5.ランリ
ザストゥーラ帝国はこの世界で最も古い歴史を持つ国家だ。さすがに神代より続く世界連合と比べればまだ若いものの、それでも二千年以上の歴史を持つことに変わりはない。
国土は広く、肥沃な南の大地と砂漠に覆われた北の大地、大きく二つに分かれる。環境的に厳しい北方はそのぶん保守的な思想が強く根付き、ザストゥーラ帝国が『自由の法』に批准してからも一向に奴隷解放が進む気配はなかった。それに痺れを切らした世界連合・管制長のゼル・クシャーナが調停騎士団を用いて強行的な改革を進めたのは記憶に新しい。
帝国の南部。帝都に位置する『帝国魔導剣術学園』は、そんなザストゥーラ帝国を陽に陰に支えるエリートたち、帝国魔導士と帝国剣術士の育成を行うための帝国直営学校である。
初等部・中等部・高等部に分かれ、年齢としては日本の小学校・中学校・高校と対応することになる。
茶髪の少女、ランリもまた、帝国魔導剣術学園の中等部に所属する、未来ある剣士の卵であった。
◆
初等部を修了し中等部に入学してからも、私の生活に大きな変化はなかった。
ランリ・ボウジェ。十二歳。来月には十三歳を迎える。
初等部時代は剣術系科目で常に成績上位をキープ。勉学にも励み、詩や哲学、歴史に数学。それらでも好成績を誇っている。
まさに、文武両道の才媛。魔法はやや苦手のようだが……剣術士を目指すのであればそれほど大きな問題はない。
帝国を剣で支えてきたボウジェ家の跡取りとして、文句なく期待できる逸材。
しかも可愛い。
……との評価をいただいた。可愛いってなんだ。
「ありがとうございます。過分な評価、痛みいります」
職員棟に呼び出されたから何かと思えば、謎のベタ褒めだった。
クルクルと指先で器用にペンを回すのは、中等部生向けの嵐流剣術を担当する女性剣士、サディーリエ先生だ。段位は八段だと聞く。
サディーリエ先生は鼻歌を歌いながら、私の成績がまとめられた資料を眺める。だらりと椅子に深く腰掛けるその姿は、あまり剣士として誉められたものではないように感じる。
「ランリちゃんさぁ~」
「はい」
「いや、まあ、成績優秀なのは良いんだけどね?」
「はい」
「うーん、なんて言うのかなぁ。中等部生活も始まって、もう三週間経つじゃない。それでね? うーん、まあ、そのぉ~」
「はい」
煮え切らない態度だ。言葉を選んでいるようにも見える。
なるほど、何か文句があるらしい。先に褒めておいたのは敵意があるわけじゃないと伝えるためのようだ。
「なんかランリちゃんってさあ、固くない?」
「固い……とは?」
「いや、それよそれ。かしこまりすぎなのよねー。もっとさぁ、こう……だって中学生だよ!? なんか、大丈夫!? って、見てて思ってさ」
「は、はあ。ありがとうございます」
「いや褒めてないよ」
『中等部生』のことを中学生と呼ぶ先生もいるが、これは先生方の出身地域差に起因するものだろうか。
さて、困った。
「そう言われましても……私は別に、かしこまってるつもりはないですよ」
「そう?」
「剣士としてかくあるべき、という姿を目指して日々の所作にも武の精神を発揮しているだけです」
「いや固いって! 固い固い! それを固いって言うの!」
「は、はあ」
この人はそもそも、何をもって固いと定義しているのだろう? 固いことは悪いことなのか? そのあたりが判然としないから、この会話はあまり意味のないものなのだと判断しつつある。
概念のすり合わせは大事だ。お互いが同じ言葉を使っていたとしても、それが同じモノを差すとは限らない。
「あの、帰っていいですか? 無駄な時間のようなので」
「ええっ!? いきなりぶっこむね! でもいいよ、その感じだよ!」
なんなんだ、この人……。
私は、剣士としてより高みへ登りたいと考えている。誰よりも強く、誰よりも優れた、カッコいい剣士になりたい。
市井の人々を悪から守る、正義のヒーロー。
そのために努力を惜しむ気はない。
常に気を張り詰め、いついかなる時も戦えるように心を保たねばならない。
