【6】
言葉に後押しされるように、アオーンは歩き出した。一歩ずつ、確かめながら踏み出すと『始まりの門』がアオーンのためだけに開いた。
緩い風がアオーンの髪を撫でてくる。
「ああ、気持ちいい・・・」
立ち止まってあたりを見渡したかったが、クリスに「振り返るな」といわれていたので思いとどまった。
荒地の間に続いている1本の道の先に、見慣れた父の背中がある。駆け寄って話し掛けたいのだが、ゆっくりと歩いていかないと消えてしまいそうで怖かった。周りには何もない。
もう少し行くと、たった1本だけの木が生えている。何となく父もそのつもりのように、木に向かって進んでいた。
「あそこに行けば、父さんと話が出来るかもしれない・・・」
しかし、目標の木の傍にたどり着いたところで、あっという間に父の背中は消えてしまった。
「あ!待って、父さん!」
アオーンは駆け出した。まっすぐに走ったつもりだったのに、あっという間に道はなくなり、目標の木も見えなくなった。クリスの忠告を破り、振り返って見たが、自分が来た道もなくなっている。
「どうしよう・・・どっちに行けばいいんだよ」
頭の中で出来る限りの可能性を考えてみたが、あたりは霧に包まれたようにすっかり視界が悪くなっていた。
「思い出せ・・・どうしたら良いかちゃんと考えるんだ・・・」
アオーンは自分に言い聞かせた。そして、もう一度目を閉じて父の後姿と、道の脇に立っていた木を思い出そうとした。しかし、いくらやってもパニックに陥っているのか何も浮かんでこなかった。
「落ち着け・・・落ち着くんだ・・・」
手の中のルーンをもう一度握り締めて、自分に言い聞かせるように何度も心の中で喋り続けた。
するとどこからか、母の子守唄が聞こえてきた。
(風の音を聞き、香りを味わい、足跡をたどっていく時、終わりのない階段を上り続けるような、長い夢を見る・・・)
「ああ、母さん。ありがとう、風の音を聞くんだね。やってみるよ」
アオーンは耳を澄ませた。
さっきまで髪を撫でていた風。その音は、乾いた場所に吹いてくる軽い音だった。
何もない荒地の間を渡ってくるので、サラサラと規則的な音楽。その旋律の間に、時折葉音がしてきた。
懐かしい森の感触だ。
「どっちから聞こえてくるんだろう・・・」
眼を閉じたままあたりをうかがいながら、もう一度耳を澄ませた。すると、すぐ脇に木があることに気がついた。
「あった。。。」
恐る恐る眼を開けてみれば、確かにそこに木は立っていた。アオーンは自分の力で、もう一度道を見つけることに成功したのだ。
「よかった・・・」
また消えてしまいそうな不安を抱えて少しずつ近寄り、確かめるように歩き続けた。最後の一歩を踏み出して木に触れた時、安堵のあまりへたり込んでしまった。
「ここで、待っていればいいんだよな。。。。」
アオーンは緊張感から解放されて、木にもたれるように座りこんだ。
改めて眺めると「始まりの門」と言われたところには、大きな岩がある。確かにクリスの言うとおり、岩にとってはどちらでも同じ事なんだろう。ただそこにあると言うだけだ。
クリスが門を開けて入ってくるところを見てみたかったが、さっきまでの見通しのよさは欠片も残っていない。木の下から上を見上げても、葉の間から漏れているはずの光がさしてこなかった。
「あんまりいい天気じゃないんだなぁ・・・でも明るいから昼間なのかな」
「時間には大して意味はないぞ」
突然、話し掛けられて見渡すと、すぐ傍までクリスが歩いてきている。
「クリス!」
「随分と歩き回った様子だな。疲れ切って動けませんって状態か?」
まるでそこに沸いてきたように、突然姿をあらわした感じだった。
「見てたんだったら、助けてくれればいいじゃないか!」
「それは出来ない相談だ。お前の道をたどる事は出来ないからな。」
ほんの少しの間だったが、一人ぼっちにされて心細かった。クリスの事はやっぱり好きにはなれなかったが、一人じゃないということだけでもありがたい気になったのは事実だ。
しかし安心すると同時に、どっと疲れが出て、この場をもう動きたくないと感じていた。そういえばお腹も空いている。
「そうだな・・・仕方ない。宿でも探すとするか」
そう言うと、クリスは左手を握り何事かつぶやき始めた。握った手には何かを掴んでいるようだったが、しばらくすると腕を前に差し出して、手のひらを天に向けてゆっくりと開いた。
そこには、白い蝶が生まれていた。
蝶はひらひらとどこと言われることもなく、飛び立った。
「何やってんの?」
一部始終を見ていたアオーンは、魔術を初めて見たのですっかり楽しんでいた。
「これか?宿を探しに行かせただけだ」
「あんな奴に?へぇ~」
少々のことではびっくりしない自信があったが、蝶が見つけてくる宿がどんなものか興味津々だ。
「返事がくるまで時間が掛かるからな。もうちょっと休んでろ」
そう言うと、あっさり座り込んでいるアオーンの後ろに回り、反対側の木にもたれて煙草を吸い始めた。
「こいつ、絶対嫌い。」
クリスに聞こえるように、しっかりと頭の中で喋った。