7)第一王子の何がまずかったのか?(全部です)
ふ、と横合いで第二王子が失笑めいた吐息を落とした。……なんだか満足げなのが絶妙にイラッとする。
「まあ冗談はさておき。シモンズ嬢に同席願ったのは、母上のご懸念を晴らす手がかりになるのではないか、と愚考したからですよ」
「……わたくしが何の問題を抱えているというのかしら」
「兄上のお相手として見込んでいたご令嬢が、次々下城しているそうじゃないですか」
ぐぐ、と、いかにも痛いところを突かれたふうに息を詰める王妃。腹芸はいまひとつらしい。
目端の利く令嬢たちの動きは早い。領地が近いだとか王都やその近郊に宿泊する宛てのある令嬢たちは、三日目の茶会を終えた直後に切り上げてしまった者も少なくなかったのだ。旅程の問題で朝を待たねばならなかったキャロラインはむしろ後発組に属する。……だからこそ、第二王子に不覚をとったわけだが。
「確か公爵家の令嬢が、城に乗り込んできた父君に引きずられるように帰っていったという話も聞き及びました。ずいぶんな騒ぎになっていたようですね、シモンズ嬢」
「……ええ」
第二王子の流し目に、しぶしぶとキャロラインはうなずいた。
実際、あれはちょっとした見世物だった。
件の公爵令嬢は、初日二日目ともに第一王子に猛アタック、三日目は第二王子に唾をつけていた、典型的な自信家肉食令嬢だった。誰より最も上等なものを手に入れることに自尊心の重きを置くがゆえに、「次代の王となる王子」を捕まえておきたかったのだろう。
しかし公爵はそれを許さなかった。正面から城に乗り込んで、わめき散らし抵抗する娘の頬を叩き、有無も言わせず腕を引いて下城したのである。
上位貴族として適切な判断力と誇るべき行動力。反面、己の行動が周囲にどう捉えられるか、という俯瞰能力と冷静さには大いに欠ける対応と言わざるを得ない。これを機に公爵家と王家がぎくしゃくし始めたら目も当てられない。
事実として、あの騒動からさらに令嬢たちの動きが加速したのだ。
撤収を決めていた令嬢は予定を繰り上げ可能な限り速やかに。対応を迷っていた令嬢たちも確実に下城の方針に傾いた。結果として、かなりの人数が昨日から今朝に掛けて帰途についているわけだ。
当然と言えば当然。天下の公爵家が、王家には娘をやれない、と判断を下したのだから。
「公爵の不用意な言動が令嬢たちの下城の動きに火をつけたのは事実だとしても、それが全てとは思えません。なにせ初日からの参加者の半数近くですし、動きが周到過ぎる。時間的猶予を考えて、おそらく皆、初日から準備はしていたのでしょう。ならば、彼女たちにそれを促した本当のきっかけが、初日の茶会にあったと考えるのが妥当です。……チャールズ、心当たりは?」
「ふあ?」
第二王子に水を向けられ、第三王子はぽやぽやと眠たげに食事を口に運んでいた動作を止めて、首を傾げた。
「んん……えっと。……確か、アルフレッド兄様が誰かと揉めたあたりから、なんとなーく会場の雰囲気が変わった気がするかな」
座ったまま今にも二度寝しだしそうに見えて、話はきちんと聞いていたらしい。しかも初日のあの、表面上だけは取り繕った異様な空気にも気づいていたようだ。なかなか悪くない。
第二王子は満足げにうなずいて、今度は対岸の第一王子に視線を投げた。
「兄上、覚えていらっしゃいますか?」
第一王子は気だるげに顔を上げる。
「……何をかな」
「茶会の初日、とあるご令嬢が茶会を中座したまま下城してしまったでしょう。その直前、兄上が彼女に仰った言葉ですよ」
「とある令嬢……」
(おいマジか覚えてないのかコイツ)
キャロラインは開き直って美しくスープを啜りながら、口汚い野次を飛ばす。もちろん心の中だけで。
「パープルのドレスの令嬢でしたよ。長い金髪、瞳はエメラルド」
大雑把な容姿を提示され、第一王子がはっと息を呑み胸を押さえた。
「……ああ、いた、ね」
