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アネモネが一歩後退する度に、ソレールは無言で一歩距離を詰める。
身長差がある二人は、コンパスの差も歴然だった。
距離はみるみるうちに縮まっていく。ソレールの眼光はアネモネを捕らえて離さない。
そして、ソレールは何かに気づいた途端、長い腕を伸ばしアネモネの肩を掴んだ。ひぃっと声にならない悲鳴がアネモネの唇から漏れる。
カランッと、剣が床に落ちる音が響いた。
「怪我をしているじゃないか!」
ソレールが耳をつんざくほどの声量で怒鳴った。その声には、隠しようの無い怒りが表れていた。
びくりとアネモネの肩が震える。でも実のところ、本気で彼が誰に向けて言葉を放っているのかわからなかった。
「......怪我、ですか?」
「ああ」
「私、怪我なんて」
───していませんよ。
そう言おうと思ったけれど、後半の台詞はソレールの手が首に触れたことで、喉の奥で止まってしまった。
「ここだ、ここ、血が出ているっ」
荒々しい手つきでなぞられた場所は、耳のすぐ下だった。
記憶を辿れば、アニスに突き飛ばされた時、首に痛みを感じた。この傷は、きっとその時のものだろう。
色々ありすぎて、すっかり忘れていた。言い換えるなら忘れる程度の傷なのだ。血が出ているとはいえ、大したことないはずだ。
「このくらい大丈夫」
「そんなわけあるかっ」
再び怒鳴られたけれど、その声はくぐもっていた。
ソレールが力任せにアネモネを抱き締めていたから、そう聞こえたのだ。
てっきり軽蔑されると思っていたアネモネは、まさかの展開に目を白黒させてしまう。
「......この馬鹿。心臓が止まるかと思った」
どうして私の事なんかを心配してくれるの? と、聞こうとしたのに、ソレールはそれを遮るように苦しそうに呟いた。
「なんで大人しくできなかったんだ? 危ないからずっと家に居てもらっていたのに」
「……」
「頼む。ここいうお転婆はこれっきりにしてくれ。心配でこちらの身が持たない」
「……」
「アネモネ、聞いているかい?」
「……」
ソレールは裸一貫で雪山に置き去りにされたように震えていた。
早く彼の質問に答えなければならない。そう思っていても、アネモネは硬直したまま何も言えなかった。
なんだか予想を遥かに超えた想定外の出来事超が起きている。
けれども、アネモネは未知の感覚を味わう余裕は無い。ソレールに力まかせに抱きしめられているからだ。
腕の隙間からそぉっと彼を覗けば目が合った。
焦燥と不安しかない。どんなに目を凝らしても、アネモネに対して疑うそれは見つからなかった。
少し離れた場所で、アニスが「俺の心配をしないのか?」とふてくされる声が聞こえた。
でもそれは誰も拾うことはせず、虚しく壁に吸い込まれていった。