サディーリエ先生は苦笑いで続ける。
「あなた、毎日楽しい?」
「……? いえ、普通ですが」
「そう。……これは老婆心からの忠告だけどね、もうちょっとリラックスしないと、強くなれないよ」
「はあ。なるほど。ありがとうございます」
よく分からんアドバイスだ。
確かに、戦いの中でリラックスは重要だ。剛と柔をよく使い分けてこその剣士である。
でもそれは物質的な話であって、精神的な話ではないだろう。
失礼しました。そう告げて職員棟を後にする。
真っ赤な夕陽が私の目を焼いた。眩しい。
……中等部に上がっても、変化はなかった。
この学園の入学には三つの時期がある。初等部での入学、中等部での入学、高等部での入学。この三つだ。
中等部に上がったということは、今まで関わりのなかった外部の学生が新しく入ってくるということである。
……だれか、強い人がいるといいな。そう思っていた。
その期待はすでに無くなりつつある。新入生は大したことのない人ばかりであった。
学園の敷地は広大で、座学を行う講義棟や、魔導士向けの魔法棟、学生たちが住まう学生寮、そして剣術士向けの道場、などなど。それら全てが敷地内に含まれており、一歩も外に出ることなく修練に励むことが可能だ。
まあ、放課後になると街に出歩いて遊びまわる、チャラついた学生も多いことだが……
私はそんな人たちとは違う!
職員棟から真っ直ぐに道場へ向かうと、自主練をしていたいつものメンバーと顔を合わせる。
「あ、ランリちゃん来た」「ばんわ~」「なんか今日遅かったな」
「ごめん遅れた。サディーリエ先生に呼び出されちゃって」
「何か怒られたの?」
「いや、全然! 大したことじゃなかったよ」
メンバーの一人、白髪の女の子、ナナが話しかけてくる。
少し小柄な女の子だ。私と同じ歳で、背は低め。男子からの人気が高いとか聞く。愛想も良いし、優しいし。こういう子が人気出るのは私でもわかる。
「サディーリエ先生かぁ。あの人おもしろいよね」
「え、……そう?」
「うん! ダジャレを思いついたから聞いてくれ~とか言って、自信満々につまんないこと言ってきたから、逆に笑っちゃった!」
「あ、ああ、そう」
ケラケラと笑いながら練習の準備を進める彼女。
何が面白いのかよく分からなかったが、とりあえず私も笑みを浮かべながら急いで運動着に着替える。ここは笑っておくべき場面な気がした。
私とナナ。二人で相対し、木剣を構える。
いわゆる『八相の構え』。
お互い、嵐流剣術が得意だ。
先の先を抑え、相手より速く鋭く動く。それが嵐流の戦い方だった。
まあ要するに、ガードできないぐらい速い一撃を出せば勝てるという脳筋……もとい、単純な術理を極める剣術だ。シンプルゆえに分かりやすく強い。私のスタイルとも合っていた。
「じゃあランリちゃん。とりあえずいつもの『先抑え』やろうか。買った方がお菓子奢りね」
「あ、うん。わかった」
『先抑え』とは嵐流剣士の間で行われる練習を兼ねたお遊びだ。
ルールは簡単。互いに同時に踏み込み、剣を落とした方が負け。
お互いの視線が交差する。
『先抑え』に「よーいどん!」はない。お互い、良いタイミングだと感じた時に踏み込む。
嵐流剣士の基本は単純だ。足に闘気を溜め、解放する。それだけ。
お互いの距離は八メートルほど。
いわゆる一足一刀の間合いが二メートルであるから、それなりに距離がある。
が、嵐流剣士にとっては気の抜けない間合いだ。
闘気を圧縮して噴射する技術は『噴気』と呼ばれる。
基本技の一つ『瞬動』は噴気を応用した技であり、嵐流剣士にとって最も重要な技術である。これができないと話にならない。
ナナの足裏に闘気が溜まるのを確認する。同時に、勢いで身体が痛まないように、足腰を闘気で強化するのも見える。
『先抑え』はシンプルながらも奥が深い。
互いに闘気の流れを読み合い、踏み込みの瞬間を推し量るのだ。
