9.新必殺技
私は、もっと強くならなければいけない。
「はい一本!」相手を倒す。
足りない。
「一本!」相手を倒す。
足りない。
「一本!!!」
足りない!
……その日は結局、三十人との試合を行った。
ふらふらになりながら寮への帰路に着く。日は既に沈んでいた。
ナナが話しかけてくる。
「ランリちゃん、気合い入ってたね……」
「こんなんじゃ、足りないよ」
「……もしかして、この後、まだ練習するの?」
「着替えて、ランニングを」
「ちょっと待ってよ!」
私の前に立ち塞がると、両腕を大きく開いて通せんぼうの姿勢をとった。
可愛らしい顔に、今は怒りを浮かべている。
「ここ最近、ずっとこんな感じじゃん! こんなんじゃ、大会前に倒れちゃうよ! 無茶なトレーニング禁止!」
「……無茶なんてことは」
! 足元がよろける。
意外と、疲労が溜まっていたらしい……。
「ほら、足取り! そんなんでランニングして、意味のあるトレーニングになるわけない! ランリちゃんは特訓をやった気になって、自己満足してるだけ! 強さに繋がってないよっ!」
「っ……」
奥歯を強く噛み締める。
……悔しい。
「私は大丈夫」
「大丈夫なわけ……」
ナナの肩に手を置き、笑って見せる。
「大丈夫!」
普通の努力じゃダメなんだ。もっと激しく、狂気的に。他の人と同じことをやっていても勝てない。
マトモなままじゃ、勝てない!
「私、先に帰るね」
「あ、ちょっと! ……もう!」
もういいや、走ってしまえ。
このままナナを振り切るように走り込む。
風を感じながら、夜道を走る。
ランニングには二種類ある。
ただ単に走れば、これは脚の強化になる。あえて闘気を一切使わずに、素の身体能力を高める訓練だ。
闘気を使って走れば、これは闘気コントロールの訓練になる。とくに嵐流剣士なら、一歩ずつ瞬動を行うことで凄まじい高負荷なトレーニングを行える。
走る時。右足で大地を踏みしめてから、左足で着地するまで。この間は0.3秒ほどかかる。
この0.3秒の間に、左の足裏に闘気を集め、圧縮する。そして着地してから、右足を突き出す時。この瞬間に解放する。
『片足瞬動』だ。
右、左、右……延々とこれを繰り返す。爆発的な速度で走ることになる。
難しいのはリズムとバランスだ。
一歩ごとに三メートルほど前に出るため、普通に走るのと比べて着地が難しい。しかも、ただ単に着地するだけでなく脚を動かしながら次の一歩に向けて闘気操作を行わなければならない。しかもこれを何度も何度も繰り返す。
六段以上の高段位者になるには、手足のように闘気を操作できなければならない。闘気の動きと体の動き。これらを流れるように一体化させ、相手に合わせて戦いを組み立てる必要がある。
がんっ! がんっ! がんっ!
地面をえぐり飛ばすように、一歩一歩を踏み締める。
ざりっ! と、変な音がした。着地の瞬間に脚の力が抜けたらしい。
『噴気』の勢いのままに、吹っ飛ぶ。背中から地面に叩きつけられ、ゴロゴロと転がった。
「……いたい」
立ち上がり、土を払う。運動着はいくら汚れても構わない。
『ランリちゃんはオシャレとか興味ない感じ? 可愛い顔してるのに、もったいないよ!』
……ノイズだ。
脳裏に浮かんだナナの言葉を振り払いつつ、再びランニングにとりかかる。
手入れされた森の中を駆けていく。
風のように走り続ける。
私は、強くなりたい。
そのために、出来ることなら、なんだって……!
力み過ぎたらしい。
「うわぁっ!?」
着地のバランスを崩し、今度は顔面から地面に飛び込む。
……顎を擦りむいた。
「いてて……」
手のひらを擦りむいてしまった。
親指の根元あたりが血に滲む。なんかヒリヒリする。
はぁ……。
上半身も闘気を纏えれば、こんな怪我しなくて済むのに。
理想を言えば。
瞬動を放つ瞬間に、脚だけでなく腕にも闘気を回したい。
瞬動は確かに強いが、上半身の動きが制限されるという弱点があり、そこを晴天流に突かれると厳しいのだ。
そこを乗り越えるには、大きく二つの方法がある。
一つは、全身に闘気を回しつつ瞬動を行うこと。でもこれは闘気量が多くないと技として強くない。本来なら移動に回せた闘気を剣の振りに回す分、瞬動の速度が落ちるからだ。
しかも結構、目に見えて遅くなる。それはもはや『瞬動』ではない。ただ単に闘気を使って踏み込んでるだけだ。
もう一つは、もっと速く動くこと。
相手に反応されるならどうしたら良い? 反応されないぐらい速くなれば良い! 実に単純だ。
嵐流の開祖とされる剣士はこの問題にぶつかった時、後者を選択したらしい。
地面に倒れ込んだままつぶやく。
「先の先を抑え、より速く。より、鋭く」
口で言うのは簡単なのに、実践しようとするとこんなに難しい。
……ビャクは、強い。なんであんなに強いんだろう。不思議だ。
私の才能は決して平凡ではないはずだ。両親からは天才だと何度も誉められた。地元では私が一番強かった。
この学園に入学してからも、私はずっと強かった。周りのレベルが上がっていく中、必死に努力し続けた。
そして、五年生の時は学園剣術大会・初等部で優勝もした。私がこの学園で一番強いと思った。
でも、六年生の大会……。
ビャクという少年を、私は知らなかった。というか誰も知らなかった。一度も学校に来たことがなかったからだ。
六年生になって、夏の大会が始まって。そこで初めて、彼は現れた。誰も寄せ付けることなく、圧倒的な強さで優勝した。
……彼は、何者なんだ?
