8)長男を溺愛するダメ母の典型例
「んー……でもなぁ」
王妃の去った余韻の中で、ぼんやりと声を上げたのは第三王子だった。
「アルフレッド兄様のことが、怖くて?……っていうけど、それならアルフレッド兄様から離れるだけで良くない? そんな別に、大急ぎで帰らなくても。僕もブラッドリー兄様もいるんだし」
存外と当を得た言葉に、第二王子はニヤリと笑い、キャロラインは額を押さえる。
(ああ余計なことを蒸し返す……)
確かに第一王子がやべーやつであるというだけで一目散に逃げ出す道理はあんまりない。なにせ同じ会場には最有力株に昇格した第二王子もいるわけで。第一王子に対してはあからさまに邪険にせずとも適度に距離を置きつつ、第二王子の籠絡を、と考えるのが自然の流れとも言える。
下城せず残った令嬢の中には実際そういう考え方をしている勢力もいるだろう。だが多くはない。まとまった数の令嬢が「第一王子やべぇ=王家やべぇ」という公式を速やかに成立させ退散しているのが現実である。
正直それくらい自分たちで分析しろやと突き放したいところだが……やはりというかなんというか。何もかも見通しているらしい顔つきの第二王子が、顎を上げてこちらを見ている。
キャロラインは器用に一本だけ、目立たぬ皺を眉間に刻み、第二王子に微笑を返しながら顔をくいくいっと動かして第一王子を示した。
第二王子は肩をすくめつつも、第一王子に釘を刺しに視線を転じる。
「兄上、この先の話はここだけの話として、胸に収めていただけますか?」
「……どういう意味だい?」
「要は母上と侯爵とその取り巻きには話すなってことだよ」
唐突に砕けた口調になって、第二王子は察しの悪い第一王子にうっとうしげに手を振った。取り繕うのをやめたらしい。
キャロラインはぎょっとしたが、王を筆頭に、王子も給仕たちもまるで気にしていない様子。王妃がいなければ内々にはこういう態度もアリということか。……何も知らない客人がここにいるのを意図的に忘れないでほしいのだが。
そして、やっぱりいろいろ王妃に筒抜けだと身内から断定されているらしい第一王子の悲しき信用度よ。人払いすらしていないのだから、侍従や給仕のほうがよほど信頼されているらしい。
「それはいいけれど……別に僕には関係ない話だろう?」
「……この期に及んで自分が無関係だと思える鈍感さにはある種の器の大きさすら感じますよ兄上。もちろん関係ないはずないだろ、きっちり拝聴しろ」
第二王子は強い言葉で釘を刺すと、今度こそキャロラインを顎でけしかけてきた。
逃げ場はないらしい。キャロラインも嘆息を隠さずに、諦めて口を開いた。王妃の耳目がないのなら、多少ぶっちゃけてもなんとかなりそうな感触ではある。
「……その点については、複数の理由から成り立っていると考えられます。まず第一に、そもそも今回の茶会が開かれた目的ですが……」
「ああ、僕らの嫁探しだっけ。表向きはなんかごちゃごちゃ建前掲げてたけど」
第三王子があけすけに言う。キャロラインもここは素直に首肯した。
「もちろんわたくしどももそこは心得て、こたびの茶会に臨んでおります。ですがそれと同時に、ある種の警戒感……いえ、はっきり申し上げれば、不審感、としか言いようのないものを共有していたのも事実でございます」
「不審……? いったい何に?」
第一王子は心底わからないという顔。
キャロラインは細めた視線を第二王子に向けた。お前の兄だろ少しは参加しろ、という眼力に負けて、第二王子は溜息まじりに話を引き受ける。
「そもそも、建前が必要だということは、表沙汰にできない本音があるということになるのはわかるだろう? 上の者から下の者への建前というのは、「本音を察しろ」とか「不満を飲み込め」といった強要が言外に含まれているものだ。すでにここで失点1。参加者が不審がるのも道理というもの」
「……でも、そういう不満も飲み込むのが、貴族というものじゃないのかい?」
