第58話 船幽霊の霧
テンマは空中で霧に包まれていた。風の魔法、風魔で周囲の霧を払っても、開いた穴を塞ぐように、その空間はすぐに霧で満たされた。それは、まるで生き物ような動きだった。
テンマはリョウコの魔力を感じとって彼女の元へと行き、一声かけて、彼女の膝裏と首を両腕で抱き抱えた。
「ちょ、ちょっと、何をするんだ?」
「空を飛べないんだろ?上空へ退避するぞ。」
テンマは風魔で飛び立ち、空へと舞い上がった。暫くして、様子がおかしいことに気付いた。どれだけ風の威力を大きくしても、上へと上がれないようになった。霧の粘性が高まり、まるで泥の中を進んでいるような感覚だった。
不思議なことに、勢いよく身体を動かすと、霧は硬くなって少しも身動きが出来なくなり、ゆっくりと身体を動かすと、ずぼずぼと遅く進むことが出来た。
「なんだこれは?」
テンマに抱き抱えられているリョウコが返答した。
「これが船幽霊なんだよ。この霧には3つの段階があるんだ。ただの霧、今のこの状態の粘性のある霧、そして、全く動けなくなる霧。」
「全く動けなくなる霧?まずいじゃないか。」
「少しでも動ける間に上へと飛んで。」
テンマは焦った。得たいの知れない者の術中に捕らわれた中で、ツバキと離れ離れになり、不安でたまらなかった。
「ツバキ。」
テンマから声が漏れた。それを聞いたリョウコがうっすらと見えるテンマの顔を見上げた瞬間、金縛りになったように、ぴくりとも身体を動かせなくなった。
速く動こうと、遅く動こうと、どうにもならなかった。だが、呼吸はいつも通りに出来た。海面から少し上の固まった濃霧の中で、テンマのツバキを想う焦りと不安は、時間の経過に従い、苛立ちと恐怖へと変貌していった。
閉じ込められた狭い空間内で、テンマの身体から湧き立つ魔力は濃縮されていき、蒸気を逃がす穴の無い鍋のように、爆発寸前となった。そんなテンマに抱き抱えられているリョウコはテンマの鬼の如き気迫に気圧されした。
一瞬にして霧が辺りを覆ったのと同じように、霧が晴れるのも一瞬だった。テンマは感覚を研ぎ澄ませ、ツバキの魔力を探ったが感じ取れなかった。テンマはギリギリと歯ぎしりし、怒りを海蛇党へと向けた。
副党のカゼラが避難していた船を見つけ、甲板に降り立った。そっとリョウコを下ろしてカゼラに詰め寄り、彼女が慌てて構えた武器をあっという間に風魔で弾き、首元を掴んだ。
「ま、待て。私達、サクスム島の住人は党首と、党首の部下に半ば脅されて海賊をしていたんだ。」
「都合の良い、言い訳だな。全てをサーペンスの罪にして、自分達に責任は無いと言うのか?」
「好きでやってたわけじゃないのは事実だ。」
テンマはカゼラの首元を強く押すと同時に離し、周囲を見回して、厳しい口調で言った。
「お前ら一人一人がマドリーナ王国の国民になるのか、ならないのかを決断しろ。国民になるなら、俺がお前達を守ってやる。ただし、国民であろうとなかろうと、海賊行為をする者は、王国の敵だ。海の藻屑にしてやる。俺がサーペンスを始末して、再びサクスム島に来るまでに決めておけ。その間に海賊行為をした者も容赦しない。」
テンマはカゼラの目を見て確認した。
「分かったか?」
「あ、ああ。分かったよ。」
テンマは踵を返してリョウコの方へと戻った。
「乱暴な言い方だな。まるで恐怖政治だ。」
「時間が惜しいから、手っ取り早く言ってるだけだ。」
テンマは再びリョウコを抱えて飛び、無人島に待機しているウヅキとサツキの下へと向かった。空中でテンマはリョウコに質問した。
「リョウコ、船幽霊の霧の術について詳しかったな。ツバキは奴の霧に捕らわれて、連れ去られた可能性はあるのか?」
「可能性はある。海坊主の部下で、霧に束縛されたまま、船幽霊の拠点にまで連れて行かれて、自力で戻って来た者がいた。」
「拠点?拠点があるのか?」
「ああ。私は行ったことがないが、だいたいの位置は把握している。海坊主が何度も上陸を試みて、幾度となく霧に阻まれた。船幽霊が偶然、留守の時に、島に足を踏み入れたところ、船の残骸で埋め尽くされていたそうだ。」
「船幽霊の霧に海中で捕らわれ、窒息する可能性は?」
「それは、おそらく無いと思う。海中では新たな霧は展開しないので、海の中で捕らわれることはない。ただし、海の上で霧に捕らわれ、霧ごと、海中に潜航することはある。その場合、霧の中に海水は侵入せず、呼吸は出来たと聞いている。」
「船幽霊の正体は?どんな奴なんだ?」
「それは誰も知らない。当初は、自然現象だと考えられていた位だから。」
「ウヅキとサツキと合流したら、王邸に報告が出来る場所まで移動する。その後、船幽霊の拠点に向かう。案内してくれ。」
Dear Worldの番外編、サクラクルクル 全5話公開中。