結局、中等部の生活が始まった今ですら、学内で彼を見かけたことはない。たまに姿を見たという学生もいるから、全く来ていないというわけではないのだろうが、授業を一つも取っていないのは明らかだ。
全ての授業を、彼は免除されている。
「……じゃあ、何しに学校通ってんの?」
明らかに特別扱いされている。それは、彼が強いからだ。
……私だって。
「私だって、強いよ!!!」
両のこぶしを地面に叩きつけてから、立ち上がる。
それから、がむしゃらに走った。
◆
妙な破壊音を聞いたのは、それから一時間後のことである。
「……何この音?」
とにかくメチャクチャに走ったのもあり、普段なら立ち寄らない場所まで私は来ていた。
茂みをかき分けて進む。
この学園で一番古いボロボロの学生寮、その近くにある林の中から、何かが爆発するような音がする。
「……木が割れる音。なんだろ」
気になる。
進んでみると、少し開けた場所に出た。
パキり。木の破片を踏みつけた。
なんだこれ。それを拾い上げ、月光で照らし、しげしげと見つめる。
顔を見上げ、
「っ!」
思わず息を呑む。
木々が、バラバラに粉砕されていた。
ここ、開けた場所というより……この木を破壊して回って、開いちゃった場所なんじゃないの!?
びゅん! びゅん! と木剣を振った時に特有の音がする。
林の奥の方からだ。
バゴオオオオオンンン!!!!!
と、再び何かが爆発するような音。
大きな音を立てながら、メキメキと木が倒れ落ちる音がする。
「ちょっと、そこのあなた! 何やってるの!? この木々は学園の設備なのだから、不用意に破壊すると処分されますよ!」
「えっ、処分される!?!? まじ!?!?」
暗闇の向こうから聞こえた声には、聞き覚えがあった。
驚いた顔をしながら現れたのは、テンキという名の中等部生だ。魔法数理学の授業で一緒だったはず。中等部からの入学生だった。
「うわっ、ランリ! えっ、ちょっと待て、この木って破壊するとヤバいのか!?」
「そりゃ、まずいに決まってますよ」
「でも、え、処分なんて酷いだろそんなのっ!」
「いやあなたが悪いんでしょ……」
この男はサディーリエ先生にクシャーナ語を教えてもらっていたり、色々と訳ありらしい。
剣術士関係の演習授業には一切現れないから、魔導士志望なのだろうが……。
「はあ。テンキ、あなたそんなことで大丈夫なんですか? こんなところでうつつを抜かしている場合じゃないでしょう。もっと勉強することです。せっかくこの学園に入学したのですから、立派な魔導士になってください」
「はあ? 何言ってんだお前」
「いや、ですから。言葉の読み書きすらおぼつかないなんて、あなたは本来、魔導士を目指せる状態ではないのですから、人一倍頑張らないとダメですよ。そのぐらい分かるでしょう」
「おれ剣術士コースだけど」
「そうなの!?」
えっ。
思考が一時停止する。
「……でも、テンキ、あなた剣術演習の授業を取っていないでしょう」
「前期の単位は免除されてるからいいんだよ」
「免除!?」
えっ。
「……免除!?」
「二回言わなくていいよ」
どういうことだ……?
剣術演習の単位を免除されるって、この男、そんなに優秀な剣士なのか?
そうなると大変だ。次回の剣術大会でマークしなければならない相手が一人増えたことになる。
「そういえば、あなた、こんなところで何をしていたんですか? すごい音でしたけど」
「え、そんなに? うるさくないって確認とったんだけど……」
チラリとこちらを見るテンキ。
なんだ、私の顔に何かついてるのか。
いや……視線の先は私の『耳』に向かっている。
「そういやランリって耳が良いんだっけ」
「なんでそのこと知ってるんですか……」
「ビャクってやつが教えてくれたんだ」
「ビャクが!?」
「うわ、びっくりした」
「あ、すみません……」
アイツの名前が出てくるとは。
ビャクはテンキに目をつけている、ということなのだろうか。
テンキがそんなに強いのなら、今のうちに彼の技術を見ておくのは試合を有利に進めるはず……。
それとなく、探りを入れてみるか?