「それこそ建前だよ兄上。片務的な負担や不満は、解消されない限り蓄積していくものであって、見えないところで相手への不信に加算されていくものだ。誠実さを欠いた対応をすれば、たとえ顔は笑っていても腹の底では何を考えているかわからない、そういう臣下をいたずらに増やす確率を上げるだけだ」
第二王子の述懐に、キャロラインも顎を引いて深く静かに同意した。
王妃、ひいては第一王子の最大の問題点がそこだ。他者の気持ちを慮れない、相手の立場に基づいた想像ができないし、しようともしない。
為政者としては何もかも臣民におもねっていては立ち行かないのも事実。しかし国は人間でできている。人心を理解できない為政者に、まともな国の運営ができるわけもない。
もし第一王子が今のまま最高権力を握ったら、侯爵家による下手くそな独裁まっしぐらだ。そして周囲の貴族がそれを許すはずもない。下手をすれば血を見ることになる可能性も……
「……。失点1、ということは、他にもあったということだね?」
なんと第一王子からキャロラインに水を向けてきた。
聞く耳持たないかと思えばそうでもないらしい。むしろ存外素直なたちなのではないだろうか。
意外な思いは表には出さずに、キャロラインは曖昧に微笑んだ。
「……第二に、その「表沙汰にできない本音」の内容が問題となります。先ほど申し上げた通り我々臣下は、今回のお茶会の真の主旨は「殿下方の伴侶を見極めるため」であろうと目星をつけて参加しております。ですが、根本的な疑問がここに一つ。『なぜそのような茶会を開く必要があるのか』と」
「ええ? それは……」
「……。あー」
第一王子は困惑、第三王子は納得の表情。
この件は、一貴族の身で指摘するのは厳しいものがある。第二王子はそれを察してか、今度は自発的に話を引き継いでくれる。
「通常、王族の婚姻なんてものは政略の一部だ。政治的に有用な家を見極め、王族と貴族のパワーバランスや国益を大人が考えて、子供と子供を正しくめあわせるのが本来あるべき形と言える。にもかかわらず、成人済みの王子が二人、未だ妃候補さえ立てられておらず、あまつさえ王命で国中の若い令嬢なんぞ集めて茶会なんてものを開こうとしているわけだ。これが、傍から見れば『期限が迫ってきてようやく焦り始めた』動きに見えてしまうのは必然だ。……実際、心当たりもあるだろ?」
「確かに……母上が……」
目線をうろうろさせる第一王子の様子に、どうやら読みは当たっていたらしい、とキャロラインは小さく嘆息した。
今回の茶会は、どこからどう見ても王妃の肝煎りだ。弟王子たちは置物で、あくまで第一王子の嫁取りが目的としか思えない。
そして、先ほどまでの王妃のあの態度である。こちらが見込んだ以上に切羽詰まっているのもほぼ確実。
「土壇場になって焦るということは、婚約者の選定や交渉が捗々しくないか、さもなければ婚約者選びを怠っていたか、ということになる。前者であるなら王家とその近臣がよほど交渉力に欠けるのか、あるいは当事者の我々王子によほどの問題があるか。後者であるならよほど計画性に乏しいか、あるいは突き抜けた怠惰か。──そんなところだろう?」
第二王子に皮肉げな笑みを向けられ、キャロラインは鉄壁の令嬢スマイルで応戦する。
「……わたくしども中流貴族に汲み取れる情報は多くありません。ただ、噂レベルでも「婚約の打診をされたらしい」という類の話がどこからも聞こえてこない、という事実を密かに重く見ていた家は少なくなかったかと……」
「なるほど、無能な怠け者のほうで見られていたわけだ。慧眼だな」
……ではやはり、王妃を始め、王家は本気で婚約者選びを怠っていたわけだ。
王妃の第一王子への偏愛ぶりは有名だった。第二・第三には目もくれず、第一王子と離宮に籠もって母子二人長い長い蜜月を送り続けている。
