14.神剣
眠たそうな目つきで、アルアは言葉を続ける。
「私たちの所属は『神剣探索隊』。まだ詳しいことは言えないけど……テンキ。あなたには学園を卒業後、私たちの部隊に来てほしいと思ってる」
「なるほど。その心は?」
「ビャクがね、言ったんだよ。『面白いやつがいる』ってね。スカウトする気らしい」
どうやら思ってたより高評価されてたようだ。
やったぁ、就職先決定だぜ。これでニートにならずに済む。
……いや、本当に良いのか? 異世界に来て、やることが就職? なんかこう、もっと……
なんかありそうな気がしたが、特に思いつかなかったので考えるのをやめた。
「……アルアが俺に勉強教える気になったのも、将来の同僚になるからってことか? 今のうちに恩を着せておこうって」
「まあそれもあるけど……それ以前の話として。やっぱり自らの目で確かめておきたいでしょ? 自分の背中を預ける存在になるかもしれないんだから。テンキが向上心のないやつだったら、あなたが神剣探索隊に入るのは絶対に阻止した」
「今は一緒に働いてもいいって思ってるわけだ?」
「自分勝手で図太くて、強さに貪欲なやつ。そういうやつほど伸びるからね」
遠回しに性格が終わってることを指摘された俺は話を逸らすことにした。
「……で、神剣探索隊って何する部隊なの? というか、なんで騎士団で働いてる……プロのお前らが、こんな学園に通ってるんだ?」
「私たちが学園に通う理由はいくつかある。単純に、まだ子供だから学校には行っとけっていう上司の意向もあるし、……あとは任務かな。詳しくは言えない」
「なるほど」
潜入操作的なことなんだろうか。
あまり詳しくは教えてくれなさそうだ。
「神剣探索隊は文字通り『神剣』を探すための部隊。騎士団の中でもかなり特殊な立ち位置だから、少数精鋭でやってる」
「神剣ってなんだよ」
「あ、知らない? 有名な伝説だよ。神代よりこの世に存在する十三振りの剣の話。そのどれもが絶大な力を秘めてる。だからどの国も狙ってるし……世界連合もね。だからザストゥーラ帝国も専門部隊を組んで、他国に先を越されないように探し回ってるってわけ」
ということは帝都にその神剣の内の一つがある可能性が高いってことなのか。アルアとビャクはそれを探していると、暗にそう告げている。
「俺にペラペラ喋っちまっていいのかよ? まだ帝国騎士団に入るって決まったわけじゃねえぞ?」
「機密は漏らしてないでしょ。私たちが帝国騎士団ってことだけ伝えてる」
「えぇ……そういうもんなの?」
「そういうもの」
「俺が周りに言いふらすとか考えないのかよ。ビャクとアルアは神剣探索隊です! って」
「そんなことしたらどうなるか、分からないほど馬鹿じゃないって今までのやり取りで理解したからね」
「おー、こわ」
……黙っとこ。こんなんで暗殺とか笑えねえし。
「じゃ、俺帰るわ。色々と教えてくれてありがとな。マジで助かった」
「うん」
バイバイと手を振るアルア。
おっかねぇな。
なんだか居心地の悪くなった俺は、そのまま部屋を後にした。
◆
寮に戻りシャワーを浴びてから、いつもの森へとやってきた。
結構な真夜中になりつつあるけど……見つけたぜ。
黄金の月明かりに照らされるのは銀髪の美少年。いつものように木剣を握り、綺麗なフォームで素振りをしている。
静謐さの秘められたその視線はどこか遠くの一点を見つめていた。
「よお。ビャク」
「また君か」
素振りを止めることなく、言葉だけで返事をするビャク。
「アルアから聞いたぜ。お前、俺のことスカウトしようとしてんだってな」
「……君には、才能があるからな」
「へっ。本当かよ」
まああるだろうな、才能。
俺って実は才能ないんじゃねえかと思ってる時期もあったけど、この学園に来て改めて思うのは、俺は天才だということだった。
