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タイミング  作者: ANZIN
4/5

④転2

 6月に入るころには地元で仕事をする割合が増えてきた。

 オープンから約1ヵ月。その日も新店には備品を届けただけで帰宅。明日は休み。

 晩ご飯を食べ終え、いつものように部屋のベッドでくつろいでいるとDから突然の電話。

 そろそろ寝ようと思っていたYに対し、Dは実に重たい口調で切り出した。


「明日、カオリさんとボーリングして遊ぶことにしたんですけど……」


 カオリをひと目見たときから好意を持ったこと、そしてカオリから聞いたこれまでをつらつら語り続けたあげく、明日告白すると宣言。

 事態の急展開にもかかわらず、やはりYの感情は特に変わらなかった。


「おー、ついにカミングアウトしちゃうのか」


 冷静に受け止めては「ボーリングはガーターしたとしても、告白だけはストライクを決めないと」と、ベタなギャグまで添えて応援。

 電話を切ってまもなくカオリから着信。1時間後には例のファミレスにて、最新報告会が幕を開けた。


 目の前のテーブルにはお決まりとなったドリンクA、プラスチックの筒D、灰皿Cの3点セット。嵐の前を察した女の勘か。

 カオリはいつもと変わらない表情で、


「明日、△△くん(Dの名前)と遊ぶことになったんだけど」


 Yは初めて聞いたとばかり驚く。これまでどおり話を聞くだけでいいと思っていた。

 ただしカオリはYの予想を上回る言葉をつけ足す。


「ずっと考えてたけど、Cは私のこと興味ないようだし……もう、あきらめようかなって」


 ファミレスで会う際にはかならず並べられていたもの。

 そのひとつ、Cとしていた灰皿をカオリは元にあった隅に戻す。もともと煙草を吸わないカオリの何てことない行為が、Yにはとても新鮮に映った。

 カオリの前にはまだ飲みはじめたばかりのドリンクと、伝票が入ったプラスチックの筒。

 残るは2人。

 愛おしそうな視線を交互に送りながら、だんだんと笑みがなくなってゆく。うつむいてからしばらくして、たどたどしい言葉が漏れだす。

 Dには自分への想いを感じることができた。2人で出かけたときは確実に伝わってきた。


「会話の中の、端々から……んー、何ていったらいいんだろう」


 表現できないもどかしさから、いったん口をつぐむ。

 話しているうち、いつのまにか手にしていたプラスチックの筒。円の底を縁取るようにテーブル上で転がし、手を止めをくり返し、我に返ると今度は自分のドリンクを見つめる。表情には微笑みの余韻。

 正直まだ迷っているけれど、明日には結論を出したい。

 何よりもうひとりのほう、Aが引っかかってしかたない。私のことをどう思っているのか、いまだわからずにいる。

 「A」と見立てていたコップを少しだけ傾け、ストローで中の液体を吸う。半分ほど飲んでから浮いている氷を音を立ててかき混ぜる。

 そうしているうち、完全に笑みが消えた。

 フーッと息を吐くと、まだ飲み途中のドリンクを前に出し、プラスチックの筒と距離を均等にした。

 それぞれに手を添え「明日、もし、告白されたとしたら……」というと、プラスチックの筒をスルスルと手元へ引き寄せた。


「私は想いに、応えようって思う」


 その瞬間、Yは生まれて初めて“雷に打たれる感覚”を味わった。これまでずっと聞くいっぽうだったため、口をわずかに開くのが精一杯。

 いざ言葉にしようともできなかった。

 Yはカオリとずっと楽しく会話ができればいいとしか思っていなかった。次に会ったとき、確実に何かが変わってしまうと直感。

 開いたままの口からは、たったひとことすらいえずじまい。

 冷静さを残していた脳の片隅では唯一“しまった……”という言葉がぼんやりと、こだまのように響き続けていたという。


 翌日。

 カオリに何と声をかけて別れたか記憶になく、家に帰ってからも悶々とした気持ちを朝まで抱え、いつのまにか眠りに落ちていたY。

 休みだったことで、気づけば昼過ぎまで寝過ごしてしまっていた。

 昨夜、突如として溢れ出した気持ちが辿り着いた結論。Yは“もしかして……”という望みに賭けることだった。

 部屋に転がっていた携帯電話を手にすると、彼女に連絡。今すぐ会って話したいと予定を聞くも、今日は仕事が立て込んでいて難しいとのこと。

 Yの性急さを察したらしく、


「じゃあ、私の家で待ってる?」


 断るすべなくYは急いで身支度をすると、ワンボックスに乗り込んだ。

 向かった先は川崎北部、高校からほど近い彼女の実家。通い詰めのような一時期に比べると、最近行ったのはいつだったかと考えてしまうくらい久しぶりだった。

 彼女は高校の同級生。

 最初は学食で会い、どちらからともなく気軽に言葉をかける程度。2年生で同じクラスになり、すっかり仲よくなったものの3年で別クラス。そのときに告白され、交際がはじまった。

