10)おまえ恋してるだろ?(意訳:好きな子にちょっかい出しちゃう小学生以下か?)
そもそも二日目から、第一王子の様子はおかしかった。
目は潤み、口元は甘く開き、視線は遠い。
まるで、ここにいない誰かに恋をしてでもいるかのように。
そして三日目に至っては、茶会参加ドタキャン。
皆は概ね思った。「(重大なアクシデントとかじゃなくて)単に本人の気分の問題なんだろうなぁ」と。
「我々参加者の視点から、ここにひとつの筋書きを見ることができます。
『アルフレッド殿下は、初日から二日目の茶会が始まるまでに、どなたかに恋心を抱かれた。それは二日目以降の茶会に参加していない誰か。そのため、三日目の茶会に出席するような気分にならなかったのだ』
……というように」
「い、いやいやいやいや……それが事実だとしても、相手が初日に帰っちゃった子とは限らない、よね……?」
とうとうと語られるキャロラインの話に、第三王子は顔を引き攣らせて恐々としている。十四年間身に染ませてきた真っ当な常識を血を分けた肉親にぶち壊されるという、プチ恐怖に慄いている模様。
純粋な哀れみを感じつつ、キャロラインはゆるやかにかぶりを振った。
「確かに、茶会前後の殿下の私生活までは窺い知れない以上、いち参加者でしかないわたくしどもに事実関係を把握することは不可能です。ですが手に入る情報が限られるからこそ、人間というものは己の目で見た情報を頼りに邪推を組み立ててしまうものです。……わたくしどもの知る限りにおいて、先に述べた条件に当てはまる方は、お一人しかいらっしゃいません」
すなわち、茶会初日から二日目開始までに第一王子が顔を合わせ、二日目以降の茶会には参加しないことが確定していた女性……
初日に脱落した、例の暴言の被害者である。
「うそでしょ……」
「城内には若い女手が少なく、離宮に至っては皆無と聞き及んでおります。出会いの場が限られる以上、存外悪くない推理と存じますが」
「あーその話広まってるんだぁ……」
「『新人の若いのが王妃様の勘気を恐れてなかなか職場にいつかず後進が育たない』、といった年配の城勤めのご婦人方の嘆きは方々から聞こえてくるものですから」
「うん……あの人、アルフレッド兄様に若い女が少しでも近づくと、めちゃくちゃ機嫌悪くなって理不尽度グレードアップするからね……」
「ああ、やはりその手の牽制だったのですね……」
まったくもって予想どおり。おかげで第一王子の「このありさま」にも得心がいくというものだ。
「……第一王子殿下は女性との接触を極端に制限されてお育ちになり、女性相手の人付き合いというものに対して一切経験がおありにならない。それがどれほど徹底されたものかにもよりますが……たとえば、恋や愛、といった一般概念から根本的に遠ざけられていたとしたら。通常、絵本や童話、小説、戯曲、あるいは身近な年長者の恋愛話に共感したり感情移入することで擬似的に知ることのできる、人を好きになる時のあのドキドキさえ未経験だったとしたら……」
つぶやくようなキャロラインの仮説が進むほどに、食卓の空気がどんどん重く冷えていく。……心当たりがあるのだろう。
お通夜のごとき有様の王族一家を、キャロラインはすっぱいものでも見るように目を細め眉尻を下げ、しかし意を決して結論を突きつける。
「それで二十歳を越えて初めて、一目惚れを経験したとしたら……その際発生する動悸や体温上昇などの生理現象を体調不良と勘違いし、一目視界に入れただけで殿下の身体に変調をきたさせる相手を『生理的に無理』だと結論づけてしまうのもやむなし、と言えないこともない、のかもしれません……」
もちろん言うまでもなく、そんな恋愛初心者未満の男が、男性の甲斐性次第で人生が決まる貴族令嬢たちのお眼鏡に適うはずもない。
正当な世継ぎをそんな男に育ててしまった王家の評判たるや、地に落ちたも同然。
ついに王が頭を抱え、第三王子は両手で顔を覆って天を仰いだ。第二王子は冷めた顔のまま身じろぎひとつせず。真っ白になっていたはずの第一王子は……
「恋」
不意に、無意識に自分の口から零れ落ちていた言葉に、大いに狼狽しつつも目をキラキラとさせて、わなわなする両手を熱に浮いた眼差しで見下ろして……
なんか知らんが、ときめいているらしい。
「えっちょっ」
「恋……」
「ちょっと待って兄上落ち着いて早まらないでっ!?」
「僕が……」
胸に手を当てて、思い返すように、想いを馳せるように、噛みしめるように。
「これが……恋……っ!」
感極まったような声を上げたかと思えば、突如として第一王子は立ち上がった。勢い余って机や椅子に足を引っ掛けながら、第三王子の制止の甲斐なくバタバタ退室していってしまう。
「兄上」
第二王子の呼び止める声だけがやけに明瞭に耳をうち、扉の直前で第一王子の足を止めることに成功した。
振り返った兄と、頬杖をつく弟の視線が交わる。
「本気で手に入れたいのなら、誰かに頼らず、己の力で成すべきだ」
それは鋭く容赦なく、それでいて力強く背を押すような助言だった。
第一王子は目元を赤くして、きゅぅぅ、と目を潤ませて、コクリ……と大きくうなずいた。
衣を翻して颯爽と立ち去っていく、見た目だけなら馬鹿みたいにカッコいいけれど状況が状況だけに果てしなくシュールなその後姿を、やたらと楽しげな第二王子の視線と、その他面々の思考を放棄したしょっぱい眼差しが見送ったのだった。