俺には師匠がいない。そりゃ、いろんなヤツから色んなことは学んでいるけど、剣術や戦闘技術を体系だてて教えてくれたヤツは一人もいない。シービーと一緒に戦い方や闘気操作の基礎を考察したり、ビャクからちょっとしたヒントを貰ったり、晴天流道場で先輩から教えを受けたりはしたけれど、そういった断片的な知識や技能をここまでのレベルで昇華できる人間はそう多くはないだろう。
そして……更なる高みに上るため。
俺は、自信の闘気操作を次のレベルへと上げたい。そのために、アルアから聞いた話は無視できない。
「『魔法数理』の知識ってのは、闘気操作に応用できるんだってさ。それを聞いた時は目ん玉飛び出るかと思ったぜ。魔法の勉強もしっかりやらないとって思った」
「何が言いたい」
「アルアの知り合いには、魔法数理の知識を使って、闘気を数値的に計算してコントロールしてるやつがいるんだと。びっくりだよな、そんなことができるヤツがいるなんて。……なあ、お前なのか? ビャク」
ビャクが素振りを止める。
芯まで凍てついた氷のような瞳が俺を見つめる。
風が少し吹いた。夏の到来を知らせる、生暖かい、ぬるい風。
──魔法数理を、闘気操作に応用する。
ビャクなら可能だろう。俺はそう感じていた。
「残念ながら、俺じゃない」
違った。
「じゃあ誰だよ!」
「はぁ。君は……何というか、短絡的だな」
ため息一つ。額に手を当て、悩まし気な表情を浮かべるビャク。
むむっ。こいつ、いま俺のこと馬鹿にしただろ。
「以前から思っていたことだが。君は、……君たちは、俺のことを高く評価しすぎなんじゃないか?」
「そう、かな?」
ビャクはかなり強い剣士だ。それは戦闘の実力もそうだけど、それ以上に、心が強い。
彼は同学年の剣術士にはまず負けないほどの高い実力を既に有しているにもかかわらず、勝つことに対して真剣で、決して手を抜かない。ランリやシートのような自分より格下の相手であっても、それをよく観察し、弱点を見抜き、そこを的確に射抜くにはどうすれば良いのかを前もって考えている。
日々の鍛錬も欠かさない。今だって、こうして夜中に一人で黙々と素振りをして自分の剣術を研ぎ澄ませている。誰に強制されたわけでもないのに、より強くなるべく努力し続けている。
彼はただ勝っているのではない。勝つべくして勝っているのだ。
もし仮に高等部の学生と戦うことがあっても、ビャクが負けることはほぼ無いだろう。中等部一年生にして、既に学園最強レベルの剣士。次の中等部剣術大会だって、間違いなく決勝に上がってくるはずだ。
「俺は別に、ビャクのこと、過大評価してるつもりはないぜ」
「なら聞くが……確かに、君やアルアの言う通り、『魔法数理』の知識を使って闘気量の計算をするようなことは可能だ。だが、……それを実際に行うというのが、どれほど難しいことなのか知っているのか? 理論上は可能だ。ただ、実際に、本当に、それを実戦で、命のかかった殺し合いの中で、頭の中で演算をしつつ、自分の動きをそれに合わせるようなことが。……テンキ、それがどれほど難しいことなのか、君に分かるか?」
「……」
俺には、わからない。
ビャクの見ている世界が、俺には見えていない。
それがどれほど難しいことなのか、全然、具体的に分からない。
ビャクの表情は、苦虫を噛み潰したような、苦しげなものだった。
「そんなに、難しいことなのか?」
「挑戦するものは多い。確かに、簡単なレベルであれば俺も似たようなことはできる。だが、実践レベルで使うのは難しい。難し過ぎる。俺だって何度も挑戦したが……」
はっ、と。息を飲むビャク。
「少し喋り過ぎたな。忘れてくれ」
「……へへっ」
「何が面白い?」
そうか。
やっぱりそうか。
今の俺がまだ届いてない、認知すらできない高みにある世界。ビャクがいて、俺がいない領域。
でも、結局は同じことだ。同じこと。
……乗り越えがたい壁があって、それを超えられずに悩む人間たち。
結局、高みを目指す人間がぶち当たるのは、常にその悩みだったってわけだ。