口さがない貴族などは「若い燕を囲ってベッタリだ」などと笑えない揶揄を好んだ。……だがまあ実際、そう言われても仕方のない状況ではあったのだ。
王妃は国政に興味を持たず、最低限の公務しかこなさない。王の相手もそこそこ、気づけばあっという間に離宮に引っ込んでいる。後継者を三人産んで役目は果たしたと言わんばかり。実際、それを出されれば強く出られる者はそういない。
第一王子に至っては離宮からめったに姿を現さない。舞踏会などの国事でもちらりと姿を見せては、ろくに社交もこなさずいつの間にか姿を消している。もはや必要最低限以下。王妃の言い訳は決まって「繊細な子なの」と、実に平然としたもの。
これでは王妃が第一王子を離宮で囲い込んでいる、となるのは必定。実際、婚約者選びを怠っていた件からも、可愛い息子を独り占めしたいという動機が透けて見えている。
王は王妃に何も言わない。侯爵──つまり王妃の実父が苦言を呈していたという目撃情報だけはある。しかし母子の態度が改善されることはなかった。
第一王子の教育に関しては、王妃が完全に掌握していたわけだ。
(で、その王妃が今まさに焦りまくってる。第一王子が二十歳を過ぎて──違うわね、帰国した第二王子がいつの間にか成長していて、尻に火が点いていることにようやく気づいたってとこかしら)
第二王子は長年他国に留学していたが、十八歳の成人を控えて一年ほど前に帰国した。
王位継承者として箸にも棒にもかからない、というかそもそも正体不明に近い第一王子に不安を抱いていた近臣たちが、久方ぶりに帰ってきた第二王子の成長ぶりを見たら、どう思うか。
顔つきは理知的で、言動には芯が通っている。物事の本質を見抜く眼力と洞察、それらをいかに己の利に繋げるかを組み立てる思考力の高さ。容姿も、兄王子の淡く浮世離れした美貌ほどの特別な何かはないが、並べて比較しても顔立ち自体に劣るところがあるわけでもない。むしろ落ち着いて深みのある色彩は地に足のついた印象があって、国政という現実に向き合わねばならない宮廷貴族から見れば、より好ましく感じられることだろう。
そしてなにより、公務をちゃんとやる(!)。とっても大事。
となれば、近臣の中にも方針の舵を切るものが現れ、宮廷内の勢力図が大なり小なり蠢いただろうことは想像に難くない。
王妃はその蠢きを嗅ぎ取り、初めて危機感を抱いたのだろう。侯爵家の後ろ盾によって後継の地位は安泰だったはずなのに、第二王子というダークホースの出現によって大きく揺らぎ始めた。これはなんとかせねばと、まずはわかりやすく比較的達成容易な婚約者探しに乗り出した、といったところか。
……そこで弟王子を含めた長期の大規模見合い茶会という阿呆な手段に出るあたり、親バカっぷりが冴え渡っている。
(可愛いムスコチャンなら弟たちを差し置いて大人気間違いなし!お相手には困らない!ってわけね。……いや下の子も実子のはずよね?)
キャロラインはちらりと第二・第三王子を見やった。
第一王子との扱いの格差が目に余る。先ほどまでのやり取りを見る限り、特別いがみ合っているとか敵対しているというほどの雰囲気でもなかったが……王妃にとっては第一王子以外はどうでもいい存在、ということなのかもしれない。
まあ、長男以外に興味を持たないとか、末っ子だけを愛玩するとか、この手の親は貴族の中でもそう珍しいものでもない。嘆かわしいことに。
実際、ここまで当事者である王子二人とも、実母であるはずの王妃に対して感傷らしい感情をまるで覗かせていない。子を愛さない、親に期待しない、そういう乾いた関係性がもはや板についているのだろう。
これも、血統から他愛ない仕草ひとつまで政略にまみれた王家という枠組みにおいて、ある意味由緒正しい姿と言えるかもしれない。物悲しいことに。
さておき、ここで露呈しているのは、息子愛の過ぎる王妃の視野の狭さと短慮、そしてその王妃を諌めることのできない周囲の無能だ。