世界の全てが自分のものだと思っているわがままお嬢様の告白を断ったら『友達』として全力で迫ってきた
それは、告白から始まった。
「どうしたんだ? 多宝院。こんな空き教室に呼び出して」
夕日が窓ガラスを突き抜けて、教室の中を夕焼けに染めていく。
放課後の誰もいない教室に呼び出されて、俺は唐突に彼女――多宝院琴音にそう言われた。
彼女は大きく息を吸うと、
「わ、私と付き合いなさい!」
夕焼けに負けずとも劣らないほどに顔を真赤にしてそう言った。
多宝院琴音は、多宝院グループの1人娘だ。
多宝院グループというのは戦後GHQによって解体された財閥にとって変わるように、頭角を現した巨大な財閥である。金融、重工業、医療、報道、IT……等々、参入してない業界はないと言われるほどに巨大な財閥で、純資産は国家予算を凌ぐとか凌がないとか。
つまり彼女は超絶お嬢様なのだ。
しかも、彼女の父親はハーフのイケメンだし、彼女の母親はかつて日本を騒がせたアイドル。
故に彼女は、また筆舌に尽くしがたいほどに美少女だ。
そんな彼女から放課後呼び出された時は、確かにそうなるのではないかと思うこともあった。
しかし、付き合いなさいと来たか。
日本の中でもトップオブトップの家に生まれて、容姿も持つもの全てを持った彼女はその告白が失敗するはずもないと思っているのか、緊張の裏には圧倒的な自信が見えた。『まさか、自分の告白は断らないだろう』という、自信が。
だから、俺はわずかに顔をひきつらせると、
「悪いけど、遠慮させてもらうよ」
そう言って、断った。
俺の返答は予想していなかったのか、ぽかんと口を開けたまま多宝院は固まった。
「話ってそれだけか? じゃあ、俺は帰るから」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 待ちさないよ、九条くん!」
「ん?」
「な、なんでよ。理由を聞かないと納得できないわ!」
「理由か……」
俺はわずかに唸ると、多宝院の質問に答えた。
「俺である理由がないから、かな」
「……どういうこと?」
「だって、多宝院と俺……そんなに仲良くないだろ?」
「な、仲が良くないと付き合ったら駄目なの!?」
「駄目じゃないと思うけど……。普通はそうじゃないんじゃない?」
「だ、だって……あんまり仲良くなりすぎると友達フォルダに入るって本に書いてあったし……」
……多宝院が早口過ぎてなんて言ったか全然聞き取れなかった。
「話が終わったなら、俺は帰るから」
そう言って帰ろうとした俺を、さらに多宝院が呼び止めた。
「じゃ……じゃあ、九条くんは私と仲良くなれば告白を受けるってこと?」
「……まぁ」
俺が返事を濁すと、彼女はふっと息を吐いた。
「な、なら! 友達になりましょう!」
そう言って、多宝院が手を差し出した。
「友達? 良いよ」
まぁ、それなら断る理由も無いだろう。
俺は多宝院の手を取った。
「じゃ、じゃあ今日は一緒に帰りましょ! 家まで送るわ!」
「え? いや、良いよ。俺、自転車通学だし」
「良いから!」
そういって、半ば俺は強制的に多宝院に連れられて、彼女の登下校に使われている黒塗りの高級車に乗せられた。
「さ、さぁ! 遠慮しないで、九条くん」
「あ、ああ……」
多宝院に流されるようにして自宅の場所を運転手さんに言うと、自動車は俺と多宝院を後部座席に乗せて出発した。
……あれ? 俺の自転車は?