速い踏み込みをしようとすればタイミングが相手にバレやすく、逆にバレにくいタイミングでの踏み込みはリズムが合わないためにスピードが出なかったり、最悪の場合自滅する。
上手い嵐流剣士は、速く、分かりにくい。
「しっ!」
先に仕掛けたのはナナだ。
この距離なら0.5秒で相手の胸元まで届く。
この刹那の間に剣を振ることはできない。闘気で腕を強化していれば可能かもしれないが、瞬動は足に闘気を溜める技なのでどちらにしろ無理だ。
したがって、嵐流剣士の基本は『突き』となる。が、例え模擬試合だとしてもこれをやれば大怪我に繋がるので実際には刃が相手に当たるように剣を立てた姿勢で飛び込む。
まあ、つまり。相手の剣がどの軌道を描くのかはあらかじめ予測できるのだ。問題はそれがいつ来るのかということで。
私は闘気操作に自信がある。
脱力状態から、一瞬で足裏に闘気を溜め、爆発させる。
このリズムを読むことはできない。
ナナの踏み込みに合わせる形で加速する。
ただでさえ速い瞬動が交差すれば、それは本当に一瞬の出来事だ。
もはや生身の人間が知覚できる速度ではないため、動体視力を闘気で強化する必要がある。それでもなお速い。
かろうじて見える。ナナの手元に当たるように、剣の角度を微調整する。あまりにも一瞬すぎてこのぐらいしか出来ることはない。そして、その少しの動きが勝敗を分ける。
バァン! 軽快な破裂音がして、ナナの手から木剣が弾き飛ばされた。
「いたぁっ!」
「私の勝ち!」
「ぐうううぅ……悔しさより手の痛みが勝る……」
あははっと笑い合って、それからメンバーみんなで適当に打ち合ってこの日の練習は終わった。道場は日没時に閉まってしまう。
その日の夜。
寮の部屋から出ると、目の前にナナが立っていた。
「あれ? 何か用?」
「お菓子、おごりにきた! 売店いこっ」
「あ、ああ……」
にへらっと笑ってみせるナナ。素敵な笑顔だ。
ランニングに行きたかった……。
愛想笑いを浮かべながら、その言葉を胸中にしまった。
◆
学園の中には外部からやってきた移動式屋台がしばしば展開されており、ごはんを提供するものもあれば、お菓子を売るものもある。
既に日が沈みお月様の世界になっても、まだまだ営業中であった。
マドレーヌを二人並んで食べ歩く。
「いやー、ランリさんや」
「な、なに急に」
「新入生はどうですかな?」
変な喋り方……
「うーん、特筆すべき学生はいなかったかな。内部進学組の方が軒並み優秀かも」
「お、じゃあ次の『学園剣術大会』は優勝ですか?」
「いやぁ、どうだろ……」
なんだかんだ、みんな強いからなぁ。上級生の実力も気になるし。それに、アイツもいる。
まあ、そもそもの話。強いものが常に勝つとは限らない。勝率で見ればそれは当然高く出るだろうが、連戦連勝できるかは運によるところもあるように感じている。
まあ、それは甘えなのかもしれないけど。
他を寄せ付けないほど圧倒的に強ければ、運なんて関係なく勝てるわけだ。
「優勝を目指すぐらいの気持ちでやってはいる、かな?」
「おぉーっ! いいねいいね、応援してる!」
「いや、ナナも頑張ってよ。優勝目指せるでしょ」
目を見開く彼女。
「それ、本気で言ってる?」
「え、うん」
「ふーん……ま、頑張るよ」
あれ、なんか、空気が重い気がする。
また何か変なこと言っちゃったのかなぁ……。
私はあまり会話が得意じゃない。その自覚はあった。
みんなが私に構ってくれるのは、私がそれなりに強いからだ。そうに決まっている。
私から強さを取ったら、何も残らない気がする……。
しばらく無言で、二人して学園の敷地を散歩していた。季節はもうすっかり春だ。野草が元気よく繁茂している。
「あ、そういえばさぁ」
「ん?」
ナナが何の気なしに告げる。
「いや、まあいいや」
「えーっ。気になるじゃん」
「……ただの噂話だよ? なんか聞いた話だとさ、今年の入学生に塔の騎士団からの推薦を受けた剣士がいたとかでさ」
「ええっ!?」
「うわ、うるさ」
「ご、ごめん……」
そりゃ大声も出るよ!
