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「ごちそうさまでした」
一人っきりの朝食を残さず食べ終えたアネモネは、寝室に足を向けた。
ずっとポールハンガーに掛けられていた上着に袖を通す。
次いで、これまたずっとソファの横に鎮座していた鞄を斜め掛けで肩に担ぐ。最後に毎日履いているブーツの紐を、解けないようにギュと締め直した。
荷物は行きも帰りもほぼ変わらないけれど、身に着けているものは、ここに来た時よりグレードアップしている。
ボロボロだったそれらを全部、ミルラが手入れしてくれたから。
「……あ、刺繍」
繕うことが不可能なほど空いていた上着の袖の穴は、バリオンローズステッチで埋められていた。
─── 気付かなかった。いつの間に?
にこにこと優しい笑みを浮かべて、きびきびと働く家政婦にとって、これくらい造作も無いことだったのかもしれない。
でも「おやまあ、これは酷い穴だ」などと言いながら、丸い指に針を持つミルラの姿を思い浮かべると、アネモネはじんわりと胸が熱くなるのを止められなかった。
そしてミルラにお礼の手紙を書こうかとしばし悩む。でも、やめた。
見知らぬ人間から、記憶の無いお礼を綴られた手紙なんて貰っても怖がらせるだけだと思ったから。
玄関扉を開けたと同時に、秋の爽やかな風が吹き抜ける。
髪がふわりとなびき、胸に流れた髪を片手で背中に払いながら、アネモネはしっかりと施錠をした。
小さな庭は、夏色から秋に変わっても花に埋もれている。
アネモネは見納めにと、ぐるりと秋の花々を眺めた。そして、とある一か所で視線を止める。
花壇の端っこに一部だけ剥き出しの土がある。
そこには、少し前に自分の名と同じ花の球根を植えたのだ。
芽を出し花を咲かすのは、来年の春だろう。その時、ミルラは驚くだろうか。ソレールに見つけてもらえるだろうか。
アネモネの花言葉は「あなたを愛します」と「儚い恋」。
男性であるソレールがまさか花言葉を知っているとは思わないが、もし万が一気付かれたら、この遠回しの告白はかなり恥ずかしい。
たとえ気付いたその時、彼の心の中に自分の存在がいなくても。
そんなことを考えながら門扉を開ければ、既にアニスからの迎えの馬車は到着していた。
案内役なのか護衛なのかはわからないが、ソレールは下馬した状態で、手綱を握ったまま立っていた。
今日もぱりっとした騎士服が良く似合う。
「おはよう、アネモネ。ゆっくり眠れたかい?」
「はい。おかげさまで」
短い言葉を交わした後、ソレールは御者を制してアネモネの為に馬車の扉を開けてくれた。
「ありがとうござ……─── あっ、そうだ」
ついついいつもの流れで忘れてしまいそうになったが、アネモネはもう必要がないそれを首から外す。
「ソレールさん、鍵、返します」
両の手に乗せた差し出したのに、ソレールは首を横に振った。
「いや、これは君が持っていてくれ」
あっさりと受け取ってくれるとおもいきや、彼の顔は信じられないほど真剣な顔で拒絶した。