「…………」
「…………」
つっこみが遅れた罰なのか、車内は無言。
俺は多宝院のことをよく知らないので何を喋れば良いか分からないし、多宝院はこちらをチラチラ見てくるだけで、何も言わない。
……やべぇ、気まずいな。
「た、多宝院ってリムジンで学校に来てるのかと思ったよ」
「あんなの日本の道路じゃ邪魔になるわ」
「そ、そうか」
会話、終了。
そして、そのままお互いに沈黙。
仲が良い友達なら黙ってても気分は悪くないが、相手は先程告白をしてきた女の子。しかも俺が断ってるとなると、沈黙が気まずいも気まずい。なんとか会話のキャッチボールを頑張ろうと思ったが、そもそも俺はキャッチボール苦手だったわ。
「く、九条くん。そろそろ、着くわ」
「……ああ」
居心地が悪すぎて1分が1時間に感じられる地獄の車から逃げ出したいと思ったタイミングで家についた。
「また、明日」
「お、おう」
運転手さんに扉を開いて貰って俺が家の前で降りると多宝院は、感情の分からない顔でそう言った。
運転手が静かにドアを閉めると、ゆっくりと車が進み始める。
一応、俺はそれが見えなくなるまで目で追っていた。
自転車、学校に置いてきちゃったよ。
翌朝、自転車がないので少しだけ早く学校に行こうと家を出たら隣の家が変わっていた。
「……え? あれ??」
呆けた顔で隣の家を見る。
いや、外壁の塗装が変わったとかそんなレベルじゃない。
昨日の夕方まであった隣の家が3軒ほどぶち抜かれて新しい1つの家になっているのだ。こんなの気が付かない方がおかしいだろ。
「どうなってんだ……?」
「おはよう。九条くん」
「……た、多宝院」
俺がすっかり変わり果てた隣の家を呆けた顔で見ていると、立派な門の前に立っていた多宝院がにこやかに挨拶してきた。
「実は隣に引っ越してきたの。これからよろしく、九条くん」
「隣に……引っ越し……」
「遅れないうちに学校行くわよ。さ、車に乗って」
「え、俺も乗るのか?」
「自転車、学校にあるんでしょ?」
「あ、ああ」
訳が分からないまま車に乗せられた俺は、まるで魔法で生み出されたかのような速度で立てられた新築の隣家を見た。
「どうなってんだ……」
「どうもこうもないわ。たまたま隣の土地が空いたから、引っ越してきただけよ」
「たまたまで3軒も空くのか?」
「空くのよ」
……空くんだ。
「あ、そうだわ。せっかく引っ越したのだし、今日はウチに遊びに来ない?」
「ず、随分と積極的だな」
「だって、そっちの方が良いって本に書いてあって……じゃなくて! 別に良いじゃない。友達って、そういうものでしょ?」
「まぁ、それはな」
確かに友達の家に遊びに行くことは普通だ。
俺と多宝院がそこまでの仲の友達なのかという話は置いておいて。
学校につくと、多宝院と一緒に教室に向かう。
俺と多宝院は同じクラスなのだ。
俺たちのクラスは成績優秀者を集めた特別進学コース、つまり特進コースというやつだ。
多宝院は幼い頃から英才教育を受けており、大変に頭がいい。
どれくらい頭が良いかと言うと、入学してから彼女はなかなかの進学率を誇る我が校で常に成績が次席なのだ。
え? 首席は誰かって?
俺だよ。
俺みたいな普通の家に生まれたやつが、多宝院みたいなお嬢様とお近づきになれる機会なんてそう多くない。その機会の1つが、俺たちの通っている学校というわけだ。
うちの学校は多宝院のようなお嬢様が多いが、進学率も高く成績優秀者は学費免除で学校に通うことができる。俺は入学以来、常に首席をキープすることで今まで学費を1円たりとも払うこと無く学校に通っているのだ。
流石に席は隣同士ではないので、自分の席に座るとゆっくりと息を吐き出した。今日もつまらない1日が始まる。俺は深く目を瞑って、カバンを床に置いた。
あっという間に、昼休み。
多宝院がそっと席を立ち上がると、俺のところに歩いてやってきた。
「九条くん」
「どした?」
「昼ごはん、一緒に食べない?」
「……ん」
俺はいつも一緒に弁当を食ってる奴らにちらりと視線を向けると、『こっちみんな』と言いたげに手を払われた。薄情な奴らである。
「良いよ、食べよう」
「九条くんの分も用意させたから」
「え、なんで?」
「だって、九条くん。いつもお弁当食べた後に菓子パン食べてるじゃない。体に悪いわよ」
「……よ、よく見てるな」
「べ、別に。そんなことは無いわ」
そして、優しく音を立てて多宝院が机の上に弁当をおいた。
ゆっくりと、多宝院が弁当を開いたのだが俺はそれを見て目を丸くした。
「で、でっか……」
「だって九条くん。よく食べるから」
少しドヤ顔で弁当箱……というよりも、もはや重箱と言った方が良いそれを広げた多宝院の好意に甘えながら、俺は弁当をつついた。
「全部食べて良いわよ」
「え、全部!?」
「そうよ。だって九条くんのために用意させたんだし」
とんもでない量だな……
これ全部、食べて良いのか。
いや、食べれるのか?
俺は息を吐いて、吸って、また吐いた。
「……良し」
俺は短く気合を入れると、弁当に取り掛かった。その時、俺たちが周りからどう見られてるのかは全く気にならなかった。いや、気にしている暇など無かった。とにかく残さず食べねばならぬのだ!