「いや、なに。ランリはお前のこと神様か何かだと思ってたみたいだけどよ……俺にはどうしても、そうは思えなくて。絶対に倒せない敵みたいには、思えなくてよ」
「……?」
「やっぱりさ! ビャクにも、出来ないことってあるんだな! それを聞いて安心したぜ……お前はやっぱり、倒せない相手じゃない」
「なんだと?」
ビャクに向かって指先を向ける。
これは一種の宣戦布告だ。
「ビャク! 俺は、お前を超える。なぜなら、俺は世界最強を目指す男だからだ! 次の学園剣術大会は優勝させてもらうぜ。……こんなところで、負けてられないからな!」
無言のビャク。俺の言葉をゆっくりと咀嚼している。
やがて、口を大きく歪めた。
三日月のような笑みが、不気味に浮かび上がる。
「それでこそだ。だから君には才能があるんだ。君のその強さは、ランリにもナナにも、シートにもない。……そして、俺にはある」
俺が指先を向けたように。
ビャクもまた、木剣の先を俺に向ける。
「俺は誰にも負けない。俺も、本気で最強を目指してる。その言葉こそ俺のものだ。……こんなところで、負けてられない!」
互いの視線が交差した。
心臓が高鳴る。脈打つ血液が、熱をもって全身を高ぶらせる。
……勝ちたい。
俺は、こいつに勝ちたい。
心の底からそう感じる。
俺は、ビャクに勝ちたい。
「テンキ。俺たち、もう会うのはやめよう。次に会うのは約一か月後。大会の時だ。俺も、本気で君を叩きのめしたくなった」
「ああ、いいぜ。俺も同じことを思ってたところだ」
「ふふっ。後悔させてくれるなよ。
──こんなに楽しみなのは、久しぶりだからね」
そしてビャクは荷物をまとめると、森の向こうへと一人で歩いていく。
ああ、そうだ。と、別れ際に告げる。
「君に、最後にヒントをあげよう」
あん? なんだ? ヒントって。
「中等部主席剣術士の雲翳流剣士、バディフィク・ジラード。彼の祖父トマス・ジラードが現在の帝国魔導剣術学園の学園長だ。あのお爺さんが学園長になってから、魔法数理の授業は剣術士コースの学生に対しても必修になった」
それを言い残すと、今度こそビャクの姿は見えなくなった。
◆
翌日。授業も終わり、アルアから昨日習った魔法数理の勉強もバッチリ復習して、それから夕方。
俺はとある場所にやって来ていた。
雲翳流道場。
『質実剛健!』と書かれた扁額がデカデカと主張する、飾り気のない道場だ。まさに文字通り。
帝国学園の敷地北側にそびえ立つその建物にやってきたのは、今日が初めてだった。
そして、俺の呼び出しに快く応じてくれた目の前の大男。……中等部三年。最優秀成績を誇る『主席剣術士』のバディフィク・ジラード先輩。
道着姿で仁王立ちの彼は、大きな声で言う。
「うむ! よくぞ来てくれた、新入生よ!!! 私がバディフィク・ジラードである!!!」
うるせえ。声が。
それにしてもデカイ先輩だな。
高等部の学生と比べても、そのほとんどより背がでかい。身長180cmは絶対にある。190cmくらい行くかもしれん。本当に中学生だろうか。その格好も相まって、なんか剣士っていうよりは空手王って感じだ。
こいつが中等部主席、ねえ。
まあ体がデカいってのはそれだけで強さにもつながるが、結局のところ、この世界において重要なのは闘気だ。闘気の量と、コントロールの精度。この二つが優れているからこそ、彼は主席の座を得ているのだろう。
確かランリから聞いた話だと、前年度の中等部剣術大会では三位の成績を修めたとか。前年度ってことは、当時は二年生のはずだ。三年生の強豪がひしめく中で三位入賞ってのは、そりゃすごいことだろう。
バディフィク先輩に案内され、道場内の小休憩スペースみたいなところで床に胡坐をかいて二人して座り、会話を続ける。
「それで、新入生殿は、どのようなご用向きでここまで来られたのであるか!!!」
「ええっと、その前に、俺の名前はテンキって言うんだけど」
