9.山菜づくし
「ただいまー」
「おかえり九摩留! って……わ、すみません泰明さん!」
ただいまの声に振り返るも、そこにいたのは少年ではなく青年だった。
「ごめんなさい、間違えてしまいました。でも、あの、ただいまって……」
「うん、さっそく言ってみたくて。だから……おかえりって言ってほしいな」
台所に来た彼は笑みを浮かべながらじっとこちらを見つめてくる。
なんだろう、なんとなく目が笑っていないような気がするのだけど。
「あっ、えと、おか」
「戻ったー」
「九摩留!」
泰明さんの背後で少年がようやく姿を現し、思わず大きな声が出てしまう。
と同時にほっと胸をなでおろした。いつも屋敷にいるはずの時間になっても帰ってこず、もしかして怒って山に帰ってしまったのかと思ったのだ。
「おかえり、遅かったね。ほら見て、今夜は九摩留が採ってきてくれた山菜でたくさんごはん作ったのよ」
山菜はもう少ししてからが本番で、この時期に採れるものはほとんどない。
それなのにわたしが先日何気なく言ったことを覚えてくれていて、なんとか食べさせてあげようとあちこち探してくれたのだろう。だから感慨深さもひとしおだった。
九摩留は屋敷の下男という立場だけど、自分からすすんでなにかをしてくれたことはまだなかった。だから、今日の出来事が嬉しくて仕方ない。
彼が帰ってきたらうんと褒めなきゃと思って待っていたのだ。
少年も台所にやってくると、つまらなそうな表情でお勝手の板間に並べた料理を見渡した。
「……ふーん。いろいろ大変だったろ」
「ううん、そんなことないよ。わたし山菜好きだから大変とは思わないもの。それに泥や枯葉もできるだけ落としてくれてたから手間もそんなにかからなかったし。丁寧に採ってきてくれたのね」
「ん……まあな。おじいからいつも言われてたし」
「そっか。どうもありがとう九摩留。山菜って冬はほとんど取れないし、だから新鮮なものを食べれるのはまだ先だと思ってたの。すごく嬉しい」
「おお、そんならまあ、よかった」
ちょっとずつ彼の機嫌がよくなるのがわかって安心する。
「というわけで泰明さん。今日は山菜づくしです。もうすぐできるのであちらで姫様のお相手をお願いします」
手で示すと、すでに囲炉裏で晩酌をしていた加加姫様が鷹揚にうなずいた。
寒がりゆえに普通の褞袍の数倍綿を入れたものを着ていて、屋内でももこもこの膨ら雀状態だ。
「おかえり泰明。それに九摩留も。寒かったであろう、こちらで火に当たるがよい」
「……山菜づくしのわけ、あとで詳しく教えてね」
泰明さんが耳元でささやくとマフラーを取りながら少女のもとへ向かった。九摩留もそれに続く。
わたしは急いで料理を再開した。
「お待たせしました! さ、いただきましょうか」
みんなに手伝ってもらって料理を載せた長盆を運び、囲炉裏の四面にそれぞれ腰を落ち着ける。
わたしは台所側の一面、カカ座に。わたしから見て右側の主が座る横座には姫様、左側の下座である木尻には九摩留が。そしてわたしの正面の客座には泰明さんといった具合だ。
屋敷は一部屋がそこそこ広いので屋内とはいえ吐く息が白い。夕食時には全員が褞袍や綿入れ半纏を着込んでいた。
食事も、本来なら箱膳を正面に据えて食べるのだけど、冬の間は少しでも火のそばに寄れるように囲炉裏の炉縁に料理を並べている。
今夜の献立は芹と野蒜の天ぷら、野蒜の酢味噌和え、三つ葉と葉ワサビのお浸し、蕗味噌。そして鴨肉と大根や人参、ゴボウもたっぷり入れた芹鍋だ。そこに炊きたて白米がつく。
ちなみにお浸しと蕗味噌は一足先に姫様の晩酌のお供になっている。
「「「「いただきます!」」」」
声をそろえて手をそろえてみんなで唱和すると、めいめい喋り出しながら箸に手を伸ばす。
小さいころは食事中の会話は厳禁で、ピリッとした緊張感の中背筋を伸ばして食べたものだったけど、養父母が亡くなる数年前から冬以外はちゃぶ台を出して肩を並べて座るようになり、会話も自然とするようになっていった。
そのおかげか昔のように囲炉裏を囲んでもくつろいだ空気の中で会話しながらの食事ができるようになった。