塔の騎士団。つまり、あの世界連合『調停騎士団』からの推薦を受けたということだ。
調停騎士団は世界最強の精鋭たちによる猛者集団だ。その強さは尋常ではないと聞く。
その騎士団からの推薦って、どれだけ実力が……。
「あれ? でも、それって結局だれだったの?」
「いんやー。知らない。私は会ったことないし、私の友達も誰も、そんなやつ見たことないってさ。だからまあ、あくまで噂? 実在しないんじゃないかなあ。塔の騎士団から推薦なんて、あり得ない話でしょ?」
「それはまあ、確かに……」
中等部生活が始まって既に三週間。そのような人は見たことがない。
じゃあ、嘘ってことなのかな。なんか残念。
剣術士コースだけで一学年あたり数百人いるので単純に誰もその人のことを知らないという線もあり得なくはないが、まあないだろう。
さて、その日の夜。
自室で勉強をしていたものの、なんだか目がしょぼしょぼしてきた。そろそろ寝ようかというタイミングで、ふと部屋の隅に剣術書を見つける。
「あ! 図書館に返すの忘れてた!」
やば。
最後のページをひらけば『返却予定日は~日です!』と書かれた注意書きメモが挟まっている。注意の意味はなかったらしい。
どうしよ……もう一ヶ月以上オーバーしてる。
本の返却は簡単だ。図書館にある返却ポストに投函すれば良い。
「うーん、明日の朝イチで返しに行けば……いや、忘れるよなぁ、多分」
こういうのは気がついた瞬間にどうにかするのが肝要だ。
というわけで、部屋着の上からカーディガンを羽織り外出する。
この学園は夜間でも敷地内なら自由に外出可能だ。魔導士は夜型生活を送るものも多いかららしい。
というかなんなら夜間に開かれる講義すらある始末だ。昼夜逆転しすぎだと思う。
さて中央大図書館にたどり着くと、予想通りそこかしこに灯りがついており、ガリガリと机に向かってペンを走らせる者もいれば、虚空を見上げながら考え事をする者、寝てる者もいた。家で寝なよ。
ふわあ……。自然とあくびが出た。
眠い。さっさと帰ろ。
ポストに借りていた本を投函する。
返すの忘れてて、ごめんなさい。
心の中でそう告げて、図書館を後にしようとする。
「……?」
何か、音がする。これは会話?
あれ? サディーリエ先生の声じゃないかこれ?
とても小さい声だ。結構遠くから聞こえている。周りの学生を見ても、気がついてる者はいないようだ。私は少し耳が良い。
剣術の先生が図書館にいるなんて珍しいこともあるものだ。と、そう考えたところで、まあサディーリエ先生って小説とか好きそうだよなぁと思った。
せっかくなので挨拶しにいくか。
声は地下から聞こえてくる。
螺旋階段を下り、より暗い方へ。
灯りがどんどん少なくなる。図書館の地下の、廊下をくねくね曲がったその先。とても変な場所にその扉はあった。
何この部屋? ディスカッションルームって書いてあるけど。
中から聞こえてくるのはドタバタという音。怒号。サディーリエ先生と、男子生徒の声だ。とてもディスカッションをしているようには思えない。
「中で何が……」
そっと扉を開く。隙間から中を覗く。
簡素な部屋だった。やや広いわりに家具らしいものが机と椅子くらいしかないので、殺風景な印象を受ける。
そして、サディーリエ先生と少年が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
「魔法を教えろぉ~っ!」
「あなたにはまだ早いって言ってるでしょうが!」
「このままだと必修授業の単位取れなくて落第なんだよぉ~っ! 知らねえよ魔法数理学とか! なんであのババア基礎をすっ飛ばして応用から始めんだよぉ~!」
「それはまあ同情するけど!」
「俺はまだまともに読み書きもできねぇんだぞ~っ!」
「じゃあなおさら魔法じゃなくて文字の勉強しなさいよっ!」
「うおおおお正論パンチやめてええええ」
……なんだこれ。
魔法数理学って、そんなに難しいことやってないと思うけど。
あの少年、見たことないけど……頭が悪いのだろうか。
机の上に目を落とす。『よくわかるクシャーナ語』が置いてあった。
「あれって、初等部の一年生が使う教科書じゃないっけ」
つまり、あの少年は日常生活で使う言語をまともに使えないということ? そりゃ、そんな状況で魔法の勉強どころではないだろう。
なんかワケアリっぽいぞ……。
そっと部屋の扉を閉じる。
帰ろ。
◆
『学園剣術大会』。
初等部大会・中等部大会・高等部大会の三つの部門に分かれており、それぞれの部に所属する学生は大会に参加する権利がある。とくに高等部大会は事実上の学園最強決定戦であり、毎年非常に盛り上がる。
例年では夏に開かれ、この大会の閉幕をもって夏休みへの突入となるのだ。
当然、私も参加する。去年、初等部最後の夏の大会では残念ながら二位で終わった。
今年こそ目指すは優勝だ!