「テンキか!!! 良い名前だな!!!」
鼓膜やぶれそうなんだが。
「バディフィク先輩のジラード家ってのは、『魔法数理』を闘気操作に応用することをやってる剣術士の家系だって聞いたんだけどさ、それは本当なのか?」
「うむ!!! 本当である」
厳かに首を縦に振る先輩。
「ただし、我が一族では『魔法数理』ではなく『気の学問』と呼んでいるがな!!! 我々が長年追い求めている『真の合理』のためには、武術のための文術が必要不可欠ということで、お爺様が学園長に就位なさってからは、剣術士コースの必修科目に『魔法数理』が追加されたのだ!!!」
学園長のトマス。俺が入学試験を受ける時にちょっとだけ顔を合わせたあのジジイこそ、この先輩のお爺ちゃんということらしかった。あのジジイのせいで魔法数理の勉強を剣術士までやる羽目になっちまったのか。元凶の正体に驚きだ。
「雲翳流は主要四流派の中でも特に闘気が重要な流派であるからな!!! ジラード家の悲願である九段剣士輩出のため、私としても、『気の学問』はとても興味がある!!!」
だ、大丈夫か? この人なんかいかにも脳筋って感じに見えるけど。数学本当にできるのか?
いや、人を見た目で判断するのはよくないことだ……。反省しよう。
それにしても、雲翳流か。思えば、この学園に来てから関わってきたのは嵐流剣士と晴天流剣士がほとんどで、雲翳流と風雨流に関しては関わりがなかったな。
嵐流と言えばスピード重視の剣術流派だ。闘気操作の技術である『噴気』の応用技、『瞬動』。これを利用し、一瞬のうちに間合いを詰め、相手を剣で斬る、または刺す。そういった流派。俺に言葉を教えてくれたサディーリエだって嵐流だし、ランリも、ナナも、シートだってそうだ。
晴天流と言えば防御重視の守りの流派。下段の構えを基本として、腕や剣に闘気を込め、超高速で剣を振ることによるカウンター攻撃が主体となっている。嵐流に有利だっつうことでシートは嵐流から晴天流に転向したそうだし、あとはビャクも晴天流剣士か。……まあ、あいつの場合は全流派使えそうな感じするけど。
対して、雲翳流に関してはパワー重視の剣術流派だということしか聞いていない。風雨流についても、他三流派の良いとこ取りを目指したバランス重視の流派だということしか聞いていない。
この二つについて、俺はあまり詳しくなかった。
バディフィク先輩を見る。
分厚く発達した腕の筋肉。太くて威圧感のある大腿筋。
そして、道場の奥の方を見る。
大きなカゴに無造作に収納された木剣は、普段俺やランリ、ビャクが使うものとは大きく様相が異なっていた。
デカいのだ。剣が。
明らかに片手で持てるサイズではない。というか両手でもキツそうな感じがする。
分厚いプレートに取っ手だけを無理にくっつけたような形状とでも言うべきか。それは初めて見る、人の背丈ほどもある巨大な木剣だった。
学園剣術大会で勝ち進むためには、雲翳流の研究も必要なんだろうな。
それだけじゃない。『魔法数理』と闘気操作の合わせ技。これも、ビャクを打ち破るための秘策になり得る。
……というか、だからこそ、だろう。俺に『気の学問』を学ばせたかったからこそ、ビャクは俺にあんなヒントを与えたのだろう。自分を倒せるぐらい、俺を強くさせるために。
だったら、その期待には答えなければいけない。
俺は立ち上がると、胡坐をかいて座る先輩に向けて告げる。
「バディフィク先輩。俺、実は『気の学問』を学んでみたいんだ! 雲翳流も、実は前から興味あって! あの、先輩! ……俺に、剣術教えてくれねえか! この通りだ!」
頭を下げる。先輩だって忙しいだろうから、このお願いが断られる可能性は高い。
「顔を上げよ」
姿勢を元に戻す。先輩の角ばった顔が見える。
先輩は、真剣なまなざしで俺を見つめていた。
それから自身も立ち上がり、大きな声で告げる。
「うむ!!! その心意気や、良し!!!