午後の授業は完全に死んでいた。
腹はいっぱいだし、眠くなるしの地獄を乗り切って、帰ろうとしたら多宝院に呼び止められた。そういえば遊びにいく約束をしていたと思い、多宝院に連れられて彼女の家に遊びに向かった。
「……すごい家だな」
「大したこと無いわ。突貫工事だし」
夜の内に完成していた新築の建物を見上げながら俺がそう言うと、多宝院は肩をすくめた。
「突貫工事って……大丈夫なのか?」
「当たり前でしょ。ウチの最新技術よ?」
最新技術よ? と、彼女の口から言われてしまえば、もはや俺としては言うこともない。
いつまでも見上げ続けているわけにも行かないので家の中に入ると、多宝院が案内してくれた。
「こっち。空き部屋があるから、九条くんはいつでも好きに使って」
「好きに使ってって言われても」
廊下を歩きながら、なぜか空き部屋を説明される俺。
どういう状況だよ。
「はい、九条くん。これ合鍵」
「ありがと」
そういって多宝院から合鍵を手渡された。
「いや! おい!」
「どうしたの?」
「なんでそんなさらっと合鍵渡してんの!?」
あまりにもスムーズに手渡されたものだから普通に受け取っちゃったよ!
「友達には合鍵を渡すものじゃないの?」
「いや、渡さね―だろ。どんな友達だよ……」
「ね、ネットで聞いたのに……騙されたわ……」
どんな質問したら『友達には合鍵渡すのが普通だよ』って答えが返ってくるんだよ。
俺は多宝院に合鍵を返して、案内されたリビングのソファに座った。
「いま使用人が紅茶を入れてるわ。九条くん、紅茶は飲める?」
「ああ。午後ティーくらいしか飲まないけどな」
「なにそれ? 飲んだことないわ」
高校生の血液である午後ティーを飲んだことないだと?
それはヤバいぞ、多宝院。
俺が密かに危機感を覚えていると、多宝院がカバンを取り出してじぃっと俺の顔を見た。
「どした?」
「ね、九条くん」
多宝院は決意を固めるようにゆっくりと口を開くと、
「べ、勉強教えて」
「良いけど……。俺がお前に教えることなんてあんのかよ」
「あ、あるわ! だって私は次席だし」
「そんな変わんねぇだろ……」
ちなみにだが、俺と多宝院の成績差は毎回数点だ。
なので、誤差と言えば誤差なのだが。
「ほ、本当に分からないところがあるのよ!」
「まぁ、そういうなら……」
多宝院はそう言うと、カバンから教科書を広げて1つ1つ俺に質問してきた。俺は出来る限り分かりやすく答えたのだが、多宝院の理解が早すぎて驚いた。俺は首席なので、よくクラスの奴から勉強を教えてくれと頼まれることがある。
その時と比べると、多宝院の理解は驚くべきスピードだ。
まるで、最初から理解しているのではないかと思うほど。
「流石だな、多宝院」
「な、何がよ」
「今まで教えてきたやつの中で一番頭がいい」
「だ、だって……九条くんの好きなタイプは頭がいい人って聞いたから」
確かに言ったけど、なんでそれ知ってんの??
そんなこんなで多宝院に勉強を教えていると、スマホが震えた。
「ちょっとすまん」
多宝院に一度詫びを入れて、スマホを取り出すと妹からメッセージが入っていた。
『お兄ちゃん! 今日、私とお母さん家にいないから!』
急にどうした? と思いながら、返信するとすぐに返ってきた。
『この間言ってたライブのチケットが取れたんだよ! しかもめっちゃ良いとこ! お母さんと2人で行ってくるから! 前日入りだよ! ホテルの招待券もついてたし!』
『親父は?』
『分かんなーい! でも帰り遅くなるって』
また、急に……と、思っていると今度は親父から電話がかかってきた。
「どうしたの?」
「親父から電話だ。出てもいいか?」
「私は構わないけど」
「悪い」
席を立ちながら、通話ボタンをスライドさせるとスピーカーの向こう側から申し訳無さそうな親父の声が聞こえてきた。
『すまん、今日はちょっと帰れそうにない』
『帰れそうにないって……なんかあったのか?』
『ああ。実はな、まいまいのライブチケットが手に入ったんだ』
『は?』
まいまいと言うのは親父がドハマリしている地下アイドルである。
この間お袋たちにゴミみたいな目で見られて泣く泣くグッズ全部捨てたのに、まだ未練があったのか。
『ほら、明日休みだろ? だから、ちょっとお父さん。前日入りしようと思って』
『は??』
『すまん、そういうわけだから。お母さんたちによろしく言っておいてくれ』
『いや、お袋たちもライブの前日入りでいないぞ』
『そうか』
ガチャ、と通話が切られた。
おい? 俺の今日の飯は??
