第60話 ツバキの敗北
ツバキが、レビュラスに喰われた赤の女王を助け出そうと海へ飛び込み、発動した風の魔法、風魔によって海中を速い速度で移動していると、海の中で大きな白い靄が移動しているのが見えた。その靄は海面へと上がった。呼吸するため、一旦、靄の方へと向けて海から顔を出すと、海上は濃霧に包まれていた。
驚いたツバキは、海を出て空中へと上がった所で、霧が固まり、身体を動かせなくなった。暫くして、霧ごと、自分も移動している感覚がした。ツバキは完全に方角を見失い、空と海の高さの位置すら分からなくなった。指を動かすことは出来なかったが、目蓋や口の開閉は可能だった。ツバキはテンマのことを思った。
「兄貴のことだし、私と離れ離れになって、相当、焦ってるんだろうな。私がこの霧に囚われて、このまま死んだら、兄貴はどうするだろう?」
おそらく、死に物狂いで霧の術者を探し出して復讐するのだろうなとツバキは思った。そして、その後は。ツバキにはその先の未来を見通すことが出来なかった。家族を全員失った兄の姿を想像したくなかった。
「そうだ。兄貴が結婚すればいいんだ。それだと、私に何かあったとしても、兄貴が一人ぼっちにならなくてすむ。」
お見合いの相手を何名か思い浮かべた。その中で、死にそうにない一番強いヒトを選出した。
「リョウコだ。会ったばっかだけど、間違いない。あのヒトは強い。よし。引き込もう。」
固まった霧の中で考え事をしていると、ふと、自分が赤の女王を追っていたことを思い出した。
「そうだった。あのヒト、大丈夫かな。もうとっくに、海蛇に呑み込まれてるかな。海蛇の身体の中は狭苦しいんだろうな。食道で、筋肉の圧力によって全身の骨をバキバキにされて、胃に到達した後は、じっくりと溶かされていくんだろうなぁ。」
ツバキは自分の身になって想像してみた。出会って2日目のヒトにココナッツミルクを奢ってあげて、3日目にそのヒトの身代わりになって海蛇に喰われて死ぬ。
悪くない、とツバキは思った。悪党とは言え、これまで数多くのヒトの命を奪ってきた自分もまた、誰かの刃か魔法か術によって殺されるのだろうと、日頃から考えてきた。食べられて死ぬことも、可能性としてはある。
しかし、自分はそれで仕方がないにしても、赤の女王にとっては、良いわけがないのだ。彼が、もし生きていたら、きちんとお礼を述べて、昼食代を一食分、替わりに払ってあげようと思った。レビュラスに襲われたあの瞬間、風魔の防御壁を展開することで、喰われることを回避出来たと推定したことから、夕食代には及ばないと結論付けた。
そのようなことにのんびりと思いを巡らせていると、霧が晴れて、ツバキはどさりと落ちた。
「痛っ。もう、霧が晴れるなら言ってよ。」
辺りを見回すと、船の残骸で埋め尽くされた場所にいた。海上なのか、陸上なのかも分からない程の光景で、船の墓場という表現がぴったりな場所であった。
「もったいない。これをしたヒトは、いったい何がしたいんだろう。」
ツバキが集中して他者の気配を探ると、微かに魔力が残留している箇所を特定できた。それは、ツバキのいる位置から近くにある船の中だった。その船は年月の経過を感じさせる風化具合を呈していたが、他の船と違い、航行出来ない程の欠損した箇所は見当たらなかった。
ツバキは風魔を発動し、ふわりと浮いて静かに船に近付いて甲板に降り立った。そして、船内への扉を開き、中を覗いた。探知した魔力に邪悪さは感じられなかった。
階下へ降りる急な階段を下り、船内の最奥の部屋へと向けて、ギシギシ音を立てながら歩いた。
ほとんど光が届かない不気味な空間を、ツバキは全くの恐怖感無く、しかし、警戒しながら双剣を構えて進んだ。
奥の扉を開けた時、暗い部屋で、ツバキは何かが動くのを目の端で捉えた。
「そこにいるのは分かってるんだよ。噂に聞く船幽霊でしょう?堂々と姿を現して、この島でいったい何をしているのか、白状しなさい。」
ツバキの声に反応して、部屋の奥から白い靄がじわじわと出現した。宙に浮いた靄が前に出てくると同時に、僅かな光が当たった。ツバキは驚愕した。
「なっ。ま、まさかあなたが船幽霊?」
船幽霊はなおもツバキに迫った。
その瞬間、ツバキの顔面から血が噴出した。
ツバキは双剣を床に落とし、手で顔を押さえ、膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。