先輩というものは、後輩の願いに答えるものである!!!
テンキよ!!! いつでも来るが良い!!!」
やったぁ~。
俺は雲翳流道場でも剣を学べることになった。
◆
邪悪というのは、気が付けば身近に迫っているものである。
夜中の帝都の街並みを、とある少年剣士が歩いていた。
目つきが悪く、少しひょろっとした肉付きの少年。
……シートは、魔法石灯により照らされた往来の中を、人込みに紛れるようにして進んでいた。
「ったく。今日の練習もハードだったぜ……」
だが、まだ足りない。俺はもっと強くなる必要がある。
もっと、もっと強く。
真っ先に脳裏に浮かぶのはビャクの顔だ。あの歳にして既に晴天流四段剣士という、規格外の実力を持つ同学年の男子。学園剣術大会での優勝を目指す上で、避けては通れない存在。
そして次に浮かんだのはランリの顔。茶髪の彼女は俺を明確に下の存在として認識しており、それがどうにも気に食わなかった。流派を転向してまで、あいつに勝つための練習を積んだのだ。
「あーあ。道場を出禁になっちまったから、毎日毎日、わざわざ敷地外に出て外部の修練場頼みってのは、移動時間の無駄が凄まじいもんだぜ」
何のために剣術学園に通ってんだか、まるでわかんねぇよなぁこんなの。
シートは天に輝く月を見上げ、ため息を吐いた。
だが、まあ、いい。
俺は確実に、少しずつかもしれねぇが、強くなっている。その実感がある。
研ぎ続ければ、届くはずだ。この牙は、ビャクの喉元へと。
……そしてもう一人。その顔が一瞬だけ頭に浮かび、ギリリと歯をかみしめた。
アホみたいに能天気な表情の、陽気な性格をした少年。
テンキ。あいつだけは、絶対に倒す。
突如として現れた中等部入学組の、同学年剣士だ。
晴天流の使い手なんだろうが……情報が少なすぎてイマイチ対策がたてられていないところがあった。
あいつも、次の大会には出てくるだろう。
「叩き潰してやるよ……」
俺の道を邪魔する奴らは、全員。
シートは口元に獰猛な笑みを浮かべ、寮に戻るべく、学園に向かってひたすら歩みを進めた。
そして、更に時間が経過して。
夜もそこそこに、この道の先にある角を曲がれば、もう学園にたどり着くぞという、そんなタイミング。
気が付けば、周囲には誰もいなかった。道の脇に展開される商店街は既に閉店時間であり、自宅と一体化しているタイプの店以外は灯りも消えている。
誰もいない、その場所で。
「ちょっと、お兄サン!」
誰もいないはずのその場所で、声がかかった。
急いで後ろを振り向くシート。
そこに立っているのは、ボロボロのマントを深くかぶり、目元の見えない、背の低い女だった。
ボロの下から覗かせる生足は傷だらけで、酷く痩せ細っている。靴はめちゃめちゃに擦り切れており、足先が破け、右足の親指が飛び出るほどだ。
一見すれば、ただの物乞い。
非力で、下賤で、税金を納めていない、帝都に住み着く寄生虫のような存在。取るに足らない、警戒するまでもない人間。
「……あ? なんで、おめぇ。……なぜだ」
しかし、その女の声を聞いた瞬間、シートの体は総毛立つような身震いを起こした。
