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紡織師アネモネは、恋する騎士の心に留まれない  作者: 当麻月菜
8.無常の風は時を選ばず、けれど無名の画家にも他生の縁
65/76

3★

 客室でアニスの到着を待っていた初老の絵師は、警戒心を持ってしまったことを恥じたくなるような、人の良い笑みを浮かべていた。


「わたくし、タンジー・ガフィと申します。この度は、ブルファ卿にご依頼いただきました絵をお持ちしました」


 アニスが部屋に入ると同時に、絵師ことタンジーは帽子を脱いで深く腰を折った。


 胸に当てた手には、中指に大きなタコがある。長年、筆を持ち続けてきた職人の手だった。 


「遠路はるばるご苦労だった。だが申し訳無い。祖父は2ヶ月前に他界した」


 アニスは旅服てあるタンジーを労ってから、事情を伝えた。


 そうすればタンジーは寂しそうに「そうですか」と呟き、再びアニスに頭を下げた。


「いや、顔を上げてくれ。ところで、祖父が依頼した絵とは…… 私が確認しても?」

「もちろんでございます」


 嬉しそうに笑みを深くして何度も頷きながら、タンジーは側に置いてある布に包まれた絵を両手で持つ。


 次いで器用に布を外して、アニスに掲げて見せた。


「…… これ……は」


 アニスの灰色の瞳が限界まで開く。


 後ろに控える護衛騎士も小さく息を呑んだ。


 タンジーが描いた絵は、ブルファ家の肖像画だった。


 どこかの高原だろうか。穏やかな日差しの中、大きな木の下でピクニックシートを広げて、微笑みあう家族。


 両親と幼い子供。そして祖父の4人が描かれているそれは、笑い声がここまで聞こえてきそうな程すばらしい絵だった。


 もちろんこれが自分と両親。そしてチャービルだということは聞かなくてもわかる。


 けれど実際のアニスの家庭は、放蕩を極めた父とアバズレの母。そして寡黙な祖父。一家団欒などおとぎ話のような生活だった。


「…… まるで夢のような絵ですね」

「ええ。私は憧憬画家ですから」

「憧憬画家? そのような名前、初めて聞きました」

「ははっ。 自称ですから」

 

 絵を手にしたままカラカラと笑うタンジーに、アニスは『でたらめなことを言うな』と詰る気は無い。


 これが……これこそが望んでいた家族の姿だということは、土に眠る祖父を叩き起こして問い詰めなくてもわかる。


 アニスだってこんな風景をずっと夢見てきたのだから。


「……素晴らしい絵です。きっと祖父もそう言ったでしょう」

「有難いお言葉をいただき光栄です。憧憬画家冥利に尽きます」


 感嘆の息を漏らしながらアニスが呟くように言えば、絵を手にしたままタンジーは片足を一歩後ろに引いて頭を下げた。

 

 そして姿勢を戻すと、アニスに近づき「どうぞお納めください」と言って、絵を差し出した。

 

 アニスは心から感謝の意を伝え、絵を受け取った。





***


 


 

 

 亡き祖父にこの絵画を見せたい。


 そう言ってアニスはティートを連れて応接間を出て行ってしまった。ソレールにきちんと画家を見送るようにと厳命して。


 そんなわけでソレールは、タンジーの身支度が整うのを待っている。


 遠方から来た画家は、コートを羽織り帽子を被っている最中だ。


「…… タンジー殿、ご家族はいらっしゃるのですか?」


 ソレールのこの問いに深い意味は無かった。


 ただ絵師が帰り支度を急いでいるのは、誰かが待っているからだと思っただけ。

 そして乗合馬車の停留所までなら、無断で送ってもアニスに咎められることはないと判断したためだった。

 

 案の定、タンジーはそうですと即答した。ついでに「娘なんですが、見ますか」と鞄をゴソゴソ探り出す。


 他人の娘に興味は無いが、断る理由が見つからないソレールはタンジーが差し出した小さな絵を手に取った。


 封筒サイズの小さな絵は、丈夫な革表紙に入れられていた。

 皮の角は擦り切れ、人が使い込んだ艶がある。


 きっとこの絵師は、この絵を肌身離さず持ち歩いているのだろうと、ソレールは推測した。


「では、失礼します」

「ええ。どうぞ、どうぞ見てください」 


 タンジーに許可を得たソレールは表紙をめくった。


 そこにはシャンパンゴールドの髪に、透き通った水色の宝石のような瞳を持つ少女がいた。

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