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タイミング  作者: ANZIN
2/5

②承

 ノストラダムスの大予言に当たる年。

 終末思想を散々煽っていた輩はどこへやら。世の中は一見変化のない波を穏やかにくり返していた。

 音楽業界では一番の大波、15歳でデビューしたばかりの無名の女の子が、前人未到のCDアルバム売上を叩き出していたころ。

 日中の暑さが夏の到来を予感させるいっぽう、夜はわずかにひんやりさを残す6月初旬。

 8月ともいわれる“7の月”を過ぎても人類は決して滅亡せず、秋には23歳の誕生日がやってくる……そんな想像がすぐに頭に描けてしまうほどあまりに淡々と過ごす僕は、川崎駅西口にオープンしたベーカリーの焼成担当として2年目を迎えていた。

 ひとり暮らしは挫折。

 そもそも3つ上の姉が、高校卒業直後から住んでいた家賃6万円1Kアパート。彼と同棲するにあたり、残った契約を引き受けただけ。無計画な浪費がたたり、わずか3カ月で貯金0。更新できず、のこのこ実家へ舞い戻っていた。


 まだまだ陽が落ちない夕方。

 僕は勤務終了を目前に、すみやかな引き継ぎができるよう準備していた。

 すぐにダブつく紙製のコック帽で店内を巡回。追加して焼くパンがないか、陳列状況で確認。焼成室に戻るとシンクを磨き上げ、最後に床掃除。

 早朝から200℃以上の高温で数百個ものパンを焼き続けた業務用巨大3段オーブン。昼を過ぎればときどき使う程度。それでもイートインに面したガラス張りのスペースは、絶えず息苦しくてしかたなかった。

 時給800円のアルバイトを終えて家に帰っても、特にやるべきことはない。

 母が用意したご飯を当たり前のように平らげた後は、自分の部屋にこもってセガサターンに没頭……そんな姿をぼんやり思い浮かべながら、ふと店外の景色に視線を移したとき。遠くで佇むYと偶然目があった。

 Yが来たのは2回目。働きだしてすぐのころ「ホントにここでバイトしてるんだ」という冷やかし以来。

 会うのは1ヵ月ぶり。そろそろまた話をしに行こうと思っていた僕の心を見透かされた気がした。

 話というのはもちろん“恋バナ”。

 2年前の失恋が癒えない中、3つ年下の同僚である大学生に好意を寄せるようになっていた。

 その子は初対面から気遣いなく話せたというかなり珍しい印象の持ち主。

 ある日、隣接するビジネスホテルの受付に立つ男に一目惚れしたと宣言。仕事前に会いに行ってはルンルン目を輝かせる。まもなくそのホテルマンが既婚者とわかると、周りが声をかけるのもためらうほどの落ち込みよう。それでも誕生日プレゼントをあげる口実に真剣アピール。やがて異動が決まった際には人目もはばからず泣きついてきた。