鳥肌が指先から体の芯まで覆いつくすような感覚。
──シートは、つい先ほどまで、人の気配なぞ感じていなかったのだ。
「お兄サンったら! 何、どうしたのヨ。そんなに身震いしちゃって。みっともないヨォ? 一応、剣士なんでショ?」
「一応、だと……? おい、てめえ。俺に何の用事だよ」
キシャヒャア、と。不気味な笑い声をあげる女。
全身ガリガリの傷だらけ。フードの下から覗かせる髪は、藁を思わせる痛み具合。色素の抜けつつある茶髪が、灯りを受けてパサパサと煌めいた。
異常者だ。何をしてくるか分かったものじゃない。
素早くそう判断する。
シートは腰に携えた真剣を抜剣。
女に見せつけつつ、言った。
「その場を動くな。何もんだか知らねぇが……痛い目見たくなけりゃ俺に関わるな。忙しいし、疲れてんだよ、俺は」
「ン? なんですか、その剣は。……アハッ! もしかして、ワタシを脅してるのかナ。あぁー、あぁー、良くないデスねぇ。良くないデスゥ」
風に吹かれる枯れ枝のように、ユラユラと横に揺れる女。
「おい、動くなっつってんだろっ! ほんとに斬るぞっ!」
「これはワタシからの提案なんだけどネェ、お兄サン」
にやりと、その口元が歪む。
「強くなりたい! って顔を、してますよネェ、お兄サンは」
「……だったら何だよ」
「欲しくないデスか? 強さ」
何を言ってるんだこいつは。
新手の情報商材詐欺師……な、わけねぇか。
十中八九、ロクでもねえ話だ。
「少なくとも、おめえみたいな怪しいやつから受け取る強さなんてねぇよ。せっかく剣を教わるなら、もっと強そうなやつから話を聞くぜ。引っ込んでろ、乞食が」
「イヒヒッ! ワタシ、そんなに弱そうデス?」
「そりゃ、お前……」
見るからに、弱そうな女だ。
異常性は感じるものの、強者特有の堂々とした風格がない。それ以前に、ユラユラと揺れるような立ち方は、栄養失調に陥っている者のそれと完全に同じだった。
例え戦闘になろうと、負けることはあり得ない。むしろ、下手に殺してしまうようなことがあれば、そっちの方が色々と始末に困る。そういう意味で、戦闘は避けたい。
女はバッ! と両手を動かし、マントをはためかせる。
そのまま、腰に佩いた剣を抜いた。
「……なんだよ、それは」
その剣は、剣というにはあまりにも異様な風貌だった。
ねじれた細い木の枝に柄を強引にくっつけたような、そんな形状だ。こんなもの、今時ガキのチャンバラごっこですら使われない。
「じゃあ、ワタシから行かせてもらいましょうカネ」
「おい本気か? マジで怪我するぜ、おめぇ」
「ヒヒッ!」
跳躍。思いの外、高くまで跳び上がる女。
この高さは闘気を使わないと出せない。
その瞬間、シートは考えを改めた。
本気でやらなきゃ、やられる。
「行きますヨォ! 雲翳流・押し雲!」
空中で木の棒を高く振りかぶり、そのまま落下の勢いに任せて降って来る。
ブワアアアアアッ! と、おびただしい量の闘気が爆発的に展開し、木の枝にまとわりついた。
大きく跳躍してその一撃を回避。
耳をつんざくような爆音が響き、地面に巨大なクレーターが出来上がる。
間髪入れずに追撃が来る。
やるしかないのか!