「で、兄上は彼女になんと仰いました?」
第一王子の瞳がみるみる潤んでいくのを、キャロラインと第二王子は白けた眼差しで見送った。なんだろうかこの、やたら芝居がかった茶番は。
「その……『君は生理的に無理だ』……と」
「!? あ、アルフレッド貴方、本当に女性にそんなことを……!?」
王妃が目を剥いて第一王子を凝視した。
てっきり「可愛いボクチャンなら何を言ってもいいっ」路線なのかと思ったら、意外とそのへんの良識はあるらしい。まあ、彼女もかつては令嬢の一人だったわけだし。
第二王子が小さく吐息を落とす。
「兄上、その発言の何がまずかったのか、理解しておいでですか?」
「……」
第一王子は視線を泳がせている。「悪いことをしたっぽい」くらいのことはわかっているが、根本的にどこが悪いのかは理解できていない顔つきだ。子供か。
「……そういうわけです、シモンズ嬢。どうか、兄の発言に令嬢方が何を思い、下城の決意を固めたのか、兄上に──いえ、我々に理解できるようにご教授願えませんでしょうか」
にっこり、第二王子の胡散臭スマイル。
なんで私が!という至極真っ当な苦情を呑み込んで、キャロラインは急ぎ口周りをナプキンで拭い、頭をフル回転させながら口を開いた。
「まず始めに誤解を訂正させてください。わたくしが本日下城するのは、茶会参加当初からの予定の一部です」
嘘はついていない。「長期滞在する価値がないと判断すればとっとと切り上げる」という想定条件に状況が一致しただけだ。もちろん「長逗留に値する価値があればそのようにする」という選択肢も予定の一部ではあったが、状況が見合わなかったので切り捨てただけである。
「ですので、他のご令嬢が急遽予定を変更された件とは、おそらく動機が異なるかと存じます」
「……そうなの? 貴女、最初からたった三日で切り上げるつもりだったの?」
心底不思議だとばかりに王妃が不審の眼差しを向けてくる。王子の嫁になれるかもしれない機会を蔑ろにするなんて信じられない、という顔だ。
てめえの息子に三日の価値もねぇ、という悪態は綺麗に令嬢スマイルの下にしまって、キャロラインはうなずいた。
「わたくしにもスケジュールというものがございますし……これは実家の内情になってしまいますが、我が伯爵家としては、今回のお茶会の本命は長女である姉と考えております。ですので、わたくしが一足先にお茶会の様子を偵察し、諸々を報告して姉のお茶会参加に備える腹積もりでおりました」
これも、嘘ではない。
姉は、極めて善良なたちで、領民に慕われ、家族仲も良好、姉妹仲も悪くない。
が、年齢にしては少々お花畑もとい夢見がちに過ぎる面があり……なんというか、「白馬に乗った王子様がいつか迎えにきてくれる」的な夢想をいつでも胸に輝かせているタイプの令嬢なのである。決して勉強ができないわけではないのだが、頭が良いかと訊かれたら……家族としては、返答に窮するところである。
できることならあまり責任の重くない、分相応な身分の、お花畑を許せる寛容な貴族家と婚姻を結び、嫁に行くなり婿を取るなりさせる、というのがシモンズ家の隠れた指針だった。次女であるキャロラインの身の振り方を考えるのは、長女が落ち着いてから。これに関しては貴族の義務の一環として、キャロラインも納得している。
だがなかなか良縁が見つからないうちに、王家がお見合い茶会だとか言い出してしまった。
茶会出席は義務。お相手は王子様。見初められれば未来の王妃も夢じゃない。
実に姉好みなシチュエーションで、本人は張り切っている。
が、姉のお花畑ぶりを知る家族は、彼女が王子妃やら王妃になるような器ではないと冷静に見抜いていた。
王妃周辺がやたらときな臭い今の王家に、ただでさえうかつな姉を近づかせるのは危険きわまる。下手に縁づくのも考えものだ。
