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タイミング  作者: ANZIN
3/5

③転1

 5月上旬、ゴールデンウィーク明け。

 父親が使わなくなって定着した車出勤。会社からはガソリン代を支給、専用駐車場まで与えられた社員待遇。かわりにシフトに穴があけば、休日でも駆けつけるのが当然のようになった。

 多くの古参連中が辞め、早くも店の生き字引的存在。社員を含むスタッフすべての人間関係を埋める役回りまでついてくる始末。

 とはいえ社員になる気は毛頭なく、今すぐ辞めてどこか新しい職に就こうとも思わず。以前と明らかに違う仕事、しかもどんどんつまらなく感じる毎日に追われ、半分やけくそ気味に動き回っていたY。


 あいさつもそこそこに、カウンターの隙間を通過。奥が見えないよう吊り下げてある色褪せた(のぼり)を潜る。

 二畳ほどの仕切られた場所でさっそく一服。数分の遅刻は前の店長から譲り受けた鍵を使い、こっそり定時に戻してタイムカードを打刻。

 店名のロゴが入ったウインドブレーカーを羽織り、壁にピン止めされたシフト表を眺める。

 ただでさえ狭い中に置かれた丸テーブルは、食べかけの菓子や煙草の箱、派手なブレスレットなどで散らかっている。仕事中でとりあえず置いたのと、いつからかずっと放置されたものが混在。

 それらで埋もれた新作リリース一覧や業務連絡ノートに目を通す。天井から漏れ聞こえる店内BGMをハミングするころには煙草をもみ消し、いざカウンターへ。

 カウンター真後ろにそびえる棚の埋まり具合からまずは返却作業。レジ下の段ボールを片っ端から開いて新作出しの準備。

 ひととおりすませると、3台並ぶレジから1万円札を抜き、金庫内の棒金ストックと照らしあわせて銀行へ両替。その後、見計らったように向かいの事務所に顔を出す。

 その日は出張を命じられた。

 オープンが決まった店は、これまで市内に留まっていた系列店舗の中でも群を抜いて遠い多摩川の向こう。新店舗の在庫状況を確認してほしいとのこと。もちろんYの移動手段を見越した上。

 事務所内でウロウロしている若い新入社員を連れて行くことから、一日の本格的な仕事がはじまった。

 春にしては強い日差し。

 フロントガラスはいつになく光を吸収、車内は軽い蒸し風呂状態。即座に冷房をつける。

 暑苦しい上着を後部座席に投げた直後、Yは不快そうに叫ぶ。


「ナベ、窓閉めろって!」


 入社半年足らずで新店の店長に抜擢された渡辺(わたなべ)は、社内でただひとりスーツ姿。

 Yに殺気立った視線を向けられると、その巨体とは裏腹に「すっ、すいません」と、すでにこめかみから滝のように汗を流す中、急いで窓を閉めた。


 開店前の店を見る初めてのワクワク感も、中に入った瞬間に消え失せた。

 低コストで店を出すための常套手段、同業種の居抜き物件。商品は他店から少しずつ補充してやりくり。

 ヘルメット姿の作業員らがやっていた新たな棚の据えつけを手伝う。レイアウトができていても、実際に商品を置いてから変更することはよくある。微調整できる余裕を残しながら棚を埋めてゆくも、数万本の陳列は長時間に及ぶ。

 週末に迫る開店に向け、傍らではスタッフの面接も行われていた。

 学生や若いフリーターを中心に、総勢15名ほど採用。そのひとりがカオリだった。


 翌日からYの仕事のほとんどが新店舗で費やされるようになった。

 入れ替わりで訪れる幹部社員と施工業者による徹夜の作業にも連日加わり、オープン。

 初日は昼出勤を早朝に前倒し、深夜近くまでフル稼働。予想以上の荒れよう、途絶えない客足に心が折れかける。

 活気づく店内ではイレギュラーの配線工事。壁に穴を開けるドリル音が響く中、Yが誰より板についた軽快な動きであたふたするスタッフをフォロー。

 基本的なカウンター業務は貸出と返却受け取り。

 新規入会申込による会員カード発行、利用規約案内などの細かい流れは一緒に動いて教える。

 新作が入荷すると、ケースと中身にセットのバーコードを貼って商品加工。終わり次第、店の顔である新入荷コーナーに面陳置き。それまで並べていた商品はスライドして本差し、準新作や旧作に落とす。その都度シールの貼り替えとデータ変更。