 喜怒哀楽を素直に表現するところにいつしか惹かれていたのだ。

 僕はフォロー側からアタックする側へ、気づかれないよう変化させている真っ最中。日増しに強くなる想い。

 Yからの助言を忠実に実行。めざましい結果は表れずも、新たな展開を感じさせるできごとはいくつか起きていた。

 時間になったとたん手早く着替えをすませ、軽やかに店を出た。


 バスロータリー前の、夕日が照り返す地面。

 あちこちから車の騒音。帰宅ラッシュがはじまる人通りの中、消えたYを探す。 

 いったいどこに行ったのか……と、少し離れた高架下の車列に見覚えある車を発見。Yの家に行く度に目にしていたワンボックスカー。

 助手席のドアを開けた瞬間、車内の適度な空調が気持ちよく体を包む。

 疑問符を投げる僕の視線をかわすようにYはサイドブレーキを解除。すばやく右後方を見ながら、なめらかなハンドルさばきで本線に合流。

 信号待ちになっても真正面を向いたまま、突然Yが、


「これから飲もうか」


 僕は到着後、小一時間ほど話して帰るしか想定していなかったこともあり動揺。


「えっ、いきなりどうしたの。丸一日休みだからってモーニングに行ったら、また何箱も積んじゃったわけ?」


 Yが使いそうな、からかい口調で聞いてみたけれど、ほぼ無表情の横顔で首をふり、


「最近パチンコはやってない。今日は早番に変えて、一応仕事は終わった」

「そうなんだ……で、誰がくるの?」

「まだ誰も呼んでない。今ケータイ持ってないから」

「家に忘れちゃった?」

「まあ……そんな感じだな」


 運転しながらテキパキ答えるY。けれど何てことない最後の質問に、ひどくいい淀んだ。

 当時はまだ携帯電話の依存率が低かったとはいえ、仲間をすぐに呼び集めるための必須アイテム。

 不思議に思う僕と、Yが急に黙り込んでしまったことで、車内に何ともいえない重い空気が立ち込める。

 Yはわずかに首を動かすと、僕の携帯電話で誰かに連絡するよう伝えてきた。「誰か」といっても、すぐに浮かんだ2人は同じだっただろう。

 Yの異変をすでに知りつつ、僕はあえて気が乗らない返事をしてみる。


「呼ぶにしては、ちょっと……早すぎるんじゃないかな」

「Kは朝に仕事終わって、たぶん寝てるだろうけど起こせばいい。Sは声をかけておけば、遅くなっても絶対にくる」

「うん、でもさ……」

「いいだろ! 俺は今飲みたい気分なんだよッ!」


 突然の激昂に気おされた僕は、その日初めてYの顔をまじまじと見た――――


 Yも人の子。実は過去、強引過ぎる誘いが何度かあった。

 高校3年の夏休み。

 暑いので泳ぎたい、広い場所で花火がしたいという話を引っくるめたYは突然「小学校の校庭で花火をして、プールで泳ぐか」と宣言。全員に海パンと花火を持参させて強行するも、あえなく不法侵入で通報され大騒ぎに。

 翌日、自宅謹慎中にかかわらず呼び出し。

 何とか家を抜け出してきた僕に「一番遅かった罰ゲームだ」と、Yは昨夜やれずじまいだったロケット花火をまとめてつかむと目の前で点火。まさかの至近距離から飛んでくる恐怖に、死にもの狂いで逃げ回った。

 Yが車の免許を取った年のゴールデンウィーク。

 前々からどこに行きたい、何をしたいと話してはいたけれど、決まっていたとは知らなかった。

 連休初日の早朝に「箱根に行くっていっただろ!」と、ものすごい剣幕の電話で叩き起こされた。

 遅れて助手席に乗り込むや、後部座席の面々も明らかに眠たげ。Yからはいつ殴りかかられてもおかしくない気まずさの中、きっちりナビをして芦ノ湖周辺をドライブ。

 山間から見下ろす絶景をバックに撮った1枚の写真。

 みんなのど真ん中で、Yはとびきりの笑顔。フレーム端でやや引きつって笑う僕にとっては忘れられないトラウマなのはいうまでもない――――


 そもそもYが、自ら飲みに誘うのを今まで一度も聞いたことがなかった。

 当然嫌な予感がはたらき、まさに本能の感覚で抵抗していたのだけど、意思は相当固かった。

 仕事をしたという割りに鮮やかな無精髭。目は異様に充血。指摘したい気持ちをあっさり引っ込め、ポケットをまさぐる。

 いつもの流れとしてはカラオケかボーリング。もしくはファミレスで長時間の談笑。

 ただYの醸し出す雰囲気からしてどれもふさわしくない……Yがさらに不機嫌にならないよう腹をくくると、アンテナをスルスル伸ばしてKとSに続けざま連絡を入れた。


 武蔵中原駅前のアーケードで時間をつぶしていると、明らかに気乗りしない足取りで姿を現したKが「昼過ぎまで起きてたから、全然寝足りない」といいながらニヤつく。1時間ほど経ってようやくSも合流。


「明日も仕事だからな」


 スーツから私服に着替えていて遅くなったと、聞いてもいない理由を述べる。あまりのマイペースぶりに怒りを覚えた反面、何かあればSにまかせて凌いでみようと頭を切り替える。

 僕の目論みにもちろんYはおかまいなし。ひたすらコンティニューを継続していたゲームをスパッとやめて立ち上がると、


「多摩川に行って、花火しながら飲むか」


 硬貨投入口に積んでいた100円玉を回収せずにさっさと店を出た。

 3人そろってポカンとしてから、とりあえず後を追う。


 顔をかすめる生ぬるい風。

 すっかり陽は落ち、ビルの脇に連なる電飾看板がキラキラと輝きを放っていた。

 立ち寄ったコンビニで花火セット、缶ビールやおつまみを調達。明日が仕事だろうと、何より友達を優先。当時はまだ将来を真剣に考えていなかっただけとはいえ、誘いを断る選択肢もまるでなかった。

 急遽遊ぶことになり、いつ帰るかもわからない流れがすでに順調。ひとりでいるときと変わらない気楽さで店内を回遊。

 好きな作者の漫画が載っている雑誌の最新号を見つけては悠長に立ち読み。CMで見た整髪料のニュータイプ、お気に入りのスナック菓子や飲みものの新商品チェックも怠らない。

 僕が大義名分のように持った花火セットの入ったカゴを見たSが、手に抱え込んでいるものをさっそく入れようとしてくるので、


「ちょっと待った。それは自分で買いなよ」

「花火代込みで、割り勘にすればよくない?」

「そうしたらカゴに多く入れた人が得するじゃん。花火は花火で払ってもらうし」


 シビアな問答の中、Sの手にする雑誌に目が留まる。相変わらず読んでいたのかと、何だかうれしくなる。

 トイレから出てきたYは花火にいっさい目もくれず、奥の酒類コーナーに一直線。過去何人もノックアウトしたジャックダニエルズのネックをそれぞれの手でつかむと、スタスタとレジに向かい会計を終えた。

 Yはいったい何を企んでいるのか。いくら酒に強くても、ひとりで2本を飲みきれるわけがない……まさか罰ゲーム用?