という非常に高いモチベーションで午前の演習を迎えている。クラス分けの都合で、今回は外での演習だ。道場は使えない。
「うわー、日差しが気持ちいいねー、ランリちゃん」
「そうだね」
ガヤガヤと騒がしい中、ナナと一緒に雑談をして待っているとサディーリエ先生がやってきた。
なんか疲れた顔をしてる。
「はいごめんねー、ちょっと遅れたけど午前の演習をはじめまーす。座学の授業とバッティングしてる人がいたら、時間になったら勝手に抜けていいからねー。じゃあまず走り込みから。ウォームアップだから適当に流しつつでいいよー」
外での演習はグラウンドを十五周してから始まる。先生は「流しでいい」とか言ってるが、そもそも十五周って結構疲れる。
ランニングが終われば型の稽古をする。
嵐流剣術は踏み込みが重要だから、その辺りを重点的にやる。
慣れてしまえば、瞬動で十メートルくらいならすぐに攻撃可能だ。嵐流の間合いは広い。
そして乱取り。技を掛け合うが、そこまで本気でやるわけではない。
ここまでのメニューで一限目が終わる。『嵐流剣術演習』は午前の一時限だけの授業だから、正式にはここで終わりだ。しかし非公式に開かれる自由参加の二時限目があって、そっちの方ではみんな大好き練習試合が行われる。
と、いうのもあって、他の授業と時間がダブってる学生以外は基本的に二時限目も参加するわけだ。
「はい、お疲れー。休憩取った後は練習試合やりまーす」
教員棟に戻っていくサディーリエ先生。またすぐ戻ってくるだろう。
ナナが額の汗を拭う。
「ふい~。疲れたぁ」
「そうだね」
練習試合は単に試合をやるというのではなく、授業に参加している学生から実力の近いものを先生がマッチングさせてみんなの前で戦わせる形で行われるのだ(ただし対戦相手の希望があれば通ることも多い)。試合が終わった後はどこが良かったか、悪かったか、改善点はどこか、などの意見を口々に出し合う。
ギャラリーがいる前で戦える機会はそんなにない。みんな自分の実力を誇示しようと躍起になる。それなりに本気で互いに闘うことができるのだ。
ザクザクと土を踏みながら、一人の男が近づいてくる。
細身の少年だ。目つきが悪い。
「よぉ、ランリ。今日、試合やろうぜ」
「……シート」
嫌味な笑みを浮かべている彼の名前はシートという。
私と同じ嵐流三段を所持している少年剣士だ。
初等部からの内部進学組で、前回大会で私に負けたのを根に持っているらしい。
ナナが割って入る。
「あー! だめだよシート。ランリちゃんは私とやるんだから!」
「あぁ? おめーはいつも放課後コイツといちゃついてんだろぉが。たまには俺とやらせろよ」
「だめー! なんかお前、ランリちゃんのこと狙ってそうでキモいし!」
「はあ? おいゴラふざけんなよナナ。てめぇからぶちのめすぞ」
「言葉使い! ヤンキーっぽい口調やめなよみっともない! 将来は帝国剣術士になるんでしょ!」
「……ちっ。まあいい」
私の方を睨みつけてくる。
「ランリ。お前、まさか逃げねえよなぁ? 最強の剣士を目指してんだろ?」
「まあ、うん」
「じゃあ俺にも当然勝てなきゃなぁ? ここで逃げるようじゃ、ビャクにはますます勝てねえぜ」
「……」
ビャク。
その言葉を聞いた瞬間、心のどこかがピキリと痛むのを感じた。
「あ、ヤバいよシート。その名前だすのは……」
「お前は引っ込んでろっ! ……なあ、ランリ。俺はお前に勝つべく特別な訓練を積んできた。ビャクに稽古をつけてもらったんだぜぇ!」
「そう。いいよ、じゃあ。先生が来たらすぐにやろう」
「ちょろっ」
「ちょろいよランリちゃん……」
うるさいなぁ。
……ビャクは、前回大会の決勝戦で私を倒した剣士だ。彼は正直……とても強い。
あの大会で負けてからというもの、彼に勝てるビジョンが自分の中で浮かばなくなってしまった。絶対に優勝するぞと意気込んで、何ヶ月も前から調整を重ねて、努力し続けてきたのに。今までで一番強い私だったのに。それでも負けたのだ。
先生が戻ってきたので、シートとの対戦を求める。要求はあっさり通った。
互いに木剣を構える。土を踏む感触がした。
「はーい構えて~。開始!」
◆
「なっ……」
シートの構えは、『下段』だった。
剣を寝かせ、脱力するような姿勢。上から下ではなく、下から上に斬るための姿勢。
これは嵐流の構えじゃない!
