はなにも言えず、すぐにコートとズボンを脱いで、手にしていた靴下も一緒に渡す。


「いい? 私が出たらすぐに内鍵をかけるのよ。あがったら札を『使用可』に戻して、さっきの部屋にきて扉を三回ノック。わかった?」

「わかりました」


 石鹸入りとおぼしきセルロイドの小箱やタオル類を受け取り、こくこくと小刻みにうなずく。

 そこで田上さんは表情をゆるめた。

 わずかに口元がほころんで、それだけで怖い印象が一気にやわらぐ。


「とにかく頭からしっかりお湯かぶって、ちゃんとあったまってきなさい。話はそれからよ」

「ありがとうございます……」


 村を出るときにはまるで予想していなかった展開だ。でも話を聞いてもらえるとわかってホッとする。

 田上さんは、どうやらとても優しい人のようだった。


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