【7】
白い蝶はヒラヒラと飛んで、一軒の家に向かった。
それは一風変わったつくりで、尖がった屋根の一部が大きく欠けていて、家の中が見えている。
しかし、このあたりは人通りも殆どない街外れなので、別に問題がないらしい。蝶は家の中にするりと入って、小さなガラスのビンに収まったとたん、ビンは光り始めた。
「おや、『旅人のランプ』に灯がはいるなんて!」
その家の住人は少々戸惑っていた。「旅人のランプ」は、この国の多くの家に置いてあるのだが、魔道所から離れたこの場所にあっても、何の用も無いものだと思っていたのだ。ただ、自分の義務として形式的に預かっていたものだった。
「お迎えの準備と言っても、大したことは出来ませんが・・・」
そう独り言を言いつつ、了解したことを伝えるために玄関の鍵を開けて、ドアのところに椅子を置きに行った。外に出てみると、そこは相変わらずの荒野が広がっているだけである。
「こんなところに『アザラの旅人』が通るとは思えませんけどね・・・だけど、お客が来ることには違いないみたいですね」
一通り辺りを見渡して、準備をするために家の中に入っていった。
「さて、宿が決まったようだな。出発する。ルーンはしまっておけよ」
そう言うとクリスは立ち上がって歩き始めた。
「決まったって?なんで解るんだよ?」
アオーンの質問に答えてくれるという約束は殆ど果たされないが、それでも聞かずには居られない。しかし返事は勿論なかったので、しぶしぶでも黙ってついていくしかなかった。
その家はすぐに見つかった。
「変な家・・・・」
大きく抉られたような屋根をもつ家は、雨が降ればひとたまりもなさそうだったが、近くに行くとそこには大きなガラスのようなものがはめ込んであって、特に問題なさそうだった。
ドアの脇の椅子を引いて、クリスはアオーンを座らせた。すると同時に玄関の戸が開き、中から声が聞こえた。
「ようこそ『アザラの旅人』。あなたの父の家に今日の疲れを置いていきなさい」
決まり文句のような話が始まった。
「父の家にたどり着けたことに感謝します」
クリスの口から「感謝」という言葉が出たことが少しおかしかったが、多分これも決まった台詞なんだろうとアオーンは思いつつ聞いていた。
「お前は・・・カールか?」
「マスター・クリストファー!あなただったんですね。」
離れて話していた二人は、顔を見合わせて一応に驚いている。
「懐かしい!子供の使いにマスターが同行しているという噂は聞いていましたが、まさかクリスだったとは。一体どうしたんです?」
「まあな、色々とあってこいつをやっとここまで連れてきたところだ」
「とにかく、中に入ってください。そこでぐったりしているのが旅人ですか?」
ほんの少しの間にアオーンは眠ってしまったらしい。クリスに頬を軽く叩かれてふっと我に返った。
「あ、こんにちは。」
「はい、こんにちは。自分の家だと思ってくつろいで下さいね」
そういわれて家の中に導かれてみると、外観で思っていた以上に立派なつくりになっていた。広いリビングには殆ど物が無かったが、大きなテーブルには食事の支度がたっぷりとしてあった。
「取りあえず、旅人は食事をしてください。同行者には何を?・・・はい、そうでしたね」
クリスが返事をする前に、カールは立ち上がって台所に行ってしまった。そのうち、コーヒーの香りが漂ってきた。
「な~んだ、知り合いの家なんだ。あの人、友達?」
アオーンは丸一日何も食べていなかったのと同じくらい空腹だったので、一気に埋めるように口に頬張っていた。
「昔の同僚ですかね~」
のんびりした口調で、カールは返事をしながらコーヒーを入れて帰って来た。
「それにしても、こんな所で旅人のランプが光るとは思ってなかったので、正直驚きましたけどね」
そう言いながら、クリスの前にコーヒーの入ったカップを差し出した。
「門を抜ける予定じゃなかったからな」
「ええ!始まりの門を通ってきたんですか?」
「初心者にしては上出来だったが、最初から博打だったかもしれん」
「彼は・・・もしかして・・・あちらからですか?」
「そうだな。しかしソウェイル様とライラ様の息子だ。アザラの旅人としては正統だが、何も知らされていないらしい。」
カップが空になったのか、カールはお代わりを黙って注いだ。
「そうですか。君はとても頑張ったようですね」
そういわれてアオーンは初めてカールの顔をまともに見た。クリスほどではないが、やはり髪を長く伸ばしていた。それに、何よりも驚いたのは青く透き通るような眼だった。
「僕の顔に何かついていますか?」
まじまじと見つめていたらしく、尋ねられて少し顔が赤くなる思いがしてきた。
「クリスの同僚って、カールさんも魔法使いなの?」
「ちょっと違いますけどね。それに、カールと呼んでくれてかまいませんよ。」
久しぶりに優しくされて、アオーンの心はゆったりとしてきた。
一日中緊張していたので無理もない。その上、何かにつけてクリスに叱られていたのだから。
じんわりと涙が溢れてきたのを見られたくなくて、また食事に戻ることにした。
「食べ終わったら風呂に入ってすぐに寝ることだ。明日は早いからな」
「まあ、そんなに急かさなくてもいいじゃないですか」
のんびりとカールが話し掛けている。二人の間には上下関係はないらしく、クリスの言葉にもとげとげしいものが無くなっていた。