「九条くん、どうかしたの?」
「いや、今日誰も帰ってこないんだと」
俺はスマホを握りしめたまま途方に暮れて、そう言った。
「じゃあ、ウチに泊まれば良いじゃない」
「……い、いや。流石にそれは」
「家に帰ってもご飯とかはあるの? うちなら、全部使用人が作ってくれるわよ」
「う、うーん……」
「それに、部屋なら余ってるわよ」
た、確かに魅力的な提案ではある。
提案ではあるが、実はちょっと俺は多宝院に対して気まずいのだ。
何しろ昨日の告白を断ってるし……。
「と、友達なら遠慮なんてしないでよ」
「じゃ、じゃあ……甘えさせてもらおうかな」
「ちょっと待ってて。すぐ来客用の部屋を用意させるから」
「あ、ああ」
そういってリビングを後にした多宝院を見送ると、俺はスマホに視線を落とした。
「しかし、不思議なこともあるもんだなぁ」
お袋と妹が向かったアイドルは今をときめくイケメンアイドル。
勿論、そのチケット倍率はとんでもなく、ドハマリしている妹はライブチケットを当てるために自分は当然として俺やお袋、友人たちにもお願いしてチケットを取ろうとしていたが、そのどれも外れていたはずだ。
それが偶然、2席も確保されるとはねぇ。
しかも、良い席でホテル付き?
なんかの罠なんじゃねえの。
親父の方は、まぁ……地下アイドルだからチケット取るのなんて難しくはないだろ。
よく知らんけど。
「じゅ、準備するそうよ」
俺が首を傾げていると、多宝院が入ってきた。
「悪いな」
「べ、別に良いわよ。気にしないで」
「なぁ、多宝院」
「な、何かしら」
チケットのこと、何か知ってるか?
と、問おうとして俺は辞めた。
流石にな、流石の多宝院といえども人気席のチケットを前日に用意することなんてできないよな。
……あれ? 多宝院グループって芸能事務所持ってなかったっけ?
じゃあ、妹の言ってた良い席って関係者席とか……?
んで、グループ会社のホテルを……?
いや、まさかな。
まさか、そんなことがあるわけない。
だって、それは……それは流石にだろ?
多宝院の家で美味しい夕食をごちそうになった後、俺は風呂に案内されて入った。
「でかい風呂だな……」
家を3軒分ぶち抜いて作られた家なだけあって、全てが規格外的に大きい。
こんな大きな家に、多宝院は1人で住んでいるんだろうか?
「……使用人も、夜には帰るんだな」
ぽつりと漏らす。
彼女の使用人も24時間、ずっと家にいるわけではないらしい。
いや、もしかしたら客がいるから遠慮して帰ったのかもしれないけど。
ぼんやりとそんなことを考えながら、立ち上がる。
「親はなかなか帰ってこない、か」
多宝院の言っていたことを繰り返すように、呟いた。彼女の両親は日本を代表する巨大企業のトップである。家に帰るよりも、仕事なんだそうだ。
「……寂しく、無いのかな」
俺はそう呟くと、そうそうに風呂から出ることにした。
一番風呂を貰っている立場である。
次に入る多宝院を待たせても悪いだろう。
そう思って、風呂を出た。
自分の髪の毛から女の子の使う甘いシャンプーの匂いが、わずかに漂ったのが脳をバグらせた。
「なぁ、多宝院」
「何よ」
俺は多宝院に案内された来客用の部屋で、立ち尽くした。
「なんでベッドと布団がそれぞれ敷いてあるんだ?」
「だって、友達の家でお泊りなのよ? 普通、同じ部屋に寝るでしょ」
「いや、確かにそれはそうかも知れないけど、俺たちは男女だし……」
「友達なら関係ないわ。ネットにもそう書いてあったし」
それ書いてるの絶対陽キャだろ。
陰キャは男女同じ部屋で寝ないんだよ。
なんてイチャモンをつけるよりも先に、多宝院が部屋の灯りを消した。
「九条くんはベッドで寝て。私は下で寝るから」
「いや、良いよ。俺普段、布団だし……」
それは嘘だが、流石に多宝院を床で寝させるのは居心地が悪いので俺は布団に入る。部屋の中がオレンジの光で照らされる中、俺と多宝院が静かに呼吸する音だけが聞こえてきた。
「なぁ、多宝院」
「どうしたの?」
「寂しくないのか?」
「…………」
俺の問いに、多宝院は沈黙を保った。
保ったまま、何も言わなかった。