いや、ダメだ! そんなの、剣士のあるべき姿じゃない!
ぶんぶんと首を横に振り、雑念をはらう。
「……では、テンキは次の剣術大会にも参加するということですか?」
「うん。目指すは優勝だぜ!」
「……そうですか。頑張ってください」
まあ、ビャクに勝つのは無理だろうけど。
内心そう呟き、林を後にする。
後ろから声をかけられた。
「俺がここで、木を破壊してるの黙っといてくれよ」
「え、いやですよ。これは許されないことです。サディーリエ先生に伝えておきますから」
「え、ちょちょちょ、困る困る! 処分なんて嫌だ!!!」
「ダメです!」
私の前に先回りすると、両腕を広げて通せんぼする。
これ、さっきナナが同じことやってたなあ……。
「なんですか? 邪魔なんですけど」
「頼むよっ! この通りだ」
「な、土下座……」
はあー、と大きなため息を一つつく。
「あなたには、剣士としてのプライドはないのですか?」
「あるっ!」
「土下座しながら言うセリフじゃないですよ」
テンキは顔を上げるとゲジゲジのような動きで私に近寄り、膝に縋り付いてくる。
「頼むよーっ!」
「うわっ、ちょ、触るなぁっ!」
「死にたくないいいいいいっ!」
「は、はあ……?」
テンキは顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
「死にたくないって、大げさ過ぎるでしょう!?」
「だって処分されるんだろおおおおっ!?」
「いや、はあっ!?」
うわっ、鼻水が脚に!
「もう、放せえっ!」
脚に闘気を固め、テンキを蹴り飛ばす。
テンキは数メートル吹っ飛び、ワンバウンドしてから受け身を取った。
こちらを睨みつけてくる。
「仕方ねえ。これはやりたくなかったが」
「……なんですか?」
びしぃ! っと私を指差す。
大声で言う。
「俺と勝負しろ。俺が勝ったら言うな」
「……私が勝ったら?」
「俺はこの学園を去る」
「なっ……」
この男、それだけの覚悟を。
テンキの目は真剣だ。本気で言っているらしい。
「……良いでしょう。そこまで言うのなら。でも残念ながら私は木剣を持っていません。貸してもらえますか?」
「ああ。ここに二十本置いてあるから好きなの一つもってけ」
「なんでそんなにあるの!?」
近くに立つ木の裏に、隠すようにして木剣の山が築かれていた。
そのうちの数本はバラバラに壊れている。
……どんな使い方をしてるんだ?
さて、二人して木剣を構え合い、林の開けた場所で向かい合う。
静寂。
雲井から黄金の月明かりが差し込み、二人を照らし出す。
テンキの両手はボロボロだった。手のひらは血だらけで、皮が何重にも破けている。
私の構えは『八相』。剣をしっかり握り込み、顔の横あたりで構える。
テンキの構えは下段だった。
晴天流か? ……ちょっと違う気がする。少なくとも晴天流のスタンダードな構えとは違う。
「その構え、ビャクから習ったんですか?」
「あ? 違えよ。今は試行錯誤中なんだ」
「……ちなみに、あなた何段です?」
「え? 知らねえよ」
「知らないって、そんなことないでしょう。まさか無段なわけ」
「あーそうそう。強いて言うなら無段じゃねえの?」
「なるほど。流派を教える気はないと。浅はかですね」
「ちげえよ!」
テンキの心音が乱れた。今だ。
「嵐流・瞬動!」
先の先。
相手が攻める前に、攻める。
機先を制するということだ。
剣先はテンキの腹に向いている。
このまま突き刺してやる!
極限まで集中すると、時間は伸びる。
0.01秒。0.02秒。……
その時、なにか引っ掛かりを覚えた。
テンキは木を粉々に破壊していた。凄まじい破壊力の技だ。そういうパワー重視の技はだいたいが雲翳流のものである。
では、テンキの流派は雲翳流なのか?
雲翳流の構えは『上段』だ。上から下に、闘気による力任せな一撃を放つ。
でも今のテンキの構えは『下段』。防御重視の構えであり、晴天流のそれに近い。
テンキは無段位だと言っていた。
まさか、本当に?
テンキが特定流派にこだわりがないとするならば。
……あの技は、一体何をしようとしていたんだ?
「晴天流奥義」
テンキの剣に闘気が集まる。凄まじい量の闘気が、一瞬にして指向性を持つ。
秩序立って波を打ち、
「閃」
それは閃光のような一振りだった。
素早く、鋭い一振り。
押しつぶすような闘気の一撃。
──それは、晴天流の技ではなかった。
バゴオオオオオンンン!!!!!
先ほど聞いたのと同じ音がした。
私の剣と、テンキの剣。
両方が粉々に砕け散った。