 以来5年以上。

 典型的バカップルから倦怠期までを過ごしてきた。口げんかをし、ようやく仲直りできそうだと思ったら、ちょっとした言葉の食い違いからさらに大げんかになってしまったこともある。

 山梨までドライブ、いちご狩り。

 サプライズの誕生日プレゼントは横浜ランドマークタワーの展望台にて。

 クリスマスには泊まりがけの温泉旅行。思い出はたくさんある。

 当時行き来した駅前の通学路を走らせながら思いを馳せるY。

 ただ最近はお互い仕事づくめの生活。残業や仕事仲間といる時間ばかり増えた。忙しさにかまけ、彼女と会うのは月に数度というおざなりな関係。

 心のどこかでまだ迷いが拭えなかったけれど、何しろ昨夜の衝撃が凄まじかった。

 いくら考えても気持ちは変わらない。

 けれど長い交際により、彼女の家族には存分に顔が知られた存在。いずれ親しい間柄になるかもしれないという快い出迎えとともに、しばし雑談。

 すると彼女から帰宅時間が遅れると連絡が入り、待ちながら食事をすることに。何の偶然か、両親そろって在宅。

 母親は急な予定変更に文句をつけたかと思えば顔をほころばせ、腕によりをかけなくちゃねとはしゃぐ。後ろ姿に父がちゃっかりビールを頼む。

 お酌していると弟が帰宅。大学生の弟はYと同じ背格好のため、Yの着なくなった服をいくつか譲っている仲。顔をあわせるとやはり話は尽きない。 


 まるで本当の家族にも思える食卓が終わろうというころ、ようやく彼女が帰宅。タイトスカートにかまわずドタドタ響かせる足音に母が注意。本気の口論となり、しかたなくYが止めに入る。横目には赤ら顔でうたた寝をしている父親。

 急いで食事するのを見届けてから、2階の部屋へ。


「久しぶりだねー、ここにくるの」


 食卓でさんざん話題に出た時事ネタを含め、Yの口を挟む余地なく話が止まらない。ここ最近のできごとから今日の仕事の不満まで、話題は満載。Yが話を切り出せたのは、夜7時を回ったときだった。

 いくら弁解したところでしかたないとして、Yはストレートに、


「オレたち……別れよう」


 笑みまで見せた「いきなり何いってるの」にはじまり、冗談でないと気づいてからはだんだんと口調が刺々しくなる。


「どうして?」

「何か怒らせることでもした?」


 しまいには「ウソだよね」のリピート。彼女の顔はすっかり紅潮。

 とにかく考え直すよう訴える彼女に、Yは何度も視線を逸らせるも、気持ちの不変さを示そうと顔だけは下げないよう必死で耐えた。

 彼女は部屋を落ち着きなく動き回る間、思いつくかぎりの質問攻め。Yが何と答えてもそれなら別れる必要性がないとさらに問い詰める。

 平行線をたどり続けたあげく、核心をついたひとこと。


「もしかして、好きな人……できた?」


 彼女をできるかぎり傷つけないようYは首をふる。一昨日までまったく自覚がなかったため、自然に反応できた。

 ついに彼女はYから視線を外し、弱々しくベッドに突っ伏す。


「本当に、ゴメン……」


 いつのまにか膝が崩れ落ちていたY。

 すすり泣きが耳に痛いほど届く中、思った以上に力をふりしぼって立ち上がると部屋を後にした。

 ふだんどおりに見えるだろう顔色を作って階段を下り、直線の廊下を進む。

 リビングを横切ったとき、奥で食器を洗っている母親が待っていたかのようにこちらを向く。

 Yが帰る旨を告げるとともに、母親は遅くまで長居させたことを詫びる。

 会釈してから玄関までの数歩あまり。

 彼女とのこれまでが走馬灯のように一気に頭を駆け巡り、靴を履くときに思わず涙が頬を伝った。

 胸の締めつけを精一杯ふりきり、家の敷地に停めていた車に飛び乗る。

 向かう先はただひとつ。

 けれど予定が大幅に狂ってしまった今、Dとカオリの前に単身姿を見せるのはかなり不自然。

 Yはとっさにひらめく。

 「急だけど、今から遊ぼう」といってみんなを誘い、2人を巻き込む。単なる思いつきにしてはなかなかの名案だとほくそ笑む。

 片手はハンドル、もう片ほうをデニムのポケットに突っ込んだとき。

 携帯電話が入っていない。瞬時に彼女の家のリビングに置き忘れたと気づく。

 まだ引き返すこともできた。

 ただ、いったいどんな顔をして取りに行けばいいかわからなかった。

 家の誰かに「すいません、携帯電話を忘れちゃって」と、そらぞらしくいえる心境ではない。しかも弟が姉の異変に気づこうものなら、携帯電話を手にできたとして何ごともなく家を出られる気がしない……一転して心に暗い影を落とす中、アクセルだけは強く踏み込んだ。


