【4】
「先を急いでいる時に限って邪魔は入るものだ」
そう言うと、クリスは先にたってまた歩き始めた。あたりはすっかり陽が落ちてしまって、月明かりが泉の水に反射している。金色のクリスの長い髪が昼間とは違った印象を与えていた。闇にまぎれて見失うことなく、アオーンはクリスの後をついて歩き続けた。
「なあ、クリス。この先は本当に行き止まりだけど・・・」
隅々まで知り尽くしている森なので、先がわかっている分少し心配になってきたのだ。行くと言っても、道の終わりには何もない。立ちふさがる岩に行く手を阻まれるだけだったのだ。
「そうか。道は続いていると思っていたが、勘違いだったかな」
振り返りもせずにクリスは答えてくる。
「それより、何故さっき戦おうとしなかった?」
「戦うって?どうやってあんなでかい奴に勝てるんだよ!」
ただ、泉の水を飲んでいただけで訪れた恐怖を、もう一度思い出した。それに獣が潜んでいた場所の水を飲んでしまったことに気づき、胃の中から込上げて来る物を必死で押し戻さなければならなかった。
「別に勝てとは言ってない。意志の問題だろうな」
「意志って・・・」
逃げようと思ったことは確かだが、あんなものを前にして戦う気持ちが急に出てくるほど、アオーンは攻撃的な性格でもなかった。
「おまえ、本当にソウェイル様の息子か?」
「何言い出すんだよ!」
いきなり父のことを持ち出され、その上血のつながりまで疑問視されて黙っては居られない。少し離れて歩いていたので、考えるより先に駆け出し、追いついたら殴ってやろうと思った。
「まあ、そう怒るな。よほどライラ様に大切にされていたんだろう。『太陽の戦士』の息子とは思えない身のこなしだったから、俺のほうも油断していたことを反省しているくらいだ」
「反省してる?なんでお前が反省するんだよ」
「それはお前の『同行者』だからだろう。無事に旅が終わらないことには、こっちもお役ごめんにならない」
『同行者』という言葉に反応して、アオーンは漠然と思い出した。
母のこと、父のこと、昼間にあった『出立の儀式』のこと。そしてまだ何も聞かされていない自分のこと。クリスだって何者なのか。考えれば考えるほど、自分が赤ん坊のように無力ではがゆかった。
母は「ミトラ神殿に向かった」と聞かされたが、どこにあるんだろう。それに「太陽の戦士」なんて初耳だった。クリスも『同行魔導士』として任命されたので、アオーンの前を歩いているんだろうが、何のために旅を始めたのか。
知りたいことがありすぎる。今一番知りたいことは何なのか、アオーンは自分の心に質問した。そして答えはすぐに出てきた。
「クリス、一つ聞いていいか?」
アオーンが話し掛けると、珍しくクリスは立ち止まった。
「ああ。なんだ?」
「父さん・・・元気だった?」
一番知りたいこと、それは父のことだった。言葉にすると涙が出そうになったが、何日も帰ってこなかった父への思いはそれだけ募っていた。
「それを聞いてどうする?」
「どうもしないさ。だけど何日も会ってないし、クリスは昨夜父さんと話したって言ってたから・・・」
クリスは立ち止まったまましばらく考えていた。月光に照らされた後姿はとてもきれいで、少しの間アオーンは見とれていた。
「そうだな。お前の入れてくれたコーヒーが飲みたいと言ってたぞ」
それだけ言うと、また歩き出した。
「そっか。だったらいいんだ。」
アオーンもクリスの後を追って、また歩き始めた。父の様子を少しでも知れたことが、今の心の支えになったことは確かだ。
歩き続けている道はどんどん道幅が狭くなり、このまま行くと『果ての岩』と呼ばれている場所に続いている。その先にはもう進めないので、そういう名前が付いていた。
周りを迂回して進むことも、岩肌に杭を打ち込んで上ることも出来ない。万が一出来たとしても、その先は深い霧に覆われた広大な樹海が続いているだけだった。
何度も忠告したにも関わらず、クリスは森の一本道を『果ての岩』に向かっているようだ。そうしているうちにも、とうとうたどり着いてしまった。
「ほら。行き止まりだろ?」
クリスの背中に向かって、確認するようにもう一度話し掛けた。
「行こうと思わなければ道はみつからないと言ったはずだが」
「いけないだろ!ここは『果ての岩』と言って、道の終わりなんだよ」
そう言うと、クリスの脇をすり抜けて、岩のまん前に立ち叩いて見せた。
「ほら、この岩は固くて鉄の杭だって受け付けないんだよ。その上、越えられたとしても向こうは樹海だぜ」
岩と言っても半端な大きさじゃなかった。見上げると、天に向かって垂直にそびえたっている。
「俺は、ここを越えるつもりはない」
クリスは相変わらず冷静に返事をしてくる。
「じゃあどうやって行くんだよ。この先に行きたいんだろ?それとも思っただけで道って出来るもんなのか?」
振り返るとすぐ後ろまで、クリスは近づいて来ていた。
「そうだな。簡単に言うとそういうことだが・・・お前の道は自分で見つけるしかない。人が作った道を進んでしまうと、途中で精神の崩壊が始まるからな。この先に続く道をお前が作り出すしかない」
「でも・・・そんなの無理だと思うけど」
「無理かどうかはやってみてから判断したほうが良いんじゃないのか?想像力って奴だな」
アオーンが何も知らないことは事実だが、もうちょっと教えかたってものがあるんじゃないかと思うと無性に腹が立ってきた。
「まあ、そう怒るな。そうだな・・・こいつは『果ての岩』と呼ばれているらしいが、俺にとっては『始まりの門』だ。同じ岩だが、見方を変えれば呼び方も変わってくる。お前にとっての「終わり」が俺にとっての「始まり」だったということだ。だが、岩にとっちゃどっちだって一緒だろう。表も裏も、大して変わりがない。そこに立つ者の主観の違いなだけだ。」
クリスの言葉がアオーンの頭に響いてきた。
「だからって、岩が目の前から無くなるなんて無理な話だよ」
「無くなるとは言わなかったぞ。『始まる』と言っているんだ。ここまであるこの道が、この先に続いているというだけだ」
そう言うと、クリスは足元の暗いところを指差していた。その手を今度はアオーンの胸につきたてて
「頭で考えるな。ここで思い描くんだ」
そう言うと、アオーンを残して後ろに少し下がってしまった。