 棚が広く、日をまたいで作業できる一般作に対し、シリーズ作品やAVは一度に入荷する量も多く、すべてをまとめてやらなければならない。

 悪夢のような数日を乗り越え、落ち着きを見せたオープン一週間後。社員抜きの飲み会に、Yは声をかけられて参加。

 Yだけ新店メンバーではなかったものの、その分早番や中番にかかわらず誘われた。

 さっそく打ち解けると、休みの日に好きなバンドのレアなCDを買いに横浜へ出かけたこともあった。当時はVIVREの1FワンフロアがHMV。近くにレコファンやディスクウェーブもあり、かなり時間をつぶせた。

 開店から2週目には仕事後の飲みや遊びが恒例行事に。そしてYは、カオリからある相談を受けるのだった。


 その日、気のあう早番同士がシフト入りしていたらしく、すぐに飲み会の一報が入った。地元に戻っていたYはすぐにとんぼ返りし、駆けつけた。

 すでに二次会のカラオケで盛り上がる中、空いていた席の真向かいにはカオリを含む女子グループ。カオリに何を飲むか聞かれ、別の女子からはぶ厚い曲目リストを渡され、選曲。

 すぐに順番が来て、間奏のときに届いたビールを一気飲み。遅れた分、負けじとアルコールを入れてゆく。

 Yが場に溶け込むと、またみんながそれぞれ楽しみだす。

 マイク片手に必死で高いキーに挑戦する者、タンバリンやマラカスを使って声援を送る者、隣同士で何やらヒソヒソ耳打ちする者たち。心地よい騒々しさの中、思うまま話を交わすY。

 テーブルいっぱいに広がる食べものをつまんでいると、ちょうど同じように手を伸ばしたカオリが「最近、すごく悩んでることがある」と、突然話しかけてきた。

 冗談としてあしらっていたところ、当のカオリもカオリで本題に入ると見せかけ、その先をいわない。もったいぶった顔つきの中にどことない真面目さがあった。

 悩みというなら場所が場所。声を張ってするべきでもない。少し考えてから、トイレの中座を使い「いったん解散した後、近くのファミレスで話を聞く」と約束。


 派手なアクセサリーや濃いメイクをしない、小柄なカオリ。暗がりの密閉した部屋から一転、明るい店内であらためて容姿を確認するY。

 短い黒髪のおとなしめな外見ではわからない、なかなかの個性の持ち主なのは、すでに仕事を通じて見抜いていた。相談もやはり変わっていて「好きな人が、今3人いる」というものだった。

 1人目は「最初に見たときから気になっている人」。2人目は先日告白され、その時点では何とも思っていなかったものの「だんだんと、興味を持ちはじめた人」。3人目は「私の中で、今一番信頼できる人」。

 わかりやすくしようと、カオリは自分のドリンクが入っているコップを1人目の男「A」とし、そばにあった円筒形の透明プラスチックの伝票入れを2人目「B」、逆サイドに積まれていた未使用の灰皿をひとつ持ってきては3人目の「C」として、テーブルの中央横一線に並べた。

 興味深げにYが見守る中、カオリはそれぞれに対する想いを補足。たとえばBとCは同じ高校だったらしく、仮にどちらかを選んだとしても、双方の友情は壊したくないなど、丁寧に説いていった。

 話を聞くに連れ、酔いも回り、思わず前のめりに聞き入るY。ただそのとき、ふと頭によぎったのが“何でこんなことを、わざわざ俺に聞くんだろう?”だった。

 とりあえずYは、


「3人を好きになったっていうのは、いつから?」

「えーっと、そうだね……」


 カオリは何だかうれしそうに首を傾ける。

 出会いから日々を重ね、だんだんと想いを募らせていっただろう3人を回顧。あちこちわざとらしく首を向けてはYの顔色を伺う。

 しばらくしてから、ありきたりで申し訳ないけどという上目遣いで、


「ここ数日くらい、かな」


 明らかに妙な間だったことで、すぐにYは「短すぎだって!」と言葉を重ねる。

 呆れるYにカオリは満面の笑み。

 子供のように声を高らかに上げたかと思えば、ふと視線を落とし、寂しげな一面も覗かせる。そして偽りない思いを言葉にするときは決まって口ごもる……仕草の一端からおおよその性格をつかもうとするYでも、心の奥に潜む真意までは読み取れなかった。

 そして「ごく周りにいる人」としながら、いっさい名前を出さないのが何ともカオリらしかった。

 悩みというより、最近の身の上話。そのためYもあえて自分から口を挟むことはせず。気づけばあっというまにカラオケを越える時間が流れ、日付をまたいでいた。

 最後にカオリは「とりあえず、告白の返事は置いておくとして」と、わざわざ伝票入れの透明の筒を遠ざけてから灰皿を手前に引き寄せ「Cに、Bのことをいろいろ聞きながら、C自身が私のことをどう思っているか、探ってみる」と、ひとりで結論づけた。

