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タイミング  作者: ANZIN
1/5

①起

 あの夜、僕の心を激しく揺さぶったYの話を書き残しておこうと思う。

 忘れもしない1999年6月、当時22歳。

 だいぶ昔になるけれど、印象的な思い出を交え、若かりしころをふり返ってみることにする。



 僕が小学校3年生のとき、Yと同じクラスになった。まもなく意気投合しては地元の少年野球チームに入り、中学でも一緒に野球部へ。

 高校で別々となり、1年ほど疎遠になったものの、互いの家が近く、何よりYから呼び出されることで交流は再開。

 高校生を境に僕は引きこもりがちになっていた。

 世にいう思春期のコンプレックス。異変に気づいたYは友人と遊ぶとき、かならず家に電話をかけてくるようになった。

 居留守を使えたのは最初だけ。家族が取り次いでしまってからは断りきれず、従うように。

 後にYが冗談交じりにいっていたのを思い出す。


「重症化する前に……」


 確かにあれほど執拗な電話がなければ、僕は今よりもっと世間知らずで狭い我が道を歩き続けていたに違いない。


 遊び仲間は、早い者だと幼稚園で出会い、少年野球チームを経て中学まで一緒の男連中7人。あいさつも端折る気心知れた仲。外ではボール遊び、誰かの家に集まってはカードゲーム。TVゲームは持ち主の特権や上手い下手が際立ち、あまりやらなかった。

 Yはいつしかみんなをまとめるムードメーカーになっていた。個人戦では1位、チーム戦でもたいていYのいる側が勝った。

 「負けたらジュースおごり」からはじまったギャンブル要素が加わると、勝負は一気に白熱。Yを味方に引き入れられるかどうかで、僕のその日の命運は大きく左右した。

 家で最も時間を費やしたトランプの大貧民。

 僕は何げなさを装い、すわる位置を変えてみたことがある。Yの直前より直後の順番が上がりやすく、ビリになりにくいと発見したからだ。

 けれど大勝、連勝した記憶はない。もともと勝負ごとには強くない質なのだろう。

 ごくたまに、Yも大敗するときがあった。

 もちろん明らかに機嫌を損ねつつ、決して途中で放棄せず最後までやりきった。それこそがみんなの中心になりえた所以だと僕は思っている。


 Yによって引きこもり続けられなくなったものの、高校ではあえて人と距離をとるなど、かなりひねくれた生活を送った。

 汗まみれの青春、甘酸っぱい恋とは無縁の帰宅部。休みの日も家でゴロゴロ。招集がかかるとしぶしぶ外出。

 Jリーグが開幕すると、外での遊びはボールを蹴るのみとなった。

 その日集まる人数と限られた広さもあり、バスケットボールのスリーオンスリー形式でサッカーをやってみたところ思わずハマり、進んで参加した時期もある。ちょうど高校3年のときに土曜休日制が導入され、多い月は土日祝日すべてを遊びに割いた。


 やがて辺りが暗くなると、手をふって帰る幼子と違い、団地の角にある外灯の下で雑談。Yは遊んでいたサッカーボールをイスがわりに数十分、長いときは数時間に及んだ。

 もちろん僕は聞き役。

 予定がある者から「そろそろ帰るね」と、ひとりずつ抜けてゆく。

 話の輪にいなかったので同じように帰ろうとすると、なぜか僕だけ「もう少しくらい、いいだろ」と引き止められた。

 Yの読みどおり急用などなく、そもそも優柔不断なので「じゃあ、もう少しだけ……」と、解散するまでつきあうハメに。

 最初のうちはうなずくだけで、話をふられてもあたりさわりない報告程度。

 まだその大切さがわからず。笑いをとってやろうなんて思うはずもなく。ポンポンと口から飛び出る多くの言葉に、ぼんやり羨望を抱くくらい。

 けれどそんな僕でも、長く場にいるだけでだんだんと、気の利いたコメントや自分の意見を多少なりとも差し挟めるまでに変化。ついにはYのツッコミを予想し、あえてズレたことをいう(=ボケる)楽しみを覚えていった。

 そうしてYと、唯一Yに対抗できるトリッキーな話術を持つK、相槌が上手くマイペースなS、そして僕の4人が不動のレギュラーメンバーとして固定してゆくこととなる。


 話に関しては、たとえ雨でも中止とはならなかった。

 昔からおなじみの駄菓子屋で食べものを装備しては、側面に並んだ自販機の庇の下へ。シャッターが下りた後も、まるで光に群がる虫のように肩を寄せあい、ベラベラと話し続けた。

 ときに晩ご飯の時間を過ぎ、静まり返った周りの家々に迷惑がられ、ほとぼりが冷めるとまた集まってのくり返し。

 話の内容は各々の体験談をベースに、TVや雑誌で見聞きした最新情報。人気の音楽や漫画、映画からゲーム、流行りのファッションやバイクなど(携帯電話や車は高校卒業して数年経ってから)。まだインターネットが普及する前なので、真偽は己の説明力と信頼度。

