20)おそろしくおっかないWin-Winな悪巧み
そもそも今回の第一王子の暴言の一件、被害者となった例の令嬢の実家はもちろんのこと、その実家と懇意にしている辺境伯もまた、王家に対して怒りを感じていて当然なのだ。
孫娘の命の恩人である家の、大切な娘が公の場で恥をかかされたのだから。
とはいえ大事にするにはさすがに個人的にすぎ、事件そのものが些末にすぎる。
第一王子の正式な謝罪と、慰謝料代わりの見舞金、令嬢の名誉回復支援。このあたりが手の打ちどころだ。
しかしその程度では腹に据えかねるというのが、被害者心理。
それに名誉回復と言っても難しい問題だ。「生理的に無理」と公の場で口に出してしまったこと自体には全面的に非があると納得はされど、それがうっかりポロリと出てしまった第一王子の本音であると世間は認識してしまった。「生理的に無理なら仕方ない」という嫌らしい同調はしつこく残り続けるだろう。一度ついてしまった他者の瑕疵を、いつまでもなぶって愉しむ手合いはどこにでもいるものだ。
名誉が回復できるとしても、本当の解決を見るまでの被害者の心理的負担も少なくはない。特に件の令嬢は気が強いタイプでもないだろう。いや気が強い女なら虐げていいというわけではないが、とはいえ事実として、被る負担は明確に違うはずだ。
平等な沙汰は、目に見えない不公平感を生みやすい。本人とその家族にとっては大きな損害だ。
被害者側にとって納得のいく沙汰でなかったなら。
どんなに道理を唱えたところで、私刑を望むは人の性。
キャロラインは深いため息とともにゆるく首を振った。
「……感心しませんわね」
法治国家において、法は厳格に守られるべきだ。例外は望ましくない。……たとえそれが綺麗事であっても。
第二王子は皮肉げに視線を横に流した。口元の笑みにはなんとも言えない苦さが滲んでいる。
だが決して、悪びれることはない。
「西の辺境伯との関係強化は喫緊の課題だからな。現在、西国境地域の負担は他の領の比ではない」
「……」
さもありなん。キャロラインはほんの三ヶ月前に垣間見た西の国を思い出して目線を下げる。
国境沿いの街を多少ふらふらしただけでも、掬い取れる情報はそれなりにあった。豪華を履き違えた悪趣味、サービスや食の質の低さ、娯楽分野の造詣の浅さ、どことなく辛気臭く歪んだ顔の人々、大通りから路地に入ればあっけなく垣間見える貧困街。
あの国の内政は間違いなくうまく回っていない。表面上取り繕ってなんでもないように見せている分、その裏側に隠されている実態はおそらく相当に深刻だ。
近年繰り返される領土侵犯まがいの哨戒活動も、十中八九内政のまずさから目を逸らさせるための国威発揚の一環だろう。いずれ暴発するのが目に見えている。
今でさえ小競り合い一歩手前の事例が頻発しており、西の辺境には負担とストレスが蓄積されてきているのだ。他国の内政問題のはけ口を最前線でぶつけられている辺境伯を相応の報奨をもって労うことは、国家存続のための必須事項と言える。
「しかし嘆かわしいことに、辺境は軽んじられやすい。辺境伯を田舎者と侮る愚か者も後を絶たない。我が国は平和が長く続きすぎたからな。戦争や軍事力といったものが、自分の生活の地続きに存在する現実であると実感できない民草がいるのは理解できるが」
「貴族がそれではいけませんわね……」
キャロラインにとっては少々耳が痛い話ではある。
日和見のシモンズ家は国が平和であればこそ日和っていられるのであって、有事にはまるで役に立たない貴族の典型だ。本当に戦争にでもなったら、どこかしらからの煽りを食って一家丸ごと吹っ飛びかねない。
そのぶん、最前線で最も負担を負う立場の辺境伯にはたっぷりと優遇されてもらわなければならないのだが、シモンズ領内の雰囲気も国内全体の世論も、そして貴族社会のお歴々も、平和ボケにどっぷり浸かって、そうした政治感覚は薄い。
ありていに言ってしまえば、「優遇なんてズルい」などという幼稚な感情に支配されている。辺境伯への大々的な報奨など納得しまい。
だが幸いにして王家はそうではないようだ。そして、水面下ではしっかりと連絡を取り合い、関係を築き、しかるべき時にしかるべきぶんだけ労っているのだろう。
でなければ例の暴言事件の三日後には「すでに手は回しておいた」なんてスピード感は出ないはずだ。内々に、金銭では代えられないような形の賠償が約束されたと見て間違いないだろう。
……それが、王妃の身柄に関する悪巧みだった、とすれば。
西の辺境は侯爵領からさほど遠くない。そして辺境伯は周辺領から一目置かれており、逆に侯爵家の評判は極めて悪い。
侯爵が領地に張り付かざるを得ない状況になっているのも、辺境伯と無関係ではないだろう。流通、経済、人材……締め付ける材料はいくらでもあり、周辺諸領が結託すればそれはてきめんに効くだろうことは想像に難くない。
侯爵が王家の領内調査を拒まざるをえなかったのは本人の悪事の皺寄せなのだろうが、自分の娘の捜索にさえ手をこまねくほど窮している点に関しては、おそらくこうした静かな制裁が効いているからではないか。
侯爵本人はどこまで気づいているのかいないのか。
気づいていたとしても、十中八九王妃の身柄は辺境伯のたなごころの上。完全に詰んでいる。
げに恐ろしい話だが、交渉事での人質のやり取りはありふれたものだ。それが政治であり、国家を支えるということ。
王族に名を列する前に、あらゆる妃が覚悟しておくべき現実だ。
(……こんな人に嫁ぐって、どんな罰ゲームかしらね)
改めて目の前の第二王子の顔を見つめ返すキャロラインの心は、不思議と凪いでいる。
たとえ難儀な嫁ぎ先であろうとも、いつか誰かは嫁がなければならないのだと、キャロラインは知っている。