 Yは新店に車を横づけ。「どうしても借りたい新作が、地元で全部レンタル中だった」とうそぶいてはスタッフ協力のもと家が近い順に呼び出し、人数を集めにかかった。

 店に来た者をさっそく車に乗せ、向かう途中で拾うなどしてボーリング場へ急行。

 返事を渋っていたDと違い、カオリはすんなり参加表明。そのためDも急遽、現地集合したと口裏あわせ。

 夜10時過ぎ。

 明らかにソワソワしているDに対し、カオリは無邪気な笑顔ですぐに周りの空気に溶け込んだ。いろいろな感情が渦巻く中、恒例のボーリング大会が幕を開けた。

 レーンを彩るカラフルなボール。

 スコアを見ながら誰かが、


「ビリの人は、トップの人の飲みもの代を払うってどう?」

「上位3人分でもいいんじゃない?」

「今スプリットになったからいったでしょ。絶対ヤダ!」


 ゲームが熱を帯びる中、Yは理想の展開に向けて密かに頭を巡らせていた。

 ボーリング場に向かう時点で、みんなにはすでに事情を話していた。自身の想いは伏せつつ、Dとカオリは噂どおり微妙な段階だから、今日はそっとしておこうと提案。

 それが功を奏し、毎度の流れである二次会は誰も声を上げず。唯一足のあるYによって、カオリ以外を意図的に送迎。念願の2人きりになれたときにはすでに日付が変わっていた。


 これまで和やかでしかなかった空気が、まったく違っていた。Yにとっては初めてとなる告白。意識すればするほど変に緊張。

 何でもない世間話が、ありえないぎこちなさ。次第にカオリも言葉少なに。会話じたい噛みあわなくなったあげく、重い沈黙の時間に突入。

 コンビニに立ち寄ってはなお数時間、車を走らせ続けた。

 何度目かの多摩川沿いにさしかかったとき、脇道のすぐ近くで車を停める。Yに従いカオリもすんなり降り、2人連れ立って川に向かう。

 土手に上がり、見渡す景色は暗がりながらも広々とした視界にようやくYは気持ちが落ち着く。

 カオリの手を引いて先導。

 砂利道を歩いていると、グラウンドとして整備された場所の脇から川辺へ出られそうだと気づき、行ってみることにした。

 まもなく一面川を見渡せる場所に到着。ぼんやりと白く浮かぶコンクリートの岸辺が奥まで続いていた。

 Yはついに決心し、ゆっくり腰を下ろした。


 露出する二の腕に若干肌寒く感じる風。

 真っ暗な川面のどこからか、魚の跳ねる音。まったく会話のない中、2人は肩を触れあわせていた。

 一面漆黒だった空も、いつのまにか地平線上で色が薄まっている。遠くに架かる橋では車内を煌々と灯す始発電車が、ガタゴトと重たげな音を立てて走っているのが見えた。

 流れゆく時間の限界を知ったYが、すわってから初めて口を開く。


「いつからかはわからないけど……」


 対岸の景色をぼんやり見ながら、言葉をつなげる。


「カオリのこと、好きになってたみたいなんだ」


 カオリは膝を抱え込んでうつむいたまま。

 Yの言葉が耳に届いているはずなのに、何ひとつ反応を示さなかった。

 Yとしてはもっと多くの言葉で気持ちを伝えたかった。けれどあまりに疲弊した頭では思うように表現できなかったのと、短く伝えることで返事もすぐに聞けると考え直していた。

 ひとつひとつの単語に想いを込めた、初めての告白。


「だから、もしよかったら……」


 わずかに息を吐いてから、傍らに顔を向け、


「つきあってほしい」


 いい終えたとたん、全身の力がスーッと抜けてゆくのがわかった。やるべきことをすべてやりきった達成感。

 止んでいた風が再び緩やかに吹き、うつむくカオリの髪をなびかせる。Yは心の奥底からとてつもない喜びが満たしはじめる。

 想いに気づいてから丸一日。

 ところどころハプニングに見舞われたものの、胸を張れる告白。カオリが隣にいるのは何より想いを受け止めてくれるからだとすっかり信じきっていた。


 しばらくしてカオリが顔を上げたとき、頬が涙でぐしょぐしょになっているのにYは驚いた。

 何度も鼻をすすっていたのはそのせいだったと気づく。

 今まで見たことのない哀しげな表情。

 カオリは泣き腫らして赤くなった目を隠すことなくYに向け、


「どうして今、いうの……?」


 まさしくカオリはこの言葉をAから待っていた。

 ただほんの少し前、正確には昨夜。カオリはDに想いを伝え、つきあうことを決めたばかりだった。


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