しかしこの姉、見目はやたら良い。王侯貴族が好き好む典型の容姿だ。これまでは田舎貴族ゆえ大した出会いもなかったが、王都に行けばどこぞの誰ぞに見初められる可能性は高い。乞われればこちらからは断りにくい中央の上位貴族や、それこそ、姉の憧れる「王子様」だったりする人から。
姉は見初められたい。家族は阻止したい。
そこで、家族寄り中立派の立場でキャロラインが手を挙げたのだ。まあそもそも令嬢の一人であるキャロラインも茶会参加の義務を負っていたので、次女としてどう立ち回るかという摺り合わせを、姉対策を主軸に組み立てたというのが正確か。
果たして偵察の成果は十分に手に入れた。姉対策はバッチリだ。
……とまあ、もちろんそんな細かい事情までは明かさずに、「伯爵家にも身の振り方というものがあるのです」とありきたりな言葉で締めれば、王妃はまだ少し納得いかない様子ながらにしぶしぶと身を引いた。たぶん「息子チャンに惚れないなんてこの娘おかしい」ぐらいのことは思っていそうな顔だ。うざい。てめえの息子に以下略。
しかし第二王子は、どうあってもキャロラインを話者にしたいらしい。
「家によって多少事情は違えども、立場は他の令嬢たちと大差ないはずだ。彼女たちは初日の騒動をどう捉えたのか、貴女にならばわかるだろう?」
「……それは……想像するしかございませんが……」
この粘着王子が!と罵りたいのをぐっとこらえて、キャロラインは困り顔を作った。
……ここはもう、仮定の話としてでも、ズバリ言ってやるしか逃げ道はなさそうだ。
できる限り言いにくそうに、言いたくなさそうに、もういっそ悲しげに、念入りに小芝居を挟みながら、キャロラインは重々しく口を開く。
「第一王子……アルフレッド殿下の仰った言葉は、女性にとっては一般的にその……とても、屈辱的な言葉に類します……」
第一王子がはっと身を震わせ、驚きに目を見開いた。
……指摘されるまで気づかないこの王子よ。視界の端で第二王子がこめかみを押さえる仕草をしたのは、きっと頭痛に違いない。
「……それは、この子が素直で、自分の気持ちに正直だからよ」
王妃が苦々しく第一王子を庇う。さすがに無理筋であるのはわかっていそうな様子だ。
キャロラインはあくまで沈痛な表情を演出しつつかぶりを振った。
「今回の場合は、殿下がどのような意図で発言されたかは、あまり関係ありません。実際に素直な感情表現であったのだとしても、大勢の前でそれを言い渡された側は「第一王子に拒絶された、女性としての機能に問題のある、無様な落伍者」というレッテルが貼られ、嘲笑の的になってしまう……それが社交界の現実なのです」
……なんだってこんな、幼い子弟を教育するためのような言い聞かせを、年上の成人男性相手にやってやらにゃならんのか。演技でもなんでもなく、キャロラインの視線は自然遠くなる。
「そのため、件の令嬢は義務の三日間を待たずして、下城されたまま戻られなかったのでしょう。その心痛を思うと、わたくしも胸が痛み……」
「でもそれは! 件の娘だけの問題であって、他の令嬢には関係ないはず──」
「──ですからそこが人間の共感というものなのですわっ!」
噛み付いてくる王妃に負けない熱量で、芝居がかった調子に力説し返してやると、王妃がちょっとのけぞった。
「令嬢には令嬢の連帯感がございます。ライバルでありつつ、似た者同士でもあるのです。その同士の一人がイス取りゲームに敗れ、戦場から敗走する姿に胸を痛める者も多いのです。何かがまかり間違えば、自分も彼女のようになっていたかもしれない、と。いえ、この先また同じようなことが、殿下のお側に侍ることによって、今度は自分にも降りかかるのではないか……そう考えてしまえば、踏み出すのに躊躇する令嬢もそれなりにおりましょう。まして、今回の件はずいぶんと、その……少々衝撃的、でしたから」
王妃にとっては無縁の怖じ気だろうが、彼女の度胸や自尊心の大半を担保しているのは実家の家格と権力と財力だ。
