【10】
左手を差し出すとそこに光の玉が生まれ、あっという間に姿を現してきたものは雷の魔法をつかさどるものだった。クリスの思い通りの稲妻があたりに落ちて、飛んでくる石を次々に破壊したが、雷は風を伴って、家全体を大きく揺さぶっている。
「何が始まったんだよ」
アオーンが寝室から飛び出してきた。
「アオーン、目が覚めちゃいましたね。騒ぎが収まったら出発みたいですから準備しておいてください。」
「花火でも上げてるの?」
「まあ、そんなところでしょうが・・・その話は後でゆっくりしましょう。間違ってもクリスに質問しないで下さいね。召喚した直後は気が立っていますから・・・」
カールの穏やかな口調に助けられて、少ない荷物をまとめることにした。リュックを背負って待っていると、やがて水を打ったように外が静かになった。
「終わったみたいですね。クリスのためにお茶を用意しておきましょう」
そう言いながらカールはお湯を沸かし始めた。
玄関の扉が開き、よろよろとした足取りでクリスが入ってきた。
「準備はできたか?」
話しながら部屋に入ってきたが、そのまま床に座り込んでしまった。
「クリス・・・コーヒー入れましたよ。どうぞ」
カールはカップを手に持って近寄ると、肩を抱くようにしてクリスに手渡した。
「随分と無茶しましたね。少しは僕にも手伝わせてくれればよかったのに」
「お前に何ができる?」
クリスの背中は、呼吸をするたびに大きく揺れていた。
「僕だって一通りのことはできますよ。あなたと一緒でしょう?」
わざと返事をしないのか、聞こえていないのかは解らなかったが、クリスは黙ったままコーヒーを飲んでいる。カールは『癒し手』として様子を伺っていたが、そっと左手をクリスの手に重ねた。
「文句を言わないで下さいね。こうしないと立ち上がることも出来ないでしょう?」
「余計なお世話だ」
「相変わらず強がりますね。もうちょっとの辛抱ですから、我慢してください」
クリスは使い果たしてしまった力が戻るのに少し時間が掛かるようだった。口ではきつい返事をしていたが、カールの手を払いのけるでもなくされるままにじっとしている。こんな従順なクリスを見たのは初めてだと、アオーンは感じていた。
(僕も一緒に行きます。いいですね)
アオーンに聞かれないような言葉で、弱みに付け込むようにカールはクリスに語りかけた。
(お前の助けが無ければ立ち上がることも出来ない俺に、返事をさせるのか?)
(最初から抵抗しても無駄でしたよ。一緒に行くことは決まっていたんです。)
カールはにっこりと笑った。反対にクリスの顔は歪んでいたが、アオーンにはわからなかった。
しばらくの間、二人の魔導士は手を握って見詰め合っていた。
「さて、行きましょうか」
そう言うとカールは立ち上がって、身の回りの物をまとめ始めた。
「カールも一緒に行くの?」
「そうですよ。僕もアオーンの旅のお手伝いをさせてもらうことになりました。よろしくお願いしますね」
まとめるといっても、特に何ももって行こうとしなかった。使ったカップをしまい、マントを一枚手にしただけだった。
「じゃあ、二人とも外に出てくださいね」
言われたとおりに外に出てみると、辺りは来た時には無かった大きな石がそこら中に落ちていた。
「さてと。久しぶりの引越しですね。上手くいくといいんですけど・・・」
カールは家を眺めながらつぶやいていた。玄関の扉に手を触れ、小さく何事かをつぶやいていたが、見る見る家は形を変えてあっというまに小さな貝殻になってしまった。
「わっっ!」
アオーンは瞬きする間に起こった出来事に思わず声をあげた。クリスは別段気にした様子も無く立っていたのだが、カールの手並みに満足している風だった。
「それ・・・何?」
「これですか?家ですよ」
カールは貝殻を手にとって、小さな箱に入れようとしていた。
「以前、僕の生徒が作ったものですが、あまりに出来が良いので貰ったんです。ただ、これ以上屋根がなくなると困りますから、こうして大事に箱に入れて持ち運んでいるんですよ。」
当たり前の様にカールは返事をした。貝殻の入った箱をポケットにしまうと振り返ってクリスに話し掛けた。
「このまま街道を通って街に向かうのは危険ですね」
「そのようだ。ソウェイル様の剣に惹かれて集まってくる輩が居ることは証明されたからな。」
「では、近道しますか?」
アオーンを無視して、二人の魔導士はこの先のことを相談している。どちらにしても今のアオーンには選択の余地は無かった。