31-1 もう一人
エマと共に小屋を出て母屋の掃除に向かった。
母屋の方に近付くと、使用人達が慌ただしく戦争の準備をしているのが見えた。そうすると、日常から非日常に引っ張られる感じがした。
「『月の国』と戦争だなんて……」
「あまりにも短絡的な決定だが、『月の国』とはあまり仲が良くなかったのかね?」
「……母上の話では元々は一つの国だったそうです。二代前に武家同士で争いがあり、当主を二分することになったと聞いています」
「なるほど」
「ですので、外国の方のお考えが必ずしも間違えているわけではなく」
「情報が古いわけだ。といってもエルフ族の二代と言うと百年単位のような気もするが」
頷いた。
「母上が『月の国』からトクカー家に嫁いでこられたのは、少しずつでも近付き仲直りしようという動きだったはずなのです」
「だが、そうはなっていない」
「……はい。母上が亡くなった時、それを『月の国』が怒ってしまったのです」
「それは何かあったのか」
「……」
エマはそれ以上立ち入ることはなかった。
掃除道具を取りに物置に歩むと、その手前にリョカがいた。何かしていたようだがこちらを見つけると途端に機嫌が悪くなった。
「……何?」
「あ、あの、掃除道具を取りに来ました」
「そう……そういえば、アイリの母親は『月の国』の民ではなかったかしら」
じっと床を見た。とにかく耐えるしかない。
「さすがアイリの故郷の国というところ?野蛮で愚かだわ。迷惑この上ないわね」
両手を握ってじっとしていた。どうあがいてもリョカにかなうはずがない。
「何とか言ったらどうなのかしら?自分の故郷が私たちの国を攻撃しているのよ?」
「ご、ごめんなさい。御姉様」
「お前に御姉様などと呼ばれとうないわ!汚らわしい!」
どん!と魔法の突風で吹き飛ばされた。
頭を振って、それから見上げるとリョカが鞭の魔法を展開したところだった。
その鞭が首に巻きつくようにすると、引っ張り上げて引きずられた。
「うう、や、やめてください。御姉様――」
「まだ言うか!?」
戸口まで来て、ぶん!と外に投げ捨てられた。
「この――!」
「リョカ姉!」
「何を面白そうなことやってんだよ、リョカ姉」
「イノとトグサか」
にやにやとトグサが笑うと、その傍らでイノはため息をついていた。
「あまりやりすぎると兄様が怒るよ?そのへんにしておきなよ」
「うるさい!こいつが私を――」
「まあまあ。おさえておさえて。それよりリョカ姉はやることがあるんじゃなかったの?」
トグサにそういわれ、思い出したのかリョカは舌打ちをして母屋の中に戻っていった。
それを見届けてトグサがここまできた。それからしゃがみ、耳元に顔を寄せてくる。
「可哀そうになあ。いつになったらお前のことを助けてくれる奴が現れるのか。いやあ、そんな奴は永遠に現れないよなあ?アイリ。どう思う」
「……私などのことを気にする方はいません」
「そう。それでいいんだ。そうやって従順でいるなら兄である俺が守ってやるよ」
くくくと笑った。
「今日は母屋の掃除はいいから、外の使用人用の厠でも掃除しとけ。あそこの汚れ方はひどいからな」
厠の方にとぼとぼと歩き出した。
ぐるりと回り込むと塀と母屋の間にその厠がある。
簡易に建てられた小さなトイレだ。下に汚物がたまるだけの簡単な作りでひどいにおいがする。使用人といっても下の方の者が使うところなので、本来は私が掃除するような場所でもない。
とりあえず、ぞうきんを水で絞ったものを用意してきたので、それを使って掃除をしようと思ったけれど、どこから手を付ければいいのかわからないほど汚い……。
と、エマが肩に乗ってきた。
「アイリ殿。ちょっといいか?」
「はい」
「ずいぶんと苛烈な仕打ちだったが、なぜ抵抗しない」
「え?」
「家族の仕打ちとして問題がある内容だと思ったのだ。が、アイリ殿はある程度受け入れているようだった。それでは介入できない」
「おっしゃっている意味がわかりません。すみません」
「いや、謝られても。うーむ。なるほど、思っていたより難しい。何から伝えるべきか……」
そう言うと、エマはふうっと息を厠の方に吹きかけた。途端に汚れの一切が消え去って、それからぼろぼろの厠だけがそこに立っていた。
「ちょっと話をしよう。当分ここには誰も来ないように『人払い』も張った」
「え、あの、掃除が……」
「見ての通り私が終わらせたから時間ができただろう」
「はい。あの」
「何から語れば……そうだな。アイリ殿は欲しいものは何かあるかね」
「欲しいもの」
……鳥のさえずりが聞こえていた。
「……そういえば角灯の効果が……よし。では、あのランタンを起動して見せてくれ」
いわれた通り、ランタンを取り出すとそれを大きくしてから起動した。すると中の石が光り、周りには綺麗な着物がいくつも浮かび上がった。
「本当に望むものを映すのだな……ん、失礼。なるほど、女の子らしく着物が欲しいと。ではもう一度スイッチを動かして別のものを見せてくれ」
動かすとランタンは、今度はおいしそうな料理の数々をちゃんと綺麗なテーブルに乗った形で映し出した。
「たらふく食べたい、と」
「あの、これはどういう。何をなさりたいのでしょうか」
「ちゃんとアイリ殿は欲しいものがあるということだ。周りを見てみるといい」
「それは……でも、欲しがるなんて恐れ多いです」
「恐れ多いかどうかは知らないが、欲しいということは確かだろう。そのランタンが教えてくれている」
周りの料理を見た。それから手を伸ばすが当然すり抜けてしまう。
「アイリ殿はちゃんとここに生きているということだ。欲求とは生きること、生きていることの証だ」
「そう、なのですか……」
「では、アイリ殿は生きて何をしたいのか」
「何を?」
「なんでもいい、したいことはないのか。欲しいものがあるのなら、したいこともあるはずだ」
「私は……」
「大丈夫だ。今日はとりあえずここまで。時々考えてみるといい、アイリ殿が何をしたいのか。生きている限りしたいことがあるはずなのだから」
天を仰いでじっと考えた。でも、さっぱりつかめない何かを追いかけるようなそんな気分になっていた。こんなことを初めて聞かれたから。
……初めて?いいえ、いつだったか――
どしゃ!
その時、厠の後ろの方で大きな物音がした。
「なんだ?!結界があるのに!」
エマが飛び出してその方向に走り込むと、何かを見つけて固まっていた。恐る恐るその近くに歩み寄った。そうするとそこに血だらけの男の人が倒れているのが見えた。
「人払いの結界をすり抜けたのはどういうことだ?」
「だ、大丈夫なのですか?!」
倒れたその人を確認すると息はあった。ただ、今にも死にそうなほどに弱っている。血が止まらず、地面に血溜まりが広がっていく。
「た、助けないと、どうしましょう!」
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