実際はそういった強力な後ろ盾を持つ貴族など一握り。数だけで言えば圧倒的に中位以下の貴族が多いのだ。そのほとんどは思慮深く息を潜め耳目をそば立て、よそ行きの笑顔の下で社交界をどう生き延びていくか、日々知略を巡らせているものである。怖いもの知らずは淘汰されていく世界なのだ。
政略結婚大いに結構。しかし妻を守らぬ夫などというものは、令嬢は当然嫌がるし、令嬢の実家からしてもリスクが高い。妻を軽んじるということは、その実家をも軽んじる可能性が高いからだ。家のためを考えればこそ、相手の家格財力のみならず人柄というものをしかと見極めねばならない。このへんの優先順位を正しくつけられるかが貴族の資質というもの。
そして第一王子は、当の貴族が集まっている前で「やらかした」のである。
この茶会は、主催側が国中の令嬢を吟味する場として設けられた。
だが当然、吟味される令嬢もまた、主催側を吟味しているのである。
腹の中で何を思おうが個々の自由。
問題は「言わなくていいことをわざわざ公衆の面前で言い放った」という一点につきる。
本心をどの程度態度に出すか、口に出すかは、完全に本人の器量の問題だ。
かの、「生理的に無理」なんちゃらの行為に、一見では計り知れないような深謀遠慮が含まれていたのならまだいい。しかしその後の第一王子の立ち居振る舞いからは、到底そのようなものは汲み取れなかった。
結果、第一王子は多くの令嬢たちから見切りをつけられたのである。
「この男は女を傷つける暴言をたやすく公衆の面前で言い放つ」
「公共の場で取り繕えないのならば、身内に対してはもっと辛辣だろう」
「すなわち、結婚したらさらなる地獄が待っている」
……と。
「ライバルが減ったわラッキー♪」とか言ってるお花畑は、貴族としては下の下である。
ちなみに肉食令嬢でもそんなのばかりではなく、しっかり第一王子を見極めて距離を取り、自ら下城の判断を下した人物も少なくない。だからこそ大規模な令嬢大移動が現在形で進行しているのである。
まあようするに、第一王子は信用を失ったのだ。
……という本音はもちろん懇切丁寧に教えてやる気は毛頭ないキャロラインである。こんなことで王妃の不興を買うなどアホらしい。
凡百の令嬢は王妃様と違って弱虫なんです~度胸がないんです~だから許してあげてね☆で押し通す。
むしろこれだけ言われておいて察せない、言葉の裏を読めないヤツが悪い!ぐらいの心持ちである。
「……そう。ならば問題はないでしょう。アルフレッド、気にすることはないわ。逃げ出した令嬢たちは、貴方に相応しい気位を持ち合わせていなかっただけよ。むしろふるいにかけてやったのだとでも思っておきなさい」
王妃はすっかり気を持ち直して席を立った。
まあ、そうとでも切り替えていかなければどうにもならない状況ではある。直接取り返すのは困難極まる失点だ、去ってしまった令嬢たちの懐柔よりも、手を尽くさなければいけないことが山ほどあるはず。
やはりこの判断力と胆力は王妃たるに相応しいのかもしれない。最大にして致命的な欠点は、他者の立場や感情に対して無頓着すぎるという点だろう。
一方で、第一王子は未練たらたらの様子。
「ですが母上、僕は……」
「忘れなさい。……では、わたくしは先に離席させて頂きます」
王妃は美しくも簡略化された会釈を残して、すげなく踵を返してしまった。退出前に何事か侍女に託けていたのは、おそらく実父たる侯爵と会って今後の方針を定めようというのだろう。キャロラインとしては必要以上に目をつけられなかったようで一安心である。
厳かに閉じられゆく扉の向こうに去っていく王妃の背中を、第一王子は途方に暮れたような目で追いかけたのち、扉の閉じる重々しい音と共に儚げに肩を落とした。……その仕草だけならくらりとくる女性もいるだろうに、経緯が経緯だけに裸足で逃げ出す女性のほうが多そうだ。
(マザコンかぁ……詰んでるな)
第一王子が聞いて呆れる。とんだ地雷物件である。