「晴天流・日輪!」
剣を右から左へ、大きな軌道で素早く振るう。
ガキイイインッ! と音がし、シートの真剣は、女の木の枝と打ち合った。
そのまま鍔迫り合いになる。
──やはり、見た目通りの木の枝じゃねえな、これは。
真剣と打ち合える枝など存在するわけもない。彼女の握るそれは木剣と呼べるほどの太さもなく、本当に、ただの木の枝。言うなれば、棒だ。
そして、厄介なのが……
「キヒヒヒヒヒヒッ!」
自らの脚と腕に闘気を集める女。
剣からギャリギャリギャリギャリ……と嫌な音が聞こえてくる。
シートもまた闘気を使い対抗するも、明らかにパワーで押し負けていた。
厄介なのが、この闘気量!
「うぜぇ。うぜぇよ……これだから雲翳流剣士ってのはよ……っ!」
後ろに跳び、少しだけ距離を取る。すぐに詰められる。
晴天流剣術を用いて敵の攻撃をいなそうとするも、一撃一撃が常識外の重たさだ。
参ったな。この女、俺より強いぞ。
勝てない相手と当たった時はどうするか。
逃げる。これ一択。
シートは女に背中を見せ、全力疾走で逃げ出した。
幸い、学園はすぐそこにある。出入口の門まで逃げ切れば、見張りの守衛が争いに介入してくれるはずだ。
「はぁ……っ。はぁ……っ。はぁ……っ」
呼吸が荒ぶる。
俺は今、ガチで殺されかけてる。本気で逃げなければ、死ぬ。
後ろから声が聞こえた。
「えーッ。逃げるって本当デスゥ? 帝国剣術士も大したことないのネェ」
うっせえ馬鹿。そんな安い挑発に誰が乗るかっての。
彼我の力量差を認識し、無理そうなら逃げる。これが賢い戦い方だ。
自分より強い奴に挑むのは、練習の時だけでいい。
実戦なら、強い奴の相手は強い味方に任せればいい話なのだ。
負ける可能性……死ぬ可能性の高い実戦に身を投じるのは、狂人のやることだ。
道の角に差し掛かる。ここを曲がれば、あと少しで……っ!
後ろから風切り音が聞こえた。
背中に衝撃。そのまま数メートル吹っ飛ぶ。
グルグルと転がり、前歯を地面に叩きつけた。イテェ……
すぐに姿勢を立て直し、追撃に備える。
少し遠くにいる女は、ゆっくり歩きながら口を開く。
「どオ? 斬撃を飛ばしたんだけどネ。これ、見たことあるゥ?」
……斬撃を飛ばしたという表現は適切ではない。
これは闘気操作術の一つ、『気射』だ。
自分の体から闘気を遠くまで飛ばすという技である。
この女は、剣を振るのと同時に、剣先から闘気を飛ばしたのだ。
それなりに腕のたつ雲翳流剣士や、晴天流剣士なら使用可能な技。
段位で言うと……最低でも五段相当か。
「参ったなぁ……こりゃ」
この道は見通しが良い。身を隠す場所はない。
遠くから斬撃を放てるのであれば、いくら走って逃げたところで意味がないってことになる。
逃げるのは筋が悪い。
こうなったらもう、やるしかねえのか。
シートは両手で剣を構え、女に相対する。
その瞳に力が増した。
「かかってこいよ、不気味女。せめて精一杯、あがいてやるぜ」
ゆらゆらと揺れるように歩きながら、女は言葉を返す。
「お兄サンには、深い悪感情が渦巻いてる。これは嫉妬カナ? それとも、憎悪? ワタシたちはそれを増幅させ、心を支配し、行動を操るのサ。お兄サンからは良い魔剣が生まれそうだから、わくわくしているところなンダヨネ」
ボロボロの手に握られるのは、木の枝としか思えない、細い木剣だ。
しかしその実態は、折れたり壊れたりすることなど決してあり得ない、非常に強靭なものだった。
人の悪感情を操作・増幅し、そこから魔剣を作り出す能力をもつ、非常に特殊な剣。
唯一無二にして強力無比。はるか古の時代より伝わる、究極の剣。
女は、キヒャアッと笑みを浮かべる。
「安心しなヨ。『神剣カンナストロイア』に、殺傷能力はないからサ」