 突如はじまった相談という名の長話も無事終了……と思いきや、カオリは経過報告することで着実に変化してゆく。


 初めて2人きりで話をしてから日を置くことなく、今度は中番グループによる飲み会を経て、再びYはカオリとファミレスで向かいあった。

 前回と同じく、カオリはさっそくAとする自分のドリンクを前へ。次にプラスチックの伝票入れ(=B)と灰皿(=C)を並べ終えると、対面でYがタバコの上に置いていたライターを乱暴にもぎ取り、列に加えた。

 ひと仕事終えたとして、おもむろにカオリは、


「4人になっちゃった」

「何で増えてるんだよ」


 前回と同じく、わかりやすいフリ。

 カオリは「ツッコミ早いよー」と、唇をめいいっぱい左右に広げてカラカラと笑い転げる。けれど口元に当てていた手を下ろしたときには真面目な顔つきになっていた。

 前回の結論を実行しようと、翌日カオリはCと話す機会を伺っていた。どう切り出すか、少しずつ距離を詰めながら。

 けれどBの告白が頭にあり、話を自然に持ってゆけるか自信がなかった。

 そんなとき、4人目の男「D」が現れる。

 Dに対して特別な感情はなかったものの、気軽に話せる仲ではあった。近くのコンビニで偶然鉢あわせしたとき「Cは私のこと、どんな風に思っているのかな」くらいで聞いてみたという。

 DはB、C双方を知り、特にCとはすっかり心を許す仲。そしてたまたま好みのタイプについて話したばかりで「Cは芸能人にたとえると、○○みたいな人が好きらしくて……」と、イメージ的にカオリとは対照的な名を挙げた。

 遠慮がちないいかたにより、つい告白の件も聞いてみると「そもそも、告白されてから好きになるのが自分発信ではない」、さらには受け入れることじたいおかしいとまでバッサリ。

 何げないおしゃべりから、思わず4人目の好きな人ができてしまったわけだ。


 数日して早くも続報が届く。

 その日は仲のいい早番上がり数人による食事に呼ばれ、Yは休みのところを車で駆けつけた。話が弾んでは後から中番も合流。結局いつもの飲み会にまで規模を大きくさせて解散すると、またもカオリと例のファミレスで落ちあった。


「一応、3人になりましたけど」


 ライターを使わないかわりに、BをDにした以外は最初と変わらないラインナップ。ただしカオリは「ひとり減らすのに、どれだけ苦労したか」と、極力笑みを封印しては現在の心境を語りだす。

 Dの意見もあり、Bの告白は丁重に断った(Cへの想いは継続中)……ただ考えてみると、あのときのDの言葉は妙に耳に残ったという。実際、その明瞭さは何より私を想っているからではないか。

 カオリの推察は外れていなかった。

 ほどなく週6勤務のタイトシフト連中による噂で「カオリのことを本気で好きな奴がいるらしい」と、Yの耳に入ってきたからだ。


 また数日経ち、気づけば5月最終週。

 オープンして約3週間目。カオリとはじめて2人で話してからだとまだ10日ほどしか経っていない。Yは依然、相談として聞くスタンスのまま。

 そのうち、名前の伏せられた人物が特定できるようになってきた。

 何しろYは店のスタッフ全員を知っていたし、一部の者とはすでに休みをあわせて何度か出かけていた。友達として密に連絡しあう者もいる。周りで似たような恋愛話はいくつか取り沙汰されていて、カオリに関する情報も少なからず得るようになっていた。

 Bと断定できた者からは、カオリの話を聞いてまもなく「実は、告白したんですけど……フラレました」と涙ながらの報告。店のスタッフの中で、一番イケメンと評判のCに至っては「話が終わってるのに、カオリだけやたら食い下がってきて困る」とボヤいているのを耳にした。

 Aとする者が見当たらない中、頻繁に連絡を取りあいだしたのがDと思しき者だった。

 Dはスタッフの中で最年少。

 Yを含むアクティブな有志の飲みや遊びにも何度か加わっていた。あるときは「カオリさんを彼女にできたら最高」などと、噂どおりの気持ちを隠さずにいい放った。

 さらにカオリと休みが重なった日、2人で買いものに出かけたことも口にした。


 そのとき、Yの気持ちに特別変化はなかった。

 Dが話した2人きりの時間を、Yは会話だけで何倍も過ごしていた。数日前、Dが教えてもらったという携帯電話の番号もすでに登録ずみ。

 現時点での最有力候補がDとして、カオリがまだ迷っている段階では簡単に決着しないと判断。今のまましばらく続くだろうというのが、話を聞き続けるYの堅実な予想だった。

 そもそもYには長年つきあっている彼女がいる。それは仕事中の雑談、あるいは飲み会で聞かれては首を縦にふって答えていたことだった。


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