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13)小賢し令嬢、策を弄す

 貴人を乗せていることを十分にわきまえた速度で、馬車の両輪はのどかな街道を緩やかに転がっていく。


 ほどよい振動に揺られる車内から、遥か後方の城が完全に見えなくなってようやく、笑顔の形に固まったキャロラインの表情筋からじわじわと力が抜け始めた。

 それに比例して肩が落ち、姿勢良く伸びていた背筋が丸くなり、最終的には揃えた膝に額がくっつくほどコンパクトに縮こまった。


「……大丈夫。大丈夫大丈夫うんそんなわけない、ないないないありえない。気のせい気のせい思い上がり。大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だいじょうぶ……」


 ひとしきり、たっぷりと呪文の如く自己暗示をかけたのち、数十秒間葛藤の静止。のち、深呼吸。

 ゆるりと、何かを吹っ切ったように、沈んでいた頭が持ち上がる。


「……さあ、気の毒な女性たちを救いにいきましょうか……!」


 猫のような目が爛々と輝き、不敵な笑みが全面にあふれる。

 振り回されるばかりでは性に合わない。意趣返しは欠かさずに、大胆かつスマートに、そして秘密裏に。それがキャロライン・シモンズの真骨頂。

 ……若干の現実逃避を帯びている事実には、極力見ないふりをして。




 帰途の道中、馬車を停める機会を見て、キャロラインはまずまっさきに手紙を書いた。

 宛先は西辺境の某旧家の某令嬢。たいして付き合いのない伯爵家令嬢の個人的な忠告をどこまでまともに取り合ってくれるかはわからないが、乗ってくれれば儲けものだ。


 そして数日をかけて実家に戻ると、わくわくしながらキャロラインの帰りを待っていた姉の無力化を決行した。

 何をしたかと言えばまあ、茶会で起きた出来事を端的にまとめて言い聞かせただけである。


「第一王子殿下が、お姉様によく似た金髪のご令嬢のことを、大勢の人の前で「生理的に無理」と仰って追い払っていたわ」


 これを聞いた姉は悲痛な悲鳴を上げて一目散に自室に引きこもってしまった。

 夢を粉々に打ち砕かれた姿は多少気の毒ではあるが、まったくもって嘘はついていないのだから致し方ない。現実は無情である。


 なんにせよ、これで姉は茶会を病欠することになるだろう。あの調子では本当に熱でも出して寝込みそうな塩梅だ。正直都合がいい。

 王命は絶対とはいえ、こんな緊急性皆無の案件で、病人に無理をして来いとまではさすがに言えまい。

 主催側の不興を買うのだけは間違いないが、まあそれも大きな問題でもない。


 なぜなら、同じように病欠「予定」の令嬢が他にもわんさといることが、容易に予想できるからである。


 今回の一件、なにせ目撃者が多い。初日参加した令嬢たちは確実に土産話を家族や領地に持ち帰るだろうし、あの王妃の人徳で使用人たちの口止めが行き届いているとも思えない。国中の噂になるのはもはや必定。

 まだ参加していない令嬢たちは茶会に行きたがらず、それを許す親も少なくないだろう。今後貴族間で情報共有が進めばなおのこと。


 病欠が増えれば増えるほど仮病を疑われるリスクは高まるが、増えれば増えるほど主催側がすべての事例の真偽を調査することは現実的でなくなる。そして増えれば増えるほど、一つの家が王妃の勘気を集中的にこうむるリスクも下がる。

 危ない橋もみんなで渡れば怖くない。というか、物事は概ね多数派に流れていくもの。王家の威光と病欠貴族の総合力とが拮抗すれば、王家とて一方的に権力をふるうわけにもいかないのだ。


 というわけで、キャロラインは両親に他家との交流と情報共有を積極的にするよう助言した。とりわけ母の社交は重要だ。情報を拡散するにせよ収集するにせよ、奥様ネットワークの速さと馬力は頼りになる。


 かくして気の毒(?)な女性の一人、実の姉の救済は成った。



 さて、当のキャロライン自身はといえば、


「ではお父様。私、予定通り隣国に向かいますので」


 旅行鞄を手に持ち、女性の護衛を伴い、事後処理全部を家族にぶん投げて、さっさと国外逃亡をキメたのだった。


 といっても、単純に面倒だからと逃げ出したわけでは、もちろんない。

 あくまでお忍びの風情を醸しつつ、適度に人目に留まりながら、国境を越えて隣国へ。


 到着したのは要人御用達の高級ホテル。華美な門前に停まったお忍び用の馬車から降り立ったのは、女性的で楚々とした装いとまばゆく長い金髪……のウィッグを目深に装着したキャロラインであった。