 特にYはジャンルが幅広い上、どこからそんな情報をというものをいち早く、芸人に負けない饒舌さで僕らを驚嘆させた。

 たとえばYイチ押しのタランティーノ作品は、実際観るより話を聞くほうが何倍も面白かった。ちなみに僕のオススメ映画ベストスリーのうち1作は『パルプ・フィクション』。


 日によっては私見をきっかけとした討論に発展することもあった。いわゆる正解がひとつとはかぎらない話。

 宇宙人や幽霊、スピリチュアルな現象の信じる信じないから自我、モラルなどを果てしなく深掘り。いったん感情が爆発すると平気で何時間も過ぎた。

 経緯や中身をほとんど忘れ去った中でも『露出狂と原付バイクのノーヘル運転はどちらが重い罪か』はかなり印象深い。

 それは確かKが、押されぎみの空気を挽回しようといかにももっともらしく「素っ裸でノーヘルの奴が一番悪い」といったとき。

 Yはすかさず、


「その人、いつもヘルメットだけして乗ってるってこと?」


 そのツッコミによってたちまち頭に変なイメージが浮かび上がる。裸の男がフルフェイスを被って原付バイクにまたがった姿。

 「ある意味交通ルールは守っている」「守るのは頭以外にもある」などと、想像に想像を膨らませた強烈な笑いが今なお刻み込まれているからだ。


 くだらないといわれたらそれまで。もちろんすべてが有意義とも思っていなかった。

 日によってはそれこそくだらないギャグや下ネタに脱線。大幅に帰宅が遅れ、親にさんざん怒られた。

 玄関前で立たされたまま説教。やっと家に入れてもらってからもやまない小言に「もう長話につきあうのは二度とゴメンだ」と強く決意するものの、話を遮って帰ったためしは結局一度もなかった。

 Yは多弁な人にありがちな、人の話に耳を貸さないということもなく(後年いくら指摘してもYは否定)、おかげで僕も下手なりに自分の言葉で話をしてみようと思えた。何しろ僕は、顔中に突如覆い尽くしたニキビによってすっかり対人恐怖症。話の意義を見失いかけていたのだから。


 そんな噺家(はなしか)同然のYにして、当時口にしなかったのが異性に関する話題だった。一番好奇心旺盛な年ごろにもかかわらず、単に彼女の存在を聞くのさえタブー化した。

 あるとき、旬な女性芸能人の話題になったとたんYは顔をしかめた。たまたま好みのグラビアアイドルでいいあいになったときも、Yは早く終わらせてくれとあからさまにそっぽを向いた。

 何度かそんな場面に遭遇し、僕は確信。Yはそういう類が好きではない。誰だってひとつくらい触れてほしくないことはあるだろうと。

 “恋バナ”がまったくなかったわけではない。

 4人の中でSはちょくちょく話題にしていた。Yの顔色を気にせず話ができたのは、何よりタブーを感じない天然さ。もしくは少年野球時代にエースピッチャーとして磨き上げた容姿か。

 ちなみにSは数年後、合コンを主催したことがある。

 僕は面倒くさそうな顔をしつつ、緊張と期待を胸に参加。Yも人数あわせと了承し、当日大遅刻。最後までいつものYらしさを見せなかった(それでもYを気に入る子はいたようだ。僕はかわいいなと思った子が別にいたけど進展せず)。


 1995年、高校卒業の春。

 因果応報、僕とYは早々に浪人決定。Sは専門学校へ、Kは働きはじめた。

 今度こそ疎遠になると思いきや、むしろ時間を自由に使えて遊ぶ頻度が増えたあげく、翌年もそろって大学不合格。

 二浪するくらいならと思っていたとき、Yが「一緒にやってみようか」と持ちかけてきたのがレンタルビデオ店のアルバイトだった。

 補欠合格の見込みもなくなった3月末。

 当時200円ほどで売られていた就職情報誌「フロムA」を広げ、Yの家で順番に電話したのは覚えている。

 面接から数日後に連絡がきて、僕だけ採用。後々聞いた噂では、どうやら先に返事をしただけだったらしい。

 Yは最初こそ仕事を転々。翌年になって僕から誘い、同じ面接を経て即採用。その後1年以上に渡って親友と同じ仕事ができたのは、僕にとってとても幸運だった。

 当時はその名のとおり、ビデオが主流でDVDはごくわずか。まだ青と黄色のツートンカラーが独占することなく、多くの個人経営があちこち軒をかまえていた。

 中でも単身者をターゲットとして急激に売上を伸ばしたのが、僕らの働く会社だった。

 地元の駅前を基盤に沿線の複数店舗経営で波に乗り、さらなる拡大を目指し徐々に方針転換。即戦力だけでなく、長期展望を視野に入れた社員育成に力を入れてゆく。

 結果、既存店売上アップ最大の功労者であるベテランスタッフとの折りあいが悪化。

 そのとばっちりを受けるように僕は2年で辞め、逆にYは頭角を現して働き続ける。何より天性の“コミュ力”を発揮したからに違いない。

 強面の先輩や、めったに姿を見せない社員ともいつのまにか仲よくなっていた。僕が辞める直前、周りから取っつきづらいと評判だった無口の新人くんが、自らYに話しかけているのを見たときは本当にビックリした。

