101.深夜の反省会(前)
何度目かの寝返りをうって、そっと目を開けた。
布団に入ってだいぶ経つと思うけどまったく眠れない。
隣の布団ではキミちゃんが規則正しい寝息を立てている。それを聴きながら今日あったことをぼんやり思い返した。
屋敷に泰明さんのお見合い相手がやってきたことは光の速さで村中に知れ渡っていた。
キミちゃんからは案の定、就寝前にあれこれ尋問を受けてしまったけど……でも泰明さんの個人的な話でもあるからあれこれ話すわけにはいかなくて。
のらくらした回答ばかりしていたら怒って先に寝られてしまった。
キミちゃんには言えないけど、麗花さんは別に泰明さんに想いを寄せているわけじゃない。
でも、彼を夫にしたいという意気込みはしっかりと伝わってきた。
だからこそすべては自分にかかっている……そう思うと胸がどきどきしてくる。
仰向けになって暗闇に慣れた目で天井の木目をじっと見つめる。
明日、なんとしても田上さんに会って話を聞いてもらわないといけない。
それで、麗花さんとちゃんと話をしてもらえるように説得しないといけない。
気が引き締まる思いとともに、緊張と不安も押し寄せてくる。
田上さんはわたしの話を聞いてくれるだろうか。そもそも田上さんにちゃんと会えるだろうか。
そして――麗花さんと田上さんはやり直せるだろうか。
「はぁ…………」
ため息とともに無理やり目を閉じると、目蓋の裏に緩やかに波打つ鳶色の髪がちらついた。あの綺麗な灰緑色の瞳を思い出すと今でもぽーっとしてしまう。
麗花さんは本当に美しい人だった。
上品で優しげでお医者様で、ああいう人こそ泰明さんにぴったりの――いや駄目だ、おかしな考えは捨てよう。
泰明さんにぴったりなのは白絹の髪と紅玉の眼を持つ美姫、加加姫様だ。
姫様こそ誰よりも優しくて無邪気で可愛くて、それに村に豊穣を授けてくれる尊き女神様でもある。
麗花さんよりずっとずっとすごいのだ。全然負けてない。むしろ勝ってる。
うちの姫様が一番だ。
「…………はぁ」
姫様のことを考えると気が重くなってしまう。
明日は姫様に無断で村を出るのだから、彼女が帰ってきたら相当怒られるはず。折檻だってされるかもしれない。
それは仕方がないことだけど――でも屋敷の軒下に吊るされることになったら嫌だなと思う。
痛いとか苦しいとか、そんなことはどうでもよくて、ただただ屋敷に来た人に見られることがつらい。ものすごく恥ずかしい。
そういえば泰明さんも小さい頃はよく吊るされたと言っていた。
ふと、かつての表情に乏しい綺麗な少年がなぜか狐姿の九摩留と並んで吊るされているところを想像してしまい、笑みがこぼれた。
「はぁ…………」
笑いが引っ込むと急にむなしくなる。
泰明さんはもう帰ってきただろうか。それともまだ麗花さんと話をしているのか……。
二人でどんな話をしてるのか気になって仕方がない。年は同じだろうし大学も同じだし、きっと話題に事欠かないはず。
昼間、楽しげに会話する二人の姿を思い出してしまって胸が苦しい。
気を紛らわすべく寝返りをうってキミちゃんの安らかな横顔を見つめた。
そのままじーっと見ていると、彼女はなにか感じたのか小さくうめいてこちらに背中を向けてしまった。なんだか申し訳ない。
「……謝らないとなぁ……」
キミちゃんとは反対側を向いて小さく声に出す。
薄闇の襖に浮かぶのは夕食時の泰明さんの目。
怒ってはいたけど、それ以上に捨てられた子犬のような――寂しげで哀しい目をしていた。
泰明さんはわたしのためを思って言ってくれたのに、つい反発してしまった。
そもそもせっかくのお誘いを断っておきながら別の人のお誘い――もといお願いを受けるのだから、彼が怒るのは当然だ。わたしはもっときちんと謝らなければいけなかったのに。
養父母が亡くなってからどうも感情的になりやすくなっている気がする。
世話役にはあってはならないことだ。
「……世話役は誰に対しても公平公正、中立平等でなければならない。よって世話役に自我はいらない」