「今夜一晩、お部屋をお願いしますわ」


 王城で発揮された猫かぶり芸がここでも火を吹く。茶会の時に輪をかけてたおやかな物腰に、少し気弱そうな小芝居も入れて、まるで別人である。


「……明日の出立は、早朝、裏口に馬車を回してください」


 こっそりと、少し後ろめたそうに告げると、フロントも慣れたもので速やかに手配してくれた。いかにも訳ありな貴族のご令嬢など、こうした国境ぎわのホテルではありふれているのだろう。


 そうして翌日は予定通りに裏口から「逃げるように」出発し、今度はさらなる都市部に繰り出す。この西の国において国境沿いは、辺境というよりも外貨を稼ぐために発展した小都市になっているのだ。

 そんな街には、停車場付きの劇場すらあったりする。


 あらかじめ予約しておいた二階桟敷席に上がり、公演が始まると同時にボックス型の座席奥の暗がりで手早く着替えを済ませる。キャロラインは手持ちの鞄に詰めておいた愛用のドレスに。そしてここまで着てきた女性的なドレスとウィッグは、護衛に着せる。このために比較的背格好の近い女性の護衛を選抜したのだ。


「じゃ、手筈通り、あとはよろしく」


「いいんですか? こんな簡単で美味しい仕事」


「言うほどいい観光はできないと思うわよ、この国じゃ。切り上げるタイミングは任せるけど、上手く紛れてね」


「了解です」


 金髪の、見た目だけは儚げな令嬢に化けた護衛は、公演序盤で一人さっくりと劇場を後にした。


 全ての策が成っていれば、これにてもう一人の、本当に気の毒な例の令嬢の救済もまた果たされたはずである。


 キャロラインはそのまま桟敷席に留まり、感想を言える程度には舞台上を眺めておいた。

 やがて退屈な公演が終了し、次々に離席していく人波に紛れながら入り口のホールにたどり着くと、交代の護衛がすでにキャロラインを待って控えていた。一年ほど前からシモンズ家に雇われている新人の男だ。


「あら、あなたが来たの」


「いやあ、ずいぶん面白いことやってるみたいじゃないですか。俺にも一枚噛ませてくださいよ、姫さん」


「ただの貴族に姫はやめなさいよ。ま、この短期間でこのレベルの仕事を任されるくらい信用されてるのは大したものね。ああでも、面白い部分はだいたい終わっちゃったわよ」


「そりゃ残念。……しっかし姫さん、その服装でこのまま行くつもりっすか?」


「何か問題でも?」


 そつなくエスコートされて、新たに手配しておいた馬車に乗り込み、キャロラインは向かいに陣取る護衛へと圧強めな笑みを送った。


 変装を解いたキャロラインの私服は、一言で言って、少女趣味だ。

 フリルをふんだんにあしらった黄色いワンピースは、胸の下に仕込んだ長くてボリュームのあるパニエのおかげで膝下の裾まで綺麗に広がって体型を隠してくれるし、中身も見えない。コルセットいらずのドレスだが、服の下にはあえて少し硬い素材のベストを着込み、平均程度には女性らしい乳房を心持ち押さえつけて子供っぽさを強調。足は膝が隠れる長さの活動的な編み上げブーツで女性的なラインを極力潰している。

 一切身体のラインが見えない、それでいていかにも活発そうな装い。幼く見える顔立ちと合わせて、男たちは服の下に幼児体型を幻視してくれることだろう。お忍びのたおやかな金髪令嬢などどこにもいない。

 誰がなんと言おうと、これがキャロラインのスタイルだ。


「女性が女性らしくあることは武器になるけど、私のこの性格と顔だとそうでもないのよ。やっぱり似合う服を着るのが一番ってこと」


「うーん」


「心配しなくても必要な時には必要な服を着てるわよ。変装してたのがバレないためにも、今はこれくらい印象を変えたほうがいいの!」


 キャロラインの力説を聞いているのかいないのか、護衛は思案げに口元に手を当てて、遠目に見やるような目つきでキャロラインのドレス姿をじっと見分している。


「いや全然構わないんですがね、俺は。……こりゃアイツが言ってたとおりになりそうだなぁ」


 うっかり零れた「忠臣」のぼやきは、荒っぽく発進した馬車の騒音にかき消され、キャロラインの耳に届くことはなかった。


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