「九条くん」
「ん?」
「九条くんは、今までやってきたことが無駄になったときって、ある?」
そして、それに答えずにそっと俺に聞いてきた。
「無駄になったこと? そんなこと、考えたことも無かったな」
「私は、あるの。今までずっと勉強してきたし、いろんなことでトップに立った。成績も、コンテストも。多宝院のメンツを保つために、誰よりも一番にならないと行けなかったの。でも、それを壊されたのよ」
「…………」
「どれだけ勉強しても、勝てなかった。どれだけやっても敵わなかった。初めてのことだったわ」
「……悪かった、な」
それはきっと、俺のことだと思ったから。
「なんで謝るのよ。私は嬉しかったの」
「嬉しかった?」
「だって、もう1番を取り続けなくても良いのよ? それが、すごく嬉しかった。お礼を言いたいくらいだったわ」
「……そんなこと」
もぞり、と布団の中で俺は動いた。
そんなこと、感謝するようなことじゃない。
「九条くんにとっては、そんなことかも知れないけど……私には、そんなことじゃないの。文字通り、世界が変わったの」
「…………」
「だから、九条くんのことが好きになったのよ」
「……変わってるな」
「そう? でも、九条くんは人気だし」
「そうなのか?」
「なんでそこだけ食いつきが早いの!」
多宝院に怒られてしまった。
「それに、九条くんの努力が普通じゃないことにもすぐに気がついたし。朝学校にきて、ずっと問題をといてるし、部活もやらずに図書館とか自習室で勉強に打ち込んでる。誰にでも、できることじゃないわ」
「……ありがとう」
それは嬉しい言葉だった。
はっきり言って、俺の家は誰も勉強をしない。
勉強習慣がない、家なのだ。
成績が良いのは俺だけ。
親父もお袋も妹も、学校の勉強なんて適当で良いと思っている。
今まで成績を褒められたことはある。
でも、努力を褒められたのは初めてだった。
「ありがとう、多宝院」
「……琴音」
「え?」
「名前で、呼んで。友達だから」
「……ありがとうな、琴音」
「べ、別に……。お礼を言いたいのは、私よ」
俺は気恥ずかしくなって、思わず琴音に背を向けてしまった。
「ね、九条くん」
「ん?」
「こんな広い家、1人で住んでて寂しくないと思う?」
「……思わない」
「だったら、遊びに来てよ」
俺は、思わずその言葉に目を丸くしてしまった。
そして、ゆっくりと息を吐いてにこやかに笑った。
「……分かったよ」
――――――――――――
「なぁ、九条」
「ん?」
「お前と多宝院さんって付き合ってるのか?」
「いや、友達だよ」
放課後、荷物をまとめていると男友達からそう語りかけられた。
俺と琴音が友達になってから、2週間が経った。その間、俺と琴音が付き合ってるという噂は何度か出てきたが、その度に俺たちが否定するので、噂が出てはすぐに消えるということを繰り返していた。
「と、友達!? あれで!? お前、正気か!?」
「あれでって何だよ」
「だ、だっていっつも一緒に登下校してるし、お前は多宝院さんのこと下の名前で呼んでるし」
「そりゃ、友達だからな」
「いや、そりゃそうだけどよ……。そうじゃないっていうか……」
俺はちらりと時計を見ると、慌てて荷物を持った。
「悪い。琴音を待たせてるんだ。また明日な」
「お、おう……。いや、お前それ完全に彼氏のセリフだぞ?」
その言葉を背中に、俺は教室を出る。
あれから随分、日が沈むのが早くなっており太陽が西の端からゆっくりとオレンジの光を校舎の中に放っていた。それを見ながら、俺は琴音のいる空き教室を開けた。そう、放課後が故に誰も使わない空き教室の扉を。
「九条くんどうしたの? こんな空き教室に呼んで」
茜色に照らされながら琴音が何も分かっていない顔で、不思議そうに首を傾げた。
俺たちの関係は、俺たちのこの関係は告白から始まった。
なら、告白で終わらせるべきだ。
「琴音」
静かに俺は言葉を紡ぐ。
きっと、俺の顔は赤い。
「俺と、付き合ってくれ」
俺がそう言うと、彼女は大きく目を見開いて。
「……もう」
呆れたようにため息をつくと、
「遅いわよ」
真っ赤な顔で、はにかんだ。