30-1 魔力なしのアイリ
皇国のある大陸の向かいの島にはエルフの国がある。エルフ族だけで構成され、独特な文化を形成し、島の中央にある巨大な「世界樹」の足元に国の首都を置いていた。
エルフ族の特徴は、尖った耳と真っ白な肌、人族とは子を成せず。子供が出来難い体であるために、長寿ではあるが生涯で生める子供の数は人族とあまり変わらない。
この国は「太陽の国」。武家とそれ以外の家と身分を分け、武家の中に長となる家が国を治めている。その長の家はトクカー家。
トクカー家の子供、異母兄弟の末娘のアイリは今日も馬屋の掃き掃除をしていた――
ぼんやりと馬糞を集めていた。これが終わったら、次は母屋の床の拭き掃除が待っている。
「臭い……」
姉の真似をして魔法を展開するための呪文を唱えてみる――けれど、目の前の馬糞はうんともすんともしなかった。
……私は魔力を持たずに生まれてきてしまっていた。「魔力なしのアイリ」、そんな人は他に聞いたことがない。そして、武家では力がモノを言うので、父からは見捨てられていた。
――馬屋の掃除を終えたので、馬糞をまとめた荷車を引いて裏庭の奥に向かった。そして、置き場に馬糞を下ろし終えたところで息をつく。
「ふう――ん?」
額の汗をぬぐって目を開けると、その視線の先に見覚えのない小屋があった。裏の林、その奥の方にちらっと建物らしきものが見えた。
「あそこにあんな小屋なんて……?」
林に入った。小屋といっても人が数人も入れば一杯になってしまいそうなほど小さな建物は窓一つなく、今までそこになかったはずなのに古びていた。その小屋が目の前にある。
好奇心に負けてその扉を開いた。扉に鍵はかかっていなくて軽く押せば開いて、そして、その中にはテーブルが一つ。それから。
「ランタン?」
ランタンが置かれていた。それが扉から入り込む光に照らされて、キラキラ光っている。
その透明なガラスの内側に青白い石が空中に浮いていた。もしかしたら「魔法道具」かもしれないと思った。
聞いた話では、ダンジョンからこういう不思議な物が生まれてくるらしい。けれど、この国で手に入れることはとても難しい。この島にあるダンジョンは「日守聖域」だけだから。
「すごく綺麗…」
その美しさに手がのびていた。テーブルから持ち上げたりはしなかったけれど、触れてみたくて。そうして触っていると、何かを動かしてしまった。
突然、中にある石が光り輝き、小屋の内側全体を照らし出した。
と思えば、すっとその大きな光は消えて――
「え?!」
代わりにテーブルの上に見たこともない美味しそうな料理がいくつも並んでいた。ろくな食べ物を与えてもらえていなかったお腹がぐううと音を鳴らして主張してくる。
「お料理を出せるの?!」
伸ばした右手は料理の中を素通りして触れることはできなかった。それを何度か試して気付く。
「幻覚?」
がっかりしつつ改めて動かした部分を触ると、目の前の料理は消え、中の石もその光を失った。あとには扉の方から差し込む外の光だけになる。
魔力のない私にも使えるなんて。それに誰がこんなところに置いたんだろう?