お父さんから毎日のように言われていたことを思い出し、つぶやく。
「己を消せ、感情を殺せ。誰にも共感することなく、肩入れすることなく、しかし相手への理解は怠るな。相手の声を正しくよく聞き、その目、表情、呼吸、手足。それらをつぶさに観察し言葉の裏にある言葉をも聴け……」
それは世話役の心得のようなもの。
世話役は人と魔性、そして時には人と人のあいだも取り持つ存在だ。よっていついかなるときも冷静沈着であることを求められる。
わたしは拝み屋の仕事をしていないけど、それでもこの心構えはしっかりと教わった。
つらい訓練もたくさんした。
でも結局は身につかなかったわけで。
ただこれに関してはお父さんも早々にあきらめていたようで、せめて怒りだけは絶対に制御できるようにと言われてきた。
もともと怒りっぽいほうではないから、それだけはできるようになったと思っていたのだけど……泰明さんの言葉を噛みしめるほどにもやもやが広がってしまう。
「なにもあんなふうに言わなくたって……」
過保護すぎる言葉に、問答無用の口ぶりに嫌だと思ってしまったのは事実なわけで。
言ってくれていることは正しくても、せめてもうちょっと言い方があるのではと思ってしまう。
でも、悪いのは泰明さんじゃない。どう考えてもわたしだ。それにわたしだって言い方がよくなかった。
おまけに葉月ちゃんの依頼がなかったら世話役の責任も放棄しているところだった。そういうところまで気が回らないのがまた情けない。
世話役失格だし、人としても最低だ。
もうダメだ。なにもかもダメすぎる。ダメすぎてダメだ。
喉元が詰まって目の奥がつんと痛くなる。慌てて枕に顔を押しつけて浅く呼吸を繰り返した。
しばらくの間そうして泣くのをこらえると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
眠気は相変わらずやってこない。ずっと起きているせいか少しだけお腹も空いてきた。
葉月ちゃんからは夜食用にお手製のクッキーをもらっていたけど、キミちゃんが早々に寝てしまったこともあって手つかずだった。
「お勝手行こうかな」
さすがに真っ暗な部屋のなか、キミちゃんが寝ている横でクッキーをかじるのは気が引ける。
のそりと身体を起こして布団にかけてある綿入れ半纏を羽織り、わたしはそっと奥座敷を出た。
もう夜も遅いためか、家の中は静まり返っていた。
綿入れ半纏の前を掻き寄せながら暗く冷たい廊下をつま先立ちで歩き、いくつか角を曲がってお勝手を目指す。
最後の角を曲がると閉じられた板戸から明かりが漏れているのが見えた。
こんな時間でも起きていたのはわたしだけじゃないらしくて、なんとなくホッとする。
驚かせないようにそっと戸を叩くと中から小さな返事が聞こえた。
「失礼しま……」
そこにいた人物に、思わず声が途切れる。
中央にある作業台に向かって座っていたのは泰明さんだった。彼もこちらを見て驚いたように目を丸くし、ぱっと視線を外される。
どことなく気まずそうだった。
「……おかえりなさい。医院じゃなくてこちらに帰られたんですね」
泰明さんは今現在、院長先生のもとで暮らしている。わたしが本家に滞在している間は夕食を食べに戻ってくるけど、寝泊まりは相変わらず医院のほうだった。
「うん、ちょっと用があって……。あかりこそ、こんな時間にどうしたの?」
「えっと、ちょっとお腹が空いてしまって……」
なるべく自然にしようと思うけど、少しだけ声が硬くなってしまう。それは泰明さんも同じだった。
そばに近寄ると彼はすぐに立ち上がり、コンロが並んでいるほうに行ってしまう。
避けられている……のかもしれない。
「お湯、さっき沸かしたばかりだから。なにか飲む?」
「……それじゃあ、泰明さんと同じものをお願いします」
作業台の上の湯呑を見て、それから意を決してもう一度彼に近づく。
怒らせてしまったこと、傷つけたことを謝って仲直りしたい。またいつものように話がしたい。
許してもらえなかったら、許してもらえるまで謝ろう。
「泰明さ――」
「前をっ」