「何考えてるの、シート!?」
「はぁ? だから言っただろぉが。お前に勝つための稽古をビャクにつけてもらったんだよ。その答えがコレだ」
……晴天流。
カウンターを主軸とする守備的な剣術流派。
シートが選択したのはそれだった。
これは、ありえないことだ。
守りを主体とする晴天流剣術は、スピード重視の嵐流剣術に相性が良い。それは分かる。でも、シートは今まで嵐流ばかりを修めてきた剣士だった。
いきなり晴天流に転向して、私に勝てるわけがない。
シートは馬鹿じゃない。そのぐらいのことは分かっているはずなのに。
「もしかして、私のこと舐めてたりする?」
「無駄口たたいてないで、早くかかってこいや」
「……っ」
お望み通り!
『噴気』は二つのステップから成る。
一、闘気を特定部位に圧縮。
二、それを解放。
これをいかにスムーズかつ高速に行うかが重要だ。
足裏に闘気を溜めて解放すれば、それは瞬動になる。
突然の加速で姿勢を崩さないために慎重を期す必要があり、そのための準備がその剣士のリズムとなって、瞬動を打つタイミングが相手にバレたりバレなかったりする。
私の場合、それを行うのに0.2秒とかからない。
──嵐流・瞬動。
刹那の後にシートの胸元へ剣が伸びる。良いスピードだ。ここ最近は瞬動の速度も上がっている。
これを防ぐことはできない!
ガコンッ! と何かが弾ける音がした。
「ああっ!」
ナナの悲鳴が耳朶を打つ。背中を強い衝撃が襲う。
私は、空を見ていた。
「……え?」
「はい、勝負あり~。シートの勝ち。ひゃーっ、先生びっくりしちゃったよ。シート、いつのまに晴天流をマスターしてたの?」
「ありがとうございます。実はビャクに色々と……」
二人の会話が遠のいていく。
耳に届いているはずの声が判別できない。
なんで? 負けた? シートに? どうして。
今度こそビャクに勝つべく、ずっと特訓してきて、それで、なんでシートに負けた?
シートなんかに負けた?
心臓の鼓動が聞こえた。明らかに私は動揺していた。
負けてはならない相手に負けた。
「おい、ランリ」
「……ん?」
仰向けのまま呆然としていると、視界の端にシートが映る。
どこか軽蔑するようなまなざしだ。
「舐めてんのはどっちだよ」
「あっ……」
ああ、そうか。
シートは、何も特別なことはしていない。
前回大会で私に負けてから、必死に努力し続けてきたんだ。私に勝つために流派を転向してまで。
私がビャクを意識していたように、シートも私を意識していた。
ただ単に、努力量の差で負けたんだ。
「ランリちゃん……」
「はぁ。がっかりだぜ。もういいや、お前。俺はよ、次はビャクを倒す。そしてこの学園中等部で最強の名乗りを上げるぜ。あばよ」
シートは校舎に帰ってしまった。
「……」
惨めだ。なんて、惨めな……っ。
結局その日は、ずっと敗北の事実に頭がいっぱいで何一つ集中できやしなかった。