その小屋から出て行った。そっと扉を閉じるとき、テーブルの上のランタンはキラキラとその外観のガラスが光って見えていた――。
――翌日、またいつもの日課である馬屋掃除を終えて、例の馬糞置き場に向かっていた。
「そういえば……」
思い出して林の方を見ながら歩いていると、例の小屋が視線の先に入ってきた。あの小屋のことを昨日は結局誰にも聞けなかった。そもそも耳を傾けてくれる家族も使用人もいないのだけれど。
また中に入ると、変わらずそれはそこにあったので、この前の要領でつい起動してしまった。すると今度は、姉達の持っている着せ替え人形がいくつも床に姿を現したのだった。
「わあ!」
綺麗な人形たちが床一面に並んでいる。それを踏まないようにうろうろ見回していたが、その一つに手を伸ばしてみた。その手は素通りして、その人形をつかむことはできなかった。
「すごい!」
ニコニコとその人形たちを眺めていると、まるで自分がたくさんの人形を貰えたような、そんな今までになかった喜びを感じることができた。ずっとランタンを操作しては、いろいろな夢のある映像の世界にのめり込んでしまったのだった――
「――あ!」
ホウホウ、ホウホウ……。
外から気の早いフクロウの鳴く声が聞こえてきていた。夕焼けの光が残酷にも入口から差し込んでくる。
びくりと体が恐怖で揺れた。
「母屋の掃除!」
慌てて小屋を出て走り、母屋の方に向かう。と、運悪く姉二人と鉢合わせてしまった。
「――アイリ?なぜそこから走ってくるのかしら?」
長女のリョカが目を細めてにらんできた。そして、次女のマユミは白けた視線を向けてくる。
「無能のくせに自分の唯一の仕事をほっぽってどこに行っていたの?」
「あ、あの……」
イライラした様子の二人が近づいてくる。と、バシャン!頭から冷水が浴びせられた。マユミの魔法だ。
びっしょりになってその場に座り込み頭を下げた。土下座するほかない。
そうして震えていると遠くから別の声が聞こえる。
「何をしている?」
「あら。兄様」
顔を上げると長兄のカズマサが立っていた。
「母屋の掃除をアイリがさぼったのでこれから罰を与えるところですのよ」
水をかぶせるだけでは足りないようで、鞭の魔法を展開しようとしているのがみえる。
「アイリ、仕事をせぬものにこの家にいる資格はないのだぞ?わかっているのか」
「はい……申し訳ございません」
「兄様には謝れるのに、私たちには謝れないのかしら」
「申し訳……」
「とにかく、仕事をさぼったのであれば地下牢だ。おい、そこのお前、アイリを連れていけ」
「は!」
そうして地下牢のある塔の中に連れていかれた。
地下牢には拷問器具が並び、子供の頃は恐ろしくて震えた。でも、さんざんここに入るようになって、もう慣れてしまっている。
「地下牢を汚さぬよう、これに着替えることとされている」
そば仕えは、地下牢の中に用意されていた服を指さした。出ていくのを待って、用意されていた服に着替えた。それから薄汚れた小さな布団に腰を下ろす。
びしょびしょになっていた服は拷問器具にかけた。
「はあ……」
そうしてようやく落ち着くと、あのランタンのことが気になった。
「誰がどうしてあんなところに置いたんだろう?」
裏の林は日の光も入りにくく、じめっとしていて誰も近づかない。そんな場所の小屋の中に不可思議な魔法道具を入れておく意味は見当たらない。
「それに一昨日まであんな小屋はなかった。私が見落としていたっていうほど目立たない建物でもないし、どういうことなんだろう?」
あれは、願った世界や願ったものを投影してくれるランタンなのかな……。
「――失礼」
びっくりして声の方を向いた。すると、地下牢の片隅に子供が立っているのがみえた。
その子供は妙な黒い被り物を顔につけていて、ローブを目深にかぶっている。声は小さな女の子の声だった。それが薄暗い地下牢の雰囲気と合わさって不気味でしょうがない。
「誰ですか?!」
「怖がらせてすまない。君にお願いがあってきたのだ」
「わ、私にですか?」
不気味な少女はそう言うとその頭にかけたローブを下ろして仮面を外した。
その顔はエルフ族によく似た顔立ちだったが少し違和感を感じた。
薄暗い中にあってもさらに闇をたたえたその肌は黒く、そしてその髪と瞳は深淵のように暗かった。
「私はエマという。はじめまして」
「は、はい。はじめまして。私はトクカー・アイリです」
「……アイリ殿が持っている『角灯』を私に譲ってはもらえないだろうか。ただでとは言わない」
「え?私のですか?」
「ああ」
「……あの、角灯ってなんでしょうか?」
「別の言い方ならばランタンのことだ。アイリ殿が最近手に入れた物」
魔法のランタンのこと?でもあれは……。
「……あれは私のではないです。そんな恐れ多いです」
「いや、アイリ殿の物のはずなのだ」
「いいえ。私などが何も持てるはずがないのです」
「いやしかし…………さて、どうしたものか………女神め、面倒な制約を」
「女神?」
エマは近づいてくると、そっと手を握ってきた。
あまりにも自然な動きだったため、されるがまま握られた。久しぶりに優しく手を繋がれて少しドキドキする。
「……そうか、君は……わかった。では、しばらく君のそばにいよう。アイリ殿があれを自分の物だと言えるようになったら、改めて交渉しようではないか」
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