家族は減ってしまったけど、泰明さんが加わってくれて今もあたたかで楽しい食事を続けられている。
わたしが今日の出来事――九摩留が自分から山菜採りに行ってくれた話をすると、泰明さんも少し驚いたようだった。ちなみに九摩留に抱きつかれたことや彼が山菜を庭にぶちまけたことは省いている。
「うむ。この蕗の香りとほろ苦さがたまらんのう。一足早く春が味わえるとはありがたいことよ」
「ん~芹と鴨ってすごく合う。芹の歯ごたえがシャッキシャキだし香りも強くてすごくおいしい。採れたてはやっぱり違うわぁ。これも九摩留のおかげね」
わたしと姫様は打ち合わせ通り九摩留を全力で褒めまくる。泰明さんもなにか感じ取ったのか加勢してくれた。
「すごいね九摩留。この時期にこれだけたくさん採ってこれるなんて名人だな」
「フン、まあな! 人間が入れないような良い場所たくさん知ってるしな。あ、一か所で根こそぎとるんじゃなくて、ちゃんとあちこちからちょっとずつ採ってきたんだぜ。泥だってすんげー冷たい小川でじゃぶじゃぶ洗ってさ、おかげで手がかじかんでろくに動かなかったんだぜ」
「そこまでやってくれるなんて本当に立派だわ。料理するのも楽だったし、うんと助かっちゃった」
「へへっ、そうだろー。今度は早朝から行っていろんなのをたっくさん採ってきてやるからな」
天ぷらを載せたごはんに天つゆをかけてかきこむ九摩留に、姫様が赤い眼を細めた。
「おお、それは楽しみだのう。わしは蕗の薹、タラの芽、こごみ、ウドをたっぷり食いたいのう。あ、花ワサビも外せないな」
「いいですね。僕はイタドリ、こしあぶら、みずも好きです」
「おおよ任せとけ! 全部大量に採ってきてやるぜ!」
しれっと注文をつける二人に九摩留は胸を張って応じる。
どうやら完全に機嫌が直ったらしい。それになんだかやる気も出ているようだし、ぜひその調子で屋敷の仕事を頑張ってほしいところだ。
「だからさーあかりー。なんかご褒美おくれよー」
「え?」
上半身をこちらにぐっと寄せて九摩留が目をきらきら輝かせる。
瞬間、他の二人から「「は?」」と声が上がった。
「いや別にお駄賃くれとかじゃねえよ。本当に大したことじゃなくて、あかりからぎゅーってしてくれたらそれでいいし。今は」
「えーと」
二対の目がわたしをじっと凝視している。
姫様はともかく、泰明さんまで彼女とまったく同じ目をしているのが怖い。
「どうしましょうねぇ……」
へらりと笑いつつどう返したものか二人に振ると、少女と青年は視線を交わしてからそろってわたしに笑みを向けてきた。
「どうするかはあかりが決めることだ」
「ええ。僕たちが口を出すことではありませんね。さて、あかりはどうするのかな?」
取ってつけたような笑顔で、でも発せられる空気は非常に不穏でめちゃくちゃ怖い。
……とはいえ、九摩留は初めて自発的に働いてくれたわけで、なにかしらのご褒美はあげたい気持ちだった。
わたしとしては弟に抱きつくくらいなんでもないのだけど、男女の距離感云々を教えている今、それはちょっと難しい。
どうしよう。
「………………姫様、九摩留の変化を解いてください」
「はぁ!?」
「よしきた」
パン! と柏手一つ。人間の男の子が狐の姿に変わる。
「はい、ぎゅーっ」
お座りしている狐にぎゅっと抱きついて、その頭から背中を優しく撫でる。
わたしの肩口に乗った鼻がフンスと不満げに鳴るけど、何度か撫でているとしっぽが少しだけ揺れ動いた。
身体を離すと姫様が再び柏手を打つ。
少年姿に転じた九摩留は眉間にしわを寄せつつも口の端をわずかに上げていた。
「しゃーねぇな。ま、今ので勘弁してやるよ。あかりは恥ずかしがり屋だからな。次はちゃんと人の姿で、寝床でぎゅーってしてくれよな」
「「次はない」」
姫様と泰明さんが声をそろえて少年を睨みつける。
九摩留は二人を気にすることなく、芹鍋のおかわりをわたしに要求するのだった。
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