9)ダメ母が姑になるかもしれない恐怖
「……うぅん……でも、その、政略結婚というのは少し時代遅れじゃないだろうか。今は平和な時代だし、単純に恋愛結婚をさせてやりたいという母上の親心かもしれないよ?」
狭い可能性に一縷の望みを託して第一王子が言う。
が、これには第二王子が口元を引きつらせるように歪めた。
「兄上? 恋愛結婚というのは、当事者である俺たちが自発的に恋愛しなけりゃ始まらないんだが?」
「それは……そうだね」
「自由恋愛はそもそも出会いがなければ始まらない。社交の場にまともに姿を現さず離宮に引きこもりっぱなしの兄上とそれを容認している母上に、その気がないのは明白だ。少なくとも貴族たちはそう見る」
「……。いや、でも、僕だって「いつかは」って……」
「そう思いつつ何も行動してこなかったんだろ? ああ別に兄上に説教しようってんじゃない。ただ、母上こそがそこのところを理解して、それに相応しい振る舞いをするように兄上を導くべきだったという話だよ」
確かに。恋はするものではなく堕ちるものである、なんて言うが、少なくとも他者と接点を持つ機会がなければスタートラインにも立てない。
その機会を与えず、むしろことごとく奪うような教育をしてきた王妃には、第一王子に自由な恋愛をさせる気などさらさらなかったとしか思えない。
「さて、ここまで話が煮詰まってくれば、おのずと令嬢たちの態度の原因が絞られてきそうなものだ。シモンズ嬢、引導をお願いしたい」
(……なんなのかしらね、この第二王子。お兄さんを再教育したいわけ?)
案外、ありそうな線に見える。
ぼんやりとそんな思索を頭の隅に置きつつ、キャロラインは無駄な抵抗をやめて、言うべきことを貴族言葉に変換する作業に集中した。
「……第三に。初日にアルフレッド殿下がお声をかけた令嬢が下城してしまった件ですが……」
「『生理的に無理』事件だね」
第三王子がありがたくもズバリと言ってくれて、キャロラインは直接的な単語を回避することができた。
「左様です。先ほど申し上げた通り、アルフレッド殿下の言葉選びは、女性にとっては好ましからざる表現を含んでいました。それも会場中に、かの令嬢の非を暴くような塩梅になってしまって……この際、多くの令嬢が及び腰になったのは間違いございません。ですがそれは、アルフレッド殿下御本人に対してのみではなく、目端が利く者は殿下の背後に王妃殿下の存在を見通したがために、王室御一家そのものから距離を置く方向へと意志を固めたと見て間違いないかと存じます」
「母上が……嫌、だから?」
おそるおそる、窺うように尋ねてくる第一王子の視線に、キャロラインは極上の笑顔を作って沈黙を貫いた。察しの悪い第一王子でも、「これぐらいは自力で察しろ」と暗に言われていることぐらいたぶん察してくれるだろう。
はあー、と大きなため息を吐いたのは第三王子。
「そりゃそうだ。嫁に行ったらあんな姑にネチネチやられると思ったら、真っ当な女性ほどあっという間に逃げ出すよねぇ」
案外俗っぽい概念にも精通しているらしい第三王子の一方、第一王子は「しゅうとめ?」と首を傾げている。
まあこのように、実際目の当たりにすれば、第一と第二以下とでは施された教育の質がまったく異なっていただろうことは明白だが……
「……あっそっか。だから僕もブラッドリー兄上も対象外になっちゃったわけかぁ」
「待ってくれチャールズ。話が見えないよ」
「だからね、結婚したら相手の親ともある程度付き合いを持たなきゃいけないでしょ。それがよりにもよって「生理的に無理」とか言っちゃう無神経男を育てた駄目母だなんて、どう考えても地雷物件でしかないじゃん。ま、僕とブラッドリー兄上は母上とほぼ接触せずに育ったわけだけど、血の半分はあの人のだし。今は僕らに興味がないふうだけど、いつ気が変わって僕らの結婚や嫁に対して口出ししてくるかわかったもんじゃない。あんな香ばしい女と縁続きになるくらいなら王子妃の座なんていらない、って判断する女性は多いだろうし、彼女らの実家だってよっぽど権力に執着でもない限り、距離を置いて静観って態度にもなるさ」
よどみなくつらつらと、しかもどんどん遠慮なく辛辣になっていく第三王子の話が進むほどに、第一王子は徐々に凹んでいき、キャロラインは「いろいろ溜まってたんだろうなぁ……」と同情を禁じえない。
そう。兄が駄目男ならば、弟たちもそうなのだろうと自然に考えるのが人情である。同じ血を分けている時点で少なくとも素養はあるはず、まして似たような環境で育ったのならば同じ穴のムジナに違いない、と。
実際には兄と弟二人の間には断崖絶壁に近い差があるようだが、そうとわかるのは忌憚なく言葉を交わしている今だからこそ。御愛想笑顔でそつなく客をもてなす茶会で、もてなされる大勢の一人でしかない令嬢たちが、そこまで深く読み解くのは困難きわまる。
結果、よく見えていないメリットよりも見えているデメリット、臭いものには蓋を。そんなノリで、少なからぬ令嬢たちが婚約者候補の座から辞退していったわけである。
……そして。
ごく少数の令嬢だけが、事は「無神経」の一語に収まるものではないと、気づいている。
「そんなに……そんなにまずかったのか、私の態度は……」
いよいよ頭を抱えだした第一王子を、第二王子は退屈げに頬杖つきながら眇に見やり、次いで、またまたキャロラインに視線を転じた。
青玉の瞳が口よりも雄弁に語る。
引導を渡せ、と。
キャロラインは細く長くため息を肺から吐き出した。
第二王子の要求をこれ以上呑んでやる義理もない気はしたが……毒を食らわば皿まで、だ。
「……ほんの一握りの令嬢の間で、とある憶測が密かに交わされていたのを耳にしたのですが……」
あくまでも当事者ではないとしっかり前置きして、キャロラインは非常に話しづらそうな芝居を入れつつそう切り出した。
「第一王子殿下は、初日に下城してしまったかの令嬢に、その……恋を、してしまわれたのではないか……と」
食堂の空気が一瞬にして凍りついた。
食器とカトラリーがぶつかりあう無作法な音が給仕の手元と王の席から響き、当の第一王子は真っ白になって絶句、第二王子だけが白け顔。
「えぇ……」
第三王子のドン引き声が、場の一同の心情を代弁して虚しく響いた。