第72話 船幽霊の追走曲
「にゃん。にゃぁぁん。」
茶々丸がマシュに近付き、鼻先をくんくんと嗅いだ。マシュは、初めはやや後退したが、茶々丸に敵意がないことを知り、マシュもまた茶々丸の鼻先を嗅いだ。
「初めまして。僕の名前はタタラ。タタラ・マドリーナ。君の力になるよ。」
マシュに対する海坊主と時雨の反応を見ると、マシュがこれまで、どれだけ辛い思いをして孤独な戦いの日々を送ってきたか、容易に想像できた。タタラは手をマシュに差し伸べた。マシュはじっとその手を見つめた。茶々丸が、にゃあと鳴いた。マシュは片方の前足をタタラの手に置いた。タタラは第8感の阿頼耶識によってマシュの魂を知覚した。
マシュは他のオコジョと違って、換毛期に体毛が生え換わることがなく、夏場でも白色だった。そのため、ひどく目立ち、天敵や獲物に見つかりやすく、生きていくのに苦労した。
マシュがまだ小さい頃、大型の鳥に襲われた時に必死で逃げ、身を隠していると、母親とはぐれてしまった。それ以来、一人ぼっちで生きてきた。
マシュは先天的に、他の動物と比較にならない程の鋭さと硬度を有する牙と爪を持っていた。しかし、体躯は普通のオコジョと変わらない大きさであったため、自分の身体よりも大きく、攻撃的な敵に対しては、なかなか自分の武器を有効に活用することが出来なかった。そのため、敵に追いかけ回されると、よく川へと逃げ込んだ。尾を器用に動かして、自分でも驚く程、優雅に川の中を泳ぐことができた。
マシュにとって水は、まるで自分を守る鎧のようなものであった。水の中にいると、とても落ち着いた。仰向けで水上をぷかぷかと浮いて空を見上げていると、白い雲が浮遊しているのが見えた。自分と同じ白色だった。あんな風に宙を浮いて、雲の中に隠れることが出来るなら、敵に襲われることもなく、とても素敵だろうなと感じた。
ある日、マシュがクラングラン近辺の浜で、ご馳走の蟹の狩りをしていると、一人の男が視界に入った。彼は波打ち際に立っていた。彼が両腕を上げると、2本の水柱が海から立ち上ぼった。マシュは目を見張った。それはマシュが初めて目にした魔法であった。マシュは思った。自分もやってみたい。気が付けば、身体が勝手に動いていた。
その日、ピットはいつものように水の魔法、水妖の訓練をしていた。1日でも早く父親の海坊主を越えるために、毎日同じ時間に、同じ場所で行う日課だった。ふと視線を感じると、真横にオコジョがいた。こちらを見つめ、警戒している様子もなかった。
「なんだ?お前は。腹が減ってるのか?悪いけど、今は何も持ってない。」
次の日、いつもの訓練場所に行くと、昨日のオコジョがまた顔を見せた。
「お前、またいるのか。今日も、何も持ってきてない。明日、魚かなんかを持ってきてやるよ。」
3日目、ピットは乾燥した鰯を持って砂浜に行くと、先にオコジョが待っていた。ピットが鰯をやると、オコジョはそれを見つめ、手に取ったが、その場では食べようとしなかった。
「早く食わないとカモメに横取りされるぞ。」
オコジョはまるでピットの水妖をつぶさに観察しているようだった。一通り、いつもの定まった訓練の内容をこなしてピットが帰ろうとすると、オコジョが初めて声を上げた。
「きぃぃ。」
「え?何?」
オコジョは後ろ足で立ち上がり、前足で鰯を抱え、じっとピットの目を見た。
「何もないなら帰るぞ。」
ピットが歩き出すと、オコジョは鰯を咥え、ピットの家まで着いて来た。
その日から、オコジョはピットの家に居候するようになった。ピットはオコジョにマシュと名付け、毎日、一緒に水妖の訓練をするようになった。それからというもの、ピットはいつもマシュを連れ歩くようになった。いつしかピットにとって、マシュはかけがえのない存在となり、マシュが膝や肩の上に乗ってくると、心が温かくなった。
ピットは、仕事が休みの日は宝探しをするか、地元の島に帰った。マシュも水の魔法、水妖を発動出来るようになり、ピットと一緒に海を潜って、エスペランザの財宝を探した。
ピットは古い宝の地図を持っていた。1つの島の全景が記されていて、一点に丸印が記載されていたが、それが世界のどこにある島を示しているのか不明だった。ピット達はよくディープホールの近辺で宝探しをした。父親の海坊主が、昔、ディープホールの近くで黄金の錠前と鍵を発見したことがあったからだ。
ピットはマシュに、一度海流に飲み込まれると決して戻ってこれなくなるディープホールの危険性を何度も何度も口を酸っぱくして説明した。ピットとマシュは海流に細心の注意を払って宝を捜索し、やがて、黄金の小さな宝箱を発見した。
「やったぞ、マシュ。宝の地図を発見した時も嬉しかったが、今度は本物のお宝だ。中身は空っぽだけど、黄金だからな。凄いぞ。」
大喜びするピットの姿を見ると、マシュはとても幸せな気持ちになった。
「これからも、もっと財宝を見つけるんだ。そうだ、この黄金の宝箱に宝の地図を保管しておこう。」
ピットは黄金の宝箱に、父親から貰った黄金の錠前を掛けた。黄金の鍵はブレスレットに掛けて、肌身離さず持ち歩くようになった。
ピットが地元の島に帰る時は、もちろんマシュもついて行った。ピットは大きな体格をしていたが、父親の海坊主はさらに大きく、マシュは驚いた。母親の時雨はピットにお腹一杯のご飯を食べさせ、マシュにも美味しい海老や貝をたっぷりとくれた。マシュにとって、それはとても心地の良い時間だった。
しかし、そんな楽しい毎日は、一瞬にして崩れた。ピットが仕事中に海賊に襲われたのだ。ピットは最後まで仲間を庇いながら戦ったが、力及ばず、銛で串刺しにされた。
その光景はマシュにとって一生忘れることの出来ない残酷な映像となり、癒えることのない心の傷となった。マシュは鋭い牙と爪で海賊達を襲ったが、激しく蹴飛ばされ、船の縁に叩きつけられた。意識が朦朧とする中で、マシュは見た。黄金の鍵の付いたブレスレットがピットの首から引きちぎられ、ピットの遺体がディープホールへと放り出されるのを。
マシュは歯を剥き出し、流血するまで食いしばった。そして、金切り声を上げた。その日より、マシュの孤独な戦いが始まった。
復讐とピットの遺志を継ぐこと。それがマシュの全てとなった。ピットがディープホールへと沈んでいったように、温かみのあるマシュの感情は深い闇の中へと消えていった。