青年の横に立つと、彼は明後日のほうに顔を向けて数歩下がった。
距離を取ろうとする姿にちょっと泣きたくなる。
「ごめんなさい……。わたし、本当に」
「待ってその前に半纏、前閉じて!」
「え……こうですか?」
廊下を歩いていた時のように衿を重ねてみせると、泰明さんがこちらをちらっと見てゆっくり息を吐く。
「ごめん、ありがとう。ちょっと刺激が強かったから……」
「はぁ……」
「あかり、浴衣じゃなくて襦袢派なんだね」
「っあ!? あ、こ、この寝間着は姫様からの贈り物でして! それに冬以外は浴衣ですからッ」
泰明さんの言わんとすることがわかって顔が熱くなった。
寝間着はみんな浴衣なのに、女郎さんのように緋の長襦袢を寝間着にしていたら――それは眉もひそめたくなるかもしれない。
わたしも小さい頃からずっと浴衣だったけど、でも十代の終わりに姫様からこの緋襦袢を寝間着にと贈られて以来、冬だけはこれを着ていた。
自分でもすごくあだっぽい恰好だと思う。
実際、お父さんからはすごく顔をしかめられた。本家ではじめてこの寝間着でいたときもキミちゃんからは堅気に見えないと言われている。
でも襦袢の生地は絹だからしっとりすべすべで気持ちがよくて、それに綿よりずっと暖かい。一度冬に着てしまうとどうしても手放せなくなってしまうのだった。
「びっくりさせてすみません。明日から浴衣に――」
「僕はちっともおかしいと思わないしずっとそれでいいと思うよ。すごく素敵でお似合いです」
途中で慌てたような声でさえぎられて苦笑する。
また気を遣わせてしまった。そう思ったのが顔に出たのか、泰明さんが勢いよく顔を横に振る。
「いや嘘じゃなくて本当だから。明日からもちゃんとそのままでいて。なんなら春夏秋冬ずっとそのままでいて」
「わ、わかりました」
なんだか必死な様子にうなずくしかない。
高潔そうな印象のある泰明さんだけど、もしかしてこういう格好の女性が好きなのだろうか。ちょっと意外だ。
「あ。ここだけの話なんですけどね、それこそ姫様は一年通して薄紅や真紅の襦袢を寝間着にしてるんですよ。とっても可憐で妖艶な感じもして、それはもう素敵なんです。よかったですね、泰明さん」
「よかった……? あ、そこ座ってて」
青年は首をひねりながら棚から茶色の瓶を出す。言われるまま近くの腰掛けに座るとすぐに作業台の上にティーカップと鈴カステラが並んだ。
泰明さんも遠くに置いてあった湯呑を持ってわたしの隣に腰かける。
彼のほうから隣に来てくれた――ただそれだけのことで気持ちが一気に上向きになるのがわかった。
「泰明さんもいかがですか? これ、葉月ちゃんのお手製なんです。紅茶の葉っぱが入っているそうですよ」
鈴カステラのお皿に持ってきた包みの中身を出すと青年がさっそく一枚をつまんだ。
今度はちゃんとわたしの顔を見て、穏やかな笑みを浮かべてくれる。
「ありがとう。いただきます」
口に放りこんで頬を動かす様を見つめながら、わたしはティーカップを口元に持っていく。
中身は澄んだ金茶色で、白い湯気から華やかな洋酒の香りがした。多分、ウイスキーのお湯割りだろう。
一口含んで、そのアルコールの強さに一瞬息が詰まった。
なんとかむせずに飲み込むと喉からカッと熱が広がる。
「なかなか……濃いのを飲まれるんですね」
「あ、ごめん……つい僕のと同じに作っちゃった。半分捨ててお湯足そうか」
「いえっこれで大丈夫です。もったいないですし、それにここに来るまでちょっと冷えちゃいましたから。ちょうどよかったです」
伸びてきた手をかわしてもう一口、慎重にお湯割りを飲む。それからクッキーを半分かじった。
言ったことは嘘じゃない。すぐに身体の内側からぽかぽかふわふわしてきて気持ちがいいし、かじかんだつま先にもじんわり熱が広がっていく。
それに濃い目のお湯割りと葉月ちゃんの紅茶のクッキーがすごく合う。砂糖たっぷりの鈴カステラにもとっても合う。
甘くていろんな香りがして温かで、冷えきっていた身体も心もゆっくり溶けていくようだった。




