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赤の他人の娘の肖像画を見ただけだというのに、ソレールは心が震えた。
次いで、こめかみに鋭い痛みが走った。
あまりの痛みに、ソレールは無意識に額に手を当てる。
けれど、その痛みを手放してはいけないと、もう一人の自分が強く訴える。
「実は、娘と言ってますが……私とはなさぬ仲なんですよ」
タンジーはソレールが痛みに呻いていることなど気付いていない様子で、ゆっくりと語り出す。
「まだまだ子供なのに、一生懸命に大人になろうとしているんです。本当は人一倍寂しがり屋で怖がりで、甘えん坊で。なのに、それを見せるのが恥だと思って必死に隠しているんです……でも、バレバレなんですけどね」
砕けた口調とは裏腹に、タンジーはとても寂しそうに笑った。
「…… そうですか」
なんとか返事をしたソレールだけれど、その額には粒の汗が浮かび、息は細く荒い。
それでもソレールはまるで神様からの試練のようなこの痛みから逃れようとは思えなかった。
不思議なことにタンジーは、ソレールを労わる様子は無い。
じっと何かを見極めるかのように目を細めている。
ソレールはその視線に居心地悪さを感じ、そっと目を逸らす。
そこには、窓があった。
カーテンは開け放たれており、ガラス越しに外の景色が見える。枝の梢に新芽を生やした───百日紅の木があった。
『危ないっ』
かつてその木の下で、自分がそう叫んだのをソレールは思い出す。
それはいつ?
誰に向かって?
何のために?
一つ問いを浮かべるごとに、色鮮やかに見知らぬ光景が次々と浮かんでくる。
『木登りは初めてかい?』
『……いいえ』
ふわりと百日紅の木から落ちてきた妖精のようなその人は、澄んだ空より淡い色の瞳にソレールの姿を写してそう言った。
シャンパンゴールドの髪が風になびく。
デザートを見て目を輝かせる少女が脳裏に浮かぶ。
夕刻の空き地のベンチで、捨て猫のように身を丸めて震える姿が見える。
パッと夜空に咲いた花火を、自分は誰と見たのだろうか。
服を脱いでと言われ、理性の箍が外れそうになったのはいつだっただろうか。
誰かの首から血を流しているのを見て、全身が凍り付くような恐怖を覚えたのは……。
笑顔を向けて欲しいと。名を呼んで欲しいと。自分を特別な存在にして欲しいと切に願ったのは、誰に向けてのものだったか。
ソレールは必死に記憶の糸を手繰る。
細く脆いそれは、気を緩めたらすぐにでも消えてしまいそうで。だから、ソレールは慎重に最大の注意を払いながら、自分の元へと手繰り寄せる。
そして全ての糸を巻き取った瞬間、
「…… ああ、思い出した」
ソレールは片手で顔を覆って呟いた。
眩暈はあるが、のたうち回りたい程の痛みは嘘のように引いている。
その代わりに、体中が震えている。言葉にできない感情が胸の内から溢れてきて。
「…… アネモネ」
ソレールは目を閉じたまま、愛しい人の名を紡いだ。