 Yの行動を目にしたKが、僕に不安げな視線を送ってくる。Kは酒にめっぽう弱い。

 ただKは以前カラオケの最中に本気で酔っ払ってしまい、壁を蹴って室内を暴れまくったあげくガラスの器を割り、出禁になったことがある。

 それもそれで、さらなる地獄絵図。


 裏道を縫って進んだ先の暗がりで路上駐車。そこから歩いて国道を横断、土手に上がる。

 河川敷を見渡したのもつかのま、土手を下る。

 砂利道を横切ると、広場の脇の草が生い茂った道なき道を迷わず突っ切ってゆく。Yの背中にKとSが何度か声をかけるも空返事。

 手でかき分けるくらいの深い藪を越えてすぐ、雄大な川面が広がるコンクリートの岸辺に辿り着いた。

 均一の四角い出っ張りで覆われた緩やかな傾斜が左右に伸びている。

 川岸のどこからか、チョロチョロと水の流れる音。草むらからは虫の鳴き声。人の気配はまったくない。

 Yが持っていたビニール袋を置いて一服したのを合図のように、僕らは花火をはじめる。

 何しろ4人揃って会うのが久しぶりだった。

 自然と笑みがこぼれるも、Yはいつになっても遊びに加わろうとせず。KもSも次第に困惑顔。

 それでも3人で思いつくまま話したいことを話し、ひとときを楽しんだ。Yの突発的悪ノリが記憶にあり、いつ訪れるかわからない地雷にも注意しつつ、時間は過ぎていった。


 花火はもともと少量だったため早々終了。各自買い込んだ飲食物もあらかた腹に収めてしまうと、すっかり話はとぎれがちに。

 何もない暗がりの川辺で、さすがにどうしようもなくなった。

 Yは結局花火に手を出さず、こちらに背を向けてひとりすわり込んだまま。対岸のネオンがぼんやり映る川面をずっと眺めている状態。そばに置かれたビニール袋も、忘れたかのように放っぽり出されている。

 先陣を切って僕が近づくと、1本の栓を開けた。

 ひとりで飲みきるつもりはなく、口いっぱいに含むと、近くにいたSに渡す。

 とにかく用意したものを消化しないかぎり、次の展開へは進まないと判断したためだ。ふつうなら何だかんだ文句をつけるSも以心伝心、無言で受け取る。

 Kはかたくなに拒否するも、2人の圧によってしかたなく呷り「うえッ……もう吐きそう」などとふざける。

 何とか半分ほど減らした瓶を手に持ちながら、僕は再びYに近づいた。

 ピリつく心情を和らげるかのように、SとKが何やら近況を話しだす。耳だけはしっかりこちらに向けているのがわかる。

 僕は頭の中で、気を悪くしないで聞いてもらえる言葉を考えていた。酒を飲むとしてもそろそろ場所を変えよう……強い決意で口を開けたときだった。

 Yは僕だとわかってふり向くと同時、


「この前……新しい店の手伝いをすることになった話、覚えてる?」

「ああ、確か羽田空港の近くにできたっていう店だよね」

「そう、大鳥居。あのときがオープン直後くらいだったかな」


 返事にとまどいつつ、会話ができる状態にひとまずホッとする。そして先月聞いた話を頭の中でプレイバック。「最近はホントつまらなくて」と切り出したあげくの、ごく近況といった内容。

 名ばかりの店長、居抜き工事による新店舗。

 オープニングスタッフは、同い年から年下の個性的な面々……元同僚により、職場の雰囲気をリアルに頭に浮かべながらじっくり聞いたことを思い返す。

 主旨が今ひとつ不明ながら、とりあえず僕は中腰からゆっくりYの隣にしゃがみ込む。長方形のコンクリートのひとつに尻をつけ、足を投げ出す。

 Yは僕の体勢が落ち着くのを待つ間、そばに置かれた瓶を掴んでグイッと飲むと、


「……あれから、いろんなことが起きたんだけどさ」


 中身をさらに半分まで減らしてから、何本目かの煙草に火をつけた。

 遠くにいたはずのKはいつのまにか数メートル以内に近づき、足元の目につく草をむしっては投げをくり返していた。Sは僕とYの背後を行ったりきたり。

 Yが話しはじめたことで、どんよりした空気がみるみる消えていった。

 いつものYにしては妙な出だし。

 ただ、どこかしらでかならず笑いを入れ、最後は思いもよらないオチが待っている……期待と、早くも回りはじめた酔いを感じながら、僕はYの隣で長い長い話を聞くことになった――――


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