 Y曰く「相手の反応を楽しんでいただけ」。けれど同じ職場内でもYの人当たりのよさを見事に証明するエピソードだろう。


 一緒に働きだしてしばらく経ったころ。

 ひと回り年が離れた先輩の主催する飲み会に、初めてYが参加した日のことを書いておきたい。僕の人生におけるターニングポイントのひとつといっていい。

 僕は席の端っこで、まだ心底美味しいと思えないビールをちびちび飲みながら、真ん中で囲まれるYをさりげなく見ていた。Yもいよいよ職場の慣例を受け入れると、内心ドキドキしながら。

 いくらかよそよそしさを見せるYに、その先輩からお決まりの話題が飛んできた。

 好きな女性芸能人にはじまり、好みのタイプ、そして彼女の有無。プライベートに土足で踏み込む質問にYは「そんなこと聞いてどうするんですか」と前置きした上で、さらっと、


「いますけど」


 周りには予想どおりの返事。ただし僕にとっては思いもよらない衝撃だった。

 間髪入れずに続く彼女への質問にも笑って答えるY。

 タブーとしつつ僕が得ていた数少ない情報源はすべてSからの又聞き。“内田有紀やエンクミ好き”“パッチリ系の目がタイプ”“高校のときからつきあっている”などが間違いでなかったのはともかく、彼女の存在を認めたことに何より心を打たれたのだ。

 ワイワイと盛り上がる店内の中、僕はどうしようもない恥ずかしさが襲ってきた。

 Yが異性や恋愛に関する話をしなかったのは、単に僕を気遣っていたからではなかったか。

 僕は見るからに経験がなく、知識もあいまい。知ったかぶりして常に受け流してばかりいた。それをわかってあえて話さなかっただけ……。


 以来、僕は遠慮がちだった飲み会や集まりへ積極的に参加。Yを頼り、Yを真似て。

 社会に出る大人、ひとりの人間として本気で向きあうべきだと気づかされた。

 何より興味があった。勉強するテキストがなければ誰も教えてくれなかった、ただそれだけ。

 気になる異性と友達以上に親しくなるために……誰でも手探りで経験してゆく第一歩を、僕は20歳を過ぎてからYに相談しはじめる。

 唐突な話にYは「何だよ、いきなり」と笑い飛ばしながらも、最後は親身にアドバイスしてくれた。

 そうして僕は、出会ってひと目惚れしてから数年経っていた年下の子と再会し、告白。有頂天な数カ月を過ごした末にあっさり破局。

 未練がましい想いをかなり引きずった。でもそれこそが、僕のフリーター生活最初の2年における最大の成果だったと胸を張っていえる。


 レンタルビデオ店を退職後、僕は自分で新しい仕事を見つけ、ひとり暮らしをはじめるなど、一時期からは考えられないほど活発に。

 かわりにみんなで遊ぶ時間が極端に減っていった。

 たまにばったり出くわしては、店を畳んで庇だけ残った元駄菓子屋の前で会話。夜中には声のトーンを抑えるくらいの成長もしていた。

 そのころにはもう、呼び出される前に自ら出向くまでになっていた。

 煙草を買い足す名目でYの家を通りがかっては長話をするのが新たな習慣に。

 自分の身に起きたできごとでYを笑わせるため。そして日々湧き上がる恋愛の謎を解き明かすために。

 ひどいときは昼夜かまわず会いに行ったため、Yもさすがにうんざりした顔を見せつつ、僕を上回る爆笑体験談を披露。その合間には、いつかお目にかかりたいと思わせる彼女とのことも話してくれた。

 親から注意されなくなったのをいいことに深夜でも堂々と外出。夢中で語り尽くし、気づけば夜が明けているときもあった。

 鳥がさえずるものうげな朝。空を見上げてまばたきする度、変な脂汗が目にしみた帰り道。

 浮かない高校時代の反動から一気に話題を独占するようになった僕の恋愛は、ちなみにその後もしばらくは報われなかった。

 勝負ごと同様不向きな僕にとって、Yは無二の親友であり頼れる恋愛マスターとなっていた。

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