3)第二王子がなんか怖いんですけど!
ともあれ表向きはとりたてて波風もなく、二日目のお茶会も穏やかに開催されている。今のところ初日のような被害者や敗走者は見当たらない。
大きな変化といえば、第一王子の周囲がスカスカの寂しいことになっており、弟王子たちを取り巻く人垣が心持ち厚めに見えること。
さらにもう一つ。
当の第一王子が、見るからに心ここにあらずであること。
「……なにかしらね、あれ」
冷ややかなキャロラインの声に、同卓の控えめ令嬢たちもエレガントな表情を崩すことなく、乾いた笑いを重ねてくれる。
第一王子ときたら、周りで熱心に話しかけてくる肉食令嬢たちへの相槌も上の空。浮世離れした美貌はそこはかとない憂いに翳り、青い瞳は蜜を溶かし込んだように潤みを帯びて、どことも知れない遠くを見ているように見える。
「遅れてきた二次性徴……」
ぽそり、と同卓の誰かが率直な印象を単語化してしまった。
これにはさしもの控えめ令嬢たちもこらえきれず吹き出してしまう。タイミング悪く紅茶を口に含んでいたキャロラインは、なんとか飛沫だけは噴くまいとして喉に引っかかり、結果激しく咳き込む羽目になった。
しかし……言い得て妙とはこのことだ。
第一王子のあの態度。物語の中の王子様かくやという浮世離れした美貌が、本当に夢でも見ているように淡い熱に浮かされているように見える。
あの状態に名前をつけるとしたら……「自覚前の初恋」、か。
「──大丈夫ですか、レディ」
ようやく咳が収まってきたところに、不意に声がかかった。背中をさすってくれていた隣の令嬢の手がかすかにこわばったのを感じる。
差しかかった影を辿って見上げると、本日の主役の一人がキャロラインを見下ろしていた。利発そうな青い瞳と視線が絡む。
整った顔立ちの青年だ。落ち着いた色艶のダークブロンドに、立体的な影を内包する深い青玉の瞳。
顔貌そのものは第一王子と驚くほど相似している。しかし色味と質感は一段落ち着いたもので、意志の強そうな顔つきも甘さのない立ち居振る舞いも、ふわふわと現実感の薄い第一王子の佇まいに比べればしっかりと地に足をついているように見える。
第二王子、ブラッドリー。
キャロラインは内心の動揺を押し殺して、ピッと背筋を伸ばして立ち上がった。咳き込んでいたことなどおくびにも出さず、にっこり微笑んで丁寧なカーテシー。「失態など演じておりませんが何か問題ありまして?(圧)」という貴族仕草である。
「これは殿下。お見苦しいところをお見せしまして」
「いや、大事ないようで何よりです、レディ・シモンズ」
──貴様なぜ私のファミリーネームを知っている。
顔には一切の動揺を表すことなく、キャロラインは喉元にまで出かかったヤクザなセリフを押し戻した。
こちとら中枢からも辺境からも外れた、平凡な地方都市の領主の娘である。とりたてて功績もなければ、大きな失点もない、中央値ど真ん中の平均伯爵家である。王家のおぼえめでたいはずもなく、まして今はまだ執政からも遠いはずの第二王子に顔も名前も知られている道理もない。
茶会前の面識は一度だけ。十六歳のデビュタントで型通りの挨拶は済ませている。それも一年以上前の話。
自己紹介が済んでいるのをいいことに、キャロラインは茶会初日に交わした挨拶では名乗っていない。マナーに準じた修飾的な褒め言葉を互いに投げあったのみだ。なにぶん令嬢の数が多いので、三王子の負担を減らすためにもその手の省略は大いに推奨されている。
……まさか、覚えていたのか。一年前に簡単に顔を合わせただけの平凡貴族の娘の顔と名前を。あるいは誰かの入れ知恵か……?
第二王子は、目前のそつのない笑顔の裏で腹を探られているとは露とも想像していないそぶりで、キャロラインに微笑みかける。
「皆さん、初日もこちらのほうでお休みでしたね。いかがでしょう、今日は中央のテーブルで私どもと交流を……」
「──ああ! 気づきませんでした!」
第二王子にみなまで言わせず、キャロラインはいかにもいいことを思いついたとばかりに両手を打ち合わせた。
それを合図に、まるで示し合わせていたかのように同卓の令嬢たちが立ち上がる。皆が皆穏やかな笑みを浮かべ、しずしずと後ずさり気味にドレスの裾を引いて、貞淑なカーテシーの花を咲かせていく。
キャロラインも彼女らに倣って、腰を引くような深いカーテシーで王子から距離をとった。
「わたくしたち、長々と卓を占拠してしまって……失礼しました、皆様」
「皆様……?」
実に嫌な予感がする、という顔をして、第二王子は背後に視線を馳せた。
そう、彼の後ろには金魚のフンよろしく、肉食系および準肉食系令嬢たちがぞろぞろと後をついてきていたのだ。
各々の気の強そうな瞳には、あからさまなものからさりげないものまで、キャロラインたちに対する敵意が閃いている。
……第一王子が有力候補から転落した、と判断されれば、次点の第二王子に人が流れるのは道理というもの。
彼は今、この茶会一番の優良物件に繰り上がっているのである。
すなわち──関わり合いにならぬが吉。
キャロラインは鍛え上げた表情筋を美しく操り、人畜無害な笑顔を令嬢がたに向けて見せる。私は貴女たちの敵じゃありませんよー、と口よりも雄弁に語るために。
「殿下も、皆様も。どうぞこちらに掛けて、足を休めながらご歓談ください。腰を落ち着けてじっくりと互いに向き合われることで、より有意義な時間を過ごせましょう」
極めて良心的なナイスアイデアでしょう?とばかりのキャロラインの提案に、肉食令嬢たちはまんざらでもなさそうに顔を緩めている。わかってるじゃない、とでも言わんばかり。
そんな彼女らの様子を見回した第二王子は、どことなく不穏当に眇めた視線をキャロラインに着地させた。
「……それで、貴女はどうするつもりですか」
……「貴女がた」ではなく、「貴女」。
微妙なニュアンスの違いに、そわり、と不吉なものを感じながら、キャロラインはあくまでにこやかに顔を上げる。
「わたくしどもは十分に休息いたしました。少しお庭のほうを散策させていただこうかと」
「なるほど? 確かに適度に動いたほうが身体のためだな」
第二王子の口元がかすかに弧を描く。表面上納得したように見えるが、目元は明らかに笑っていない……。
しかし言質はとれた。キャロラインと控えめ令嬢たちは挨拶もそこそこ、連れ立って中庭へと向かう。
「シモンズ嬢」
集団の一人となっていそいそと歩み去ろうとするキャロラインの背に、的確に声がかかった。
「貴女はずいぶんと賢しい人のようだ」
──だからって逃げられると思ってんじゃねぇぞ。
言外に聞こえた幻聴にうっすらと唾を飲み込み、キャロラインはあくまでも愛想いっぱいの笑みだけを返した。
キャラメル色の巻毛の合間、こめかみで玉を結ぼうとしている冷や汗を悟られぬよう、一心に祈りながら。